僕が18歳になった冬のある日。廃棄されているKAITOを発見したとの連絡が入り、ずる、とエッグチェアから抜け出た。
 部屋は月日を感じさせないほどに変わりがなく飾り気ゼロで、僕がよく仮眠に使うエッグチェアだけが異彩を放っている。ああ、あと、壁際のソファで寝こけてる神威も異彩と言えば異彩か。
「うん。意識は? うん。…うん。分かった。こちらも向かう」
 仕事のためにと持った携帯を切り、ジャージ姿の自分を見下ろし、まぁいいだろうと割り切る。まだ寝こけている神威の前まで行ってべしとその頭を叩けば「うお」と姿勢を崩した彼が目を覚ました。本気でスリープモードに入っていたらしく「ん? なんだ、どうした」と目を白黒させている。
 というか、等身大サイズになって184も身長があるっていうのに、よくソファで寝ることができるよね。他の部屋にベッドがあるんだから使えばいいのにさ。
 そんな彼にコートを放ってやり、自分の方もコートを羽織る。
「仕事だよ」
「またか…しかもこんな夜更けに……」
「関係ない。行くよ」
「ってお前、またジャージか! 外着着ろっていつも言ってるだろう!」
「はいはい」
 相変わらず小言がうるさい神威を連れてマンションを出て、過疎区で廃棄されているのが見つかったというKAITOを引き取るべく現場へと向かう。

 二年前に、旅行先の山地で二分の一サイズのミクが廃棄されているのを発見。彼女が再起不能として処分されたと知って、僕は、自分のなりたいものというのを見つけた。
 僕らが二次元から三次元へとその存在を引っぱり込んだにも関わらず、こんなふうにして終わってしまうVOCALOIDというのを僕は容認できなかった。黙認だってしたくなかった。彼らは僕らのわがままで二次元と三次元を飛び回る存在だというのに、その彼らに対してこれはないだろう、という気持ちが一番強かった。そう、憤り、とでも言おうか。それが僕のエネルギーとなり、VOCALOID保護のための愛護協会を設立。不遇な処遇を受ける彼らに手を伸ばすべく日夜活動している。
 時代の流れのためか、僕が始めたこの協会は多くの人々の支持を得ることができた。VOCALOID公式サイトを経営する企業からも、僕らの活動が正式に認められ、資金援助や企業的サポートを受けることができている。おかげで設立一年あまりで協力者の和は広がり、現在も都市区を中心に愛護協会会員の人々と手を繋ぎ、心なき無責任な人々からVOCALOIDを守ろうと奮闘中だ。
 手は貸せないが資金援助はできる、という人もそれなりにいて、現在、運営に困るほど金欠ということもない。
 今回はネットでVOCALOID破棄の情報を拾った会員の一人が、嘘か真かを確かめるべく過疎区を訪ねたところ、某掲示板サイトに投稿されていた通りに廃棄された等身大KAITOを発見したとのことだった。
 …彼らVOCALOIDというのは、僕ら人間の【夢】だった。
 二次元と三次元を繋ぐ重要な架け橋。現実と夢を結びつける存在。
 自分達から求めて自分達から形にしたその夢。それはいわば、夢と現実に結ばれてできた子供。それがVOCALOID。
 僕は捨てられた子供だ。それが、棄てられてしまった彼らと自分の不遇を重ね、その境遇を重ねて、共鳴するのだ。こんなの認めない、と。
 他の誰がなんと言おうと、僕はこれを認めない。かわいそうなまま終わることなんて僕が許さない。生まれた限り、誰だって幸せを求めることができるのだ。それがVOCALOIDにはないなんて言わせない。

「ああ、会長! 待ってましたよぉ。ほら、あそこですあそこ」
 現地に着くと、僕に電話をくれた会員が寄ってきた。だいぶ横に大きいが、VOCALOIDを想う気持ちもその分大きい、頼りになる行動を取ってくれる一人だ。
 あそこ、と彼が指す場所に視線をやれば、確かにKAITOがいた。「…あちらか?」「ですです。声かけたみたんですけどぉ、すっごく睨まれましてね。なんか怖い感じだったんで、とりあえず見守ってましたぁ」「そうか。ありがとう」きらっと眼鏡を光らせる彼から離れ、ざくざくと歩いて行けば、もとゴミ捨て場らしき場所に等身大のKAITOがいた。ぐったりと丸くなってはいるが、意識はあるようだ。
 隣ではさっそく分析を開始している神威の片目がチカチカと電子色に瞬いている。
「四肢の欠損はなし。他の状態も悪くない。問題は持ち主特定のID?と電子回路系統だが…」
「…君」
 しゃがみ込んで、ぐったりしているKAITOに触れる。と、強い拒絶反応があり、ばしっと手を振り払われた。その強さにそのまま後ろに転びそうになった僕を神威の腕が間一髪で受け止めた。
 その青い瞳には強い拒絶の色が見えた。
「おいこら待てっ、俺が見えるだろう! 神威がくぽだ! こいつはお前に乱暴なんてしない、俺が保証する! 少し落ち着けッ」
 うう、と唸ったKAITOに神威が声を上げて僕と彼の間に入った。どうやら、見た感じでは損傷はあまりないように見えるKAITOは、その分、心に大きな傷を負ってしまったようだ。
 彼のマスターが腹立たしい。本当に、腹立たしい。
 はぁ、と溜息を吐き、神威にその場を任せ、僕は一度そばを離れた。人が近くにいてはさらに気が立ってしまうのではないかと思ったから。
 横に太い彼のそばに行くと、何やら興奮気味に携帯をいじっていた。「…情報を流してはいないだろうね?」念のため釘を刺せば、彼はきらっと眼鏡を光らせて「もっちろんです。ただね、今もう一個新しいのが入ってですねぇ、ほんとかなぁって現地の友達に確認取ってるとこなんですよぉ」まさか、と顔を顰めた僕に彼は頷く。なぜか元気よく、「また廃棄事件かもですねぇ。会長、忙しいですねぇ」そう言う彼はなぜか楽しそうだ。
 ふう、と一つ息を吐き、携帯を確認する。今のところ彼以外の別件は入っていない。
ー来い。大丈夫そうだ」
 こっちを振り返った神威に来い来いと手招きされ、気持ちそっと、警戒心を無駄に抱かせないよう穏やかに近づいた。神威の後ろでは相変わらずぐたっとした感じで地面に転がったままのKAITOがいるけれど、僕を捉えた彼の目は、先ほどまでの攻撃性は有していなかった。
 神威が大丈夫と判断したのなら大丈夫だろう。僕は彼の判断能力を疑っていない。
 地に伏せたままの彼になるべく視線を合わせようと、さっきと同じようにしゃがみ込む。
「初めまして。僕はと言うんだ。隣の彼は神威がくぽ。僕のVOCALOIDだ。個人的に、がくぽって呼ぶのは格好悪いと思っているから、僕は彼のことを神威と呼んでいる」
 自己紹介すると、隣のがくぽが「格好悪いだと…」と唸るのが聞こえたけど無視した。KAITOはそんな僕と神威を視線で交互に見やり、「ぼくは、KAITOといいます」と自己紹介を返してくれる。
 このやり取りが大事だ。こちらにとって相手がVOCALOIDの誰かなんてすぐに分かることなのだが、この階段を一緒に上るやり取りが何より大切だ。特に、一方的に階段から突き飛ばされてしまった、彼らのような存在には欠かせない。
 そっと手を伸ばして投げ出されたままのKAITOの手を撫でる。彼の身体はびくついたが、それ以上は動かない。…あるいは、動けない、のかもしれない。
「神威。彼の状態は?」
 ぶつぶつ言ってるところからおほんと咳払いした彼の片目がチカチカと光る。「芳しくないな。個体認識の?が削られてるのは言うまでもないが、こいつの場合、脳内プログラムをひどくヤられてる。どこをどうすれば手足が動くのか、起き上がることができるのか、それすら分からないほどぐちゃぐちゃだ。一度設定を破棄して、書き直すしかないだろうな」…そうか。倒れたままの彼に疑問は感じてはいたが、そういうことか。受け入れたくはないが現実としては納得できる。
「…やはり、うなじのコードの方も駄目かな」
「ああ。だが、まだいい方だ。潰されてはいるが、ガソリンが詰まってたわけじゃないからな」
 肩を竦めた神威に一つ吐息し、自力では動けないというKAITOの手を撫でる。僕らが何を言っているのかをいまいち理解していないのか、KAITOには戸惑いが見て取れた。
「カイト」
「…はい」
「自分でも気がついていると思うけど」
 声をかけながら、彼を抱き起こす。その瞳に恐怖の色が混じりかけるが、さっきのように振り払われることはなかった。あるいは、さっきのは本当に反射で、偶然に、彼の腕が僕を払いのけたのかもしれない。内に溜め込んだ、人への憤りによって。
「君は、主人に破棄されてしまった。僕らは君を保護するためにやってきたんだ。分かるかな」
「…はい」
 暗い声で肯定するKAITOを抱き起こし、一部崩れているコンクリートの壁にもたれかけさせ、コートのポケットのハンカチで汚れている肌を拭った。
「だが、カイト。君が悪いということは一つもない」
 主人から廃棄されたVOCALOIDの大多数は、自分を責める。どんな形であれこのような結果になってしまったのは自分のせいであり、自分がもっといい子だったなら、もっと主人の期待に応えていれば、と自分を追い込む。結果、再起不能なほどに自らを損傷させてしまう子もいるので、僕は必ず、拾い上げる彼らの一人一人に言っている。言い聞かせている。これは同じVOCALOIDという存在からでは届く言葉ではない。彼らの主人と同じ人間である僕だからこそ届けることのできる言葉なのだ。
「君に非はないんだよ。だから、どうか、カイト。泣かないでくれ」
「…………」
 静かに涙を流すKAITOを緩く抱き締める。
 そうして僕らはその夜、彼を保護し、一度自宅へと連れ帰ったのだった。
 基本的に、保護したVOCALOIDは何かしらの損傷を負っていることが多い。自分が捨てたと分からないように、企業側が調べれば一発で持ち主が特定するID?が削られているのは基本中の基本であり、さらに、自分のことが分からないようにと電子回路系、僕らで言う脳、に損傷を受けている子も多い。大きく手足のどこかが欠けていたり身体的に傷つけられている子はこれまで会ったことはないが、そのうち、そういった子も出てくるのかもしれない。…やるせない話だ。
 で、そういう技術面の話になると、企業側とタッチする、ということになるわけだが。
 今回保護したKAITOは人をひどく恐れているようだったので、とりあえず報告だけを上げて、様子見をすることにした。
「カイト、飲み込むことはできるのかな」
 あたたかいスープを用意してしまってからふとそう気付き、声をかける。自立のままならないKAITOはソファに寄りかかったまま何度か瞬きした。「のみこむ、ですか」「ああ。スープをあたためたから」よそって持っていくと、KAITOが不思議そうに野菜スープを眺めた。
 この彼なのだが、どうやら首から上のパーツは自由が利くらしい。
 うなじの差込口からコードを繋げない以上、何か食べてもらわないことには充電方法がないのだ。彼がどのくらいの期間放置されていたのかも謎だし、エネルギーは、できれば摂取してもらいたいところだが。飲み物系、スープなら何とか、流し込めばいけないだろうか。食物を消化しエネルギーに変換する、ということができなければ、意味もないのかもしれないが。
 僕の考えていることなどお見通しの神威はどかっとソファに腰かけた。若干苛立たしそうに「はぁ、全く。こればかりは俺がやっても無意味になるしなぁ」とぼやく声を聞き流し、スプーンでスープをすくった。「カイト、あーんしてごらん」「あー」正直に口を開ける彼が少しかわいらしい。すぐ横で神威がぷるぷるしてるけどスルーで。
 大部分の回路系が破損はしているが、顔のパーツは動かすことができるらしいKAITOに、スプーン一杯のスープを口に含ませる。こくん、と喉仏が動くのは見えた。飲み込むことは問題ないようだ。
「カイト、味は分かる?」
「……わかりません」
「そうか。じゃあ、今飲んだものを自分のエネルギーへと変換することは可能かな」
 僕の言葉に困った顔をするKAITO。その顔を見るに、無理っぽいかな、と思う。
 そこで神威が割って入ってきた。「ええいちょっと待ってろ。九割は損傷してるが残り一割は無事だ。そこだけ残してあとを上書き保存する領域に変えるから」と言った彼が、右腕からじゃっとコードを伸ばす。コードの先っぽは、少し気持ちが悪い。何かもぞもぞと動くものがついているのだ。彼に言わせれば超小型のマシンらしいのだが、僕に言わせればあれは虫にしか見えない。
 僕らの活動が認められ、神威が企業によってこの最先端の技術(名称は忘れてしまったが長ったらしかった気がする)を授けられて以来、彼は度々連れ帰ったVOCALOIDの問題点をできる限り改善してくれている。今も、コードの先っぽをKAITOの額に押しつけて、どうやってかは知らないけれど、彼の中を書き換えようとしている。
 その間僕は時間が空いてしまったので、一口食べられただけで残ってしまったスープに口をつける。
 神威がこの作業に突入すると、だいぶ時間を食うのだ。それだけ簡単なことではないのだろうと分かってはいるのだが、手持ち無沙汰だ。
 ふわ、と欠伸をこぼして目をこする。さすがに僕も眠たい。
「神威。あとどのくらいかかる?」
「まだかかる。集中してるから話しかけるな」
 あっさり突き放されたので、なら寝よう、と部屋に戻ろうと立ち上がる。着たままだったコートを脱いで部屋の扉を開けたとき、「だぁちょっと待って、動くなッ!」神威の切羽詰った声と、ガタンという大きな物音。何事かとリビングに戻れば、ソファから落っこちてテーブルの方に引っかかっている感じのKAITOが見えた。額にはコードが埋まったままだ。
「おいて、いかないで」
 子供みたいに泣きそうな顔で、青い瞳が彷徨っている。
 …これは僕が悪いのか? 僕が離れたのがいけないのか? 疑問を感じつつもソファの方に戻って、KAITOの中の書き換えで忙しい神威の代わりに彼を抱き起こす。KAITOは僕を見つけるとほっとした顔をしていたので、やはり、さっきのは僕が原因のようだ。
 うんうんと唸りながらこめかみに手を添えて「、そいつのそばにいろ。途中で動かれたらたまらん」と唸った神威に、仕方がないと吐息する。
 KAITOをソファにもたれかけさせ、僕はその横に座る。神威は床に胡坐をかいて相変わらず唸っている。
「カイト。寒くはない?」
「わかりません」
「…そうか。じゃあ、君は何が分かる?」
「…ぼくは…KAITO。です」
「うん。それ以外には?」
「………わかりません」
 そっか、とこぼしてKAITOの青い髪を撫でる。ゆるりと目を細めたKAITOの頭を撫でて、こつん、と彼の頭に頭をぶつけた。
 そっか。君はそこまで真っ白になってしまっているのか。以前のマスターの記憶なんて、欠片も残っていないんだね。それでも憶えていたんだ。君の身体は、記憶を壊されても、マスターに、人間に感じた憤りを憶えていた。
 同じ人間として恥ずかしくなる。
 だからこそ、許せなくて、僕は無下にされた彼らの分まで立ち上がるのだけど。
 これで終わっていいはずがない、と誰よりも強い決意を宿し、同じ人間と戦うため、僕は猛然と立ち上がるのだ。
「…おい。終わったぞ。おい、
 ぐったりと疲れた声に肩を揺らされ、薄目を開けると、声の通りぐったり疲れた様子の神威が床に胡坐をかいていた。
「KAITOは自分で行動できるようになった…。五感も問題なく繋いだ。まぁ、親に従う雛鳥みたいにしかモノを憶えていかないだろうが、そのうち、ちゃんとするだろ……」
 ふらっと立ち上がった神威に「ありがとう」と言うと彼は小さく笑った。ひらひら手を振って「俺は寝る。しばらく寝るだろうから、起きてくるまで放っておいてくれ」と言われて「おやすみ」と返し、ちらりと視線を隣にやる。KAITOがいた。僕にひっつくようにして熟睡中である。僕と彼にいつの間にか毛布とか布団とかがもこもことかけられていた。神威が気を遣ったんだろう。今回は、彼に大きく感謝すべきかな。
 …仕方ない。たまには僕が料理してやるか。まずいものができたって、彼は食べてくれるし。
 ふわ、と欠伸を漏らして布団や毛布から起き上がろうとすると、ぐっとジャージの裾を引かれた。引っぱられている場所に触れれば、KAITOの手がしっかりと僕のジャージの裾を握ったままの形で固定されている。
 …お手洗いに行きたいんだけどな、僕は。
 ぽり、と指で頬をひっかいて、仕方がなくジャージのチャックを外して上着を脱いだ。寒い寒いと腕をさすりながらお手洗いで用を済ませ、ぶるぶる震えながら自室に戻り、パーカを取り出して首を突っ込む。裏地起毛でばっちりあたたかいのパーカを着たことでほっとしつつ、しっかり休むべくベッドに転がってる神威を一瞥した。彼が寝るのはだいたいソファだけど、こうやって大量にエネルギーを消耗したとき、自分とコンセントをコードで繋いで充電しながら効率よく休憩する。等身大サイズになってからまだそんなに日がたたないはずだけど、手馴れたものだ。
 部屋を出てリビングに戻る。もこもこした布団の向こうでKAITOは平和な顔で眠っている。
 …さて。では、とりあえず今日は僕が朝食を作るという方向で一つ、頑張ってみるかな。