そうやって雲雀の家を追い出された僕とは、子供ではあったけど、僕には力も能力も、およそ人間以上の性能が備わっていた。
 相手が大人であろうと釘が一本でもあれば相手の目を潰すなり首にブッ刺すなりして始末できたし、を盾に取られても取り返せるだけの算段をし相手を制圧した。
 そうしているうちに僕らはいつの間にか随分離れた土地の、田舎町の、ボス的な存在になっていた。
 それでも僕の中にはいつも気怠さのようなものがあった。
 警察とのイタチごっこにはもう飽きた。あとどのくらい、同じようなことを繰り返さないとならないのか。気怠さはそれと、季節からきている。



 涼しいとはいえない六月。すり、とノースリーブの肩に額を擦りつけると、何かの作業をしていた彼は手を止めた。「どうしたの、恭弥」その頬に一筋だけある切れた痕は、僕のミスだ。唯一君につけさせてしまった傷。それを指でなぞりながら「セックスしたい」と言うと、彼は苦く笑って、仕事だろう机を押して端へと追いやる。
 僕らが暮らしているのはどこにでもあるアパートのどこにでもある一部屋で、ただし、このアパートには僕らしか住んでいない。いわゆる廃屋だ。田舎で不便な場所にあるから人が住まなくなった場所。
 そこに水と電気とガスを通させ、生活できる場所にした。
 この場所に陣取るようになってから三ヶ月。そろそろ根城を変えないとならない。それがとても、面倒だ。
 面倒だな、と思いながら、が入れたお風呂に一緒に入って僕の中をきれいにして、生産性のない行為に耽る。

「ん、ンぅ、ふ、ぅ、」

 タイルの壁に手をついて、腰を掴まれて、規則的に熱いもので中を擦られる。
 ぱちゅ、ぱちゅ、と響く水っぽい音と気持ちがいい場所を擦られる感覚だけが今この瞬間僕の世界のすべてになって、頭がぼんやりとしてくる。
 いつからこういうことをするようになったかといえば、精通というやつがきっかけだ。
 僕は人間からかけ離れた、人間以外か、人間未満か、そんな生物だったけど。体はどうやら人間のようで、子孫を残すための手段というのも備わっているようだった。
 それを、タイルの床に垂れ流す。だらだらと、透明な体液がだらしなく、壊れた蛇口から垂れ続ける水のように排水溝へと流れていく。

「恭弥」
「な、に」
「警察が向かってきてる。また特定されたみたい」
「そ、ぅ」

 いつものことだ。いつものこと。両親が僕を大量殺人犯として警察に届け出てからずっとそうだ。それから逃げるように生活を続けてきた。同じだ。これからも、僕らは同じことを繰り返す。そうして生きていればそのうち時効がくる。そうすれば警察は表立って騒いで僕らを追えなくなって、やっと静かに生きれるだろう。
 僕に腰を突き出させ、奥を犯しながら、彼は言う。「今回は、ちょっと、勝手が違う。おそらく、発砲される」「ど、ぉ、し、て?」は、と喘ぎながら合間に訊ねると、彼は笑った。なんだか悲しそうな顔だった。

「殺しすぎたんだよ、恭弥。
 ここは日本だけど、お前は殺しすぎた。一般人も、そうでないゴロツキも、警察も、すべて。
 やりすぎたんだ。だから発砲の許可が出たんだと思う。今回来るのは、制服を着たただの警察じゃない。銃を携えた特殊部隊だ」
「そ、ぅ」

 ばぢゅ、と奥を貫いた熱にビクンと体が跳ねて、本来なら子孫を残すために注がれるはずの白い体液がパタパタとタイルの床に落ち、シャワーの水に流されて排水溝へと消えていく。
 ああ、気持ちがいい。
 こんなに気持ちがいいのに。濡れるならこのドロドロとした君と僕の体液がいいのに。またあの赤い色で汚れないとならないのか。なんて面倒なんだ。
 血で汚れた服は処分しなくちゃならないし、皮膚からもなかなか落ちないし。この季節は錆臭くてむっとするから嫌なのにな。
 ずる、と抜けていった熱に、まだイってない彼のを口に含んでゴツンと喉の奥にぶつける。息苦しくて涙が出てくるくらいに彼のを喉の奥まで入れて、じゅぽじゅぽと音を立てて食べて、彼の白い体液は僕がもらう。
 ごくり、と飲み込んでから咳き込みながら、汗と涙が伝った顔を腕で拭う。暑い。
 もうすぐ夏がくる。
 夏は嫌いだ。死体がすぐに腐ってハエがたかる。処理が面倒だ。
 僕の世話役は僕をきれいにして自分のこともきれいにすると、普段は適当な格好をするくせに、今日はきちんとした格好を選んだ。どこかの店でくすねてきたスーツだ。こういうものがあった方が役立つときもあるだろう、と。そう言われて、そういうものか、とガラスを叩き割って店内から持ってきた服のうちの一つ。
 白いシャツに袖を通し、スーツの黒い上着を羽織る。「暑いよ」「うん」「……?」同じ格好をした彼が僕の手を引いて部屋を出る。
 まだ警察の、彼の言う特殊部隊の姿はないようだったけど、どこへ行く気だろう。今から逃げるっていうのか。たぶん無駄だと思うけど。まぁ、囲まれたらまた僕がやっつければいいだけの話だ。武器なんて相手のものを利用すればいい。だから今は、夜の中を歩く彼についていく。

「恭弥はさ」
「うん」
「自分が壊れてるって自覚、ある?」
「こわれている……。そういうふうに、思ったことはない。ただ、自分が、人間以外か、人間未満か。そういうふうに思ったことは、ある」

 それって要するに同じことか、と気付いた僕に、彼は笑うのだ。
 壊れているとわかっている僕にここまで人生を捧げてきた彼は、僕の前髪をかきあげてキスをする。「恭弥、俺はね、最初はお前のことがとても怖かったよ」「…うん」「お前と一緒に雲雀の家を追い出されたときが最高潮だったかな。もう終わったな、って思った。これから先俺の人生は真っ暗で、痛くて悲しいばかりなんだろうって思ってた」「……うん」「でも、違った」違ったよ、と囁く声のあとに唇にキスされて、舌を出すと、すぐに吸われた。でもちゅぱっと音を立ててすぐ離される。それが寂しい、と思う。

「お前は確かに面倒くさがりだけど、やろうと思えばなんだってできるだけの能力がある。そういう人間だ。だから、俺は、早々に『足手纏いだ』って捨てられると思っていたんだ」
「そんなこと。しない」
「うん、そう。お前はしなかった。俺が人質に取られて、どんなに不利な状況に立たされても、俺のことを助けたし、勝ってみせた」

 素直に言うとね、そういうお前は、とてもかっこよかったよ。そう言って笑ったくせに、彼の顔は今にも泣き出しそうに歪んでいる。

「だから、一緒に逝こう。これ以上は駄目だ。無理なんだ。ゆるして」

 カンカンカン、とやかましい音が耳に響く。夜中なのに、こんな田舎なのに、気付けば踏切に立っていた僕らの逃げ道を塞ぐように細い棒が下りていく。
 踏切が、夏に鳴く蝉のように喚いている。
 僕はぼんやりの顔を見上げた。「いっしょに」「そう。一緒に。お前が完全に壊れる前に。俺のこと、大切だと思ってくれている、人であるうちに。俺と一緒にいこう」チカ、と遠くから光が射す。夜に慣れた目には眩しい光だ。
 そう。そうか。
 君は、逃げることに、疲れたのか。壊れた僕と生きることに疲れたのか。
 それは、そうか。

(僕は、君に優しくしてこなかった。僕は、ただ人を殺してきた。僕は、)

 僕は、ろくなことをしてこなかった。多くの人生を奪い、狂わせ、それを鬱陶しいとすら思う。およそ人間味のない。壊れた、僕だった。
 ゴオオオオと普通ならしないような電車の走行音に、その速さを物語るように足元でカタカタとレールが揺れる。「恭弥」キスしよ、と言われて、言われるままに目を閉じる。
 僕はさんざん君を振り回し、君の人生を台無しにし、君のことを奪ってきた。
 そんな君が。選んだ最期が。これだというのなら。僕は、受け入れよう。
 ちゅくちゅくと水音をさせながらキスをして、ああそうか、このスーツは死に装束か、と納得した思考に。横から突き刺す光と、すべてをかき消すような走行音。おそらく普通の電車ではなく特殊車両の。撥ねられればまず助からない、そういうものが目前まで迫っている。
 それでも僕らは最期までキスしていた。
 僕を抱くは震えていなかったし、僕も、これでよかった。
 だから、死ぬことは、怖くはなかった。
 だから。僕らが死んだその六月は、『大量殺人犯の雲雀恭弥と付き人のが死んだ』世間にとってステキな日となり。僕らにとっては、長い長い人生という逃避行に区切りのついた、ステキな六月になった。
 ただ、一言、付け足すとするならば。
 好きだと。愛していると。君がいれば僕は他には何もいらない、そういう壊れた人間だったのだ、と。そう、伝えられなかったことだけが。心残りだ。

(僕は、僕なりに。君のことを。愛していた)