お姫様ってほんとにいたんですね。初めて見ました。その子はそう言って掌に収まる四角いサイコロみたいな箱を宙に放った。
 ちょっと今の状況分かってるの君と私は言いたかったけど、その子が親が雇った護衛であると思い出すのに数秒かかった。いつもならそれなりに護衛らしい護衛の人がついていたのに今日に限ってこんな子供。それでいて今日は今までにないほど史上最悪の状況下で、何そのサイコロ。銃くらい出しなさいよ馬鹿。君護衛でしょ、なのになんでサイコロ。
「こちらに引き渡してもらおうか」
 周りにはずらりと、それこそらしい格好をした誰かさん。私はと言えばどこにでもいる女の子の格好、隣の護衛くんもどこにでもいる男の子の格好。それなのにどこでバレた?
 名前なんて知らないし知ろうとも思わないけれど、相手方が私を狙っているのはもう間違いなかった。お忍びのお忍びで今日は街にきたはずなのにどうしてこんなことに? お父さんもお母さんも何考えてんのよ、一人娘の身の安全くらい確保しなさいよほんと、馬鹿。今日に限ってこんな私と同じくらいの子雇ってほんと何考えてんのよ、私が死んだらどうするのもう。馬鹿馬鹿馬鹿!
 胸のうちでそう毒づくぐらいこういう現場には遭遇してきた。私は一国のお姫様、きちんと本物。だから私を利用しようと考える人や私が邪魔だと考える人や私のことで動く人間はたくさんいた。たとえば私を捕まえて両親を脅す。たとえば私を殺して一国の国勢その他のバランスを崩す。私は利便のきく駒のようなもので、動かし方次第で盤面はどうとでも変わる。
 どうとでも変わってしまう。だからこそ躍起になって私をどうにか動かそうとする人達がいる。そういう人から私を守るのが護衛の役目。だけど今回ばっかりは私も諦める他にはないようだ。だって私の隣にいるのはこんな状況下でものんびりした顔のままサイコロみたいなのを放ってはキャッチしてる、護衛というには頼りなさすぎる男の子一人のみ。対して私達を囲んでいるのは、一体何人。それこそ何十人って数。こんなのもうどう考えたって。
 一国のお姫様だ。夢物語みたいに私を救ってくれる王子様が現れるのを信じたかった。
 だけどしょうがない。世の中世知辛い。本当にそうだ。どこかの物語の中で私は私の王子様を信じて待っていたかった。だけどしょうがない、私が生まれたのは中世ヨーロッパとかじゃなかった。現代だった。お城なんてもう廃れた風習、もしくは記念物として登録、どっちかっていうのが主流な世界に生まれてしまった。それでも両親はお城に住んでいた。だから私もお城に住んでいた。王子様がやってきてくれないかとお姫様はずっとその存在を信じて待っていたけれど、どうやらもう、時間切れらしい。
(遅刻だよ王子様。ばか)
 抗う余地なんてない。私はそう思った。たとえどれだけ助けを乞おうともさっきからサイコロを弄んでるこの子を助けてもらうことができないだろうことも思った。だけど護衛なんだもん、覚悟してたでしょ? 君も。さっきからサイコロばっか弄ってるけどさ、一応君私の護衛。だからさ、ごめんね。
 私は心の中だけで謝った。静かに両手を上げて「大人しく捕まるわよ。だからこの子くらいは逃がしてほしいの」ダメだろうと思いながらそう言ってみる。目の前の黒いサングラスをかけてる男は小さく笑っただけだった。ああやっぱりダメか、そうよね。うん分かってた。

「行く必要ありませんよ」

 だけどそう声がした。隣から。のんびりした、この状況を分かってるのかって疑っちゃうようなのんびりした声が。
 思わず私まで眉根を寄せてその子を見る。護衛役の子を。その子はぽーんとサイコロを宙に放ってぱしとキャッチして。それからすっと表情をなくして「まー仕事なんで」と言ってそのサイコロに指輪を押し付けた。かちと音。溢れ出たのは光。目の前を焼くような。
(な、に…っ)
 眩しくて目を開けていられなかった。それは私だけじゃなかったらしく、「何だこれはっ?」「待て、撃つな。姫に当たったらどうする!」「しかしっ」飛び交う声。どこかでどすと鈍い音もした。苦痛のような呻き声も。確実に何かが起こっているのだけど、視界を光から庇うのが精一杯で何が起こっているのかまでは分からない。
 それでぐいと手を引っぱられて「こっちです」という小さな声に護衛くんを思い出した。
「ちょっとこれ、」
「シー、バレます。喋らないで」
 訊く前に遮られた。手を引かれる感触を頼りに瞼を閉じたまま走ったけれど途中でがつと何かに引っかかった。まずい転ぶと思った矢先、だけどぼふと受け止められて。恐る恐る目を開ければどこか白んだ視界に護衛くんがいるのが見える。
「まだ安全圏ではないです。走れますか?」
「む、無理。ちょっとまだ目が、」
「でしょうね。慣れないと無理です。ってことではい、お姫様は大人しくお姫様抱っこでもされてください」
 軽いものでも持ち上げるみたいにひょいと私を抱き上げる護衛くん。細いくせして一体どこにそんな力が。いやそもそも私確かにお姫様だけど、お姫様抱っことか初めましてじゃ。
 護衛くんが「揺れますよー、掴まってください」と言うからわしと服を掴んでみた。そしたら呆れた顔をした護衛くんが「それじゃ意味ないと思います。じゃなくて、首に腕回してひっついててください」と言うから。むぅと眉根を寄せて言われた通りにしてみた。緑色の髪が頬に当たってくすぐったい。
 それから後ろの景色が見えた。ぎょっとする。あの光の正体、よくあるスタングレネードの類かと思ったけど違う。あの光、今はもう光じゃなくて何か違うものに、
「跳びますよ」
「へ?」
 言うが早いか振り返ったらそこには階段。下りの。十数段を一息で跳び下りて、人一人担いでも着地だっていとも簡単にこなしてくれた護衛くんに私はぽかんとした。何ともない顔してそのまま駆け出した護衛くんが「車は呼んであるんで」と言う。展開が目まぐるしくてついていけない私に気付いたのか護衛くんが少し笑った。
「舐めてもらっちゃ困ります。ミーが役立たずなんて思ってたでしょう」
「そ、そこまでは…あの、だけど」
 たんと靴音。「はい大通りです。で、これに乗って車の回してある場所まで。馬車通行はこれだから」最後はぶつぶつ言いながら護衛くんが私を馬車の席に下ろした。へたんと座り込んで駆け抜けてきた通りの方を見る。あっという間すぎて何がなんだか。
「では、ミーは後片付けがありますので。お姫様はお先にどうぞ」
 それで馬車を降りてしまった護衛くんにとっさに手を伸ばしてわしとその服を掴んだ。つんのめった格好で振り返った護衛くんに「ねぇ、またきちんと会える?」と言う。護衛くんはきょとんとした顔をしてからなんだかおかしそうに笑った。「ああはい、会えますよ。また後ほど、お姫様」そう言って服を掴んでた私の手を取って口付けてから離した。護衛くんがポケットからまた一つサイコロを取り出したのとぴしと鞭の音がするのは同時。そうして馬の蹄が石畳を蹴る音が続き、がたんと馬車が独特の揺れを出す。
 通りに消えていく護衛くんの背中と、少しずつ遠ざかる景色。
(私…助かった、んだ)
 半ば呆然としながらそんなことを思った。かっかっと蹄が石畳を蹴る音が耳に慣れていて心地がいい。
 大通りを出て車の通行が許可されている場所まできて、そこまで行ったら確かに私が顔を知ってる護衛の人がいた。「姫様こちらへ」と言われてそのまま車に乗り込む。すぐに発車する車と、私の両脇を固める護衛の人で景色が見えない。
 仕方がないから振り返ってみれば、護衛くんがいるはずの街はすぐ遠ざかっていく。景色が流れていく。
 本当ならもう少し予定があったんだけど、でもこれならもう、しばらくは外出できないだろう。親が許すはずがない。私は大事な駒だ。きっとまたお城の中だけでの生活が待っている。それがどれくらいになるかは分からないけれど、きっとそうなるだろう。
 ぐっと拳を握った。
 あんな細っこくてまだ私と同じくらいの子供で、それなのに私一人担いで走ったり跳んだり冷静な状況判断したり、笑ったり、まるで慣れてるみたいに。護衛くん、名前とかなんだろう。訊いておけばよかった。また必ず会えるだなんて限らないのに。
 だから手を組んで祈るだけ祈っておいた。どうかまたあの護衛くんと会えますようにと。
「…いるし」
「移動お疲れさまでーす。お姫様」
 で。お城に帰って一通り身の回りの品の確認とかそういうのをされたあとに、通された部屋にはすでに護衛くんがいて。口をぱくぱくさせて「君、なんで。私車で移動したのに」「今の世の中、車より便利な移動手段はいくらでもあるもので」それで護衛くんはしれっとそんなことを言ってのけた。ああくそ、何か言い返したいのに言い返せない。っていうかちょっと前まで君の安否を気遣ってたんだよ私は、なのにそんなへらっとした顔されたらなんか私が馬鹿みたいじゃないか。
 むっとしながらぼすとソファに腰掛ける。向かい側では紅茶をすすってる護衛くん。ついでに備え付けのお菓子までちゃっかり食べてるし。っていうかそれ私のお気に入りのマカロン…。
 じゃなくて。
「えーと。さっきは、ありがとう。護衛くん」
「フランと言います。雇われた身ですから、当然のことをしただけですよー」
 しゃくしゃくとクッキーを食べながら言われると全然全く大したことはやってないってふうに聞こえるけど。っていうかそう見えちゃうんだけど。でもうん、君が助けてくれたのは事実だうん。認めよう。
(名前…フランかぁ。お菓子みたいな名前)
 残り一個になってたマカロンをすんでのところでさっと取り上げた。「あ」とか残念そうな顔をする護衛くん、じゃないフランに私はべっと舌を出して「これ私のお菓子。っていうかお姫様だけど私にだって名前くらいあるわ」と言えばフランがきょとんとした。「まぁそりゃそうでしょうが。でもお姫様って言えば事足りるでしょう?」とか首を傾げてみせるから。だから私はむぅと眉根を寄せてかわいくないやつとか思ったりするんであって。
「…親は君の手際のよさが気に入ったみたい。君、正式に私の護衛役任命されるわよ」
「ふむ。それはそれで抜け出せますし都合がいい」
「抜け出す?」
「あーいえこっちの話です。ミーの方にも色々事情がありますから」
 ひらりと手を振ったフランがしゃくしゃくクッキーをほおばりながら「でもまぁあれです、きっとお城に缶詰ですね。お姫様」「だから、名前。私はっていうの」だんと机を叩く。フランがきょとんとした顔で「へぇ。様」「…なんで様つけるのよ」「だってお姫様でしょう。ミーはただの護衛役ですから」どこまでもへらっとしてるフランが気に食わない。むむむと眉根を寄せて一瞬でもフランを、私を助けてくれた彼を王子様かもとか思った自分を後悔した。
 何期待してんだろ、私。王子様なんていないって分かってるのに。
 ぼすんとソファに座り込んで背もたれに深く背中を預ける。向かい側ではフランが備え付けのお菓子を平らげて空にしたところ。「いや、さすが王室備え付けってやつですね。おいしかったです」それでそんなことを言うから私は嘆息した。だからそれ私のお菓子。

「…ねぇ」
「はい?」
「王子様っていないのかしら」
「は?」
「だから、文字通り王子様よ。私はお姫様で実在するんだもの…どこかに王子様がいてくれてもおかしくないと思わない?」

 馬鹿な問いかけをしてみた。フランが神妙な顔で「…心当たりはありますけど」と言うからぱっと顔を上げる。でもそのフランがないないと首を振って「いえ、自称王子ですから。ほんとかどうかわかりませんし、そもそもあれ王子ってガラじゃないですから」「…なんだ」だからがっくりうなだれてソファに埋もれる。
 都合のいい王子様なんて、やっぱりいないのか。お姫様につきものの王子様。憧れてたのに。
(なんだ…がっかり)
 生まれた時代が悪かったのかな。こんな現代社会じゃなかったらお城の中にエレベータなんてなくて、暗証番号や指紋認証の機械もなくて、もっとスムーズに色々できたのかな。できてたのかな。私は王子様に会えてたのかな。私を守ってくれる、救ってくれる王子様に。
「…そんなところで寝ると風邪引きますよ。お姫様」
 ふっと声が降ってきて、下がり気味だった瞼を持ち上げた。軽いものでも持ち上げるみたいに私をお姫様抱っこするフラン。「ねぇ、重くない?」「はい?」「わたし」「標準じゃないですか、体重的には」しれっとそんなことを言うからべしと頭を叩いてやった。「いた」と漏らしたフランが私をベッドに下ろす。慣れたように。
「今日は疲れたでしょう。休んでください」
「、フラン」
 離れようとするその手をぱしと掴んだ。こっちを振り返ったフランが首を傾げて枕の横でしゃがみ込む。「はいなんでしょう」と。
 お城の中にいる普通の給仕服の人と変わらないような格好だし、でも全然普通の道歩んでなさそうだし、私にとってフランはまだ謎だらけの人だし。でも今日私を助けてくれたのは紛れもない彼なわけで。
「王子様は、いないのかな」
「……ミーになんて言ってほしいんですか。王子ですとでも?」
 呆れたように笑ったフランに同じように笑う。そうよね、やっぱり馬鹿らしいしアホらしいよね。王子様なんていないのよね。さみしいけど、それが答えなんだわ。きっとそう。
 現実はなんてさみしいんだろうか。
 明日からはきっと私はお城に缶詰生活だ。どのくらい続くのかわからない。もしくは一生缶詰なのかもしれない。お忍びのお出かけだって月に数えるくらいしかなくて、私はだいたいお城でただのお姫様。
 変化がほしかった。たとえばそれが悪い方向に転がってでも、何か違う変化がほしかった。恋の一つだってしてみたかった。このままじゃ私は一生お城から離れられないまま大人になって、大人になってもお城に缶詰のまま。どこまで私はここにいればいいのだろう。
「…泣くようなこと、ないじゃないですか」
 フランの指先が私の目元を拭った。片目を瞑って「泣いてないわ」と返す。「見る限り泣いてます。あーもう」わしわしと頭をかいたフランがその場に座り込んで「泣いてる女性を放っていけるほどミーはひどい人間じゃないんで。ここにいますけど」涙を拭う手を握れば少しあとに握り返された。視線を斜め下ら辺に逃がしながら「言っときますけどね、ミーはこういう現場に遭遇したことがありません。気の利いたこと言えませんよ」とか何とかごにょごにょ。だからふっと笑って「そうしてくれてるだけで十分。十分だわフラン」だからその手をぎゅっと握って、私は目を閉じた。

 ああこれがもっと素敵な出会いで、フラン、あなたが王子様だったならよかったのにね、なんて。