今ここに生きている、と叫ぶ

 イタリア旅行最後の日に、俺達はアラウディとの思い出の場所へ赴いた。有名な観光どころというわけでもなければ特産の何かがあるわけでもない、海岸に近いだけの町だ。キョーヤは訝しげにしていたものの、俺の行きたいところについてきてくれた。
 過去、アラウディと過ごしてた頃は栄えてたここは、今はただの田舎町になっていた。
 市場が開かれて呼び込みが盛んだった広場は、広さの面影だけを残し、ベンチと花壇があるだけの子供の遊び場になっていた。あの頃を感じさせるものは一つもない。
 現実を見つめながら、町を見下ろせる場所にあったアラウディの家を捜す。
 道の形にもあの頃の面影はなく、豪邸だったアラウディの家が目立っていた丘には色んな家が立ち並び、俺の中のあの頃の景色を現実で塗り替えていく。
?」
 呼ばれて、止まっていた足でごつごつした道を歩き始める。道が舗装されてないところが田舎町を感じさせる。あの頃は、ちゃんと舗装があったもんだけど。そういえばあれからどれくらい経ってるんだ。何十年、いや、何百年、か。
 ここにアラウディの墓はあるんだろうかと考えて、いや、ないだろうな、と思う。あいつがそういうことを好むとも思えないし。
 ……予想していたとはいえ、あの頃の面影が、全然ない。どの辺りにアラウディの家があったのかわからない。徒歩の感覚的にはこの辺りのはずだけど、どこにでもある家が建ち並んでるだけで、どこにも思い出は残っていない。
 この辺りの土を掘り返せば俺の骨が入った棺が見つかったりするのだろうか。あるいはもう見つかってて、破棄されたのだろうか。わからない。そんなこと知ったってどうしようもないんだけど。
「…
 すっと伸びた指が俺の目元をなぞった。「泣いてるよ」と言われてへらっと笑う。
「この辺りさ、俺が昔住んでたところなんだ」
「…そうなの?」
「ん。でも、なんか様変わりしてて、びっくりした。だけ」
 こんな田舎町で様変わりしてたなんて苦しい言い訳かと思ったけど、キョーヤは何もツッコまなかった。黙って俺の涙を拭ってるだけだ。
 わかってたさ。かつての思い出の土地にやってきたとして、もう何も変わらない。アラウディは自分の魂を引き裂いて俺を守ることにしたし、俺は病気で死んで現代に転生したし、もう何も変わらない。俺の中にアラウディがいるんだってことも、俺がキョーヤに惹かれたってことも、何も、変わらない。
 すっと深く息を吸い込むと、その潮の香りだけが懐かしくて胸がつかえた。
(さよなら、アラウディ)
「行こう」
 キョーヤの手を握って歩き出す。よくわからない顔でついてくるキョーヤは俺を心配してるらしい。その顔に「ダイジョーブ」と笑いかけて、思い出の土地を踏み締め、歩く。
 あの時代のあのときに俺とアラウディが出会っていたから、このイマが生まれた。
 俺が死んだこと。アラウディがしたこと。全部、間違っていなかったと思いたい。
 胸を張ってそう思いたいのなら。俺は、ちゃんと生きなくちゃ。アラウディが望んでたとおりに笑ってさ。
 空港のあるローマに戻って、ボンゴレ本部に寄り道する。幸い日本土産を押しつけた先輩は留守だったので、適当な人に取り次いでもらっていたところ、なぜかディーノに遭遇した。後ろにはマローリオがいる。
「ディーノにロマーリオ」
「お? そういうお前はじゃねぇか。なんでこっちにいるんだ?」
「あー、うん。ちょっと小旅行かな。そっちこそなんで」
 ソファに座って足を組んで目を閉じていたキョーヤがディーノに気付いてぱちっと目を開ける。だんと勢いよく立ち上がったキョーヤを見たディーノがにやっと笑う。ジャキンと構えられるトンファーに「やっぱりいるじゃねぇか。なんだ、気の早い新婚旅行か?」とか余計なことを言ったせいで、キョーヤがプチンと切れた。朱色の走った頬で「咬み殺す」とディーノに殴りかかって、ディーノはディーノで鞭にて応戦。
 …ツッコミどころがありすぎて困るんですが。新婚旅行って。
 っていうかですねお二人とも。ここは一応ボンゴレ本部であって。そこんところわかってますでしょうか。ディーノも、いくらボンゴレとキャバッローネが親しいからって、同盟ファミリーの本部で武器を振り回すのはどうかと思います。
 はぁ、と息を吐いて、「お待たせしました。こちらにご記入を」と用意された書類を受け取った。受付のカウンターに立つ若い子はおっかなびっくりの顔でキョーヤとディーノの喧嘩を窺っている。止める気はないようだ。まぁ、下手に間に入らない方が正解だと思うけど。
 ソファに腰を下ろして必要事項を記入。銃のナンバーや入手経緯などを書き込んでいる俺の頭の上をヒュオッと何かが通り過ぎた気がしたけど顔は上げない。
 はぁ、と溜め息をこぼしつつ、書類を書き上げたところでバリンと何かの割れた音。げっ、割った、と静観を決め込んでいた俺もさすがに我慢の限界がきた。
(おい、ここボンゴレ本部! 置いてある備品だって結構な値段するんだぞ!)
「こら喧嘩やめーっ!」
 ばっと立ち上がって振り返ったところでディーノが振り回した鞭が顔面にクリーンヒットした。「ぶっ」と吹っ飛んだ俺はカウンターに背中を叩きつける破目になり、ハラハラと俺達のことを見てた受付係が「ひっ」と奥に引っ込んだ。「うお悪い! 大丈夫かっ」ディーノの焦った声を聞きつつ、げほ、と咳き込む。いって。思いきり背中打った。
 今日は厄日か? と思ったのも束の間、「ロール形態変化」とキョーヤの低い声がして、背筋がヒヤッとした。打った背中が痛いながらも起き上がって「キョーヤ」と声をかけるものの、時すでに遅し。長ランを羽織ったキョーヤが高速回転するロールを伴ってプッチンとキレていた。目が据わってる。ディーノもやばいと思ったんだろう、窓から外へと飛び出して「やるなら外だ!」と裏の駐車場へと駆けて行く。キョーヤは無言でディーノを追って窓枠を乗り越えていった。
「あー……」
 なぜ。こんなことに。
 頭を抱えたくなりながらも、ぼんやりしてもいられないので、背中をさすりつつ立ち上がる。おっかなびっくりカウンターに戻ってきた受付係の子に床で割れてる壺を指して「あれ、壊したんで…そっちの書類もください」と頼んだ。
 十秒後、駐車場方面から戦闘音が聞こえてきた。言わずもがなである。
 はぁ、と溜め息を吐きつつ器物破損のための書類にペンを走らせてさっさと仕上げ、請求はディーノ宛にしてカウンターにばんと書類二枚と銃を置いた。「じゃあこれよろしく」と預けて走ってフロアを横切り、開いたままの窓枠を乗り越えて、キョーヤを止めるべく二人プラスロマーリオのいる駐車場に飛び込んだ。

 ディーノとキョーヤの喧嘩に割って入った俺は、思いきりキョーヤを甘やかすことでどうにか殺気を収めてもらい、ディーノには割れた壺の金額を支払うことでとばっちりを受けたことを水に流すと約束して、キョーヤの気が変わらないうちにボンゴレ本部をあとにした。

「背中、痛い?」
「ダイジョーブだよ。まぁでも、フライトでじっとしてるのがキツいかもなぁ…帰るの明日に延ばそうか」
 心配するキョーヤに笑いかけつつ提案すると、盛大に顔を顰められた。
 ナポリでも人が多いと辟易していたキョーヤがイタリアの首都、ローマの人の多さにもっと苛ついていることは俺も理解してる。でもさ、せっかくだからもっと色んなところへ行きたい。並盛じゃ絶対見られないキョーヤの姿をもっと見ておきたい。
 ね、と手を引っぱる。キョーヤは渋い顔をしている。その顔は迷ってる感じだな。よし、却下されないうちに詰めよう。
「世界遺産もたくさんあるけど、一人で見たいんじゃなくて、キョーヤと一緒に行きたいんだ。キョーヤと一緒に遺跡見たり広場歩いたり教会でお祈りしたりしたい。キョーヤがいないと意味がない」
 ね? と笑いかけると、キョーヤは顔を俯けた。さっきのディーノ新婚旅行発言が頭に残ってたのか、頬を紅潮させてこくんと頷く。
 やだもうかわいいなお前。抱き締めたくなる。
 とりあえずキョーヤの許可を得られたので、今日飛行機で帰る予定は先延ばしにした。腕時計に目をやると午後の十三時で、陽射しはあたたかく、イタリアで最大の街は今日も賑わっている。
 キョーヤの手を引いて歩き出す。鞄から観光本を取り出してローマのページを開き、有名どころの写真を眺めて、キョーヤと行きたいところを見繕う。どうせキョーヤはどこでもいいって言うだろうし、俺が決めてしまおうか。
「キョーヤ?」
 やけに静かだと思って斜め後ろを歩いているキョーヤを振り返ると、まだ顔が赤かった。ツッコむと睨まれそうだったので、黙って手を引いて隣に並ばせた。「行こうか?」と声をかけるとこくんと頷かれる。ちらりとこっちを見た灰色の瞳が目が合うとぱっと俯くとことか、余計に顔を俯かせて赤いままの頬を隠そうとしてるとことか、もうほんとかわいい。食べちゃいたい。
†   †   †   †   †
 そんなものいらないと思ったけど、が「普段からお世話かけてるんだから、お土産くらい買っていくべきだよ」とか言うから、仕方なく土産物屋に寄った。当たり前だけど人が多くて辟易する。「せっかくだからツナ達にも買っていくか」と一人乗り気の彼が僕の手を離したので、掴んだ。きょとんとする彼と目を合わせないまま、別に風紀委員にお土産なんて、と思いつつも商品棚に視線を彷徨わせる。空港近くだからか英語でも記載されていて、僕でも読めた。
 チョコレート。コーヒー。オリーヴオイル。パスタ。ハムとサラミのセットに、変な形をした瓶に入ってるリキュールとか、色々セットでボリュームのある箱型のバラエティパックとか。普通にポストカードとか、タペストリーとかも置いてある。
 正直選ぶのが面倒くさいので、セットになってるバラエティパックの中サイズに決めた。早くこんな人の多い場所出たいのに、彼は律儀な顔で「甘いものは食べられなかったときがアレだし、ここは無難にパスタかなぁ」とパスタセットの袋を手にしている彼の手を引っぱる。「あれでいい」とバラエティパックを指す僕に「ああ、その手があったか」と気付いた顔でパスタを戻して、バラエティパックの一番大きい箱を叩いた。…僕が言ったのはその隣なんだけど。
「この大きいの一つ買って帰って、分ければいい。でしょ」
「…好きにしたら」
「ん。あ、これも」
 変な形のリキュールの瓶四本セットを手にした彼を睨む。「いらないだろ」「お菓子に使おうかなって。瓶の形が面白いし、ソース入れとかにしようかなと」…それはお酒だろ。僕は未成年だし、日本に当てはめるならあなただって未成年なのだけど。
 はぁ、と息を吐いて、諦めた。こんなふうに言い合ってる暇があるなら、さっさと土産を買ってここを出たい。人が多くて苛々する。
 仕方なく彼の手を離して「さっさと買ってきて」と催促し、箱と酒瓶を手にレジへ向かう背中を押した。
 その後、半日のフライトの末、一週間ほど離れていただけの並盛に土地を踏んで、慣れた空気と景色に、ようやくほっとできた。
 やっぱり僕はこの町が落ち着く。イタリアは騒々しい。あなたについてたくさんの収穫があったけど、その分疲れた気がする。
 ゴロゴロとトランクを押して歩きながら、雲雀の表札がかかった家に戻る。誰もいないのに「ただいまー」と玄関を開ける彼に少しほっとした。ただいまって言うのは、彼がここを帰ってくる場所だと認識している証だ。
 …よかった。イタリアにいるときは本当に嬉しそうで楽しそうだったから、少しだけ不安だったんだ。
 トランクを玄関に放置した彼が門前で待たせているタクシーに戻った。一台だけでは乗らなかった荷物は二台目のタクシーに積んであり、運転手から土産物の箱を受け取って料金を支払っている。
 先に家に上がって、居間に行く。まだ見慣れないテレビが鎮座している畳の部屋に、きれいに片付けられている台所。今日からここで彼のご飯を食べる生活が戻ってくるんだ。
 トランクでも運ぼうか、と玄関に戻ると、荷物を持った彼が「キョーヤパス」とダンボールを預けてくるから、ずしっと腕に重いそれを受け取って居間の机に運んだ。
 雑巾を用意した彼に首を捻る。何に使うんだろうか、と思った僕に気付いた彼がばさっと雑巾を広げた。
「トランクのローラー、汚れてるだろうから拭かないと」
 …ああ、それもそうか、と彼について玄関に行く。「はい」と雑巾を一つ渡されて、仕方がないから、横にして廊下に上げたトランクのローラーを拭くのを手伝ってあげた。
 洗濯機に衣類を突っ込んだりしてトランクを空にして、土産物を分けたりしてるうちに夜が来た。
 この分だとすぐに明日が来る。シモン戦に続いて随分と並盛を空けていたから、学校へ行けばやることはたくさんあるだろう。応接室の机は僕のサイン待ちの帳簿と書類で溢れているかもしれない。
 そして、並盛での日常が戻ってくる。
「…………」
 部屋に戻って、制服と学ランがさがっているハンガーを眺めていると、なんだか少しだけ、イタリアという非日常が懐かしくなった。
 騒々しいのは嫌いだけど、彼と一緒に手を繋いで歩いた記憶は、笑った記憶は、ただ鮮明だった。
 映像や写真でしか見ることのなかった建物の中に実際に立つ自分や、お揃いのネックレスを探して歩いた路地裏や、ホテルの夜景を見ながら抱かれたことを思い出して、ぐっと腕を握る。
 寂しくなっての部屋へ行くと、リキュールの瓶を揺らしていた。これで何を作ろうかと考えていたのかもしれない。僕に気がつくと「キョーヤ? どしたの」と首を傾げるから、そばへ行って抱きついた。
 よくわからないこの寂しさも、明日になればなくなってしまっているだろう。
 僕は並盛を支配する風紀委員長雲雀恭弥として学校へ行くのだから、女々しい自分なんて、払拭しなければならない。
 でも。今日はまだ、に甘える自分でいたい。
「あのね」
「ん」
 緩く僕を抱いたに「わりと、楽しかったと。思う」ぼそぼそとイタリア旅行の感想を伝えると、よかった、と笑顔を返された。変わらない笑顔に目を細めて鎖骨の辺りで光ったペンダントに唇を寄せる。
「寝るときは外しなよ。間違って割れたら大変だろ」
「ん」
 革紐の結び目を緩めてネックレスを外した彼が改めて僕を抱き締めて、「明日から学校だろ。もう寝よう」と言う。
 …正論だ。長いフライトは案外身体が疲れるものだから、もう、眠ろう。早く起きてしまったら、勘を取り戻すために少し身体を動かそう。