君のために、ここにいようか

(今日は霧戦かぁ…)
 朝食の準備をしてるときに気付いた。そういえば俺はまだ霧の守護者が誰なのか聞いてなかった。向こうはマーモンてリボーンみたいに小さい子だけど、こっちの守護者はどんな子だろう。
 冷蔵庫をぱかんと開けてから、買い物に行かないといけないなぁとも思う。
 あんなに非日常的なことが起こっても日常はついて回るものだ。メモ帳に卵、牛乳と買出し品を書きつつ本日の調理開始。
 三十分後にキョーヤが起きてきた。今日のメニューはけんちん汁とご飯とベーコンエッグだ。
「おはよ」
「…おはよう」
 ぼそっとした挨拶が返ってくる。すとんと座布団に腰を下ろしたキョーヤはさっそく朝食を食べ始めた。俺も向かい側に座ってぱちと手を合わせる。
 会話のない朝食を終えて、紅茶を淹れた。
「今日は霧戦だね」
「そうだね」
「誰が出るんだろう。キョーヤ知ってる?」
「知らない」
 ポットにお湯を淹れてことんと砂時計を逆さにした。さらさらと流れる砂を見ていると、ぽつりと「あなたの瞳と同じ色だ」という声がして顔を上げる。俺と同じく砂を見ているキョーヤに「やっぱりそうなんだ」「…何、やっぱりって」「お土産にもらったんだよ。お前の目と同じ色だから買ってきたってさ」ちょっと笑ったら、キョーヤは逆に眉根を寄せた。「誰それ。あなたにお土産あげた人」「仕事仲間の先輩だよ」「………」ぶすっと不機嫌な顔になったキョーヤがふいと顔を逸らす。一分前まで普通だったのに、機嫌が悪くなってしまった。
 嫉妬でもしてくれたんだろうか。そんなことを思って一人苦笑いする。そんなわけないか。
 砂時計の砂が落ち切ってからカップに紅茶を注いだ。琥珀色の液体は白いカップの中できれいに波打っている。
 今日は角砂糖を一つ入れて、ミルクを足した。「キョーヤいる?」と訊くと無言でカップが突き出されるので同じように角砂糖を一つとミルクを入れる。
 ふー、と息を吹きかけて揺れるミルクティーを見つめる。
 今日の霧戦で勝てば、次はキョーヤの番だ。最後の最後にキョーヤに回ってきた。ディーノとあんなにやりあったんだから負けるはずないってわかってるけど、不安だ。相手はあのヴァリアー。そんじょそこらの喧嘩の経験値で勝てるような相手じゃない。
 甘い紅茶を口に含むと、少し落ち着く。日本の空気に少しは慣れたつもりでいるけど、まだまだ読み書きはできないし。勉強してるけど言語って難しいんだよなぁ。
 黙って紅茶を飲んでいたキョーヤがテーブルに放置していたメモに気付いた。取り上げると紙面を見て眉を寄せて「何これ」と一言。イタリア語でメモしてあるので読めないらしい。「買い物に行かないとってメモ」「これ何語?」「イタリア語」答えたらキョーヤはさらに眉根を寄せた。やっぱり読めないか。うん、普通そうだと思う。
「ねぇ」
「うん?」
 カップを空にした頃に話しかけられて、二杯めを注ぎながら首を傾げた。視線を斜め下に逃がしているキョーヤが「買い物に行くんでしょ」「うん」「僕も行く」「キョーヤも? ディーノと修行しなくていいの。最後の仕上げとか」「いい」ず、と紅茶をすすったキョーヤに首を傾げつつ「じゃあ一緒に行こうか」と返して俺は二杯めの紅茶に口をつけた。
 思えば、制服と学ランと着物以外を着てるキョーヤと出かけるのはこれが初めてだった。
 いつもと違う格好だってだけで、人って全然違ってみえるんだなぁ。なんて思いつつメモに書いた食材をバスケットに入れる作業を繰り返していると、斜め後ろをついてきていたキョーヤがふらりと棚に寄った。「ねぇ」「うん?」「イタリアは何がおいしいの」「イタリアはー、そうだなぁ。パスタ、ピッツァが有名かな。飲み物ならエスプレッソとか」「じゃあ今度作ってよ」「いいけど…キョーヤんちオーブンがないよ」俺が首を傾げるとキョーヤが難しい顔をした。「オーブンがいるの? レンジじゃできないの」「うん、ちょっとできないかな」あまり料理をしないキョーヤはピンとこないらしい。俺が苦笑いすると仕方なさそうに携帯を取り出して「じゃあ今から買ってくるよう草壁に言うから」と言って電話を始めた。え、決定事項ですかそれ。つーかお金はどこから出るんだろう。
 携帯で話すキョーヤを視界の端で見つつ、業務用のクリームチーズを手に取る。これがあれば色々できそうだ。男二人の食事って結構量がいるんだよね。何よりキョーヤは食べ盛りだし、飽きさせないよう料理は工夫しないと。
「うん。そう。段…? ちょっと待って。ねぇ
「はい?」
「一段と二段どっちがいいの」
「贅沢言うと二段」
「草壁、二段のにして。うん」
 俺の意見を取り入れてオーブンは二段になるようだ。というか、先進国日本においてイマドキオーブン機能のない安いレンジしか置いてないキョーヤんちにはちょっとビビった。キッチンも生活感に欠ける品揃えだったし、本当自分で料理しないんだなぁキョーヤって。
 電話を終えたキョーヤが棚から紅茶の缶を手に取った。イギリス産のオレンジペコーだ。橙色の缶を睨みつけてるキョーヤのそばに行って「買う?」と首を傾げるとこっちを一瞥する灰色の瞳。
「一番好きなのはどれ?」
「え? ああー、ここには置いてないね。スーパーにあるのはアッサムダージリンオレンジペコー辺りが主流だから…」
 日本茶や紅茶、中国茶の茶葉が並んでる棚を見つめてそうこぼすとキョーヤの視線が外れた。「そう」と言って缶を棚に戻すと、俺の手からバスケットを奪ってすたすた歩き始める。「え、ちょっとキョーヤ!」慌てて追いかけると、無表情に籠の中を見たキョーヤが「あとは何を買うの」と言うからメモに視線を落とす。残ってるのは肉魚類かな。
「今晩は何がいい? メイン」
「…たまには洋食でもいいけど」
「ほんと? じゃあオムライスにするね。半熟とろとろのおいしいやつ。ソースもちゃんと作るよ」
 笑ってそう言ったらキョーヤはそっぽを向いた。そっけない態度にも今は頬が緩む。今日は霧戦、明日は雲戦。明日になったらもうこの空気は味わえないかもしれない。そう思ったらキョーヤの何もかもがかわいく思えて、愛しく思えて、そんな自分が馬鹿だなぁと思った。
 買い物をすませて、二人でエコバック片手に歩いていた帰り道。ふとアイスが食べたくなって、見かけたコンビニでハーゲンダッツのバニラプティングを二つ購入した。
 近くの公園に寄り道して、ベンチに腰かけて、二人でカップのアイスを食べる。
「ハーゲンダッツはおいしいね」
「そうなの?」
「そうだよ。他のアイスの二倍の値段するんだよこれ。その分どの味もおいしいし、ハズレがないけどね」
「ふぅん」
 ぱく、と無感動にアイスを食べるキョーヤ。興味のないことは本当に何も知らないみたいだ。ああおいしいなぁと一人感動していると、キョーヤの携帯が鳴った。並中の校歌がキョーヤの携帯の着信音らしい。
 そういえば俺は携帯を持ってないなってことに気付いたけど、別にいらないかとも思った。だって話す相手とかいないし。そもそも日本語仕様のもの買ってもわからないだろうし。
 短く「そう。ご苦労さま」で通話を終えたキョーヤが携帯を閉じて「届けたって、オーブン」「え、早くない?」「普通だよ」「そうかなぁ…」オーブンレンジを買うよう命令されたクサカベって人にちょっと同情する。きっとキョーヤから電話がかかってきて、やってること全部投げ出してオーブンを買いにダッシュしたんだろう。本当ご苦労さまだ。
 アイスを食べ終わってカップを空にする。公園のゴミ箱はいっぱい状態だったのでビニール袋にゴミを入れてぐっと伸びをして立ち上がった。キョーヤはまだアイスをつついてるようだ。
「キョーヤ」
 呼んでも返事がなかったけど、俺の声は聞こえてるだろう。晴れてる空を見上げながら「お前に会えてよかったよ」と言うと「何それ」と機嫌の悪そうな声が返ってきた。うん、機嫌悪くなるだろうなぁと思った。でも大事なことだから、できればそのまま聞いてほしい。
「俺、これが終わったらこっち側の仕事は引退しようと思う」
「…だから、何それ。どうして」
「性に合わないなぁって、改めて思ったんだよ。俺は特別強くもないし、戦えないし、できることは一般人のそれにちょっと尾ひれくっつけた程度だし。そんな俺がさ、半端な気持ちで足突っ込んでたら、いい迷惑だろ?」
 笑って言ったつもりだったけど、キョーヤには逆効果だったらしい。ざくざく響いた足音とぐいと襟首を引っぱられてちょっと咳き込む。こらキョーヤ、苦しい。
 灰の瞳で俺を睨みつけるキョーヤは明らかに機嫌が降下していた。
「怖いの? 戦えないで死ぬことが」
「そういうわけじゃないと思うんだけど…怖いのは、あるのかな。かもしれない」
 怖いのか、と訊かれてスクアーロが鮫に食い殺されたシーンを思い出した。あんなふうに死ぬなら銃撃一発食らって逝く方がまだマシだ。うん、ああいう死に方を見ると、怖いとも思う。
 怒りさえ滲ませてるキョーヤは低い声で「あなたは勝手だ」と俺のことを罵った。それに空笑いしか返せない。俺はどうしてキョーヤにこんなこと話してるんだろうか。せめてリボーンに話せっていう。キョーヤは何も関係ないのに。
 キョーヤは関係、ないだろうか。本当に?
「僕がリング争奪戦を戦うのは、強い相手と戦いたいからだ。今もそれは変わらない。正直ボンゴレとかマフィアとかどうでもいいと思ってる」
「うん」
「でも、もしそのボンゴレの雲の守護者ってものになって、あなたがそばにいてくれるなら。僕はどんなことだってするつもりでいる」
 珍しく饒舌なキョーヤ。俺の襟首を離すと「あなたがいないなら僕が頑張る理由がなくなる。指輪だって捨てる」と言い切った。
 それは困る。かなり困る。ここまで来て試合放棄で負け、なんてなったら俺は永遠にボンゴレから追われる立場になる。
 そっと手を伸ばして、俯いているキョーヤの手を握った。「キョーヤ」と呼ぶと視線だけが上がる。灰色の瞳に見つめられて「ありがとう」と言うとキョーヤは眉根を寄せた。ごちんとキョーヤの額に頭をぶつけて「俺さ、きっと弱いんだ。すごく弱いんだ。だからキョーヤに言ってほしかったのかも…僕がいるって」「……馬鹿でしょう」「うん。そうだね、きっと」キョーヤの手がぎゅっと俺の手を握り返した。灰色の瞳に見つめられて、キスしたいな、なんて思ったとき、
「おう、ようやく発見したぜお前ら! つか何やってんだ…?」
「、ディーノっ」
 慌ててキョーヤの手を離して距離を取る。今の、完全に見られた。にやっと笑ったディーノが「いや、見たら分かるだろって話か。わりぃな邪魔しちまってよ」「いや、そういうわけじゃ、ないけど」なんとか笑う俺とは別に、キョーヤはじゃきんとトンファーを展開した。どこかに折り畳んで持ってたらしい。ゆらりと一歩踏み出すと「本当邪魔だよ。今日こそあなたを咬み殺す」と言って問答無用でディーノに殴りかかっていった。さっそく応戦してる辺り、ディーノがやってきた目的はキョーヤのコンディションを確認することにあるようだ。
 はぁと息を吐いてベンチに戻ると、食べかけのハーゲンダッツが放置されていた。キョーヤはあんまりアイスが好きじゃないのかもしれない。もったいないので俺が食べておこう。
 ハーゲンダッツの余韻を味わっていると、缶コーヒーを持ったロマーリオがやってきた。にやっと笑ってるところを見るにロマーリオもさっきのを見てしまったらしい。
「皆まで言うな! って顔してるぞ」
「あ、ははは」
 苦笑いと空笑いをすると、ロマーリオがベンチに腰を下ろした。「俺は思うんだがなぁ」「うん?」「リボーンがお前を呼んだのは、こういう展開にしたかったんじゃないのかってな」「…何それ。いや、俺ノーマルなんだけど」「ほう?」「疑わしい目で見ないでよ。ホントだよ…」ちらりとキョーヤに視線をやる。今は凶暴な灰色の瞳は、弱さなんて欠片も宿していない。
 でもかわいいときもあるんだよ、キョーヤだって。そんなこと考えてる時点でもうノーマルなんて言えないのかも俺。
 アイスのカップを空にしてビニール袋にゴミを入れる。ああしまった同じスプーン使っちゃったな、間接キスだなとか思ったけど、俺達普通にキスしてた。間接ぐらい全然問題ない。あれ、問題ない…うんまぁいいか。問題なし。
 ばんと俺の背中を叩いたロマーリオが「まぁなんだ、道は険しいかもしれんが友は大勢いる。頼れよ」「はぁ」「愛なんてのはそんなもんだ」「はぁ…」気のない返事をする俺にロマーリオは笑っている。そのにやっとした笑いはどうにかなりませんか。なんか恥ずかしいじゃんか俺。
 今日は霧戦、明日はキョーヤの雲戦だっていうのに、日常と非日常は器用に噛み合って、いつもと同じ、変わらない時間を刻んでいく。
(…俺がいないなら指輪捨てる、か。じゃあ俺がいないと駄目だよね)
 ベンチに片膝をついて顎を乗っける。ぼんやりキョーヤとディーノの接戦を見ながら知らず口元が笑っていた。
 うん。じゃあ俺は、ここにい続けようか。それがキョーヤのためで、俺のためなら。