僕は自分のことを『人間として生まれるには早すぎた生き物』か、あるいは『人間としてふさわしくはない生き物』と自覚している。
 まず、人と同じことができない。
 しようと思えばもちろん真似はできる。だけどそこに意味や意義が見出せなければ、僕にとってそれはとても無価値なことになる。二度と手を出さない、思考の彼方に放り投げるほどの、どうでもいいことになる。
 次に、同じ姿かたちをしたそれらを傷つけようが、踏みにじろうが、なんとも思えない。
 僕にはきっと心が搭載されていないのだ。そう思うほどに僕は周囲に無関心であり、何事をするのも面倒で、そんな僕だったから、僕の周囲には僕の世話をする人間というのが常にいた。
 けれどそれすら僕には鬱陶しいだけだった。
 しようと思えばできるのだ。なんだって。ただ面倒で、面倒で、本当に面倒で、体を動かしたくないだけで。叱咤すればこの体は動くのだから、他人に触れられて世話されるなんてこと、冗談じゃない。
 そうやって平手で張り倒した相手は、これまでも僕の面倒を看ていた、売られた子供、だ。ウチにはそういう子供が時折やってきてはいつの間にか消えている。そのことを気にしたことはない。顔を、名前を憶える前に消えるような弱いものに割く思考も記憶容量ももったいない。
 ただ、僕がぶった頬を押さえてよろけながら立ち上がってのろのろと部屋を出ていく相手の顔は、もう、憶えていた。

「これはいらない」
「、」
「桃缶。ちょうだい」
「はい、すぐに」

 それまでよろけていたくせに、僕の言葉を聞くなり相手は飛ぶようにして部屋を出ていく。廊下をバタバタと走って誰かに怒られている声がここまで聞こえる。
 ぼふ、と布団の上に転がって、用意された朝餉には手をつけずにぼんやり庭を眺めていると、そのうち早足の足音が部屋へと戻ってきた。「恭弥さま、桃缶です」可能な限り急いだのだろう、上気した頬に肩を上下させながら部屋に入ってきた相手をごろりと転がって眺め、仕方がなく起き上がる。
 言いつけを守ったんだ。それくらいなら食べてあげよう。
 だから、僕はいらない、とまだ湯気のある朝餉の盆を押しやると、相手には困った顔をされた。「一口も、召し上がらないのですか?」「君が食べればいい」「え」「どうせろくなものをもらっていないんだろう」いくら着物を着せて誤魔化したところで、僕の世話役なのだ。その僕の目を誤魔化せるはずがない。
 相手は口ごもったあと、こくん、と一つ頷いた。

(そう。嘘を吐かないのはいいことだ。素直なのは好きだよ)

 僕が食べろと命じれば、相手は大人しく箸を手にして朝食を食べ出した。今までよほどの扱いを受けていたのか、味噌汁をすすってご飯を食べながら泣いている、そんな相手を、桃をつまみながらぼんやり眺める。
 その日の夜、僕は屋敷の人間を呼びつけ、僕の世話役の世話をしているのは誰かと問うた。
 答えないで沈黙を守る大人にはその場で制裁を与えた。キッチンであらかじめ手に入れておいたナイフで首の動脈を切って蹴倒した。
 上がる悲鳴が鬱陶しく、悲鳴を上げた奴も順番に首を切って蹴倒す。
 そうしていたら残っている大人は僅か数人になっていて、どれも、ガタガタと震えているようだった。

「ねぇ。僕は聞いているんだよ。僕の世話役の、世話をしていたのは、誰、って」
「……そこに、転がっている、男。です」

 ようやく口を開いた女が震える指で指したのは、この場から逃げ出そうとしたから背中から心臓を一突きして殺してやった男だった。「ああ、そう」なんだ。じゃあもう僕の用事はすんでいたのか。
 用のなくなったナイフを投げ捨て、ふらりと歩き出すと、両親と鉢合わせた。
 その、目。僕を見るその目。その目の気に入らないことに、滅多なことではイラつかない僕に殺意というものが沸き上がる。
 ああ、なんだか無性に、殺したい気分だ。
 たった今そうしていたところだけど。命を刈り取りたい。僕の思うがままに。だってこの世界はそれくらい僕には無価値で、無感動で、何も生み出さない場所で、可能ならば眠ったまま目を覚まさないでいたいくらいに大嫌いなのに。

「恭弥さま」

 なのに。
 両親の後ろから、恐る恐る、という感じで姿を見せた僕の世話役が着飾った格好をしていたから。なんだ、そういう格好も似合うのだな、と僕はなぜか機嫌がよくなる。
 ああ、そうだ。だってこれは僕の所有物だから。僕のものだから。僕のものがよい扱いを受けるのは気分がいい。

「恭弥。彼を連れて出て行きなさい」
「家を、ということ」
「そうだ。お前は大量殺人犯となった。自覚はあるのか」
「さぁ。役に立たない人間を始末しただけだ。そんな大事だとは思えない」
「恭弥……」

 涙ぐむ母親、眉間に皺を刻む父親。その二人から視線を外し、もう興味もなくなり、唯一僕が興味のある世話役の手を取って廊下を歩いて自室に向かう。出ていくにしても、この真っ赤な格好じゃあ駄目だ。

「恭弥さま」
「何」
「ぼくの名前、ご存知ですか」
「ああ……忘れた」
、です」
「ふぅん。忘れないようにするよ。
「はい」

 僕を着替えさせながら笑う相手に、へぇ、と思う。
 父親曰く、大量殺人犯となった僕に、君は笑うわけか。君は、僕がそれを犯した理由を、理解しているわけか。だからせっかく着飾ったその着物を脱ぐのか。動きにくいから。この家から出ていくことを受け入れているから。そこまで僕についてくる気でいるから。
 そういう従順でわかりやすいのは好きだよ。とても。