(ん?) 二月。二月と言えば節分とか恵方巻きとかがあったなと思い浮かんだのは、チョコの山を視界に入れる前だった。 二月。そうだ、二月といえばバレンタインって行事があったじゃないか。 買い物籠片手にしまった全然忘れてたと突っ立ってたらに小突かれて「何、どうかした?」と訊かれて慌てて首を振ってチョコのコーナーから視線を引き剥がした。エリンギのパックを籠に入れながら「何でもない」と返すも若干声がおかしな感じに上ずった。でもそれもこの雑踏の中では目立たず少しほっとする。 今日は近所のスーパーの火曜市。売り出しの安いものも多い代わりに人も多い。だからと買い物に来ていた。俺は一人でいいって言ったけどの奴がついてくよと譲らなかったから仕方なく。 (そうだ、バレンタイン。チョコ…) ぐるぐる頭の中でバレンタインって文字が躍る。 そろりとを窺えば眠そうに欠伸してた。昨日夜勤があって遅かったんだから寝てりゃいいものをついてくるって聞かなくて。聞いとけばよかったのに。それで寝てる間に俺が買い物すませて昼ご飯作る、そういう予定だったのに。 (チョコって甘いよな。いやビターとかカカオ99パーセントとかなるいけるのか? 俺が食わないから分かんねぇ) ぐるぐる頭の中でチョコの文字が躍る。そんな俺の手から籠を取り上げたが「俺持つよ。で、あとは?」と言うから我に返って「あ、いつもの紅茶。ティーバッグが値引きだったはず」「ん」それではチョコのコーナーを素通り。 ついていきながらちらとチョコばっかりのコーナーを振り返った。 今まで気にしたこともなかった。女子からもらうことはあっても食べなかったし家族にやってた。いらなかった。誰かの好意はいらなかった。むしろチョコなんてものもらったって食わないし困るし。だからバレンタインなんて行事気にかけたこともなかった。ただ女子がうるさくなる、それだけを認識してた。 だけどバレンタインて、好きな奴にチョコあげるってアレだ。 (…どーする。っていうかどうすれば) 隣に並んでちらとを見上げる。いつもの顔で棚に手を伸ばして「えーとリプトンリプトン…あ、あった」それでパックを取って籠に入れるはいたって普通。バレンタインのバの字も意識してなさそうな顔。 俺もも甘いものはそんなに好きじゃない。ケーキとか無理だ。でもチョコくらいならカロリー補給とかで食べたりはした。甘くないの限定だけど。 「、お前」 「ん?」 だけどいざ話しかけてみて首を傾げて返されると何とも言えなくなった。チョコ食うか、なんて今更。だけど言いかけたんだこの際言ってしまえ。 「二月、だろ」 「? うん」 「だからその…チョコとかいるか」 ぼそぼそとそう言えば一つ瞬きしたが笑った。「なんだ、バレンタインのこと?」と。だから浅く頷けばが眠そうに目を擦って「いいよどっちでも。ジオ甘いのはそんなに好きじゃないでしょう?」「…まぁ」眠そうに欠伸を漏らすから視線を外してその答えが一番困ると胸中でぼやく。いるかいらないかどっちかにしろよ馬鹿。 「ああでも」 「何だよ」 「ジオが一生懸命チョコ溶かして作って、って姿は見たいなぁ」 「…何だそれ」 半眼で睨みつければあふと欠伸を漏らしたが「そういうのってあるじゃない。エプロンつけてチョコと格闘してくれると俺としては嬉しいです」それで笑ってそう言われてしまうと、つまりそれは俺に作れと。そう言ってるということになるわけで。 仕方がないからがしとその腕を掴んで「だったら戻るぞ」とチョコのコーナーへ引き返す。 確かレシピの類も置いてあったからそれと材料さえ揃えれば何とかなるはず。手作りセットとかそういうものも置いてあるだろう。とりあえず見るだけ見てみよう。 何とかなるはず。料理なら得意なんだから。そう思って色々買ってみたものの。 とりあえず今日は昼食作りから。バレンタインまではまだ日があるはずだからそれまでに一つくらい本を買って一つくらい試しにセットのものを作ってみて、作るならちゃんと作ろう。まずくて食べられないものにはならないように。ベタな失敗もしないように。 エプロンつけていつものように料理してる間にがリビングのテーブルに頬を擦りつけて寝ていた。じゃっとフライパンの中のチャーハンを炒めながら眠いんならついてこなきゃよかったんだと何度目かになることを思う。罵るようにそう思うも、手はかちんとコンロの火をいったん消して寝室に行って毛布を掴んでいた。 あんな格好じゃ風邪を引く。風邪なんて引かれたら一番困るのは俺だ。 だからそろりとその背中に毛布を被せた。それから調理に戻る。またコンロの火を入れてチャーハンを炒める。あとは塩コショウで味を調整すればそれで終わり。 (ん。これでいい) 少し辛いくらいが好きなの味付けにした。用意した2枚の深皿にチャーハンをよそった頃にぴーという音と一緒にポットが沸騰を知らせる。用意したマグカップにあけたスープのもとにお湯を注いで二人分作ってスプーンでかき混ぜる。眠りを妨げる音はするだろうに、が目を覚ます気配はない。 「…」 だから仕方なくこつと拳で頭を叩いた。「う」「できた」「あー…ごめん寝てた」薄目を開けたが目を擦って起き上がる。背中からずり落ちた毛布に気付いて「ありがとう」と笑うから視線を逸らして「別に」と返しチャーハンとカップを前に置いた。 二人でいただきますをする。ぱくとチャーハンを一口食べたが「ん、今日もおいしい」と笑うから「当たり前だ」と返してぱくと自分の分も食べた。いつもの味、変わらない味。が好きな味。 野菜スープの方に息を吹きかけながら「最近多いな、夜勤とか残業」「んー…そうかな」「そうだろ。昼からは寝ろよお前」「んー」ずずとスープをすすったが「でもジオと一緒にいたいんだよなぁ」とこぼす。だからふぅとスープに息を吐きかけてたところから視線を上げた。まだ眠そうな目元を擦りながらはチャーハンをすくって食べている。 「いつも一緒だろ。一緒に住んでんだから」 「そうじゃなくて。こう、時間を共有したいっていうのかな。一緒の空間にいることだけが一緒にいるってことじゃないでしょ?」 「…お前仕事あんだから仕方ないだろ」 「そうなんだけどね」 ふーとスープに息を吹きかける。試しに少しだけ口をつけて熱くてすぐに離した。やっぱりいつまでたっても猫舌は直らないか。 が笑って「まだ熱い?」「…熱い」むっとしながらカップを置いてチャーハンを口に運んだ。悪かったな、いつまでも子供みたいに息吐きかけてて。 が頬杖ついてこっちを見ている。だからどうにも食べにくい。 「…何だよ」 「眠るの。もったいないなぁって」 「はぁ?」 「休みの日くらいジオと一緒にいたいじゃない」 ずずとスープをすすった。視線をテーブルに逃がして「そうかよ」「そうだよ」「…でも寝ろ。明日に響く」「えー」つれないなぁって笑い方をしたの目元はクマがある。 そのくせ眠るのもったいないってどんなに。どんなに俺を望んでるんだこいつは。考えたら恥ずかしくなってきた。 (熱い) ふぅとスープに息を吹きかける。からんと先に皿を空にしたが「ごちそうさまでした」と手を合わせた。だからまだスープと格闘してる自分が馬鹿らしいと思った。熱いものは熱いから仕方がないのに。 「…寝ろよ」 また頬杖ついてこっちを見てるを睨む。へらと笑ったあいつが「ジオも一緒にいてよ。隣。そしたら早く寝れる」とか言うから視線を逸らしてずずとスープをすすった。ようやく飲める熱さになった。 「ねぇジオ」 「…いればいいんだろいれば」 だから早々にスープを飲み干してカップを空にした。それから食器をシンクにやっての分も流しにつっこむ。あとで洗えばいい。だから先にを寝かしつけよう。 毛布を肩にやって眠そうに目元を擦ってるを振り返った。目が合えば腕が伸ばされて手を取られる。「眠い」と目を擦りながら寝室に向かうに嘆息した。俺は子守でもしてるのかって話。 ベッドに入って食べたばっかと思いながら横になる。がくあと欠伸した。相当眠そうだこいつ。 「…寝ろよ」 子守唄代わりに手を伸ばしての髪を何度か撫でつける。たったのそれだけでも幸せそうに笑ったが「寝ます。おやすみジオ」と俺に口付けた。チャーハンと野菜スープの混ざった味のキスだった。 隣にいるだけでの言葉とは裏腹にぎゅうと抱き締められて、どくんと心臓が大きく鼓動する。 「…おぃ」 「あったかいねジオ」 「暑いだろ。つーか離せ」 「やだ。そばにいてよ」 耳元を吐息が掠って首筋を生温いものが舐め上げる。ぞくと肌が泡立つ感覚。だいぶ慣れたくせにその快楽を憶えてる身体が勘違いを起こす。てめ、寝るんじゃなかったのかこの。 「」 「寝ます。寝ますよーぅ」 俺を抱き締めたままの奴がうわ言みたいにそう漏らした。それで少しして本当に寝た。このまま。 (…ちょっと待て。歯磨きもしてないし洗い物もあるし何よりチョコが) せめて持ってきた簡単なレシピに目を通すくらいしようと、思ってたのに。これじゃ動けないじゃないか。何しっかり抱き締めてんだこいつは。馬鹿か。馬鹿なのか。絶対馬鹿なんだろそうだろ。 「…馬鹿」 毒づくようにぼやいて、その腕を剥がそうと思って、そばにいてよの言葉が頭を掠めた。 寝息を立ててるは俺が抜け出したって気付かない。気付かないだろうけど。 「……俺も馬鹿だなぁ」 だから一人ごちて目を閉じた。剥がそうと思っていたの手に手を重ねてその体温を感じ取る。 (仕方ないから、少しくらいなら。こうしててやるよ) |