死んだりしないよ大丈夫。だって俺だもの。ね、そうでしょ。

 無責任なことを無責任に言い放ってあいつは出て行った。
 そんなんだとそのうち殺られるぞ。それからじゃ遅いんだからな。何度もそう言って注意したし怒れるところは怒ってきた。だけどあいつは反省しなかった。怪我をしようが肉をそがれようが血が滴ろうが気にしなかった。

 死んだりしないよ大丈夫。だって俺だもの。ね、そうでしょ。

 どこからそんな過信が生まれるのか知らないしどの辺でそんなことを言える頭になったのか、俺にはよく分からない。言葉には責任を持つものだし行動にも責任を持つものだ。だけどあいつは違う。責任を持たないわけじゃないし、俺が言ってることが分からない奴じゃない。だけど俺とあいつの間には何か繋がらない壁があって、いつもその壁が肝心なことを阻んでいる気がする。
 死んでからじゃ遅い。怪我をしてからでも遅い。お前が痛いと言わずとも俺がお前を見て痛いと思うのなら、心に痛みを感じるのなら、遅いんだ。お前が平気だったとしても俺が平気じゃないんだよ。
「…おぃ」
「う、」
 片腕を。切り落とされて帰ってきたあいつはぼろぼろだった。膝をついて床に崩れ落ちたあいつは疲れた顔でそれを支えた俺を見て、自分を支えた相手が俺だと分かるといつもみたいに笑った。「ジオ」と、安心したみたいな顔と声で俺を呼ぶ。
 落ちている片腕と傷口から血が止まらなかった。舌打ちしてびっと服を破って傷口に押し付けて「お前ほんと馬鹿だろ」と毒づきながら片腕を引っぱって立たせる。「ごめ、失敗した。かも」立つ力もないのかほとんど体重をかけられてどうにか踏んばりつつ落ちている片腕を拾い上げた。まだくっつくはずだ、今すぐ救護室に行けば。
「ジオ、」
「うるせぇ喋るなあとにしろ。響転使うぞ」
「ん」
 弱々しい声が耳を掠める。一人分余計に背負いながらそれでも響転でその場を移転して救護室のある場所まで急いだ。無駄に宮が広いせいでこういうとき困る。急ぎのとき、これじゃ間に合わない。
 ばんと扉を開け放って「手当てしろ。怪我人だ」言いながら簡易ベッドにを引き上げる。「まぁ大変」「すぐに処置を」控えてる番号なしの奴らがぱたぱた動き始めた頃がうっすら目を開けて俺を見た。「ジオ」と言われて「何だよ」と返しながら傷口に破った服を押し当て続けた。じわじわ赤が滲んで止まらない。慣れているはずのその赤にどうしてか背筋が寒くなるのを感じる。
「お前ほんとばっかだろ。繋がらなかったらどうするつもりだよ」
「困る、ね。ジオのこと抱けない」
 ぼろぼろの片腕が伸びて俺の仮面を撫でた。「腕くっつくかな」という声に言葉を返す前に「処置を開始します」と控えの奴に言われて舌打ちした。時間との戦いなら、俺は外で邪魔にならないように待つべきだ。だからの手を剥がして「大人しくしてろよ」と漏らした。弱い力で手を握られて弱い笑顔で「うん」と返される。
 するりと手を離した。体温が離れた。左胸が痛い。心臓が痛い。あいつはきっとそれを知らない。
 そう時間はかからなかった。白い廊下で何もない天井を見上げて仕事の段取りを考えたりこれからのことを考えたりしてる間に処置は終わったらしい。ぷしゅと音を立てて扉が開いて「処置終了しました」という声につかつかと歩いて行けば、あいつはベッドの方で眠っていた。麻酔か何かを使ったんだろう。腕は見たところ一応くっついていて、動くかどうかは経過次第。
(とりあえずは安心。か)
 肩の力を抜いて壁に背中を預ける。どくんどくんとうるさく鼓動する左胸に手を押し当ててずるずるとその場に座り込んだ。薬の補給か何かで今ここには誰もいない。
 きちんと。伝えるべきだ。お前が痛くなくても俺が痛いんだということを。そうじゃないとこいつが、阿呆みたいに笑ってるその笑顔がいつ消えてしまうのか。
(ほんと、馬鹿だろ。俺もお前も)
 視線を上げれば簡易ベッドとその上で眠ってる奴が一人見える。多分馬鹿みたいな寝顔なんだろう。怪我したあとなら多少痛みで歪んでるかもしれない。だけど多分、馬鹿みたいに眠ってる。
 ジオと。俺を呼んで。髪を梳かして指先で絡めて、あいつはいつも幸せそうに笑う。きれいだねジオ。かわいいねジオ。ねぇジオと何度だって俺のことを。
「お前が。欠けたら。俺はどうすればいいんだよ」
 答えの返ってこない部屋。ただ薬品のにおいのする部屋で膝頭に顔を埋めて仮面に手をやった。
 視界の両端を塞ぐ邪魔な牙も、頭全体を覆うようにあるこの仮面も、あいつは全部笑って受け入れてくれるのに。俺がお前にしてやれることはこんなにも少ない。
(畜生が)
 薄く目を開ける。そうするとそこが自分の部屋の天井なことに気付いた。まだ眠いと訴える頭でそれでも視線をめぐらせて意識を腕の方に向ければ、斬って落とされた左腕はきちんとくっついているのが見えた。
(…動く、か)
 試しに少しだけ指先を動かしてから目を閉じて息を吐き出した。ああ油断した。まさか腕を落とされるとは思ってなかった。相手は子供みたいに小さかったしそれでも隊長格だなんて言うもんだから、甘く見すぎた。人を外見で判断しちゃいけない。俺達なんて特にそう。
 もう一度目を開けて渇いてると感じる喉で「ジオ」と意識を失う前まで考えていた子の名前を口にする。迷惑と心配をかけた。意識が落ちる前は救護室だったから、きっとジオがここまで運んでくれたはず。そう思って。
「ジオ? いない?」
「いる」
 こつと靴音がしてそっちに視線を向ける。「やっと起きたかよ」と言われて弱く笑った。まだ頭が眠い眠れと指示を出してるせいで視界が濁って見える。お前が泣きそうな顔してるように見えるのは、俺の気のせいかな。
「ジオ? 泣きそう?」
「誰が」
 そっぽを向いたジオに一つ瞬いてから瞼が下がってくるのを感じた。「ジオ、俺寝るよ。ねむい」と漏らして細く息を吐く。麻酔がまだ効いてるのか痛みはないけど、きちんとくっつくまでは定期的に救護室に通わないと。きっとジオもそう言うだろうし。
 眠ろうと思って目を閉じて意識を濁したのに、唇にあたたかい感触がして、だから眠い眠れと訴える頭で薄く目を開けた。動く方の腕を伸ばして白い仮面をなぞって白い牙をなぞる。眠い。だけどジオが、
「ジオ?」
「死ぬなよ。絶対に。いなくなるなよ。俺のそばから」
 ごつと額に仮面が当たる。いつもの頭突きにいつものキス。弱く笑えばぱたと涙が落ちた。見間違いじゃなくてジオは泣いていて、それを堪えるように唇を噛んでいた。
 迷惑かけて心配かけて。それ以上に俺はジオを傷つけたのかもしれない。
「ごめんね。ジオ。ごめん。なかないで」
「泣いてねぇよ」
「涙でてるよ。ジオ」
 ジオの頭に腕を回して引き寄せた。ごちと顔に牙が当たったけど気にしないで舌で涙を拭った。「もう無理しない。約束するから」と漏らす。眠いと訴える頭と強制的に下がってくる瞼。「」と縋るように呼ばれた。眠りたくない起きていたい、だけど身体と心が別々で、そろそろ限界が近い。
(かわいい、俺の。ジオ)
 落ちそうになった腕をぱしと取られた。「寝るのか」と訊かれてぼやけた視界で「ごめ、げんかいだ」と漏らす。ぎゅうと腕を握られて「起きるまでここにいるからな」と言われて小さく笑った。

溺れる手前
多分もう俺達はお互いに溺れている(そしてそれでも構わないと思っている)