これが、しあわせのかたち

 痛み、で目が覚めた。
 まだぼんやりしている頭で視線だけ巡らせる。
 わかるのは、窮屈なくらい包帯が巻かれている肩の曖昧な痛みの感触と、ここが救急車のような車内だということ。そして、そこから出ていこうとしている知っている背中。

 掠れた声で呼ぶと、彼は僕を振り返って困った顔で戻ってきた。「まだやることあるんだって。あ、戦いは終わったよ。お前は先に病院」「やだ」動く方の手を伸ばして手首を捕まえ、絶対離してやるもんかと強く握る。
 絶対に離してやるものか。僕以外のところなんて、行かせるものか。
 訊きたいことがたくさんあるんだ。話してくれる約束だ。ちゃんと守ってくれなきゃ。
「…すぐ戻るよ。大丈夫」
 ちゅ、と額にキスされて、甘い顔を押しのけてやろうと思ったとき、力を込めていたはずの指の感覚が曖昧になっているのに気付いた。上手く動かない。そういえば、肩、さっきまで曖昧でも痛みを感じたのに、もう何も感じない。なんで、と思った僕の視界を掌が塞ぐ。「モルヒネだよ。痛み、もうないだろ」と言う声が、遠い。
 、嫌だ、行かないで、どこにも行かないで。伝えたいのに、口が上手く動かない。
 あとお願いします、とぼんやりした声が聞こえたのが最後。僕を置いて行ってしまう遠い背中を最後に、意識が泥沼へと沈んだ。
 次に目を開けたときは病院で、施術もすんだあとで、はちゃんと僕のそばにいた。「おはよう」と笑う顔をぼんやり見上げて、ぷい、とそっぽを向く。
 そばにいてくれたことが嬉しかった。目を覚まして一番にあなたを見つけたことが嬉しかった。…そんなことが悔しい。
「まだ痛いだろうけど、ボンゴレの最新医術で治療したから。ちゃんと治せばもとどおり動くよ」
 だんまりのままの僕に首を傾げた彼が「あ、風紀委員のこと心配してる? 学校は怪我でしばらく行けないだろうってクサカベに言っといたよ。で、どうしてもキョーヤが必要な仕事はここに届けてくれってお願いしたから」「…」「うん」じろりと睨んでも笑顔しか返ってこない。
 何勝手なことしてるんだ。…その指示でよかったけど。
「説明して。なんでアレがあなたに取り憑いてるんだ」
 アレ、で示したのはあいつだ。僕とそっくりの顔をした奴。今はいないけど、 D・スペードのときに出てきてを守り、今回も彼を守った。
 それで救われたことも確かだから、彼を守る何かがいるというのはまだいい。問題はそれが僕そっくりの奴で、初代の守護者の一人で、会話から察するに、あいつはのことが好きだったってことだ。そして、も、多分彼を。
 睨んでいると、降参と両手を挙げた彼が「わかった、全部話す。順番に話すから、これだけは頭に置いといてよ。俺はキョーヤのことが好きで愛してる。これを忘れないで」いい? と確認してくる彼の真面目な顔に、仕方なく頷いておく。
 ………寝起きの頭に長い話を叩き込んで、咀嚼した頃には、モルヒネの副作用による眠気がひどくて目が半分しか開いていなかった。大事な話の最中なのに。
 僕が寝そうなことに気付いたが苦笑いして「いいよ寝ても」と甘いことを言う。馬鹿じゃないのか。こんな大事な話の最中に寝落ちなんてできない。
 忘れないように、寝ないように、と聞いた話を振り返る。
「アラウディが、僕の先祖とかいうやつで。僕は彼の遠い子孫で。同じ血が流れてる…」
「そう」
「…あなたは、前世があって、アラウディと想い合ってたけど、病気で死んで……あなたの生を願ったアラウディが、自分の魂を引き裂いて、今もあなたを守ってる?」
「そのとおりです」
 よくできました、と頭を撫でる手を払いのける。眠気で力は入らなかった。
 中途半端にベッドから落ちた手を握る手は変わらない。知っている温度だし知っている形だ。よく知っている。何も、変わらない。
 僕と違って少し癖のある、線の細い、赤みがかった茶色の髪。空みたいに蒼い瞳。
 裁縫からヘリの操作までなんでもできて、まだ日本語が苦手で、誰にでも甘い顔をして笑う、誘惑するとすぐ堕ちる、僕を愛してる人。僕の愛してる人。
 今まで色々とおかしな現象に遭遇してきたし、今回の代理戦争だってそうだったけど。こんなこと考えもしなかったけど。あなたの本当を知って、それでも変わらない気持ちにほっとしてもいた。
 正直に言うと、僕以外に好きな人がいたという事実には胸が痛んでる。今回だって完全に自分を守るアラウディを信じて頼った結果だ。その信頼度は僕へのそれより大きいし強いと思う。
 それが悔しいし、痛いとも思うけど、僕はそれを超えることができる。
 だって、生きているんだから。死者になんて負けてやらない。
 眠い目でぐっと腕をついて起き上がる。「キョーヤ、寝てた方が」と心配する彼の顔にべしと手をくっつけた。あったかい。生きている。…よかった。
「僕のことが、一番好きなんでしょう」
 うん、と頷いた彼が僕の手を握る。馬鹿みたいに緩んだ顔だ。
 ほんと、馬鹿だ。僕も、あなたも、それから、アラウディも。
「……じゃあもういい。あなたが生きてて、僕のそばにいて、これからも一緒に生きてくれるなら…愛してくれるなら、それでいい」
 僕が言えることなんてそれくらいだ。あとは何を言っても今には合わない気がする。彼の本当に対して僕が思ったことは、変わらない気持ちだけなんだから。
 愛してほしいし、愛したいし、愛されたいし、愛してあげたい。大事にしたい。この手を握ってくれる人を。なくしたくない。誰にもあげたくない。に一番愛されていいのは僕だけだ。
 プルプルしてる彼に首を捻ったところで遠慮なく抱き締められた。肩が痛い。「キョーヤぁ愛してる! 愛してるようぅ」なんでか泣き出すから、彼の大げさな反応に僕は呆れてしまう。
 僕があなたを否定するとでも思ってたんだろうか? それこそ馬鹿な話だ。あなたがいないとまともな生活すらできないこと、知ってるだろう。
 …ああ、眠いな。寝てもいいかな。大事なことは聞いたんだし。とりあえずは納得した。あとはもう少し頭が回るときに考えたい。「ねむい」「うん、寝ていいよ」「…このままでねるの?」「うん」離す気のない彼に、吐息して、目を閉じる。そうして欲しいなら…そうしてあげるよ。
 虹の代理戦争というのはこうして終結し、僕の怪我が全快すれば、いつもと変わらない日常が戻ってきた。
 並盛の風紀を守るために平日は学校で風紀委員を指揮し、休日は家でごろごろする。は相変わらず家事炊事をしてて、日本語の勉強を頑張っている。
 …変わったことといえば。風紀委員や周囲に対して誤魔化していたとのことを開き直るようになったことくらいだ。
「委員長、お話とは…」
「全員集まった?」
「はっ」
 敬礼する草壁に、体育館にずらりと整列している風紀委員を眺めて、脇で微妙に固まってるを引っぱってマイクを持つ。
 今日は白のスキニーに淡いストライプの入ったシャツ、ベストという小奇麗な格好のが「あの、キョーヤ、全員集めて何するの? 俺いるの?」困惑気味の彼の首根っこを捕まえて全員によく見えるように教壇の上に立たせて、
『この人、僕の旦那だから』
「…はい?」
『手を出した奴は咬み殺す。以上。散会』
 ブツ、とマイクのスイッチを切って草壁に投げて返し、を引きずって体育館を出る。「キョーヤ、今のいいわけ?」と困惑する彼に視線を投げて、前へと戻す。
 いいんだ。これで。
 跳ね馬にからかわれても開き直ってそれが何って言ってやる。は僕のものだって知らしめてやる。名実ともに僕の人にしてやる。アラウディになんて負けてやるものか。
 応接室に戻って、学校来ちゃったし、判子押しくらいやるよと仕事を手伝おうとする彼をソファに押し倒す。「キョーヤ」と困った顔で書類の皺を気にする彼が馬鹿みたいだ。そんなものは代わりなんていくらでもできるけど、あなたの代わりはできないのに。
 目にかかってる茶色の髪を指で払いのけ、顔を近づけて唇を触れさせる。ちゅう、と肌を吸って、彼の真似をして耳や鼻の頭にキスを施した。
 穴が開くかと思うくらいこっちを見つめてる蒼い瞳に目を細める。
 あなたは僕だけ見ていればそれでいいんだ。僕でいっぱいになればいい。外事なんて全部忘れて僕のことを想えばいい。
「僕のこと好き?」
「好きだ」
「愛してる?」
「うん。愛してる」
 応接室にいるのに仕事を放棄して身体をくっつけて顔を寄せ合っていると、ガラリと無遠慮に扉が開いた。誰が来たって気にしないと決めていた僕とは違い、「あ、ディーノ」とこぼした彼が若干照れくさそうな顔をしている。「よお。っと、お邪魔だったか?」わざとらしい言葉と想像できるにやっとした顔に「そうだね。あなたはいつだって邪魔だ」と返しての鎖骨をかじる。甘噛みしていると「煽らない」と頭を離された。おいしいのに。
 はぁ、と吐息したが「寝転がったままで悪いんだけど、ディーノの話は? リボーンになんか頼まれた?」と跳ね馬の来訪の目的を訊ねる。…前までなら絶対速攻で堕ちてたのに、前世ってものを思い出したからか、最近の彼は誘惑に負けない。つまんないの。
「ああ、そうなんだ。ってことでちょっといいか」
「どーぞ座って。キョーヤが退かないから俺はこのままだけど…」
 暗に退いてと言っている彼から顔を背けて、カシミヤみたいにふわふわのベストの胸に頭を預ける。退いてやるもんか。
 赤ん坊の名前が出てきたということはボンゴレ関係の話だろう。僕はさして興味がないけど、が置かれた状態は知っておきたいので、黙って話を聞く。
 わざわざやってきてなんの話かと思えば、沢田綱吉がボンゴレ十代目になることを頑なに断るから、ネオ・ボンゴレ1世と名前を新たにしてみた…らしい。その中身はといえばボンゴレ十代目と何も変わらないらしい。それで沢田の気を引こうとしてるとかなんとか。
 ………ネオボンゴレ1世だとかすごくどうでもいい。ままごとじゃあるまいし。
 そんなくだらないことを言いに来た跳ね馬が去って、「ほら、仕事しないと」と促されて、仕方なく起き上がる。ソファに座って欠伸をこぼす僕の前に帳簿と書類を積み上げて鉛筆を用意した彼に、仕方ない、と仕事を始める。
 彼は僕の隣で判子押しの書類を片付け始めた。
 パラ、トン、パラ、トン、パラ、トン。
 規則的な音が響く中で、彼の肩に頭を預けた。斜めの視界で雲雀恭弥とフルネームでサインを書く。少し歪んだって構いやしない。
 十五時になって「あ、俺買い物して夕飯の支度しないと」と言う彼に、仕方なく校門まで見送った。「じゃー帰るときメールな」「うん」あとでと手を振られて小さく手を振り返し、遠ざかっていく背中が見えなくなるまで眺めていた。
 これが僕の日常なんだ。僕との今なんだ。
 これからもずっと一緒に生きていく。二人でたくさんの幸せを見つけて、大事に抱き締めて、死ぬまで、ずっと。
「…馬鹿みたい」
 簡単に想像できた未来に笑って、笑った自分の頬をつねった。痛い。ほら、夢じゃない。
 この先、もう迷うものか。どんなときでも僕の答えは決まっているんだ。何を選ぶのかなんて考えるまでもないんだ。
(あなたを、愛している。誰よりも、何よりも)
 僕は、あなたと、幸せになる。