for your life

 夜、スーパーの出来合い品も飽きてきたな、と思いながら仕方なくお弁当を買って帰ると、いいにおいがした。隣家からではない。僕のうちから。
 ばん、とバイクの座席を閉めて買い物袋片手に早足で家に帰れば、「おかえりー」と普通の声に戻っているが僕を出迎えた。いたって元気そうだ。朝見たときは薬が全然効いてないみたいに臥せっていたのに。
「あなた…風邪は?」
「治ってきたよ。やっと薬が効いたみたい」
 ようやく普通に笑ってくれた彼に、気が抜けて、するりと手から落ちたビニール袋がバサッと音を立てる。慌てた顔で「ああっ、お弁当が」とビニール袋を拾い上げる彼の姿が元気そうで、本当に、ほっとした。
 …ああ、よかった。心から安堵したせいでじんわりと視界が滲む。
 今にも死んでしまいそうなくらい息も絶え絶えだった彼のそばにずっとついていたいくらいだったのに、世話すら満足にさせてもらえなかった。その理由は、僕に風邪をうつしたくないから、だ。馬鹿だよ。本当にあなたは馬鹿だ。病気で弱っているときくらいわがまま言って僕に甘えればいいのに、僕のことばかり考えて、うつしちゃいけないなんて理由で僕を拒んで。
 だから。元気になってくれてよかった。
 これでまたあなたに甘えることができる。手を繋いだりキスしたり抱き合ったりできる。
 この三日、あなたに触れられなくて、本当に、さびしかった。
 動けずに立ち尽くしている僕に気付いた彼が小さく笑う。ぽんと僕の頭に手を置いて撫でて「まだ病み上がりだからあれだけど、ちゃんと元気になったら抱いてあげるよ」と囁かれてかっと顔が熱くなる。乱暴に靴を脱いで彼を押しのけてずんずん廊下を歩く。
(何を調子に乗ってるんだ馬鹿め。しんみりしてた僕が阿呆みたいじゃないか。せっかく人が心配してあげたのに)
 ……それに、しばらく抱いてもらうわけにはいきそうにない。
 ちらりと自分の左手首に視線をやって、場所を取ってるボンゴレギアの他に手首に巻きつけている時計を見やる。
 彼にこれのことを説明しなければならないだろう。…言ったらいい顔はしないだろうけど、言わないと、もっといい顔しないだろうし。
 あたたかい味噌汁だけは作ったらしい彼が、あたたかい日本茶も用意した。お弁当をレンジであたためてテーブルに並べる。「明日からはちゃんと作るね」とご飯を示した彼に浅く頷いて返しつつ、話をするタイミングを図る。いつ言おう、どうしようとおいしくもないスーパー品のお弁当をつつきながらちらちらとを窺う。今朝まで息も絶え絶えで食事もあまり喉を通ってないみたいだったけど、もう大丈夫そうだ。よかった。
「? 何?」
 僕の視線に気付いたが首を捻った。なんとなく視線を逸らしつつ「…別に。本当に、もう大丈夫なのかと思って」ぼそぼそ言うと「だいじょーぶだよ。薬が効いてきたんだって。明日はもっと元気だよ」と彼は笑う。いつもの顔で。
 ぱく、とからあげを食べて、おいしくないなと思った。味噌汁だけがおいしい。彼の作ったものだけがおいしい。べちゃっとしておいしくないご飯を誤魔化すために味噌汁の中に全部落として、猫まんまにして口に流し入れる。この方がまだ我慢できる。
 そこで、が袖から覗いていた時計に気付いた。「キョーヤ何それ」と時計を指されて、空にした器をことんと置く。
「…アルコバレーノの呪いを解くための戦いっていうのが始まるんだって。三日後から」
 ぼそぼそと白状すると、彼はきょとんとした顔で瞬きした。「アルコバレーノって…未来で最後の方に復活したあの赤ん坊達?」浅く頷いて肯定する。僕はそのうちの風って赤ん坊の代理になったことと、この代理戦争のルールとかその他を伝えた。多分合ってる、と思う。に言わなきゃいけないと思って赤ん坊から説明は聞いてたし。
 僕の話を聞き終えた彼は渋い顔をした。箸を置いて腕組みすると「キョーヤさぁ、そういう大事なこと俺を通さないで決めちゃうの?」と厳しい顔で言われて言葉に詰まる。
 だって、あなたは風邪でダウンして眠ってたわけだし。息をするのだって辛そうなあなたに余計なことを言って頭を使わせて疲れさせるわけにはいかないと思ったし。
 …言い訳するなら。あなたがダウンしてから、おいしくないスーパー品での食事と、あなたに触れられない日々が続いて、僕は苛々してたんだ。あなたの風邪はまだ長引きそうな気配がしていたから、この鬱憤を晴らせるならって、強い相手と戦えるならって安請け合いした。僕はアルコバレーノの事情に興味なんてなくて、戦闘が始まれば自分以外が敵になって思う存分戦えるというシンプルなルールが気に入っただけなのだ。そこに、彼の事情は考慮しなかった。
「……ごめん、なさい」
 自分の判断が身勝手だということはわかっていたので、ぼそぼそと謝った。
 誰かに謝るなんて、もしかしたら、僕の人生で初めてのことかもしれない。
「反省してるんだ」
「…あなたの立場を、考えて、いなかったなって。思った」
 ぼそぼそこぼすと、彼は厳しい表情からやっと笑顔を見せてくれた。「じゃあいいよ。許してあげる。リボーンにすげーどつかれそうだけど」参ったなーって顔で髪をがしがしかいた彼が「あー、とりあえずツナんちに電話してみるか」よっこらせと立ち上がって電話の方へ行く。億劫そうではあるけど、三日も臥せっていたせいだろう。失った体力はいずれ戻るはずだ。
 僕はなんだか小さくなったまま、失敗したな、と思った。最近身体が訛ってたから、ちょうどいいタイミングで話を持ってきた風って赤ん坊にまんまと乗せられた。
 まぁ、請け負ったことはもう変えようがないし。だって許してくれたのだし、やると決めたからにはやり通すけど。
†   †   †   †   †
 俺がインフルエンザで寝込んでる間にキョーヤが風の代理になってましたごめんなさいと報告したら、リボーンから飛び蹴りを食らった。おい俺まだ病み上がりだよパワハラ反対!
 いつつ、と蹴られた背中をさすりつつ「だからごめんて謝って、」言いかけた俺の顔面に蹴りがきた。ついでにレオンハンマーが振り切られてどすっと俺の側面にヒット、吹っ飛ぶ。
 ちょっと待て。なんでそんな怒ってるんだお前。病み上がりにこの仕打ちはないだろ、と吹っ飛んだ先で、壁に激突する前にぼすっと受け止められた。いってぇとズキズキする顔に手をやって視線を上げると、白い服と白い髪。ビャクランが俺を抱き止めていた。
「ちょっとリボーンくん、病み上がりに何してんの。は非戦闘員だろう」
 正論を言って俺を立たせたビャクランがぺたぺた触れてくる。「痛いなら治そうか?」と顔を覗き込んでくるからははと笑って「ダイジョーブ」と辞退。どうせまたキス一つって要求してくる気だろ。それなら遠慮します。キョーヤを怒らせたくないし。
 そんな俺をリボーンが鋭い視線で睨んでいる。
 なんか、今までにないくらい怒ってる。気がする。
 今回の代理戦争についてはビャクランから聞いたし、詳しい内容は昨日キョーヤが説明してくれたから理解してるつもりだ。この戦いで勝利したチームのアルコバレーノが呪いを解かれる。赤ん坊の姿から呪われる前の姿に戻る、らしい。
 小さすぎる上司の秘密に納得はしたものの、そんな非現実的なことが、と腑に落ちてない部分もある。
 …いや、俺がそんなこと言える立場でもないか。何せ、俺の中にはアラウディが混じってて、俺は、魂が巡ったのちの人生二度目を生きている人間なんだから。ここまできたらもうありえないことなんて方がありえない気がしてくる。世の中なんでもありなんだよ、うん。
 ぎゅーと俺を抱き締めて「痛いの痛いの飛んでけー」なんて言うビャクランに唇だけで笑っておく。何かわいいこと言ってるんだか。
 っていうか自分のチームに戻りなさい。ユニの短命の呪いを解くための代理の一人なんだから、チームのいる場所に戻って作戦会議とか立てなよ。リボーン達と同盟組んだって話は聞いたけどさ。
 ふー、と息を吐いたリボーンが「ああ、悪かったな。ちょいと気が立ってたみてぇだ」と謝ったから、ちょっとびっくりする。まさか謝ってくるとは思ってなかったのだ。
 そ、そうか、リボーンでも謝るとかあるんだな…昨日はキョーヤも謝ることができるんだって驚いたし。ってこれはちょっと二人に失礼か。
 ビャクランの腕から抜け出して「だから、俺は風チームのサポートになるっていうか。リボーンのとこにつくことはできないからさ。ごめん」と頭を下げる。俺が寝込んでる間にキョーヤが決めてしまったこととはいえ、キョーヤを任せられてる俺としては監督不行き届きってやつに当たる。上司に謝る以外すべきことはない。
「ま、仕方ねぇな。それについてはいい。サポートっつったが、お前も案外無関係じゃなくなるしな」
「…はい?」
 どういう意味だと顔を上げた俺にピーンとリボーンが何か弾いて放った。ぱしっと両手で挟んでキャッチして、そろりと掌を開いてみる。
 冷たくて硬い感触と金属音でなんとなく予想はしてたけど、俺の掌にあったのは、例のアニマルリングだ。匣の進化系っていう。しっかりツァールを思い起こさせる赤紫の色合いをしていて、鳥の姿も彫ってある。
「お前、タルボと縁でもあるのか? 頼んでもないのに作ってきたらしいが」
「え、」
 リボーンの言葉にドキッと一つ心臓が跳ねる。
 思い出したのはアラウディのことだ。あいつが自分の魂を引き裂いてまで守った俺のことをあの人は知っている。アラウディの希望が叶った俺のことを知ってあの人は喜んでいた、と思う。アラウディが世話になったんだし、縁がない、とは言えないだろう。
 が、それを公にすることもできないので誤魔化して笑って「さぁ。心当たりはないけど」と濁しておく。
「ねぇ」
 そこでずいっと顔を寄せて割り込んできたビャクランに一歩引いた。おま、近い。「何?」「リングつけてフェニックス出してみてよ」「え? ここで?」ここ、とはツナの家のツナの部屋である。お世辞にも広いとは言えない。にこにこ笑顔のビャクランは「ね、ちょーっとだけ! きれいだったけどさぁ、あのときはじっくり見る時間がなかったし」と言われて、考える。リボーンがビャクランを後押しするように「ちゃんと炎出せないとリングも意味ねぇしな。ちょっとやってみろ」と言うから、はぁと息を吐いて赤紫のきれいなリングを右の中指にはめる。
 目を閉じて一度深呼吸し、ツァール、と頭の中で呼びかける。ぼうっと炎の灯る音がして、薄目を開ければオレンジの炎が見えた。伸ばした腕にばさりと羽音を響かせたツァールが下り立ってきれいな声で鳴いて、喜んでるみたいに小さな頭をすり寄せてくる。また会えるとは思ってなかっただけに、俺もちょっと嬉しい。久しぶり、ツァール。
 へぇーとまじまじツァールを眺めるビャクラン。リボーンはいつもの顔で「で、どうすんだ。それがあればお前も代理戦争に参加することもできるぞ」なんて言われて「えっ」と困惑する俺。それは、考えてもみなかったぞ。
 代理戦争が始まるこのタイミングでこれを送りつけてきたタルボじじ様は、何を考えているんだろう。これにはどういう意図があるんだろ。よくわかんないな。
「…考えてはみるよ」
 この場はそれだけ言って沢田家をあとにし、右の中指の指輪を意識しつつ、雲雀家に帰宅する。
 そりゃあこのリングがあれば代理になることは可能だろうけど。でも、それをキョーヤがそれを望むとは思えないんだよなぁ。だからって風チームがキョーヤ一人だけっていう現実も危なっかしいと思うし…。
 頭を悩ませながら残り物で昼をすませて、とりあえず、さっき聞いてきたことを紙にまとめた。

 リボーンの代理はツナ、ディーノ、ハヤト、タケシ、リョウヘイというボンゴレ勢。
 コロネロの代理はツナのお父さんイエミツ率いるCEDEF。
 マーモンの代理はザンザス率いるヴァリアー。
 ヴェルデの代理はムクロ率いる黒曜。
 ユニの代理はγとビャクラン率いるミルフィオーレファミリー。
 スカルの代理は今のところシモンファミリーのエンマ一人。

 この強豪チーム相手に、風チームがキョーヤ一人っていうのはどう考えたって無謀だ。まぁその意味でいえばスカルも結構ヤバそうだけど、いざとなればシモンファミリー全員ボスのエンマに従うだろうし…。少なくとも代理が増える可能性は十分にある。対して風チームのキョーヤは群れるの大嫌いな一匹狼だ。この戦いに風紀委員を巻き込むとも思えないし…。
 とん、と胸を叩く。「なぁアラウディ、俺はどうしようか」と話しかけたところで答える声がないことは知っていた。ただの自己満足だ。
 シーンと静まり返ったままの居間に苦笑いをこぼしてテレビをつける。答える声がないとわかってはいたけど、少し寂しかったから。
 俺が敵意や殺意に晒された場合、あいつはまた現れて俺を守るだろう。それで戦闘に参加したりしたら…うーん、やっぱり反則扱いになる、のかな。だとすると、俺は参加できないよなぁ。
 第一、風チームの戦力の足しになったとして、それでキョーヤのことはカバーできるかもしれない。でも、それ以外のチームと俺は本気で戦えるんだろうか。ビャクランやツナ達に物怖じせず向かっていけるのか?
 悩みながら、バトルロワイヤル形式の今回の代理戦のことやルールについても書き出していって、鉛筆を手放した。
 開戦まであと二日しかない。参加するなら風からバトラーウォッチをもらわないとならないし。キョーヤに説明もしなくちゃいけないし。参加しないなら、このままでいいけど。
「…………」
 テーブルに頬杖をついて考えに考えた結果。俺は風に連絡をつけて家にきてもらった。
「それで、用事とはなんでしょうか? さん」
「うん。俺も風チームに入るからバトラーウォッチください」
 直球でいくと、はて、と首を傾げた風が「それは嬉しい話ですが…雲雀恭弥は納得するでしょうか?」と痛いところを突いてくる。俺は苦笑いで「まぁなんとかするよ。キョーヤだけに任せるのって、やっぱり無理なんだ」とこぼして風の箱から時計を一つ頂戴して左の手首に巻いた。感触としては普通の腕時計だ。基本的に試合時間を表示する時計だから今はゼロしか並んでないけど。
「もう一つ聞かせてください。あなたはなぜ私のチームに入ってくださったのですか?」
 表情の変化をつぶさに観察するかのごとくじっと俺を見上げている風がそう訊くから、俺は笑ってこう返した。
 答えなんて決まってる。
「愛する人のためだよ」
 そう、それ以外に、理由なんてありはしない。俺はいつだって愛に生きるのだ。