俺の名前は、今年で……あれ、今年でいくつだっけ。忘れちゃったけど、二十代で、ボンゴレファミリーっていうマフィアの構成員の一人として日夜問わず労働に勤しんでます。
 え? なんでかって?
 一言で言うと、ろくでもない親が残した多額の借金返済のため。
 そのためにマフィアという組織でタダ働きをしているのです。
 日夜問わず、仕事を振られれば頑張ってこなす。いや、こなさなきゃならない。それが俺って人間の今のところの人生だ。
 普通の人よりはちょっと不憫な人生を送っているとは思う。
 でもそれはまぁ、しょうがない。随分と前にそう思うことにした。
 なんで俺が、なんて喚いたところで現実は変わらないし、なんで俺が、って泣いたところで銃を手にしなければいけない現実は消えない。なんで、なんで、と嘆いたところで、人を殺さなければならないことに変わりはない。
 それは悲しいことだし、苦しいことだし、辛いことだし、だけど、やらなければならないことで。それは絶対、絶対、変わらない現実で。
 年々目減りする、返済すべき借金の金額。それが記されたタブレットの項目をぼんやりと眺め、ピン、と指で弾いてアプリを閉じる。
 たとえば借金が無事返済できたとしよう。それでマフィアという場所から卒業できたとしよう。
 それで俺って人間がカタギに戻れるかといえば、答えはノー、だ。
 人を殺す仕事をしてきた。裏の社会というものを見てきた。一般人なら知る由もないような世界をたくさん、たくさん、見てきた。
 だから俺は、たとえ借金の返済を終えたとしても。体がこの労働から解放されたのだとしても。心が解放されることは、一生、ないのだと思う。
 この世界の事を忘れるには、俺は長居をしすぎてしまった。

「………?」

 そんなことを考えているとパラパラと何かが降って来た。……桃色の花びら?
 顔を上げれば雲雀が無表情に俺の頭に花びらを散らしている。「ひ、雲雀?」「あげる。咲いてたから」「え。あ、うん」咲いてたって、花をあげるんじゃなくてその花の花びらをわざわざ散らすってところがなんだか雲雀らしい。

「珍しいね。憂いた顔」

 あれ、俺そんな顔……いや、まぁ考えてたことがアレだからそういう顔にもなるか。
 ぱっと表情を切り替えていつもの笑顔になって「なんでもない」と笑うと、途端に雲雀の眉間に皺が寄った。がっと問答無用で顔を掴まれてなんか知らないけどぐにぐにされる。「いて、いへぇ」力強い。骨軋む。肉がぁ。「で? 何を考えてたの」ギリギリ力を込めてくる雲雀に俺なんかが敵うはずはないので、大人しくさっきタブレットで消した項目、俺の借金返済額が記された通帳みたいなアプリを呼び出してずいっと押しやると、受け取った雲雀がその金額に目を細くした。「このままのペースだと、もう十年はかかりそうだ」現実的な数字を口にする声に今度は素直に笑う。
 本当、その通り。
 俺はここで青春も何もない日々を過ごして、仕事に忙殺されて、命を危険に晒しながら生きて、運が悪ければ死ぬし、運よく借金を完済するまで生きたとして、その頃には立派なおっさんになっているだろう。
 笑っちゃうような、ツイてない人生だ。

「借金返済できたとしても、その頃には俺、くたびれたおっさんだね」

 苦く笑った俺に、雲雀は眉間に皺を寄せた。今日イチの皺の寄った顔だ。イケメン台無し。
 タブレットをテーブルに放った雲雀がどこかへ行ったかと思えば、休日は携帯は持たない主義だとか言っていつもベッドに放ったままのものを取りに行ったらしく、寝室で何か電話を始めた。仕事かな。
 横になっていたソファからむくりと起き上がって、今日は休日だよ、と無理矢理取らされた有休日を思う。
 さて、取らされたとはいえ、せっかくの休みだ。今日は何をしようか……。
 誰かに電話をかけながら戻って来た雲雀は、「うるさいな。二言はない。僕の口座から引けばいい。その代わり、彼の今後は僕に任せてもらう」じゃあ、と無理矢理通話をぶち切った雲雀は黒い着物姿だ。裸足の足でぺたぺた歩いてくると、さっき放ったタブレットを取り上げる。それで俺の借金の現状が記録されてるアプリの画面を見せてくる。
 いや、さっき見たし。今見たところで何か変化が起きているわけ……………。

「んっ?」

 思わずタブレットを掴んで、表示されている数字を凝視する。何度も目を擦る。
 ゼロ。
 日本円にしてまだ一千万くらいはあったはずの借金が、ゼロ、に、なってる。「え、何。なんで……あ、わかった、アプリのバグ的な、」「違う。僕の今の電話でチャラにさせたんだよ」ぎ、と隣に腰かけて足を組んだ雲雀の言葉にぽかんと間抜けな顔をしてしまう。「いや、だって、一千万あって……」「それが?」「え。ええと」雲雀の家が名家だってことは風の噂で知ってるし、このボンゴレの幹部である雲雀の給料っていうのはそりゃあいいんだろうと思う。実際、雲雀が受ける仕事は危険なものであることが多いし、その分報酬金額だって大きいだろう。
 でも。そうだったと仮定して。俺の借金を、雲雀が返済する必要性は、それこそゼロだ。

「なんで」
「なんで? 察しが悪いね」

 君らしい、とぼやいた雲雀の、人を殺すことも簡単なきれいな指が頬を撫でる。そのまま首筋をなぞって鎖骨に届いて、ぷち、と俺の服のボタンを外し始めた。

「これで、君は、僕のものだ」

 そう言って鎖骨に口付け、肌を吸い、自分の所有印だとばかりにキスマークをつけた雲雀をぽかんとした顔のまま見ていることしかできない。「」吐息と一緒に呼ばれて、キスされて、どさ、とソファに倒される。
 俺のことを見下ろしてくる雲雀が。どうしてこんなことをするのか。俺にはいまだにわからない。

「何度も言ってるけどさ。お前のイケメンなら、女はいくらだって抱けるよ」
「それこそ何度も言わせないでくれる。女に興味はないんだ。抱いたってとくに何も感じない。君、興味のないものに対して思うことがあるの」
「ええ……いや、そういう贅沢なものは、俺にはなかったから。わからないけど、さ」
「僕は君とこういうことがしたい。それだけだ」

 シャツのボタンを全開にされて、肌に埋まる唇の感触のこそばゆさに片目を瞑る。「今後は僕が君に給料ってやつをあげるよ。それでいくらでも好きなことをすればいい。女を抱くのも、アパートを借りるのも、好きにすればいい。君の自由だ」「……じゆー」俺が得るとしてもまだまだ先だと思っていたものが唐突に降ってきて、正直、困惑していた。急に自由だとか言われてもなぁ。
 しゅる、と紫の帯を解いた雲雀から黒い着物がずり落ちる。
 好きにすればいいとか言いながら。全然俺の好きにさせる気のないその顔に、はぁ、と一つ息を吐く。

(別に、雲雀のことは嫌いじゃない)

 並盛にいた頃は、風紀委員長とかしてた頃は、トンファー振り回して怖い人だなぁくらいしか思ってなかったけど。あの頃と比べると今の雲雀は多少丸くなったというか、大人になったというか。あと色気が増したかな。
 ぢゅう、と俺の肌を吸ってあちこちにキスマークをつけてようやく満足したのか、顔を上げた雲雀がぺろりと唇を舐める仕種をする。

「ねぇ、もういらないよ。嘘の笑顔」
「え」
「嫌いなんだ、君が自分を騙して笑う顔。それで僕を騙せてると思ってるところも大嫌い。
 僕の前でくらい、ちゃんと、笑って」

 俺の上に乗っかった雲雀はまぁまぁ重い。だけどどこか恥じらうように視線を伏せて俺の手を誘う指は、普段のこの人からは考えられないくらいに繊細さに溢れていた。
 ボンゴレの一構成員。ただそれだけでしかない俺のことなんて、見てる人なんて、いないと思っていたのに。
 ………嘘の笑顔。
 どうせ銃を握るのならば。借金の返済という名目で働かなければならないなら。人を殺さなければならないなら。泣いて過ごすよりも、笑え、と言い聞かせてきた。
 それを見抜いて嫌いだと言ってきたのはお前が初めてだ。
 だから、俺はちゃんと笑って、雲雀の手を握って寝室の方を示す。

「ここ狭い。あっち行こ」
「…ん」
 最初に一緒にベッドに入ったときは、俺はまだ雲雀恭弥という人に対して遠慮をしていたし、体は固まっていたし、キスをして、体を触り合うだけで、あとは広いベッドで普通に眠った。
 そんな夜を何度か過ごした頃、俺とキスしてる雲雀がなんとなくかわいいと思えてきて、舌の奪い合いをしながら偶然手が掠って、雲雀が興奮してることを知ったから。そんな雲雀に俺も興奮してしまって、お互いの雄を手で扱いて抜き合った。
 次にベッドに入ったときにはセックスに必要なものっていうが全部揃えられていて、いやでも急には入らないのでは、と自分が受け前提で少ない知識で考えていると、着物を脱いだ雲雀が俺に向けてぽかりと広がった孔を見せてきて。羞恥心を殺して唇を噛んでるその顔に理性ってやつが振り切れてしまい、なんとかゴムはつけたけど、そのあとのことはよく憶えていない。
 次に気がついたら、何度かお世話になってる寝台の上だった。「……?」ずり、と顔を動かしてみれば、いつものように俺のバイタル値その他を機械が計測している。滅菌殺菌消毒の文字が空間に踊ってる。
 それで、白蘭、という全身白っぽい服装の人が計器から目を離さずに「やぁ、目が覚めた?」と気さくにかけてくる声に「はい」と返事をして雲雀の姿を探したけど、なかった。

「いやぁ、全体的にはいい傾向なんだけどね。やっぱり寿命はあるな」
「……?」
「まさかセックスで精力使い果たして解けるとは思ってなかったけどね。これはこれで修正しないとなぁ」

 セックス、という言葉に自然と視線が惑う。ここで気がつくまで雲雀とヤってたのは事実とはいえ。「あ、の」「んー?」「おれの。からだ。どうなってるんでしょーか」これまで押し殺してきた疑問。とある仕事から帰ってきてから変に気絶したりすることが増えた体のことを言うと、彼は笑った。にっこりと。「なんてことないよ。君はこれまで一生懸命働いてきたろう? それこそ人の倍くらい! そのしわ寄せが出てきてるのさ」「いや、でも、それにしては」「加齢もあるよー。もう若い頃と同じようにとはいかない。気持ちだけ若いままでいると、体はついてこないよ。肝に銘じるように」びしっと指さされ、はぁ、と曖昧な返事をする。

「いいかい? クン、君は充分頑張った。親の借金返済のために何年も無茶なタダ働きをした。
 その借金の残りも、雲雀クンが返済してくれたんだ。君はもうがむしゃらになって頑張る必要はないんだよ」

 ……そりゃあ。十代みたいな無茶は二十代ではできない、ってことはわかるけど。度々病室にお世話になるこの体は、これは、そういう問題なんだろうか。
 一通りの身体検査を受けて診療所を出ると、草壁さんが黒塗りの車で待機していた。「お加減の方は」「おかげさまで」なんでこの場に雲雀がいないのか、はなんとなく予想がついてたから、草壁さんが運転してくれる車に乗って短い距離を走ってもらい、雲雀専用の和風の建物の前で下ろしてもらい、自分の体の調子を確かめながらゆっくりと日本庭園を歩く。
 玄関の扉の横にある機械に手のひらを押しつけると、ピ、という音のあとに扉が開いた。
 ガランと広い玄関。長い廊下。何かあれば黒い服の人たちが控えている。そういう場所にもだいぶ慣れた。

「雲雀」

 ひょい、と寝室を覗くと、雲雀はベッドに転がってつまらなそうな顔をしてタブレットを弄っていた。まだ裸だ。「遅い。最悪。人とシてるときに具合い悪くなるとか」「ごめんて」なんだか消毒液のようなにおいが充満している部屋の寝具を見て、あれ、と思う。確か、シてるときは全部黒で統一された寝具だったのに。今は全部白い。憶えてないけど、そんなに汚れたのかな。
 ぎ、とベッドに腰かけて手を伸ばすとパシンと軽く払われた。…拗ねた顔してる。
 頬を膨らませて拗ねた顔とか、子供かよ、って思っちゃうけど。そういうところはかわいいよなと思う。素直っていうか、嘘が吐けないっていうか。

「……何。人の顔見て笑って」
「いや」

 もう一度手を伸ばすと、今度は払われなかった。
 艶のある黒い髪に指を滑らせていると、ぽい、とタブレットを放った雲雀が俺に抱きついてくる。「ねぇ、僕まだイってないんだけど」「え」「君も、中途半端だったはずだろ」まさか全然憶えてないとは言えず、そうだったかも、と頷くと、雲雀はベッドに転がってるローションのボトルを手に取った。「指でいいからシて。後ろでイきたい」俺が病室に放り込まれてからも弄ってたのか、雲雀の後ろの孔はやわらかいままだった。
 ゴムの袋を一つ破って指三本につけて、ローションを垂らし、やわらかい孔へとゆっくり入れていく傍らで、俺のズボンのチャックを引き下げてアンダーをずり下ろした雲雀が舌なめずりしながら好き勝手ちんこを弄ってくのがもう。なんていうの。うん。エロい。
 最終的には俺のは雲雀がフェラで抜いて、雲雀は俺が尻を弄って前も扱いてイかせるという方法でお互いの熱を発散させる。
 これ以上は倒れたばっかりの俺には自重すべきことだったから、雲雀は黒い着物を引っぱり寄せると「シャワー浴びる」と言って部屋を出て行った。
 空いたベッドにごろんと転がって、さっきまで雲雀がいた布団に丸まってみる。
 消毒液のにおいと。性のにおいと。それから。花のにおいがする。桜の。
 ベッドサイドのテーブルを見てみれば、今日も桜の枝が活けられていた。花も咲いてる。雲雀曰く、年中咲くよう改良させた代物らしいけど、その理由については言ってくれなかった。

(……そういえば)

 俺、並中を卒業だな、ってときに売られたんだっけ。
 雲雀に、風紀委員長にさようならの挨拶をしに行ったあのとき。桜は咲いてなくて、肌寒くって、まるで俺の心模様みたいに色のない景色だったなぁ。
 ぼやっと当時のことを思い出していると、シャワーから出てきた雲雀はいつも通り黒い着物を着ていた。その涼しいいつも通りの無表情からは、さっきまで尻弄られて喘いでたんだぞ、なんて言っても誰も信じてくれなさそう。「何見てるの」「んー。桜」「ああ」「ね、なんで桜?」個人的に品種改良させてまで年中咲く花にさせたのか、という意味で花瓶を指すと、雲雀は口をへの字に曲げた。

「………君が」
「俺が?」
「学校を、卒業すらできないって報告してきた、あのとき、咲いてもいなかった桜が、怨めしかったから」

 ぼそぼそとした声にぽかんとしてから、はは、と笑う。
 笑った俺に雲雀は眉尻をつり上げたけど、俺の顔を見てまた口をへの字に曲げた。それでベッドに上がってきて細い指で俺の目元をなぞれば、その指には透明な雫がついていた。

「いいんだよ、泣いて。卒業、したかったろ」
「べつに…証書なんて、あってもなくても、一緒だし」
「したくないことをしなきゃならなくなって、辛かったろう。苦しかったろう。それを誰にも言えなくて、笑顔の下に閉じ込めた。笑うことにした。それでここまでやってきた。
 偉いよ。褒めてあげる。頑張ったよ、君は。
 もう一人で抱え込まなくていい。その悪夢は終わったんだ」
「……っ」

 人を殺すことも朝飯前。そんな手が、雲雀恭弥って男が、優しく俺のことを抱き寄せるのが、まるで夢みたいに頼りない感覚で、黒くて肌触りのいい着物に額を押しつけた。
 なんでもわかってるみたいに。今日の雲雀はよく喋る。「お前は、人に興味なんてないんだと思ってた」「あるよ。並盛と、強い人間と、使える部下と、あとは、くらいだけど」…なんだそれ。
 自惚れていいのかな、俺。いいのかな。いいんだよなぁ、たぶん。きっと。