バレンタインという行事はどうやら世界共通らしい。七夕は日本だけなのか中国もやってるのか知らないけど世界共通じゃないくせに、どうしてバレンタインは世界共通なのか。そこはかとなく疑問を感じつつ、部屋の前に紙袋いっぱいになってるチョコの山を睨みつけてちょっと屈んでみる。試しに一つ持ち上げてみたところ、確かに普通にチョコだった。ちょっとラッピングが派手なくらい。
(…これって確かー、好きな人にあげるんだっけ?)
 はてと自分の中で今まであったことを大雑把に振り返ってみる。が、別にそういう相手もいないしそういう感じのことがあったとも言えない。じゃあどうして部屋の扉の前にチョコが詰め込まれた紙袋があるのか。これは間違いなくミー宛…でいいのだろうか。
 ぽいとチョコを紙袋に戻してうーんと悩んでいたら、通りかかった誰か下っぱに「どうしましたフラン様」とか声をかけられた。しょうがないのでそっちに顔を向けて「いえねー、任務から帰ってきたら部屋の前にこんなのがあったんですよー」ずいとチョコの詰まった紙袋を差し出す。と、下っぱはなぜか顔色を変えて羨ましそうにチョコを見つめてきた。「おお、フラン様もすばらしい数をもらってますね…俺なんか」後半はぶつぶつ独り言モードだったので肩を竦めて放置。それからぴーんと思い立って「じゃああげますよ」「え?」「ミーはこれいらないんで、あげますよ。どーぞ」それで紙袋を持ち上げてぽーいと放ればあわあわした下っぱががしっとそれをしっかりキャッチ。キャッチしてからはっとした顔で「しかしフラン様っ」と声を上げるから、もうめんどくさい誰が親父の相手なんかとしっしと手を振って「あげますんで。ミーはいりませんから。じゃそういうわけで」がちゃと扉を開けてばったんと閉める。
 ふうと息を吐いて暑苦しい制服のコートのボタンを外した。
 応えられない好意なんて、チョコって形でもらっても嬉しくない。そのチョコにそれなりの勇気や覚悟や想いが詰まってるんだと言うんなら、それを切り捨てる覚悟がこちらにだってある。
「……んー」
 視線を天井に向けて、無駄にシャンデリアな電灯を見つめた。
 思考に引っかかったのはあの人。フラン、とやわらかく笑う人。
 そういえばもう半年ほど仕事に忙殺されていてあの人と連絡を取っていない。年越しさえ任務で埋まった。日本的に言う明けましておめでとうも言えなかった。もう二月。二月の、十四日。バレンタイン。
 あの人は誰かにチョコを贈るのだろうか。そう思いながら適当に着替えて楽な格好になって、ぴーんと思い立つ。確かここにもパソコンくらいあるだろう。仕事で使わないフリーのやつが。どこだっけ、談話室? 頭の中にそれっぽい部屋を思い浮かべながらカーディガンを羽織って部屋を出たら、まだあの下っぱがいた。ぎくっとした感じでこっちを見て「あのフラン様、本当にこれ俺がもらっても」とか言うからうんざりと息を吐く。ほんとにもらってもいいのかというわりにはしっかり紙袋抱き締めてるくせに。そんなにほしいのか、チョコが。他人の好意が。理解できない。
 理解できない。切って捨ててから、そうでもないことに気付く。
 誰でもいいからほしいとは思わないけど、あの人からの好意ならほしいと。思う。
「あげます。さっさと部屋に持って帰って食べないと溶けますよ」
 かちと部屋に鍵をしてすたすた歩き始める。下っぱはまだ視線をうろうろさせてたけど、ようやく持って帰る決心がついたらしい。そのうち足音が聞こえ始めて、やっと行ったのかとこっちは溜息を吐く。
 そういえばバレンタインって、男がそわそわする日か。そういうのには興味なかったし甘いものが好きというわけでもなかったから意識してこなかったけど。
 でもバレンタインって本当はもっと違う意味じゃなかったかなと思って、それを調べにわざわざ談話室に顔を出す。普段行かないだけに大勢の男ばっかりの空間にうへと肩を竦めつつすたすた歩いていって空いてる席に座り込んで、つけっ放しのパソコンのキーボードに触れた。久しぶりにキーなんて触るかも。
(バレンタイン…いや、バレンタインデー、か)
 かたかたとキーを打ち込んで検索に引っかける。うーんと腕組みして画面を睨みながらヒットした記事が多すぎるのに辟易した。みんなそんなにバレンタインデーなんて単語を使うのか。おかしなの。
 いくつか記事を開いては閉じてを繰り返し、何度目かにようやくそれっぽい説明の載ってるものを見つけ出す。
(バレンタインデーあるいはセントバレンタインデーは、2月14日に祝われ、世界各地で男女の愛の誓いの日とされる。もともと269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日であるとされているが……)
 バレンタインに関連する記事に全て目を通す。歴史が絡んできたら眉根を寄せつつ読解する。宗教まで絡んでくるとさらに眉根を寄せつつ、それでも読み進める。
 やがて辿り着いた記事で、国によってバレンタインのかたちが違うということを知る。
 こちらや欧米は男女どちらもが感謝や好意の形で花やケーキ、カードなんかの贈り物をするけれど、日本はそうじゃない。様々な思惑のために主にチョコレートが女性から男性へ限定で贈られる、ということが多いらしい。男の出る幕はまた別に用意されていて、そこがこちらとは違うところだ。
(ふぅん。じゃあやっぱり、あんなに意固地にチョコにこだわる必要なんてないんじゃないのかなぁ)
 下っぱの顔をそれとなく思い出そうとして失敗した。どうでもよかったから思考から流してしまった。それより今読んだバレンタインについてのことの方が頭を圧迫している。
 感謝の気持ちとか、そういう気軽な感じでチョコを贈ることはあまりしない。それが日本。バレンタインは女性が贈る日で男は受け取る日、ホワイトデーが男が贈る日で女性が受け取る日。日本は狭いくせに色々と細々しいことが好きらしい。あんな小さな島国のくせに、バレンタインにこぎつけて、さらにそこからホワイトデーなんてものまで考え出すとは。
 でもまぁその日本が侮れない場所である、というのは認知済みだ。彼女を含め、本当に日本には逸材がごろごろしてる。あんな狭くて小さい国なのになんでそういう現象が起こるのか不思議だけど、現実がそうなんだからしょうがない。
 ふうと息を吐いて記事を全部閉じて、ついでに履歴もいじって全部消しておいた。うるさい談話室をさっさとあとにしながらポケットに手を突っ込む。ちりんと鈴の音。こちらにはない、あちららしい音色の。
 そろりとポケットから取り出した、日本の文字が入ったキーホルダー。どこにでもありそうなありふれたもの。
 だけどこれは彼女がくれたものだ。そう思ったら手離せなくて、結局持ち歩く破目になっている。
 ポケットにまたキーホルダを戻して歩き始めた。部屋に帰って、外套を手に取る。財布もついでに。
 何をしに行くかと言えば、バレンタインについてこれだけ頭をめぐらせたのだから、答えは決まってる。
『え? 住所?』
「うっかりしてメモを忘れちゃいまして。教えてもらえませんか?」
『うん、いいけど。フラン今どこ?』
「もう任務から戻ってるんで、イタリアのアジト。の外ですね。買い物してたんですよ」
『わざわざ送ってくれるの? こっちに?』
「…いけませんか?」
 携帯にメモしてないなんて、馬鹿したなぁ。そう思いながら彼女に電話をした。すぐに通じた。彼女の嬉しそうな声でフランと言われたときには一瞬自分を忘れてしまったほど、彼女の声を望んでいた。呼ばれたんだと気付くのに三秒くらいかかってお久しぶりですと頭を下げて挨拶してから、相手がそばにいないことに気付いて一人で笑う。電話越しだっていうのに、何をこんなに緊張してるのか。
 そもそもこういう携帯を持とうと思ったのは、彼女と連絡を取りたいと思ったから。個人で携帯を持つのは自由だけど、規則の項目がずらっと並んでめんどくさいくらい取り扱いについて厳重だ。情報が外に漏れることを思えば仕方のないことだけど、それでもないよりはマシ。どこか遠くの公衆電話に国際電話をしに行くなんてもうめんどくさい。毎回それじゃ、出てきてもらう彼女にも悪いし。
 だから自分の携帯を持つことにした。国際間だからメールの料金も半端ないから滅多にしない。受け取る彼女側にお金が発生するのも嫌だし、というのもある。だから電話もそんなにしてない気がする。彼女のために買った携帯なのに、なんだかおかしな話だ。
 ようやく用件を伝えた頃、審査を終えたらしい荷物がこっちに返却された。ちょっと携帯を離して「そのまま、贈り物です。海外宛で」と言えば、職員からはイエスの手振りを返された。片手を挙げて返事をしつつ「すいません、それで住所。お願いできますか」『うん。メモある?』「あります」『じゃあ言うね。郵便番号は』肩と頬で携帯を挟みつつ住所をメモ。日本語を英語に変換しながら彼女の名前まできたところでボールペンの手を止めた。
 急すぎた、だろうか。彼女はびっくりしてるかな。そもそも何を贈るのかも言ってないし、今から急いで贈ったって彼女のもとにものが届いたら二月十四日はもうすぎてるだろう。その日に届けられないなら大した意味はないのかもしれないけど、でも行事だから。乗っておくならもう今しかない。思い立って財布を突っ込んで外に出たのだから、そこまでしたんだから。だからもう彼女に贈ろうと決めた。店先で見つけて気になったもの、彼女が喜びそうなもの、ちょっと変わったもの、その全部を買ってかわいらしいキャリーケースに詰め込んだ。潰れない程度に、でもいっぱいに。
 そうしてるうちに思った。今日部屋の前に置いてあったあれ。あれが、ミーが今想ってるように、想って詰め込まれたものなのだろうかと。誰かの手でそれでもミーのために用意されたものなのだろうかと。
 だけど自分はそれを切って捨てた。そのはずだ。そのことに後悔はない。
 だって、こんな自分だけど。それでも、好きな人がいる。
「…あの」
『うん?』
「そっち、バレンタインですよね」
『ああ、そうだね。今日だよ』
「…誰かに、あげたんですか?」
『私?』
「はい」
『んー、今は義理チョコに限らず友チョコとか色々あるから。それなりにあげたよ』
「……本命、は」
 ごくんと唾を飲み込む。携帯を握り締める掌が嫌な汗をかく。彼女は携帯を耳に当てながらどんな顔をしてるだろうか。驚いてるだろうか。ミーがこんなことを言い出すなんてと。
 やがて小さく笑う声が聞こえた。『んーん、本命はないね。みんなにありがとうって気持ちで贈ったから』彼女のその言葉を聞いて心底安堵する。職員が紙切れを持ってきたからそれに彼女の住所をメモと見比べながら書き込み、料金を支払う。
 目的地はジャパン、日本。遠いけど、何日かあればつくはず。
『フランはチョコもらったの? 誰かから』
「え。っと、部屋の前にあったんですけど…誰からかも分からないし、その辺の部下にあげました」
『そっかぁ。そうね、下手に何か入ってたら大変だもんね』
「ええ、まぁ」
 そういうのは見抜けなきゃマフィアなんて勤まらないんだけど、それは言わないでおく。キャリーケースに生物注意とかのテープが貼られるのを見つめながら「チョコレートとかなんです」とぼそりと言う。『え?』と彼女の不思議そうな声。きっと首を傾げてきれいな髪がさらさらとその肩を滑り落ちてるんだろう。そう思いながら片手で拳を握って「贈るもの、チョコレートとか。こっちで見かけたお菓子とか、小物とか。そういうものいっぱい、キャリーケースに詰め込んだんです」と言葉を吐き出す。妙に顔が熱い。もうここに用はないのだから離れたらいいのに、キャリーケースが無事日本に届くだろうかと心配してる自分がいる。
『私のために?』
「…あなたのために」
 言葉を吐き出すのに、ひどく顔が熱い。拳を解いてぱしと顔を押さえて、「笑わないでくださいね」と付け足す。携帯からじゃ想像しかできないけれど、彼女はふんわり優しく笑ってくれたんじゃないだろうか。どこかの誰かみたいに馬鹿にしたような笑い方じゃなくて、冷やかすような笑みじゃなくて、優しく笑ってくれたんじゃないだろうか。『ありがとうね』という声からはそう感じられた。
 だから緩く首を振って、これは一方的な好意の押し付けなんじゃないだろうかと自分に問いかけ。それから部屋の前にあった紙袋の気持ちが少しだけ分かって、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
 だけど、この心は決まってるから。半年振りに聞いた声にひどく安堵した自分と、ひどく心臓を高鳴らせ緊張してる自分でもうはっきりと分かる。誤魔化しはきかない。
 彼女が、好きなのだ。ただただ、こんな場所からでも想いが届くようにと願うように。彼女が好きなのだ。ただただ。
『フラン』
「、はい」
『じゃあね、今度は私が、ホワイトデー辺りにお返しするね。そっち宛に』
「え、でもさん」
『そういえば私、海外に贈るってことすっかり忘れてた。時期は外れちゃうんだけど、ごめんね』
「いえ、嬉しいです。…嬉しいです」
 ぎゅうと携帯を握り締めて俯く。彼女の住所をメモした紙を折りたたんでコートのポケットにしまい込んだ。ぐいと袖で目元を擦って「じゃあ、それだけだったんで。…また電話しても」『いいよ、大歓迎』ふんわり笑った彼女がすぐそこに見えた気がして顔を上げる。当然ながらそこに彼女はいない。だけどこんなにも、自分は彼女を追い求めてる。こんなにも。
 名残惜しいと思いながらも通話を切る。しばらく画面を見つめてからぱたんとフリップを閉じて、ポケットに携帯を捻じ込んだ。店のドアを押し開けて外に出て、寒い風に身を竦めながらマフラーを口元まで引き上げて歩き出す。
 これで出かけた目的は達成できた。あとは、贈り物が無事日本に届くことを願うばかりだ。
 ちりん、とポケットで鈴の音が鳴る。すぐに街の雑音で埋もれて消えるその音は、それでも不思議と頭の中に響く、彼女のような音色。

いっそ好きですと言えたなら