前へ、未来へ、進むだけ

 秋晴れ。風が少し冷たくなってきたと感じる午前十時過ぎ。
 キョーヤは学校に行っていて家にはいない、一人の時間。テレビをつけて適当なBGMにしながら、俺は一通の葉書を書いていた。届くかどうかわからないけど、ボンゴレに監禁状態にあるビャクランにエアメールを出してみることにしたのだ。
 理由は…まぁ、なんていうか、ね。返事は来ないだろうけど、ビャクランのことさっぱり忘れるなんて俺には無理だし。また会えるかどうかわからないから、この葉書だけでも届いてくれたらいいなって思う。
(えっとー、拝啓お元気ですか…いや、固すぎるだろ。ビャクラン相手に…んー)
 ぐるぐる考えていると、ふいに背筋が寒くなった。「ぐしゅっ」とくしゃみをして洟をすする。
 まさか風邪だろうかと考えて、まさかな、と思いつつも手洗いうがいを徹底することに決めて、今は目の前の葉書の内容に頭を悩ませる。
 ビャクランの手に渡るまでに人に読まれて大丈夫な内容で、なおかつ、少しでもあいつが喜んでくれるような文面…。
 うんうん悩みながら書いて、イタリア語で綴った文章の下書きを読んでみる。

です。元気か? 俺の方は現在風邪っぽい症状があって、元気とは言えないかも。すっかり秋も深まってきたのでビャクランも風邪は引かないように気をつけること。
 人目に触れる葉書なので、適当なことしか書けないけど、お前のことは一応心配してます。俺にできそうなことがあったら言って。マシュマロ送るくらいなら多分できるから。それじゃあまた。』

 葉書は裏が日本らしい桜とかがデザインされたやつで、半分は住所を書いて埋まるため、小さな字で詰めて書いてもあまり余裕がない。
 うーん…。本当に適当な感じの文章だなぁ。捻りも何もないというか…つまらない内容というか…。
 でも突っ込んだこと書けないしな。第一ちゃんとビャクランまで届けられるのかが謎だし、とりあえずこれで出してみよう。そうと決まれば鉛筆書きをボールペンでなぞって清書して仕上げ、斜めがけ鞄に入れた。郵便局でエアメールの手続きと、今晩の夕飯のおかずと明日のお弁当の品を買うべく家を出る。
 途中、ぐしゅ、とくしゃみをして腕をさする。
 あれ。なんか寒い。
 いや、まさか。ちょっと薄着で出ちゃったから秋の風が冷たいだけだよ。うん。
 次の日、俺は見事に風邪っぴきになっていた。
 頭がぼんやりする、目がしょぼしょぼする、鼻が詰まってる、喉も痛い。計ってないけど、これは、熱もあるかもしれない。あとすごく寒い。布団被ってるのに寒い。
 それでも容赦なく朝はやってくるわけで。
「うー…」
 六時の目覚ましに起こされて目を覚まして、枕に突っ伏した格好からどうにかベッドを出て、寒さにぶるりと身を震わせてから部屋を出て一階へ。脱衣所兼洗面所でガラガラとうがいをしてみたけど喉が痛いのは変わらずだった。
 鏡の中に映る自分は、気のせいではなく顔色がよくない。唇の色が悪いし目があんまり開いてない。どう見ても健康そうではない。
 …どうしよう。これは結構重症の風邪かもしれない。風邪っぴきの俺がご飯とか弁当作ってキョーヤにまで風邪がうつったらどうしよう。それは嫌だな。だからって作らないってわけにもいかないし、何か方法は…。
(…そうだ)
 だるい重いと感じる足で階段を上がり、部屋に戻る。クローゼットを開けると、イタリアからこっちへ来るときに持ってきた装備一式が紙袋に入って置いてある。あったろうか、とがさがさ中を探って、目当てのものを発見した。
「ガスマスクー」
 日本アニメのドラちゃんを意識してじゃじゃんとガスマスクを掲げて、疲れただけだった。しゃがれ声は似てるかもしれないけど俺あんなに丸くないし。
 アホみたいなことしてないで、これつけてご飯作ろう。空気洗浄ができるいいタイプの方だから、しっかり手を洗ってこれをつけて調理をすれば、菌は空気感染しないはず。あと寒いからトレーナー一枚着よう。
 もこもこした着膨れの格好でガスマスクを手に再び一階へ。
 うう、辛い、なんか気持ち悪い、と思いながらもなんとか朝の支度を終えた頃、制服に着替えたキョーヤが居間にやってきた。はたと足を止めて上から下まで俺を見るとひどく顔を顰めて「何してるの?」と言うから、ガスマスクをして上手く笑えない顔であははーと笑っておく。
「風邪を、ひいたみたいです」
 俺がひどい声だというのがわかったらしく、キョーヤは呆れた顔をした。「なんでそんなものつけてるの」「お前にうつしたらいけないと思って…これなら、マスクよりずっと菌が拡散しにくいし」「…一言言っておくけど、それで外をうろついたら、あなたは風紀委員にも警察にも補導されるよ」はは、と空笑い。そのとおりです。これは、ご飯を作るための措置であって。薬とか今日買いに行くよ。マスクも買ってくる。
 キョーヤのご飯を準備して、それにしても辛い、と畳の上にへたり込んだ。「?」と心配するキョーヤに手を振って来ちゃ駄目と示し、「うつるといけないから、そばに来るな。ダイジョーブ、薬買いに行って、すぐ寝るから」と言いつつも、すでに倒れそうな俺である。
 あー目の前ぐらぐらしてる。やばいかも。久しぶりにこんなひどい風邪ひいた。
 思ったより厳しいな。これ、ただの風邪じゃないかもしれない。イタリア帰りで気が緩んで風邪でもひいたんだって思ってたけど、もしかしたら、あっちで流行ってる何かをもらってきたって可能性も。菌の潜伏期間ってのも長かったし。そういうのって、大きな病気の前触れだったりするよな。
「キョーヤ、どこも辛くない?」
「僕は大丈夫だよ。それより自分の心配をして。病院へ行こう。すぐ診させるから」
「いや、大丈夫」
 ごほ、と咳き込んで、ごほごほ咳き込む。
 胸がつかえる苦しい感覚に覚えがあった。
 俺を心配しているキョーヤの顔にアラウディの顔がブレて重なる。
 ああ、本当によく似てる。瓜二つって言っていい。強気で天邪鬼な性格とか、口より先に手が出るところとか、そっくりだ。
(まるで、あの頃みたいだな。アラウディ)
 ガスマスクは息がしづらい、と思っていたら、いつの間にか隣にやってきたキョーヤがガスマスクを取り払った。あ、お前、それがないと俺の持ってる菌が広がるのに。
 キョーヤは少し怒った顔で「学校とあなた、天秤にかけて、僕が学校を選ぶとでも?」と言われて、へらっと笑っておく。ああ、そんなことすら辛い。
 学校と天秤。秤にかけられて、お前は、俺を選ぶんだね。
 キョーヤに連行されて行った並盛中央病院で、診察の順番待ちをしてる人達をすっ飛ばして一番で診てもらった結果。やはりというかイタリアでもらってきてしまったらしく、今年の流行型のインフルエンザだと診断された。
「うう…」
 医療用マスクも処方してもらって、ぐしゅ、とくしゃみする。真冬並みの装備をしてるのに寒いと震える俺の隣では、キョーヤが心持ち心配そうにこっちを見ていた。人前ではだいたい表情を変えないキョーヤが心配そうにしてるってことは、それだけ心配してくれてるってことだ。愛されてるなぁ俺とか思うのは頭がぼんやりしてる証拠かもしれない。
「今日は、薬を飲んだらもう寝てて。僕は仕事があるから離れるけど…夕飯も、作らなくていいから。帰りにスーパーで何か買ってくる」
「ん。ごめん」
 ガラガラの声で謝るとキョーヤは緩く頭を振った。
 処方された薬をもらって病院を出て、俺を家まで送り届けたキョーヤはそのまま学校に行った。うがい手洗いは徹底するよう再三言ったので、キョーヤにインフルエンザがうつらないことを祈るしかない。
 …そうか。じゃあ、しばらくキスとか無理だな。そんなことを考えながら薬を飲んでベッドに入って、俺はすぐに眠ってしまった。
 その後、薬を二日続けて飲んで安静にしてみたけど、症状はあまり改善されなかった。ひどくもなってないけど現状維持とでも言おうか。
 三日分処方された薬が切れたらまた病院に行くというキョーヤの申し出を断れず、安静にしているのに重い身体をベッドに沈めて、何をするでもなく午後の時間を消費していく。
 もったいないとは思うけど、仕方ない。今の俺がすべきことは体調を治すことだ。そうでないと何もできない。大人しくしてるんだから早く治れよインフルエンザの馬鹿。

「辛そうだね」
「…、」

 ぼんやりした意識で薄目を開けて、視線を彷徨わせる。いつの間にか気を失ってたらしく、時計は最後に見た十三時から十四時になっていた。
 キョーヤ、もう帰ってきたんだろうか。大人しく寝てるから学校行ってて大丈夫だよってあれほど言ったのに。
 彷徨わせた視界の先で、ひゅお、と吹き込んだ風にカーテンが揺れた。しょぼつく目を細めて、重たい手を持ち上げて目元をこする。幻覚でも見ているんじゃないかと思って。だけど違った。窓から入ってきてベッドまで歩いてきた白い相手は、いつかの夜に俺が買ったパーカーを着ていた。
 ひんやりとした手が俺の頬に触れる。
「ビャク、ラン?」
 ガラガラの声で名前を呼ぶと、ビャクランはにこりと笑みを浮かべた。無邪気な笑顔というよりは、可憐な微笑みに近い。
 動かすのも億劫だと思う手で頬に触れた手に掌を重ねる。
 …幻じゃ、ない。
 ベッド脇にしゃがみ込んだビャクランが「絵葉書をくれたでしょ。ちゃんと届いたよ」と笑った。それから俺の額の冷えピタを剥がして手を添える。
「僕が治してあげる。愛の力で」
 愛の力、と言ったビャクランに小さく笑った。愛で病が治せるなら医療はいらないだろ、なんてつまらないツッコミを胸のうちだけですませて、ぼんやりした意識でビャクランの顔を見上げる。
 …やっぱりそうだ。あの夜三十分会っただけだったから確信がなかったけど、お前、変わったな。いい方向に。
 ばさり、とビャクランの背中から白い翼が広がる。ふわふわした雲みたいなそれが俺を包み込んで、なんでかキスされた。
 抵抗する力もなくてされるがままになってしばらく。はっきりしなかった意識に芯が通って、肌寒さがなくなり、喉が痛くなくなって、目のしょぼつきも消えた。
 顔を離したビャクランがにこっと笑って「どう? もう楽でしょう」と言うから、一つ二つ瞬きして喉に手をやった。動かす手が億劫ではない。「お前、どうやって…」まだ声は掠れてたものの、水を飲んだら治る掠れぐあいだ。インフルエンザの症状は確実に治まっていた。
 にこにこ笑顔のビャクランは「パラレルワールドで得た知識ってやつを活かしてみたんだよ。お医者さんで薬を出されて治療されるのと同じさ。僕が治療しただけ。原動力は愛の力だよ!」最後にそこを強調するビャクランに思わず苦笑いする。はいはい愛の力ね。じゃあこの愛はありがたく受け取っておきます。
 起き上がって、だるさの抜けている身体でベッドに胡座をかいた。
 まぁそれはいいとして、まだ疑問がある。
 ぼふっとベッドに座ったビャクランに「なんでここに?」と訊けば、ビャクランはまた笑った。まるで俺と話をすること自体が嬉しいとでも言うように、その笑顔はまっすぐで、曇りがなかった。
「あのねー僕ボンゴレから逃げ出してきちゃった」
「…はい?」
 耳を疑う言葉にぽかんとする俺。
 なんでもない話をするように足を投げ出してリラックスしてるビャクランが「もともと、生きる目的が見つからなくてボンゴレに留まってたようなものだしね。そこへアリアが代理戦争の話を持ってきたからさ、君の絵葉書持って、思い切って飛び出してきちゃった」あはっと笑うビャクランにいやいやと首を振る俺。そんな明るく言うところじゃないからそれ。っていうかアリアって誰。代理戦争って何。
 あれ、と首を傾げたビャクランが「雲雀クンに聞いてないの? 代理戦争のこと」と言う。「聞いてない」と緩く頭を振って返す。戦争なんて物騒な言葉キョーヤの口から聞いてない。と思う。俺さっきまで風邪っぴきでぜぇはぁしてたし、もしかしたらキョーヤの言葉を聞き逃してたって可能性もあるけど。
 ふーんとこぼしたビャクランがじいっと俺を見つめてくる。
 …よく考えずとも、ここには俺とビャクランの二人だけだ。イタリアの夜のときは見張りがいたし、外だったから、他に人がいたけど。俺がビャクランと二人になったのって今が初めてか。
 じーっと見つめてくる目から逃げたくなってきた。
 ビャクランてさ、素直に笑うと結構いい笑顔するんだよね。素がイケメンだし。キョーヤはきれいめ美人だけど、ビャクランはイマドキの若者代表イケメンっていうか。うん。だから、気があるってわかってるせいもあるけど、そんなにまっすぐ見つめないでほしい。俺にはキョーヤがいるんだから。ちょっと気持ちが揺らぐじゃないか。
「…説明してあげよっか。代理戦争のこと。アルコバレーノ…リボーンくんも関係してるしね」
「え、」
 意外な名前が出てきたことで興味を引っぱられる。「聞きたい」と身を乗り出した俺にビャクランはにこっと笑って、「キス一回ね」とか要求してきた。ずるっと姿勢の崩れる俺。「おま、さっきしたじゃん」「それはそれ、これはこれ。で、キスしてくれるの? してくれないの?」にこにこ笑顔のビャクランに、はー、と息を吐いてごめんキョーヤと心の中で謝る。
 目を閉じたビャクランに唇を重ねて、カサついてるな、というのが気になった。ボンゴレで面倒を見られてたにしては痩せてる気もするし。なんか心配だな、と俺より細い身体を緩く抱き締めると、息をこぼしたビャクランが俺の肩に額を押しつけた。
「本当、ズルいオトコ。気がない相手にこーいうことしないでよ。期待しちゃうじゃない」
「…ごめん」
「いいけどさ。…そのままにしてて。このまま、説明する」
 ぼそぼそとしたビャクランの声に「ん」と返事をして、なんとなく、白い髪を撫でる。キョーヤの弾力のある健康的な黒髪に慣れているせいか、少しパサついている白い髪は栄養が足りてないように思えた。
(気がない相手ってお前は言ったけど。好きと嫌いで言うなら俺はお前のこと好きだし、未来のときよりもずっと、お前のこと考えてるよ。心配してるよ。それは想ってるのとはまた違うんだろうけど。期待されると、俺にはキョーヤがいるから困るんだけど。でも、お前のこと心配はしてるんだよって、言い訳はしておく)