向こうで言うホワイトデートとやらは三月の半ば辺りだったはず。それを意識して頭の隅に置きながら過ごした一ヶ月。落ち着きない自分を自覚しつつ、今日か明日かそれとも明後日かと彼女の贈り物を心待ちにしている。そんな自分がちょっと気持ち悪いくらいだ。
 まさかミーともあろうものが、こんなに人間らしかったとは。
 マフィアなんてものになってからというもの、普通の人間から言う非日常を当たり前としてきたせいでもう人間じゃない感覚さえ憶えていたのに、全然人間だった。当たり前と言えば当たり前か、それも。
 彼女は一体何を送ってくれるだろうか。いやむしろ忘れてないかどうか少し心配だ。ちょっとうっかりしてるところがあるし、というかここの住所ちゃんと分かってるかな。
 その気になれば電話とかメールをすればいいだけの話なのに、さっきから携帯を握り締めて、そこから動けない。なんていうか身体がカチコチになってる。なんだこれ。
「…で、電話くらい」
 ぼやいて携帯のフリップを弾く。アドレスから彼女の番号を見つけて、あとはかけるだけ。それだけなのに指が震えて動かない。なんだこれ。
「やれやれ。我が弟子ながら奥手ですねぇ」
 ふいに響いた声。それに心臓がひっくり返るくらいびっくりした。「し、師匠」とどうにか声を絞り出せば、何を考えてるのか分からない感じの微笑を浮かべて視界に師匠が立っている。頭の中をまた勝手に使われてる。とりあえず弟子だろうが他人だろうが幻覚使うときは一言入れましょうよ、戦闘じゃないんだから。胸中でぼやいて「何ですか、何か用事でも」と言いかけて、それからはたと最初に言われた言葉に気付いた。
 我が弟子ながら奥手。とか何とか。
 頭の中を読み取ったようなタイミングでくふふと独特の笑い方をする師匠。ちょっと頭が痛いのはやっぱり幻覚のせいか。
「余計な報告をしてあげますと、雲雀恭弥はどうにもに気があるようですよ」
「……で。師匠はわざわざそれを言いに来たわけですか」
「まぁそんなところです」
 肩を竦めた師匠から視線を外す。雲雀恭弥と直接会ったことはないけど、彼女のそばによくいる。ような気がする。彼女と話をして出てくるのも雲雀恭弥その人だったような。
 眉根を寄せながら携帯を睨みつけた。まだ手が震えている。どうしてミーはこんなに、なんだろう。緊張からくるのかこの震えは。それとももっと別の何か?
 視界の端で踏み出されたブーツの足がこっちに来た。視線を上げれば師匠が実体を伴わない手で携帯を一つ叩く。「いいですねぇ、こんな便利なものを持っていて。僕もに会いたいものです」そう言った師匠は少し遠い目をしていた。身体はまだあの深く冷たい牢獄に囚われたままだろう。師匠に言わせればそれももう少しの辛抱らしいけど、本当かどうかは分からない。とりあえずミーはできることをしてる感じだし。
 携帯なんてもの、師匠からすれば遠い世界のものだろう。師匠は水牢の牢獄で今もまだ。
(…贅沢。か)
 ぱたんと携帯のフリップを閉じる。「おや。に電話をかけるのではなかったのですか?」知った顔でそこにいる師匠に「別に、いつかけようとミーの自由ですし。っていうか人の頭勝手に使わないでください、頭痛がしますー」言いながらぐりぐりとこめかみを指で押さえる。ああ頭痛い。
 くふふと独特の笑い方をするこの人は、今一体何のために人の頭を使って幻覚でそこに現れているんだろうか。深い意味もなくただミーをからかいに? それもまぁ十分ありえるのが師匠の残念なところだけれど、今このタイミングでいちいち口を出してくるなら。何か言いたいことがあるはず。
 携帯を睨みつけながら「で、何ですか」と何度目かになる問いかけをしてみる。さっきから無意味に携帯に触れようとしてはすかっと空を切る半透明な手。
「まぁそう怖い顔をしないことですフラン。の前ではそれなりに純情男の子じゃありませんか」
「誰が純情男の子ですか。っていうかほんとに何しに来たんですか師匠、ミーの頭も痛いんでそろそろ帰って眠ってください。小言なら結構です」
「雲雀恭弥に彼女を取られてしまってもよいのですか?」
「、」
 続けて吐き出そうと思っていた言葉が途切れた。何を言うべきなのか口をぱくぱくさせてる辺りで師匠はしてやったりな顔でくふふと笑う。「僕は身動きが取れない身ですし、に悪い虫がつかなければそれでいいです。が、雲雀恭弥はどうにもいただけない」一人喋り続ける師匠の声が右から左へスルーする。師匠の言葉に何一つ反論できないのはやっぱり、嫌だからか。彼女のことが好きな一人の男として。そういうことなのか自分。
 睨みつけていた携帯。それが突然鳴り出してびくっと大袈裟に肩が震える。おやと気付いた顔で携帯を見た師匠が「素晴らしいタイミングですね」と言ってとんと携帯を指先で叩く。あ、無駄に実体化してるし。
 ミーの私用携帯に登録されている人物は彼女一人だけ。彼女の名前がサブウィンドウに浮かんでいる。
 かけてきて、くれた。向こうから。たったそれだけのことなのに胸が熱いのが分かる。同時に身体の熱を持て余す。どうしてこう、熱くなるんだ。無意味に。意味不明だ自分。
「フラン」
「、はい」
 真剣な顔で呼ばれて思わず背筋を正した。そろそろ限界なんだろう、師匠が冷たい手でミーの手を叩いて「恋はいいものです。僕はあの牢獄から逃れることが第一ですが、あなたのように自由の身であれば恋を第一にしていたやもしれません。恋は何よりも心を豊かにするものですから」「…はぁ」「ですからあなたは」師匠の身体の下の方がさらりと灰のように消えた。さらさらと空気に溶けていきながら師匠は言う。真剣な顔のままで、あなたは全力で恋をしなさいと。そう言って視界から消えてしまった。
 ああやっと頭痛から解放された。そこではっとして鳴りっぱなしの携帯を見つめてごくんと唾を飲み込みフリップを弾いて、ぴ、とボタンを押す。

「もし、もし」
『フラン?』

 当たり前だけど、携帯の向こうからは彼女の声がした。それにすごくほっとした。あ、自分が馬鹿っぽい。
(…全力で、恋をしなさい)
 さっき師匠に言われた最後の言葉だ。最後の方はちょっと師匠って感じの上からの言葉だった。多分結局はそういうことを言いにわざわざきたわけだあの人は。全くおせっかいというか何というか。
 だけど正論だ。この気持ちを誤魔化し続けることは到底不可能。おかしなことになる前にミーは彼女に伝えなくては。この気持ちと、ミーを見てほしいんだということを。たとえ遠く離れていようともあなたを想っているんだということを。

『ごめんね、取り込み中だったかな。ずっと出ないからかけ直そうかと思ってた』
「いえ、すいません。もう大丈夫です」
『そう? ほんとに大丈夫?』
「はい」

 携帯電話の不安定なノイズの音。ぎゅうと携帯を握り締めてもう片手で拳を握り、『あ、それでね電話の用事は、ホワイトデーのもの送ったからねって言おうと思って』「…ほんとに?」『ほんとだよ。いつ届くかはちょっと分かんないけど、ちゃんと甘いもの以外にも色々入れたから』彼女の笑う声で拳が緩んだ。張り詰めていた自分の中の空気がしぼむ感じがする。
 想いを伝えてしまえば、伝える前には戻れない。
 もしも彼女に拒絶されてしまったら? 他に好きな人がいるという絶望的な言葉を返されてしまったら? そんなことを考えればキリがない。分かってる。それでも伝えずにいられないから、どうしようもない想いだから、伝えようって思うんじゃないか。このままぬるま湯に浸かっているのは確かに明確な答えがなくて傷つかない道だけれど、いずれどこかで分かってしまう答えなら。男らしく行くべきだ。
 だから顔を上げる。ベッドから立ち上がってかたんと窓を開けた。遠くに白い煙と警笛を鳴らす赤い列車が見えた。「さん」と呼べば『うん?』とノイズ混じりの声が返ってくる。
 彼女はボンゴレのもの。誰のものでもない。誰のもとへも行かない。そういうふうに思ってたけど、だけどあの人だって人間なんだから。曖昧なものに囲まれ続けて笑っていられるほどできた人じゃないはずだ。人は確かなものを求める。それは誰だって同じこと。
 息を吸い込んだ。青い空に白い雲。緑の森に古城からの景色。いつもの景色を記憶に焼き付ける。
 大きく息を吸い込んで「あのっ」と言い出したものの、そこから先が言い出せない。『? どうかしたの?』首を傾げて不思議そうな顔をするあの人が見える。そういう声が耳元で聞こえる。本当は遠く離れているあなたにこうして言葉を伝えられるのだから、ミーは言うべきだ。師匠が言ったように、全力で、恋を。
 この想いを。あなたに。
「あなたが、好きです」

祈るように告げた想い