大変なことになった。
 それはもうなんていうか、申し訳ないレベルで、大変なことになった。
 一言で言おう。憶えのないピンクの液体の薬品が入った試験管がなぜか爆発して、部屋にピンクの煙が立ち込めました。
 仕事柄やらかしてしまった時刻を記録する。五月の五日、午後二時半ちょうど。

「あー。ああーこれは……マズいな…」

 滅菌殺菌消毒。もちろん作り出したモノが漏洩しないよう各所しっかりと密閉した設備となっている研究所、その一室ではあるのだが。なんでか爆発したピンクの薬品のピンクな煙を吸い込んでしまった俺なので、外、出るに出られないし。どこも開閉できない。そんな状態になってしまった。
 ちょっと待て待て、冷静になれ俺。ボンゴレの中でも頭のいい俺よ。まずはこの部屋の気密性の維持確認。時刻はさっき走り書きした。

(怪我はしてないし、即効性のある効果は今のところ感じられない。
 コレがなんだったのかを素早く、きちんと調べる。そこにパソコンがあって研究所のサーバに繋がってる。憶えのない薬品だったとして、データーベースから照合してなんの薬品だったか割り出すことは可能だ。うん、できる)

 そのためには『ピンク色の液体』『ピンク色の煙』以外の情報が。できれば薬品名が必要だ。
 飛び散ってる試験管を手袋をした手とピンセットで慎重に集め、まずは薬品が入っていた試験管のラベル表示の確認を試みる。
 暴発して研究室に充満したこの薬品がなんなのかを知るのは重要だ。データベースでの照合結果によっては解毒薬が必要になるだろう。長期戦、となれば、部屋にトイレはあるから困らないとして、食糧だけはどうにかしないとならないって話になるし。三日分は非常食の備えがあるけど、それ以上となると外から支援を考えないとならない……。

(んん………何? バース…? 駄目だな、ラベルちぎれててわかんない)

 バース、なんて名称のついた薬品、ここに置いてあったろうか。床に飛び散っている毒々しいピンク色の液体、作った憶えもないし。
 頭を捻っていると、ポン、と軽い音がした。誰かが俺に割り当てられている居住区の入口を通過するときに鳴る音だ。滅菌殺菌消毒されて誰かが入って来た。
 慌てて一番奥の研究室に当たるこの部屋の入り口に鍵をかける。
 今のところ毒性は確認できないけど、安全を確保できたとはいえない。それまでここには誰も入れるわけにはいかない。
 ポチポチと扉の表示を操作して『緊急事態発生中』の文字を表示させれば、普通ここが『研究所である』と己の仕事を理解している白衣を着た同僚はまず退避し、何があったんだ、と電話や通信の類で連絡をしてくる。俺もそれを見込んでとりあえず『緊急事態発生中』と表示させた。
 だっていうのに、だ。
 扉の前に立った誰かは、その扉をぶっ壊した。中で緊急事態が起こってる扉を、ぶっ壊したのだ。

?」

 そんで、その声を聞いて、ああーと頭に手をやる。手をやりながら研究所の入り口、次の扉に気密性のある厳重ロックをかけて密閉しながら、ピンクの煙を払いながらやってきた雲雀恭弥という歳の離れた幼馴染に呆れた半眼を向ける俺である。「外の表示見えなかった?」「見たから来たんじゃないか。敵はどこ」「敵なんていないよ……強いていえば、その煙かな」部屋に充満しているピンクの煙を指すと、雲雀は顔を顰めた。なんだ敵じゃないのかってつまらなそうな顔だ。
 まったく、なんてことをしてくれたんだこの猪突猛進な子は。おかげで未確認の薬品を吸い込んだ被害者が二人に増えたぞ。

「これ、何」
「わからない。だから雲雀、そこにいて。毒性があるかどうかも何もわからないから今調べてるんだ」

 パソコンに登録されている薬品データから『バース』がついたものを検索しつつ、特徴的な色だった『ピンク/桃色』『無臭』など、ヒットしそうな単語も追加して、膨大な量のデータから当てはまりそうなもの割り出させていく。
 いつでも我が道を行くな雲雀は呆れた顔で黒い革張りのソファに座り込んだ。「あなた、馬鹿なの?」「俺のせいじゃない……と思いたい。だって勝手に爆発したし」「なんでそんな危険なもの作ったんだ」「うーん。それが憶えがないんだ。なんか、依頼されてたものだったかな……」ノーヒット、と検索結果を表示するパソコンに顔を顰めて、最近依頼された仕事でバースがつく薬品の解析なんかがないかどうか、機密事項故に紙の書類が積み上がっている机をあさってみる。
 そうしたら、あったあった。ボンゴレの機密事項、機密文書の暗号で誤魔化された、わりと重要そうな案件が。
 そして、その書類にはわりととんでもないことが書かれていた。
 曰く、この部屋で爆発したピンク色のあの薬品名は『オメガバース』……簡単に言うと人工的に第二の性を生まれさせる、戦争や抗争に向けて実用化を検討されている薬品の一つ。らしい。
 この薬品を摂取した場合、『アルファ』『ベータ』『オメガ』という第二の性と三種類の性別と、それに応じた階級のような意識が付与される。
 アルファは希少でエリート体質、知能や身体機能が高い者がなりやすい。戦争で言うところの部隊の指揮官とか指令官といったところだろう。
 で、ベータが中間層で一般人。つまり薬品を吸っても現状のままというのが反応として一番多い。
 厄介なのは、この書類を読む限りオメガだ。
 オメガには発情期なるものがあり、そのさいは周囲を誘引・興奮させるようなフェロモンを発するという。その反応はとくにアルファを誘惑し、男であった場合でも妊娠すらできる体になってしまうらしい。
 つまりこのオメガバースなる薬品を戦争に用いることで、無理矢理『第二の性』を植え付け、一時的にその部隊を性的な混乱の渦に落とし込むことが可能になる、ってことだ。
 戦争をするのもやるのも赴くのもたいていが男だ。それを考えるなら、この薬に記されているような効果が本当に生まれるのなら、アルファやオメガが総数的に少なかったとしても、空気に流されてベータともどもそういうコトに陥りやすくなる。つまり、敵に使うにも部隊の掌握のために使うにも、使い道は色々とある、ということだ。
 問題は。俺に依頼されていたのが『その効能の証明』と、それを踏まえての論文の提出であること。
 そのために成分から色々と記載はされているものの。図らずとも、俺と雲雀、二人がオメガバースの薬品を吸い込んだ。そしてそれが、幸か不幸か、この仕事をするために必要な条件を満たす事態ともなってしまった……。
 まだ十五歳の子供と自分自身を実験台に、って。研究者としてはお世辞にも褒められたものじゃないんだけど。この状況になってしまったものはもう仕方がない。
 吸ったのは煙だけだし、記載があるようなあからさまな効果は出ないことを祈りたい。
 第二の性とか、控えめに言って意味わかんないし、銃での戦争だってろくなものじゃあないけど、薬品使って人道に反する性の道を行くのだってまともじゃあない。

「雲雀、体調どう? なんかおかしいとかない?」
「……おかしくはないけど。ここ、暑くない?」
「ああ、空調はいったん切ったよ。薬品が外に出るといけないから」
「そう」

 暑い、とぼやいた雲雀が制服の襟元をくつろげた。ふうと息を吐くその姿と見えた鎖骨にごくりと鳴った喉に眉を潜めて手をやる。

「……?」

 そりゃあ、雲雀はきれいな顔をしているけど。男だし。歳の離れた幼馴染である俺はそれを知ってるわけで。ついでにいえば結構にわがままで、今日もやらかしてくれたし、問題児、ってことも理解しているわけで。
 でも。何か。いいにおいがする。気が。
 いや、雲雀っていつもわりといいにおいがするっけ? あれ、どうだっけ。
 くら、と揺れた目の前にバンと机に手をついて転倒を堪える。「?」どうしたの、と言う声がなんだか甘い。
 ドクリドクリと大きく鼓動している気がする心臓を押さえる。
 あっれ。おかしいな。薬品の説明的には、身体的、生物的に優れているものがなるのがアルファで。だからもしこの薬で第二の性が生まれてしまったとして、アルファになるのは雲雀で。俺は、頭がいいだけだから、まぁベータで変わらずかなぁとか。予想をしてたんだけどな。

? ぐあい悪いの?」

 ひょい、と下から顔を覗き込んできた雲雀と瞳がかち合う。「「あ」」それで二人して己の状況というのを嫌でも理解した。
 雲雀に興奮してる俺は、おそらくアルファで。突然風邪になったみたいに顔を真っ赤にして後ずさった雲雀は。たぶん。いいにおいがしてるから。オメガ。だ。

「……ちょっと、離れてて。ソファにいて、雲雀」

 理性や思考を無視して動きそうになる体を引きずるようにして部屋の奥に行って、床に座り込む。
 今は駄目だ。雲雀のそばにいたら平気で酷いことをできてしまう気がするから。「ふぅー」ゆっくり、呼吸して。雲雀のにおいじゃなくて自分の服のにおいを嗅げ。落ち着け俺。

(マズいぞ。仮に俺がアルファで雲雀がオメガだとするなら、このまま密室に二人でいるのはひじょーにマズい。かといって軽々しく開閉もできない。
 そうだ、効果。この薬、一度摂取した場合の効果時間は。その間だけ耐えるっていうなら、なんとか、)

 震える体で這って行って机の上の書類を掴んで目の前に持ってくるものの、文字が霞む。視界が。うまく。情報が。入ってこない。「くそ」くらくらする。香りが。また。
 そこで、ぐい、と白衣を引っぱられた。「」「…っ」甘い声に頭が揺さぶられて書類を取り落としてしまった。する、と机の下に入り込んでしまったものを頑張って取るような気力、今、ないのに。
 、と白衣を引く手に、振り返っちゃ駄目だ、顔を上げちゃ駄目だ、絶対に目を合わせるな、と残った理性を総動員して自分に必死に言い聞かせて白い床を睨みつける。「これは、たんじょうび、ぷれぜんとなの?」「は?」この事故状況にそぐわない言葉に思わず振り返ってからしまったと思った。
 二度目。近い距離で真正面からばちっと目が合って、もう、逸らせなかった。

「たんじょーび?」
「きょう。ぼくの。たんじょうび」
「ああ。そういえば、そうだった。それはまたべつによういしてあって……」

 あっち、と指す方角を俺も雲雀も見ない。
 今日雲雀が来たのがなんでなのかって思ってたけど。そうか、誕生日だったか。実験に没頭して忘れないようにって事前に物は準備していたけど、とんだ誕生日になってしまった。
 ぐ、と掴まれた白衣がずるりと脱がされる。「」あつい、とこぼした雲雀が俺のシャツに顔を埋める。俺の手を掴んで、それを自分の腹へと持っていく。「ここが、すごく、あつい。これ、くすりの。せい?」「……たぶん。そう」いいにおいのする雲雀の黒い髪に顔を埋めて、薄い腹を手のひらで撫でる。

(駄目だ。ダメだ。だめだ、)

 雲雀はオメガの性に、薬にあてられてるだけだ。こんなこと本意じゃない。俺だってそうだろう。

(そう。だろうか。本当に?)

 小さい頃は、着物を着た恭弥のこと、女の子だと勘違いした。それくらいにはキレイな子だと思ったからだ。
 成長すればするほどキレイになって、同じくらい凶暴性を増した雲雀は。それでも一度も俺を殴ったことがない。あのトンファーで殴られたことがない。
 それがどうしてなのかを、俺は都合よく解釈していた。
 今日だって。自分の誕生日とはいえ、わざわざこんなこんな僻地の研究所まで自分からやってきて、誕生日だよ、プレゼントちょうだいなんて言いに来るとかさ。無関心な相手にすることじゃあないだろう。
 毎年毎年、とくに喜ばれるわけでもないけど、色々とあげてきた。
 使ってるのを見たことがあるわけじゃあないけど。もらったあとどうしてるのかは知らないけど。捨てられてないと。嬉しいとか。思ってた。

(あー)

 気がついたらシャツの間から覗く鎖骨を噛んで、中学生の制服を脱がせていた。「あつ、ぃ」「ん。ぬごう」いつも鋭くて棘のある瞳がとろりと緩んで、熱に浮かされて、溶けて流れてしまいそうだ。
 流れるな、と瞼の上から瞳にキスをする。そのまま口にも唇を押しつけた。「ひばり」カチャン、とズボンのベルトを緩める。オメガの熱に犯されてる雲雀は満足に動けないらしく、くったり俺に寄り掛かったままだ。

「ことしは、たんじょーびプレゼント、ふたつ、あげよう」
「ふたつ……」
「そ。いっこはあっち。もういっこは、」

 俺、と囁いて耳を噛んだ。あ、とこぼした雲雀に「ほしい? いらない?」と訊ねたところで答えはわかりきってるのに。オメガに犯されてる雲雀は欲しいしか言わない、って。そんな雲雀に欲しいと言わせて、未成年に手を出す理由をこじつける俺は、卑怯者だ。
 雲雀はぼやっとした顔で俺のことを見上げた。「くれるの?」「ほしいなら、あげる」「じゃあ」ちょうだい、と囁く甘い声音が届いて。そこから先は。奪い合うような時間の始まりで。あとのことはもう、未来の自分が責任を取るだろうと、考えることを放棄した。