想いを打ち上げる夜の空

 貳號艇に帰還して、ほぼ寝ていた一日目。无と花礫が輪の艇に乗っている現状について、花礫の口から簡単な説明を聞いて、羊から受け取ったデータにも目を通した。
 資料の内容を頭に叩き込んでるうちに日付をまたいでいた二日目は、朝方という中途半端な時間に就寝、今度は羊に起こされることなく夕方までたっぷり寝て、俺の身体は順調に回復した。
 その日の夜は読み込んだ資料を頭の中から引き出しつつ无と花礫の二人と改めて顔を合わせ、與儀、ツクモを加えて簡単な自己紹介、どうでもいい雑談をしながら、データからでは汲み取れない実際の二人を知った。
 无はもとが動物だけあって素直、純粋、物事をあまり知らないようだ。ツクモと與儀に教えられて簡単な足し算引き算から勉強に入ってるみたいだけど、身につくのかは謎だ。
 一方の花礫はというと、就学の経験はないけど頭の回転は速い。治安が悪いことで有名なカラスナで生き抜いてきたとあって、15歳ながら世界の汚れた面ばかりを知っていた。逆にきれいな面をあまり見てないっていうか、見ようとしていないようにも思える。
 世界は汚いと、そう思って行動することが花礫の暗い原動力となっていると、全てを睨みつけるような黒い眼差しに思った。

 仕事が終わったらまた仕事。それが終わったらまた仕事。
 最近休む暇のない密で無茶ぶりなスケジュールを強いられていたせいか、輪として能力者・能力軀と対峙しながら、俺は随分と大切なことを忘れていたようだ。
 俺は、上の言うようなお題目なんてどうだっていい。ただ、能力者のせいで悲劇を知ってしまう、絶望に歪む顔が少しでも減ってくれれば。泣き叫ぶ声がもう少しでも減ってくれれば、それが一番。
 泣いた声も、泣いた顔も、世界を呪う言葉も。全てを憎む目も、もうたくさんだ。
 この身一つ差し出すだけで、世界の中の大勢を守れるのなら。それで誰かの泣いた顔が笑った顔になるなら。

「また、誰かが泣いてる……」
 風が吹き荒ぶハッチの床に寝転がって、片腕を夜の空の中へと泳がせる。強い風圧にビリビリと皮膚が軋んでいた。その風を掴まえると自然と聞こえる声に目を細め、ふう、と一つ息を吐き出す。
 雲の流れが速い。夜の星がきれいだ。今日の月は、青い。
 空気が冷たくて、熱くなった思考を心地よく冷やしてくれる。
 どれだけ優秀だと賛美されようが、俺は一人。この手は二つ。俺がどれだけイレギュラーでも、能力には限界があって、全てに届くわけじゃない。
 お前のそれは叶わない願いだよ、と言った平門を思い出す。
 けど、俺はそういうの嫌いじゃないぜ、と笑った朔を思い出す。
 輪。顔を知ってる闘員をぽつぽつと思い浮かべながら星空を観察していると、ハッチの扉が開いた。こんな時間にわざわざ誰が、と首を巡らせて、瞬く。貳號艇のマークの入った上下服に、黒い髪と黒い瞳。
「花礫」
「…よぉ」
 深夜にも関わらずハッチにやって来たのは花礫だった。隣には羊がいる。『眠気が来るまでの散歩メェ』訊く前に羊が律儀に答えた。眠気が来るまでって、花礫眠そうだけどな…。というツッコミは胸のうちですませ、硬い床に転がっていたところから身を起こした。風になぶられる前髪が鬱陶しい。切ろうと思ってたのに无と花礫を気にかけてて忘れてた…。
 俺は夕方に起きたからまだ眠くないけど、普通の時間に起床してるはずの花礫は寝ていていい時間帯だ。眠そうだし。それでもハッチに吹き荒ぶ強い風の中を歩いてきて、俺から三人分くらい離れたところで腰を下ろして胡座をかいた。
 眠そうな横顔を眺めて「眠くない?」と訊くとなぜか睨まれた。「眠くねぇよ」そうですか。すごく眠そうだけど、本人が言うならまぁいいか。寝ちゃったとしても羊が部屋に連行するだろう。
 ふっと吐息して空を見上げる。雲が全て流れ切ったのか、邪魔するものが一つもない中、星の海に飲み込まれて、自分も星の一部になったような錯覚を覚える。
 青い空もいいけど、俺は星空が好きだ。数え切れないほどの光点に包まれて、束の間でも、全てを忘れていられる。誰かの死も、泣き叫んだ声も、憎悪する瞳も、全部が星空に打ち上げられて、俺の中からスルスルと解けて昇っていく。
 ぼーっとしていると、ふと視線を感じた。羊が意味もなく見つめてくるとも思えないし、花礫のものだろう。ぼっとしてる俺を睨んでるんだろうか。…言いたいことがあるなら言えばいいのに。
 ばさばさする前髪を押さえていた手を離す。「何?」と顔を向けると花礫はこっちを見ていなかった。逸らしたらしい。それで「何が」とすっとぼけてみせるのが何かおかしい。何が、って。まぁいいけど。
 ……今そこで知らん顔で腕組みしてる花礫が、これ以上の悲劇に見舞われないように。无が笑っていられるように。俺は俺にできることを精一杯。
「花礫のこと、守ってみせる」
「は?」
「俺が生きてる限り」
 死を打ち上げ、星空の光の一つ一つにして、伸ばした手で風を掴んだ。吹き荒ぶ風にキスをして、形のない風に形をあげて、緑の帯のようにして一本一本空中から取り出す。集めた風の帯をリボンにする俺を花礫がぽかんとした気の抜けた顔で見つめていた。もしかしたら、俺が何もないところから何かを取り出す手品師みたいに見えてるのかもしれない。
 俺は輪。結成時からずっとここにいる。前線で戦い、誰よりもたくさんの生と死を見てきた。そして、幸か不幸か、まだ生きている。
 生きているなら、できないことなんてきっとないと、そう思いたい。
 緑のふわふわしたリボンを作って花礫の頭で結んでみた。プレゼントのラッピングで見るようなふわふわしたやつ。結んでみて、あ、似合ってないなって笑ったら気が抜けたのかリボンが解けてしまった。そうであることが自然なようにすっと色をなくして、風の中に溶けていく風がぶわっと四方八方に広がって消える。
 ぼさぼさになった花礫の黒髪にまた笑ったら、「な、てめ、てめぇ」と怒った顔でシャツの襟首を掴まれた。「あはは」と笑いながらぼさぼさになった髪を手櫛で整える。そうしたところで、ここは風が強いんだからすぐにぼさぼさになるんだけど。
『能力の乱用はよくないメェ』
「はいはい、ごめん」
 花礫に睨まれ羊にツッコまれ、肩を竦めて謝って、襟首を掴んだままの花礫の手を両手で包んだ。あたたかいと感じるのは、冷たい風に晒された俺の体温が低くなっているせいだろうか。
 離して、と襟を掴んだ手に指を滑らせると、あっさり離れた。怒った剣幕のわりにあっさりした引き際だった。そっぽを向いたかと思えばすっくと立ち上がって「寝るっ」と投げやりに言い捨てて羊を連れてハッチを出て行く。
 残された俺は、閉じた扉を眺めてからもう一度だけ笑っておいた。
 若い子って面白いなぁ。无は動物故に面白いけど、花礫も面白いな。二人のことを平門が面白いものって表現したのが少し分かった気がする。  
 俺が貳號艇に帰還して三日目。よく晴れて日暈の見えたその日、壱號艇の助っ人に行くようにと平門から指示を出された。
 與儀、ツクモ、花礫、无、そして俺を入れた賑やかな朝食の席だったけど、やはりというか、長く一緒にはいられなかった。
 俺は能力の稀有性、仕事に対する適応性から、わりと何にでも駆り出される。地味な情報収集から追跡任務、葬送任務、潜入調査など、人が足りてないところ、あるいは俺が適任と判断された様々な現場に投入されるため、壱號艇・及び貳號艇という艇の括りに入れられないのだ。人員的に壱號艇に配備という形にはなってるけど、基本忙しいし、休みもあまりないし、壱號艇・貳號艇、現地から近い方を判断してどっちにもよく出入りする。
 壱號艇には一応部屋があるけど、貳號艇にはまだ持ってない。そのうち平門に頼もうかなぁと思いつつアップルパイを口に押し込んで席を立つ。もがもがしながら喋ったら花礫が「口の中を空にしろ」と睨んでくるから、もくもく咀嚼、飲み込んでから改めて、
「じゃあ、壱組の手伝いがあるみたいだから。そのうちまた」
「えっ、行っちゃうの? オレもっといっぱいお話したいよ?」
 人間にしか見えないけど、ニジという動物であるらしい无がしゅんとうなだれていた。小さく笑って无の白い髪を撫でる。
 俺も。もっと前代未聞の无のこと知りたかったけど、仕事だから、しょうがない。
 花礫に顔を向けると、こっちを睨んでる…気がする。昨日のあれを怒ってるんだろうか。ちょっと髪をぼさぼさにして驚かせただけなのに。
「じゃあ、二人のこと頼んだ。與儀もツクモもヨロシク」
「ラジャー!」
「分かった」
 元気よく敬礼する與儀と静かに頷くツクモに頷いて返し、早足で食堂を出た。「その前に着替えてけよっ、そのダセー服!」と叩きつけられた声に苦笑いで振り返る。「ひどい花礫くんっ」と地味に傷ついてる與儀の横で花礫が俺を睨んでいた。…やっぱり睨んでるよなぁ、あれって。
 與儀に借りたニャンペローナのスカジャン。花礫には不評だ。ちなみにイヴァもそれはないわって引いてた。身長的に與儀のがちょうどいいから借りただけなんだけどな…。ダサいのかこれ。確かに、これ着て帰ったらキイチは怒るだろうけど。
 洗濯頼んだやつも返ってきてることだし、そっちに着替えて、着ていたやつは洗濯して與儀に返すよう羊に頼んでから壱號艇へ飛んだ。
 壱組が行った一斉捜査、その後の打ち合わせのために平門と朔が顔を合わせてるので、艇は隣り合っていて出入りも楽だった。貳號艇の羊に『気をつけるメェ』『行ってらっしゃメェ』と見送られ、次には壱號艇の兎に『お帰りウサ』『お帰りウサ』と出迎えられた。「ただいま」とぼやいて声紋認証を通過して外套のフードを払って落とす。
 一斉捜査したってことは、ショーをするってことか。面倒だなぁ。
 何が面倒って、毎回の役柄が。ただ仮装して練り歩くだけなら楽なのにな。
 とりあえず自分の部屋に、と廊下を歩いていたら「さんっ」と知った声に呼ばれた。…さっそく捕まってしまった。「はぁい」と振り返るとあれこれ衣装を抱えたキイチがすっ飛んできた。「衣装合わせしますよ」「え、」「あと決まってないのはさんだけですぅ。キイチも忙しいので、時間かけさせないでください。さ、両腕上げてください」兎に衣装を預けたキイチがミイラ男を意識したような露出度の高い服を肩に押しつけてくる。
 こういうキイチには抵抗するだけ無駄なので、言われるまま両腕を上げて採寸に付き合った。
 結果、輪のショーにいるか? と思う派手な色と柄の魔王様をやることになってしまって、ちょっと本気で溜息を吐きたくなった。
 なんで俺がこんな恥ずかしい格好をしないとならないのか…『俺様魔王様』って衣装のタイトル……。
「決定ですね。ちょっと裾が足りてないようなので兎に直させますぅ」
「ん」
「それから、カツラですね! 衣装の綺羅びやかさにさんの地毛では地味なので、派手な色のカツラも作らせますぅ」
 ……もう何も思うまい。無心だ。無心になれ、俺。
 キイチが片付ける仕事をリストにしてまとめていたので、ここからここまでが俺の担当、とマークされたデータをもらって一度部屋に戻る。特別何もないけど少しは落ち着ける自室で兎にティーセットを頼み、ふかふかのソファでおやつタイム。
「街の高所の飾りつけ…メイン街道の確認…広場の下見と、魔王城、の確認……」
 魔王城、の文字にはぁと溜息を吐いて、『魔王城では魔王様と記念撮影が可能』なんて補足説明にたっぷりめの溜息を吐く。ちなみに有料です。そこで集めたお金は輪の運営費になりそう。つまるところ、ニャンペローナと同じシステムだ。
 それにしたって何、記念撮影って。なんで俺だけそういう顔を売るような…まぁいいけど。カツラつけるし、アイメイクぐらいはするだろうし、素顔がバレなきゃ今後の潜入調査にも響かないだろうし、いいけど。文句言ったところでキイチがぎゃーぎゃー言いそうだし。っていうかこれ、もう組んであったんじゃないか。最初から魔王で決まりなら余分なものを合わせる必要はなかったような…。キイチが衣装合わせという名目のもと俺で遊びたかっただけな気もする。
 紅茶にレモンを搾って一杯、ミルクと砂糖を入れて一杯。甘いクリームとレモンのすっぱさが絶妙なパイの二切れ目をかじっていると端末にキイチからメールが届いた。なんだろ、と首を捻って、『魔王様のセリフ集』という文字に危うく喉にパイを詰まらせるところだった。
 ごほ、と咳き込んで、兎が差し出した三杯目の紅茶に口をつける。
 眉根を寄せつつもキイチが考えたんだろうセリフ集に目を通して、カップを空にした。
 無心だ。無心になれ、俺。深く考えたら駄目だ。意味の分からない国の言葉を上っ面だけなぞるような心でいこう。そもそもこれ全部使う必要はないわけだし。うん。適当にいこう、適当に。それなりに格好がつけばそれでいいんだから。
 一服ついたので、いつまでも埋もれていたいソファでぐぐっと伸びをしてからよっと一息で立ち上がって、ハンガーに引っかけていた外套を掴んで羽織った。
 明日のパレードに間に合わせるため、お仕事を始めるとしますか。