あなただけが僕の特別

(なんなの? 白蘭にべたべたされてまんざらでもないって顔して、あれって浮気じゃないのか? それで僕に先に帰れとかどういう了見だよ)
 苛々が行動に出て、気持ちを落ち着けるためにと淹れたお茶の湯のみを握る手が軋んでバリンと握り潰していた。
 はー、と深く息を吐いてお茶のかかった手を払う。
 一つ、駄目にしたな。馬鹿みたい。…本当に馬鹿みたい。
 あんなの子供にじゃれつかれてるのと変わらない、そうだろう。いや、犬猫にじゃれつかれてるレベルだ。いちいち動物に好かれてる彼に嫉妬していたら僕がしんどいだけだ。

 嫉妬。

「…くそ」
 割ってしまった湯のみを片付け、ビニール袋に投げ入れていたら、指を切った。ち、と舌打ちして赤い色の玉が滲んだ指先をくわえる。濡れた机を拭くためにシンクの上の台拭きを掴んで、細かい欠片はぶちまけたお茶もろともビニール袋の中に落としていく。
 ……駄目だ。全然駄目だ。落ち着けない。先に帰れと突き放されたから帰ってきたけど、やっぱり、そばで睨みを利かせていればよかった。変なことされてないかな。キスとか。ああ駄目だ、考えたら余計に苛々してきた。
 適当に台拭きで机を拭ってきれいにし、切った指を水道水で洗って、がうるさく言うだろうからとちゃんと消毒をしてから絆創膏を貼る。
 じわり、とガーゼの部分に染みていく赤い色を睨みつける。
 馬鹿みたいだ。何をこんなに人に振り回されてるんだろう。僕ともあろう者が。並盛の支配者である雲雀恭弥が、誰かがいないと駄目で、誰かのために心を割くなんて、本当に、馬鹿みたい。
 あの白蘭は絶対にが好きだ。同類として断言できる。僕と同じでその想いは性別なんて超えている。きっと簡単に脱いでみせるだろう。それでが堕ちるのなら。
 いても立ってもいられなくなって玄関に取って返してガラリと引き戸を開け放って、今まさに帰宅しようとしていた彼とばったり鉢合わせた。
「あ、ただいま」
「……、」
 おかえり、と言おうとしてぐっと唇を引き結ぶ。
 言ってやるもんか。僕は苛々してるんだから。絶対折れてやるもんか、と顔を背けた僕に彼は困った顔をしている。
「怒ってる? ほら、腕時計もらうのと、明日の作戦の詳細を聞いてきただけだよ」
「…嘘だ」
「嘘? なんでそう思うの」
 なんで、と問われて、明確な答えが返せなかった。
 なんでって、なんでも、が一番近い答えだ。あなたを好きな人間の一人としてそう感じた、それだけで、証拠も確信もないけど。でも。泣けてくるくらい、あなたのことで胸も頭もいっぱいで、自分でもよくわからないよ。
 じわりと滲んだ視界。そんな僕に気付くとは慌てた顔になって「あー泣かないで、泣かないでよ」と僕を抱き上げるからべしと頭を叩いてやる。「下ろせ」「嫌です」ぴしゃ、と片手で引き戸を閉めた彼が僕を連行する。「下ろせっ」と頬を思いきりつねっても痛そうな顔をするだけで手離そうとしない。
 僕は、泣いてるところを見られるのなんて嫌いなんだ。あなたにだけ見せるけど、本当は、泣きたくなんてないし。涙なんて視界を邪魔するだけで、いいことなんて一つもないし。
 …ああ。泣けるくらいあなたのことを想ってるって、そう伝えられるのなら、涙にも意味はあるのか。
 器用に靴を脱ぎ、僕を抱き上げたまま階段を上がった彼は、自室に入ると僕をベッドに落とした。ちょっと乱暴だ、と睨み上げると靴を脱がされる。そういえば履いたままだった。
「指、切ったの? なんか割った?」
「…湯のみ」
「そっか」
 靴を置いたが膝をついた形で僕を見上げてくる。
 蒼い瞳。僕の海で僕の空で、僕の、全て。
「明日まで、最低でも日付が変わるまで、戦闘はないよ」
「…だから何?」
「だから、シよう」
 するりと足に絡まってきた手に顔が熱くなった。ばしっとその手を振り払って「都合がいい。そんなものには騙されないっ」と叫んだのに、寂しそうに細められた蒼い瞳を見たら心臓がちくりと痛んだ。そういう顔を、させたいわけじゃ、ないのに。
 ちゃんと言わなくちゃ。言わなきゃ伝わらないんだ。恥ずかしくても、自分でもよくわかってなくても、ちゃんと、言わなくちゃ。言葉にしなくちゃ。
「ご、ごまかされるの、いやだ。ちゃんと言って。じゃなきゃシない」
 ぐす、と鼻を鳴らす僕に困ったなと笑った彼が腕時計を差し出してきた。明日は僕が出るからそれがあるのは理解できる。でも、なぜか二つある。戦闘参加資格を得るこの時計、作戦人数以外の余分なんてなかったはずだけど。
「明日は俺も出る」
 え? とこぼした僕に唇を寄せたがズボンの上から膝にキスしてきた。唇をこすりつけられて意識が必要以上に膝に持っていかれる。「ディーノに譲ってもらったんだ。大丈夫、役に立つよ」布越しでもわかる熱い舌に膝小僧をなぞられて背筋がざわつく。
 まだ、ちゃんと聞いてない。堪えろ。
「ろくに戦えないくせに」
「うん。でも大丈夫、絶対役に立つよ。保証する。俺には守護神がついてるんだ」
「…?」
 なんの話だと首を捻る僕にやわらかく笑ったが「明日になれば全部わかる」と言う。
 そういえば、の大事な話っていうのがまだだ。それも明日なんだろうか。

 俺の全部が知りたいかとあなたは問うた。
 僕は全部知りたいと答えた。全部知っても俺を受け入れてほしいと言った彼に、僕があなたを拒絶するなんてありえない、と返した。
 今でも気持ちは変わらない。
 あなたが僕を好きでいるなら、愛しているなら、僕だって同じものを返す。
 たとえあなたが僕以外を好きになっても離してやらない。いつか僕から離れたいと思っても、こんな心の狭い僕に愛想を尽かしたとしても、どこにも行かせてあげないから。縛ってでも、監禁してでも、あなたを僕に繋ぎ止める。

(明日になれば……。でも、明日は、これまで戦った中でも強い化け物と殺り合うんだ。無事でいられる保証はない)
 ちゅ、とシャツの上からお腹にキスされた。こすりつけられた唇と舌の感触が布越しなのが煩わしい。取っ払ってしまいたくなる。でも、駄目だ、それじゃ彼の思惑どおりすぎる。
 騒ぐ身体を意志で必死に抑えつける。唇を強く噛んで、痛みで背筋をむずむずと騒がせる感覚を追い出そうと努力する。
 の顔が順番に上へと迫る。肋骨にもキスされたし左右の胸にもキスされた。鎖骨にも、首筋にも。
 肌をなぞる熱い舌がすぐそこなのに、焦らすように顎の舌辺りをいつまでもチロチロと這っているのが気に食わない。ときどき喉仏を刺激して、たまに耳に移動して、また首に戻って。ああ、もどかしい。
「明日、終わったら、ちゃんと話すから。キョーヤのこと愛したい。駄目?」
 ちゅう、と音を立てて肌を吸われた。愛したいと言われた身体が理性を振り切ろうとしている。
 ふ、と息をこぼして霞む視界を凝らす。中途半端な刺激にどっちなんだと身体が悲鳴を上げている。
 身体の中心で生まれた、心臓辺りで生まれたそれは、全身に送り出される血液よりもずっと速く僕を支配した。
 …もう我慢できない。触ってほしい。全部に。指で、掌で、唇で、舌で、触れてほしい。
 触って。僕に、触って。
「ちゃんと、話して、くれる?」
「うん」
「……じゃあ、いいよ」
 身体を支配する欲望に負けた。身体の強張りが完全に抜けてベッドに手をついた僕のシャツのボタンを、ぷち、ぷち、との手が一つずつ外していく。
「俺はお前を愛するために生まれてきたんだ」
 耳元でそんな愛を囁くに霞む視界を細くする。唇がかすめた耳がすごく熱い。犯されたみたい。「なにそれ」「ほんとのことだよ。お前と愛し合うために生まれてきたの。叶ってよかった。本当によかった」はだけたシャツの胸元に熱い口付けが降ってきて、がり、と立てられた歯に声を殺しながらベッドに転がった。

 愛するために。生まれて。愛し合うために生まれて?
 そんな都合のいい話。あなたに会うまで愛なんて知らなかった僕にはわからないよ。
 あなただけが僕をこんなにする。あなただけが特別なんだ。あなただけが。

「ん…ッ」
 胸の突起にしゃぶりついたがベルトを外しにかかっていた。
 舌の先でぐりぐりとこねくり回されるだけで興奮している僕は変なのかもしれない。にだけだけど。
「キョーヤは俺のこと好き?」
「ん、すき」
「本当?」
「僕は、うそなんて、つかない。嫌いだもの」
「そうだったね」
 ベルトが外されてチャックも下げられる。触れられて、彼の指に震えるくらいに悦ぶ自分の身体がいやらしいと知りつつも、早くもっと触ってと彼を求める。指でも掌でも口でもなんでもいい。触って、僕を愛してるって教えて。
 口と口をくっつけてキスをして、熱い舌を求め合いながら目を閉じる。
 明日。明日になったら、全部。