「日本にはタナバタとかいう行事があるって聞きましたけど」
『タナバタ…ああ、七夕のこと?』
「そうそれです、多分。それってどーいうものなんでしょう?」
『急にどうしたの。フランがそんな話するなんて珍しいね』
「…いえ。深い意味はないですけど。ただ日本、この時期に行くと、笹にタンザクっていうの飾ってあってタナバタってものをしてるじゃないですか。空港でも目立ちますし、あれ」
『うん』
「で、ふと思い立っただけなんですけどね」
『そっか。七夕ねぇ…』
 耳に押し当てた受話器越しに聞こえる彼女の声。携帯じゃなくてどこにでもある電話ボックスから聞く彼女の声。
 国際電話は回線が不安定で時折ざざとノイズが混じる。受話器の向こうの彼女はいつもののんびりした声で『そうねぇ、何から説明しようか。順番に言おうか』と言う。ポケットに突っ込んだ手の中には匣。それを弄びながら平和そのものなんだろう日本とそこにいる彼女を思いながら「全部聞きます」と返した。
 最初は、ただの謝罪の電話のつもりだった。
 この間はすみませんでした、突然帰っちゃって。今度はきちんと予定入れないように仕事も全部すっぽかして行きますから。そんなことを言っていたら彼女が笑った。くすくすと耳に心地いい声でありがとうと。それがいつになるのかは分からないのにそんな約束をして、約束にも似たことを言って。それから無駄に重い受話器を握る手が躊躇った。このまま切ってしまっていいのかと。
 一応マフィアの一員だ。どこかで盗聴されている可能性だってないとは限らない。だから彼女にわざわざ指定した電話ボックスまで来てもらって時刻まで指定して、それでこないだはすみませんでしただけじゃあなんだかなと。思ったせいかもしれない。
 この時期日本では。そう頭で考えてでてきたのがタナバタという行事。だから会話を続けるためにそれを挙げた。ただそれだけ。

『あるところに織姫って人と彦星って人がいてね。織姫は河東に住む天帝の娘で、彦星は河西に住む牛飼いだったの』
「…はい」
『織姫は機織りの上手な働き者の娘で、彦星も働き者でね。だから天帝は二人の結婚を許したんだって』
「…それ、天帝の許し、いるんですか?」
『身分の差ってやつだね。そっちで言う貴族とか王族とか平民とか、そんな感じじゃないかな』
「あー、なるほど」
『それで、二人は夫婦になったんだけど。よっぽどその生活が楽しかったのか、満足しちゃったのか。織姫は機を織らなくなって、彦星は牛を追わなくなったの』
「…はい」
『それで天帝が怒ってね。二人を天の川で隔てて引き離したんだって』

 頭の中を随時整理しながら「はい」と返す。受話器越しの声にまた不安定なノイズが混じって『だけど年に一度、七月七日だけ二人が会うことを許したんだって。その日を七夕って言うの』ざざとノイズの音。「なんで会うこと許したんでしょうね、その天帝って」と言えば彼女が小さく笑った。『織姫があんまりにも泣いたからじゃないかな』と。
 ふぅんそんなものかと思いながら肩と頬で受話器をはさんでかちと匣に指輪を押し付けて開匣した。後ろはもう見ない。炎も持たない気配も隠せないようなザコに振り返る気も起きなかった。ただこの時間を、彼女との時間を邪魔されたことには少しイラっときた。
 悲鳴を上げさせないように首を刎ねるように。そう指示して匣をかたんと脇に置いた。なるべく物音を立てないように気を遣ったつもりだったけど、どしゃと倒れる音がした。人の倒れる音が。イラっときたのが匣にも反映されたのかもしれない。
 だけど握り直した受話器の向こうには彼女がいる。
(…血を知らない世界、か)
『フラン?』
「はい。聞いてますよ」
『うん。今なんか、音が』
「あー、こっちも雑音混じりですよ。ノイズばりばり。これだから国際電話ってのはメンドクサイですよねー」
 ぱたんと匣が閉まったのを確認にしてからちらと肩越しに視線をくれてやれば、誰だか知らない奴が首を刎ねられて倒れていた。あー処分がめんどくさいと思いながら受話器を持ち直して「で、なんでそのタナバタと願い事のタンザクが繋がるんです? どう考えてもただの御伽噺ですけど」『うーん、そうねぇ』彼女の苦笑した声とノイズの音。それから少し鉄錆の嫌なにおい。
『もともとは、二人が無事会えますようにって意味で飾ってたんじゃないかな。短冊とかは』
「が、今は傲慢にも自分達の願いを綴るようになった、と」
『そうね。そういうことかも』
 苦笑した彼女の声と『勝手よね、人間て』という言葉に少し閉口した。匣をポケットに突っ込んで「まぁ行事ですから。御伽噺ですし。そんなもんじゃないでしょうか」と言ったら彼女は笑った。『そうね、そうかも』と。
 あと何か話題は。頭の中を引っくり返している自分がいっそ馬鹿らしいのに、それでも受話器を置きたくなかった。突っ込んだカードの限界まで、時間が許すまで、できればこうしてずっと話していたかった。
『ねぇフラン』
「、はい」
『そっちは今』
 ざざとノイズ。受話器に耳を押し当てて「すいません、ノイズひどくて」『…ん、そうみたい。時間かもね』彼女がそう言った。だからちらと突っ込んだカードに視線を落としたけど多分直前にならないとピーとか音立てないんだろう。これだから極地の電話ボックスっていうのは。盗聴とかそんなこと誰が好き好んでやるかっていうの。
 だけどそれでもこの回線を、この通話を知られてはならない。そうじゃなければ彼女が危険に晒される。
(最も、日本にはミー達より優秀なボンゴレファミリーがいるんでしょうが…)
さん」
『うん?』
「今そばに誰かいますか? あなたを守る人は」
『どうして?』
「いえ…なんとなく」
 歯切れの悪い答えになった。受話器の向こうで彼女が笑う。『じゃあ内緒』と。
 護衛がついている。そんなこと分かってる。彼女は一般人だ、炎は扱えない。リングもない。ただそれでもここにいる、それが彼女だ。分かってる。
 だから誰かが隣にいるんだということも。分かってる。
(…切ろう。時間だ)
 短くピーと入った電子音。きっと彼女の方も同じだったのだろう、『時間みたいね』という名残惜しそうな声に「そうみたいです」と返した。
 もうすぐこの通話も途切れる。彼女との時間も同じく。
「…あの」
『うん?』
「めんどくせーって思うかもしれないんですけど。また電話しても、いいですか」
 ざざとノイズの音。少しの沈黙と『いいよ。連絡くれたら電話くらい』と笑う彼女の声。
 それから別れの挨拶を交わしてピーと音を立ててカードが吐き出される、通話が途切れるその瞬間。聴こえた声。
。終わった?』
『うん』
 それでぶつと途切れた通話。残ったのはツーツーという乾いた音だけ。
(…今の声は)
 がちゃんと無駄に重い受話器を置く。振り返れば広がる血溜まりと一つの死体。殺した人だったもの。
 彼女のそばにいたのは。ボンゴレ雲の守護者、雲雀恭弥。
 ごつと電話ボックスのガラスに頭をぶつけた。「なーんだ」とこぼす声に落胆が混じる。
 彼女はボンゴレファミリーのものであって誰のものでもない。でもやっぱりそれはただの幻想にすぎなかった。彼女は一人の人間だ。守っていかなくてはならない、力のない、普通の、どこにでもいる、一人の女性。
 なら。守る誰かがいなくては。彼女を守っていかなくては。守って。
「…そばにいられないミーに。その資格はないってことですか」
 一人こぼした声にまた落胆が混じった。落胆に似た何かが混じった。それでも顔を上げれば現実が見えた。死体が見えた。処理しなくちゃならない。だから仕事用の携帯端末の電源を押して「こちらフランです。一つ死体出ちゃったんで片しといてください」と伝えてぶつと電源を切る。今の一瞬で端末の場所は特定されただろうからここに用はない。
 今頃彼女は雲雀恭弥と一緒にいるんだろうか。そう考えたら胸がむかむかしてきた。一つ舌打ちして道端に転がっている石ころを蹴る。
 ああ全く。どうしようもなく自分は彼女に焦がれている。
 ポケットの中でちりんと音が鳴る。足を止めてそろりとポケットからそれを取り出せば、どこにでもありそうな日本の文字が入ったキーホルダー。
 今度はミーも何か贈らないと。そう思いながら胸のうちで黒いものがくすぶる。
 今彼女の隣にいるのが自分でないこと、それがどうしようもなく腹立たしい。

どこまで求めてもとどかない
(ああ全く、馬鹿らしい話だ。本当に)