目下の俺の悩み事は、身長が欲しいでもなければ、誰かから奪った女子力をにプラスしたいでもない。等身大サイズになってから身長問題は全て解決したし、女子力は他人から奪えるものでもないしな。
 では目下の俺の悩み事とは何か? それは、この間拾ってから一週間になる等身大KAITOのことを示している。
「か、カイト…僕、仕事が入ったから。離して」
 ぶんぶんぶんぶんと盛大に首を横に振ってぎゅーとのことを抱き締めるKAITOはさながら犬のようだった。随分とでかい子犬ということになるが、今の奴の状態を表すとしては妥当だろう。そう、あいつは本当にでかい子犬なのだ。
「ええい、お前のような不遇な奴を助けに行く仕事だと前も教えたろ! 大人しく留守番してろ!」
 俺がぴしゃっと言ってKAITOからを救出し、そのまま勢いに任せて部屋を出てバタンとドアを閉めてオートロックの施錠音が響く。出て行った直後は扉の向こうでKAITOがおろおろしている気配がするが、何分かして戻らないと分かるとようやくリビングへ引き返していく。とぼとぼ、という情けない足取りで。
 はぁ、と息を吐いたがすっかり短くカットした髪をかき上げた。の溜息に俺も大仰な溜息を吐いてみせる。
 声を発するとKAITOがすっ飛んで戻ってくるため、エレベータホールまで行き、四角い箱に乗り込んでから、俺達の会話は再開される。
「で、また過疎区か」
「当然だろうな。違法廃棄物を人の多い場所に捨てる奴は頭悪いだけだろ」
「まぁ、否定はしないけど…それで捕まった人がいたんだっけ?」
「ああ。まぁ、それもあって、当然廃棄は過疎区に移行するし、都市区は盲目になるな」
 気に入らないというように鼻を鳴らしたが「どこだって逃がさないさ」とこぼす。俺も浅く頷き、場がシリアスにまとまっていたときだった。の携帯から『うわああああ』キーンと大音量でKAITOの泣き声が狭い箱の中に木霊したのは。
 ぴき、と額に青筋が浮かぶ。実際浮かぶことはVOCALOIDとしてありえないわけだが、このこめかみのひきつりぐあいを表現するならそんな感じか。
 …お前は空気ってものが読めないのか? まぁでかい子犬には無理な話か。そもそもなんだそのガキが一人ぼっちで泣いてるみたいなでかい泣き声は。っていうか通話勝手に繋げるなよお前。俺がいつそんなこと教えたよ。電話はジャックとは違うぞおい。
 と、言いたいことは多々あったが、『うわあああ』と泣き喚く声に片耳を塞ぎつつ携帯を取り出したが「分かった、カイト、分かったから、泣くんじゃない」と甘やかすもんだから。奴はさらに憶えなくていいことを憶えてぴたっと泣き止み、期待の眼差しを向ける犬の表情で、が部屋に戻ってくるのを待っているのだ。
「おい…あんまり甘やかすなって言ってるだろ」
「そんなこと言ってもね…」
 1階に辿り着いたエレベーターが口を開けるが、はすぐさっきまでいた階、部屋のある8のボタンを押した。扉がすぐに閉まる。は携帯いっぱいに子犬顔で待機中のKAITOを眺めつつ、「忘れたわけじゃないと思うけど、この間君が放っておけばいいって言うからカイト放置して仕事に出かけて、どうなったか…憶えてるでしょ?」とぼやかれ、う、と目が泳ぐ。
 KAITOがやらかした被害そのいち。8階の住人のみならず、このマンション全体からうるさいとの苦情の殺到。
 KAITOがやらかした被害そのに。うるさいと苦情が来るほど泣き叫んで、ついに喉を潰したこと。で、その修復のために業者を呼ぶことになったこと。
 確かに。放置したって問題ないだろ、と言って今日みたいにに抱きついて離れないあいつを無理矢理引き剥がし、仕事を促したのは俺だが。まさか子供のように泣き叫んで喉を潰すなど誰が考えようか。VOCALOIDならまず喉を潰すような馬鹿なことはしない。これは、頭の中の九割の情報を損失しているあのKAITOだからこそやらかした馬鹿なのだ。
 と、言い訳はしたいのだが、所詮言い訳だ。俺の言葉を信頼したを裏切ることになってしまったのも事実だ。反省はしている。あの主人にどこまでもついていく犬みたいなKAITOには、俺達一般のVOCALOIDの知識は通用しないと思った方がいいだろう。
 っていうか、むしろ動物か。犬みたいだと言ったがあいつの頭はまんま犬なのかもしれない。
 仕方なく俺達が部屋へ戻るために内廊下を歩いていると、すでに住人の何人かが部屋の扉を叩いて「ちょっと、いい加減にしてくれます?」とか何とか抗議していた。
 ああ、と額に手をやるのために、俺はこのイケメンを活かしてイケメンオーラを撒き散らしつつ住人Aに近づき、「すみません奥様」と色気ある声でその場を支配、ざっと集まった視線に鮮やかに微笑む、という仕事っぷりを発揮する。
「以前もご注意いただいたのに、本当に申し訳ない。俺の責任です。責めるなら俺にしてください」
 きらきらきらっとイケメンオーラを放つ俺に、集まったおばさん方はヤられたらしい。「あら、まぁ、いいのよそんな」「ねぇ、ちゃんと注意していただければね、こちらだって…」「ねぇ。ねぇ」よく分からない愛想笑いのようなものを浮かべておばさん方が退散するまでを、は呆れた顔で眺めていた。顔が見えないように被っていたフードをぱさりと外すと「君のイケメンはそういうときは効果抜群だね」とこぼす声にむっと眉根を寄せて振り返る。なんだ、その普段は俺のイケメンさが役に立ってないみたいな言い方は。普段から目の保養くらいにはなってるはずだろ。
 はぁ、と息を吐いたが扉に歩み寄り、施錠を外す。扉を開ければ、待ってましたと言わんばかりに目をきらきらさせているKAITOがいる。
「じゃあカイト、一緒に出かけようか。ほら、コート取っておいで」
「はい」
 ぱたぱた部屋に戻っていくKAITOは尻尾を振っている犬だ。間違いなく。
「連れていくのか…? 電車に乗るんだぞ? バスに乗るんだぞ? あいつ絶対ウザいぞ…」
「こら。うざいとか言わない。君と同じVOCALOIDだよ」
「犬みたいになってるがな…」
 げそっとする俺の視界に白いコートを羽織ったKAITOが戻ってくる。
 仕方なく、置いていけば喉が潰れるほど泣き叫ぶのを阻止すべく、まだ人間恐怖症の治っていないKAITOを連れ、俺達は改めて過疎区へ向かうのだった。
 基本的にKAITOは家ではの行動全てについていく。と言ってもまぁの移動といえば基本部屋とリビングの行き来だが、放っておけばトイレや風呂までついていこうとするため、その度に俺が襟首を掴んでKAITOを捕獲していなければならない。
 いつまでたっても憶えないのだが、人間には出すもん出すシステムがあるんだ。俺達は必要ないもんだからピンとこないのも分かるがいい加減憶えろ。
 それと人の風呂に勝手に同行するなと何度も言ってるんだが、どうもこのKAITOはオツムが弱いらしい。
 …確かに俺がいじったが別に壊してないぞ。こいつはもともと頭が弱いんだろう、多分。VOCALOIDで頭が弱いっていうのはひょっとしたら初期の欠陥品だったのかもしれないが、今更そんな問題取り上げても仕方がないので、こいつはオツムが弱いので根気よく憶えるまで何度でも教える……しかないんだろうな。はぁ。ちょっと挫けたくなる。
 そりゃあ、KAITOの主人が教えるのが一番早く、奴も一度で憶えるだろう。が、基本的には俺の主人であるし、今KAITOがうちにいるのは保護中だからである。お前がもう一度主人を得るという段階になったらこちらはお前を手放す。そのとき面倒な処理が生じないようにとあえてマスター登録をしていないのだ。
 ………マスター登録は、していないのだが。しててもしてなくても、この際面倒なのは変わらない気がする。
 廃棄されるまでの過程でよほどのことを味わったのか、あのKAITOは人間恐怖症だ。初対面の人間をまず怖がる。自分を拾ったにだけは異様に懐いている。犬のように。そんなあいつが人間恐怖症を克服したとしても、に懐いているという事実は変わらず、別れが訪れたのなら、今日のように絶対ぐずって泣き叫ぶだろう。
 目下、俺の悩みはこのKAITO、というかむしろ俺の主人が取られてる感がして半端ない現実なわけで。
 が。俺は何年もと連れ添っているVOCALOIDなのであって。ここはVOCALOIDとしてKAITOに示すべき先輩の歩んできた道ってものが。
「うーッ」
「はい、はいはい。大丈夫大丈夫。何かあっても神威が盾になってくれるよ」
「おい」
 思わずツッコむ俺である。
 過疎区の入口まで地下鉄と電車を乗り継いで移動中なのだが、KAITOはずーっっっっっっと、にくっついて離れない。そんなKAITOに抱きつかれたままはされるがままである。そりゃあ155しかないが176のKAITOの腕にすっぽり収まるのも分かるのだが、ちょっとは抵抗しろよお前。抵抗するのすらめんどくさいって顔してないで。
 ああ面白くない、と視線を逸らす。
 本当に面白くない。VOCALOIDにとって主人は、そうだな、人間で言うパートナー、恋人みたいなものだ。それに近い。
 恋人を他に取られてにこにこしてられる奴がいるなら会ってみたい。残念だが、俺はそんなに心は広くないようだ。
「ん」
 もそ、とポケットに手を入れたが携帯の通話を繋げた。仕事なので車内通話ご遠慮も無視する。「僕だ。ああ、君か。その後はどうだ? ……うん。うん。うん」返事を重ねる度に彼女の声のトーンが落ちるところを聞くに、今回も、それなりに荒んだ廃棄なのだろう。この間は頭がなかったしな。あれにはさすがに俺も驚いた。まさか頭がないとはな…頭だけ取っておいてどうするつもりなんだ。頭取っておくなら全身置いておけよ。全く、世の中意味が分からなくなったもんだ。
 浮かない顔のに「なんだって?」と電話の内容を訊ねると、「ああ、それが…」と声を落としたが深く息を吐いた。
「今回は下手にいじられていなかったそうでな。ああ、頭の中が。だから、持ち主はすぐ分かったそうだ」
 …引っかかる言い方をする。頭の中は下手にいじられていなくて持ち主が分かったのなら、いいじゃないか。そいつは法律違反で捕まるし。頭の中がいじられてないなら、このKAITOのように犬みたいになる可能性だってないし。
「……まさか、身体はぐちゃぐちゃか」
「仰るとおり」
 なるほど、が浮かない顔をするわけだ。
 ち、と舌打ちした明後日の方向に顔を逸らした。言うべきことがぱっと出てこない。
 今回の内容は重い。
 ぐちゃぐちゃにされてる場合、たいてい女型のVOCALOIDであることが多い。VOCALOIDを購入する男のまぁ三割か四割か、半分近い奴が所謂オタクだ。男の力で過剰な愛を向けられすぎて結果破壊される、という事例がいくつか出てきていたが、今回はそれに当てはまるモノなのだろう。それが思考的なものか、身体的なものか、あるいはその両方なのかはまだ分からないが。
 身体を壊されるほど過剰な愛を受けたVOCALOIDが辿る道は二つに一つ。壊れる愛を受け入れる壊れたVOCALOIDになるか、壊れる愛を拒否し、人間を拒否する、再起不能のVOCALOIDになるか。
 どのみち、今回拾いに行くVOCALOIDは、正式な手順で廃棄されるだろう。それがの肩に重くのしかかっているのだ。
 ぽむ、と小さな頭に手を置く。視線だけ上げる彼女の頭をぐーりぐーりと撫でて、「まぁ、なんだ。仕方がない。お前が抱え込むことじゃない」とぼやくぐらいしかできない。
 彼女は決してそれをしょうがないことにはしたくないのだろう。俺の言葉には頷かず、「うー」とひっついているKAITOの背中をぽんぽん叩いていた。
 顔だけがきれいなまま残され、四肢の方は引きちぎられ、噛み痕が残り、筋肉の繊維や電気信号を送るコードをばら撒いたような状態で放置されていたのは、VOCALOID巡音ルカ。
 当に意識などなかったが、業者が回収にかけつけるまで、はずっとそこにいた。壊れたルカの頭を抱き締めて、ずっとそこにい続けた。
 壊れたVOCALOIDというのが怖いのか、KAITOは珍しくではなく俺の横にいた。ひっついてはこない。寄ってきたとして全力で拒むが。
が、かなしそう……」
「…そうだな」
 KAITOが日本語を喋った、と軽く驚いてからそんな自分に驚く。KAITOを完全にVOCALOID以下の扱いをしすぎか。犬みたいだが、思考力まで犬じゃないんだから、こいつだって喋るくらいする。
 のもとへ行きたそうにうろうろするが、壊れているルカが怖くてやっぱりそばへ行けない、だがうろうろする、という鬱陶しいKAITOに苛々してきた頃、業者が到着した。余すところなくルカを回収し、最後に俺達にいつも助かっています的なお礼を言ってからトラックに乗り込んで去っていった。
 ようやく怖いものがなくなったことでKAITOがのもとへ飛んでいく。ぎゅうーと全力で抱擁され、は呆れた顔で笑っていたが、ずっと沈んでいた顔をしていたからそんな顔でも笑ってくれて助かった。たまにはあの馬鹿も役に立つな、と思いつつ「帰るぞ」と声をかける。は顔を上げ、しっかりと一つ頷く。
 …その顔なら、俺が余計な心配をするまでもないだろう。
 やりたいこと、したいことのはっきりしたお前は、自分の足で立つことを選ぶだろうさ。
 しかし、ここはお前のVOCALOIDとして手を差し伸べることくらいは、と手を出しかけた俺とを視覚的に遮って立ったKAITOが、ぐいっと勢いよく彼女の手を引っぱって立たせた。「いたいですか?」「かなしいですか?」「さびしいですか?」「つらいですか?」「こわいですか?」の周りをぐるぐるしてぐるぐる言葉をかけたのちにぎゅーと力いっぱい抱き締めて「ぼくがいます」と笑うそいつに、ぴきっ、とこめかみに青筋が浮かぶ擬似感覚を味わう。
(お前。だから。空気を読めと。そこはのパートナーである俺が手を差し出すべきところで。お前が横から掻っ攫うところじゃ、ないだろ!)
 爆発しかけた俺に、「ぷ」と吹き出したが参ったなという顔で笑う。
「これは、立場が危ういね? 神威」
「なっ」
 ズガンと鈍器で頭を殴られた衝撃を受けた。「まさか、、そんな馬鹿に乗り換えるだなんて言わないだろ…? 言わないだろっ?」詰め寄った俺に口笛吹いて顔を逸らすがわざとらしく誤魔化す。答えなんて聞くまでもないはずが、一瞬でも不安に支配された自分が情けないような、そうでもないような。
 ぎっと原因を睨みつければ、にこにこ邪気のない笑みで笑っているバカイトが一人。
(これは全てバカイトが悪いそうだお前なんてカイトじゃなくてバカイトだ)
 過疎区で人がいないがために上機嫌なバカイトと、バカイトに手を引かれて歩く、その横をバカイトを睨みつつ歩く俺。
 俺達はやがてバス停のある場所まで出て、人の気配を感じた途端びくつく兎になってに抱きつくバカイトに俺は苛立ち、は子供にそうするようにバカイトに接し、そんな彼女に甘やかすなとか言ったりしつつ、そんな三人で、いつものマンションへの道を辿るのだった。