戦う。闘う。愛しているから

 まいった。わりと落ち着いてるつもりでいたのに、そうでもなかった。「ねぇ、いってらっしゃいのキスしてよ」なんてキョーヤにせがまれて断れなかった。
 ここはもう学校で、あと何分かあとには死闘が待ってるかもしれないっていうのに、キョーヤは甘えんぼだ。それを許してしまう俺も、十分キョーヤに甘い。
 襟首を掴んだ手に掌を添えて仕方なく唇を重ねる。
 キョーヤと一緒にいるのがこんなにむずがゆいと思ったのは初めてだ。それもこれも昨日の夜の間違いのせいである。誰が悪いかって、…誰が悪いんだろう。かわいかったキョーヤ? 理性をフル動員させても駄目だった俺?
 男を抱いたのなんて初めてだ。誓って言っておくけど俺はそっちの気はありませんでした。ノーマルでした。そのつもりでした。今じゃ言い訳にしかならないけど。
 触れるだけのキスで唇を離すと、キョーヤは不満そうな顔をした。やんわり笑ってキョーヤの髪を撫でて「終わったらね」そう言ってしまってからはっとする。なんだそれ、終わったら、なんだよ俺。二度めの間違いを犯す気か。それで顔を逸らすキョーヤもキョーヤだ。何その顔、照れてるのかこの馬鹿。かわいいキョーヤの馬鹿。
 時間が来てしまうのでキョーヤの背中を押して歩き出す。キョーヤは少し左足を引きずっている。大した傷ではないけど、大丈夫だろうか。
「チャオ」
「チャオ。連れてきたよ」
 リボーンの挨拶に挨拶を返してキョーヤの背を押した。基本的に人といることが好きではないキョーヤはむすっとした顔をしている。ツナ側の守護者は揃っていた。入院中だっていうランボは見当たらないけど。
 ザンザス側の守護者もいた。ベッドに固定されたルッスーリアががらがら運ばれてくる。見当たらないと思ってたランボもチェルベッロの手によってここに連れてこられていた。よく見るとレヴィの手には檻の中に入ったマーモンもいる。
 守護者の強制招集だ。

「強制招集をかけたのは他でもありません。大空戦では、六つのリングと守護者の命をかけていただくからです」

(…そんなことだろうと思ってた)
 チェルベッロの言葉にふぅと息を吐く。リングを回収しにきた覆面の相手に雲マークの指輪を差し出す。次にルールの説明があり、カメラが搭載されてるリストバンドが配られた。これで連絡が取り合えるようだけど、キョーヤは使わないだろうなぁ。
 でも一応左腕にリストバンドをつけておいた。キョーヤはむすっとした顔のままだ。各守護者は自分が戦闘したフィールドに行くことになっている。キョーヤはグラウンドだ。
「あんまり怪我しないように。足も治ってないんだから」
「…努力はする」
 ぼそっと俺にそう返して、キョーヤはグランドへ行ってしまった。その背中を見送ってから観覧席とやらに移動する。赤外線レーザーで出ることができないっていう徹底ぶりだ。
 早く終わればいいけど、結果が少し怖い。キョーヤは強いし、他のみんなも強いけど、誰かが死ぬのはあまり見たくない。
 ぺたりと地面に座り込んで胡坐をかく。頬杖をついて大型ディスプレイを見つめた。各守護者が所定の場所に着いた様子が映し出されている。
 そこで、異変に気付いて顔を上げた。キョーヤが手を気にしてる。リストバンドをつけた方の手だ。他の守護者のみんなも自分の手を見ていた。
 首を捻った俺に、チェルベッロは言う。「ただいま守護者全員にリストバンドに内蔵されていた毒が注入されました」と。
 は? 毒? そんなの聞いてない。
 次々と倒れるみんながディスプレイに映し出されている。キョーヤがすごく苦しそうだ。

「デスヒーターと呼ばれるこの毒は瞬時に神経をマヒさせ、立つことすら困難にします。そして全身を貫く燃えるような痛みは徐々に増してゆき、三十分で…」

 先の言葉なんて聞かなくてもわかっていた。「キョーヤ」とこぼした自分の声が震える。「絶命します」と告げるチェルベッロの声はあくまで平坦だ。
 死ぬ。キョーヤが。淡々と説明を続けるチェルベッロの声がどこか遠い。
 キョーヤが死ぬ。怪我をすることは想定してた。骨折とかそういうところまでは。でも死ぬことは考えてなかった。いや、考えたくなかったのかもしれない。
 毒を解除する方法が一つだけあり、それは自分が司るリングをリストバンドのくぼみに差し込めばいいとのこと。抗議するツナの声といつもと変わらない調子のリボーンの声を聞きながら、「キョーヤ」と漏らして立ち上がる。無意味に一歩踏み出してディスプレイを見つめる。腕をついてどうにか起き上がろうとしているキョーヤが見える。
 俺は何もできない。助けることはできない。手を差し伸べることはできない。
 キョーヤがあんなに苦しんでいるのに、俺は何もしてやれない。
「何情けねー顔してんだコラ」
「、」
 背中をどつかれて危うく転ぶところだった。なんとか転ばずに振り返ると、鷲にぶら下がったリボーンの親戚みたいな小さな子が見える。「誰?」「コロネロだぞ。お前一回会ってるだろう」こっちにやってきたリボーンの声に俺は首を捻る。今あんまり頭が動いてない。キョーヤのことでいっぱいいっぱいだ。
 コロネロと一緒になって俺をどついたリボーンが「心配すんな。見ろ」とディスプレイを指差す。ゆるりと視線を投げると、キョーヤが立ち上がっていた。三十分で死んじゃうような強い毒にも負けずトンファーを構え解毒の指輪が載っているポールを力ずくでねじ伏せ始める。
 ザンザスとツナはもう戦っていた。死ぬ気の炎対決だ。さっきから轟音が響いてるのにどこか遠いのは、俺の意識がキョーヤに行き過ぎてるせいか。
(キョーヤ頑張れ。ポールを壊せ。それで自力で解毒するんだ。死ぬなんて嫌だ)
 滅多なことじゃ祈らないけど、今は祈るしかない。ふらふらになりながらポールを撃破しようとトンファーを振るうキョーヤを助けてくださいと、神に祈るしかない。
†   †   †   †   †
(冗談じゃない。こんなところで死んでたまるか)
 炎に包まれたような熱と痛みに苛まれながら、解毒の指輪が載っているポールを意地で破壊した。ドオンと音を立てて倒れたポールからきらりと光るものが転がる。ふらふらしながら歩いていって指輪を拾い上げ、リストバンドのくぼみに押し当てた。
 細く息を吐いて視線を上げる。視界が定まってきた。痺れもほどなくして取れて、軽く頭を振る。
 ああ全く、どうして僕がここまでしないとならないのだろう。面倒くさい。
 面倒くさいけど、仕方ない。これに勝たないと彼と一緒に帰れない。キスもできない。手も繋げない。それ以上もできない。そんなのはごめんだ。
 じゃりと一歩歩き出したところで校舎から一つ影が飛び出したことに気付く。仕方がないからトンファーを構えてグラウンドを駆け抜けた。早くこんな戦い終えたいから目につく奴は全員咬み殺してやる。
 校舎から跳び下りてきたのはナイフ使いだった。「こっからだと雨が近いか」とぼやいたその横顔を殴りつけてやるつもりでトンファーを振るうと掠っただけで避けられた。きんと音がして相手が持っていた指輪が空高くに飛んでいく。
「お前は…」
「ふぅん。よくかわしたね。君、天才なんだって?」
 じゃりと土を踏んで一歩近づく。早くこいつを咬み殺して次へ行こう。「オレもお前知ってるよ。エース君だろ?」「違う。一文字も合ってないよ」じゃきとトンファーを構えると、相手はナイフを取り出した。ぱらぱらとトランプのように枚数のあるナイフが宙を舞う。曲芸みたいだ。
 飛び道具は避ければ当たらない。数撃てば僕に届くとでも思っているんだろうか。ナイフの軌跡をかわしながら間合いを見計らっていたとき、ぶしゅと頬が切れた。ナイフが掠ったわけじゃない。それならどうして頬が切れるんだ。
 投擲されるナイフを避けて違う方向に足を踏み出すと、また切れた。二の腕に走った痛みに手の力が緩み、トンファーが落ちる。
 おかしい。ナイフは避けている。当たってない。それなのにどうして僕が傷つくんだ。
「ししし天才の勝ちー。つーかオレ負けなし? そりゃ王子だもんな」
 大きな独り言にじろりと視線をやる。「バイバイ」という言葉と一緒に放たれたナイフから視線を外さず、計六本のナイフを指と指の間で挟んで全て受け止めた。切っ先が肌に触れるまで二ミリくらいしかない。なかなか危ない。
 受け止めたナイフには透明なワイヤーがつけられていた。なるほど、僕はこれのせいで傷を負ったというわけか。
 ナイフを投げ捨ててトンファーを手にゆらりと立ち上がる。細工がわかったのだから、手の打ちようはある。トンファーの先端から仕込みの玉鎖がじゃらららと音を立てて落ちた。反動をつけて回転させ、笑う。
「そういうことなら、一本残らず撃ち落とせばいいね」
「げ。やっべ」
 天才だという相手に肉薄し玉鎖を振り回しながら一撃見舞うと、「パース!」とか言って相手は僕の攻撃を回避した。パス? 何それ、意味がわからない。勝負にパスも何もない。「自分の血ー見て本気になんのも悪くないけど、今は記憶飛ばしてる場合じゃないからさ。だってこれ集団戦だぜ? 他のリング取り行こっと」勝手に戦線を離脱した相手が最後にナイフを放ってきたから全て叩き落した。
 逃げる相手を追ってもよかったけど、少し疲れた。このまま疲れ続けるのはあまりよくない。解毒はしたけど、体力はもっていかれた。
 ふらついてどんと校舎の壁に肩をぶつける。ドオンという音に視線を投げると、夜空に何か舞っている。影が二つ。当たり前のように空中戦を繰り広げているのは、沢田綱吉とザンザスとかいう奴だ。
 二人がそれなりにできるのはわかる。でも今はあまり興味がない。体調もよくないし。やることはまだあるみたいだし。
 仕方がないから歩き出す。さっき嵐のリングは弾いてやったんだから、ここから近いところぐらいならまだ行けるだろう。
 腕から出血がある。そんなに深く切ったわけじゃないけど、トンファーは腕の筋肉を使うから面倒くさい。このままにしておくともっと血が出る。せめて止血をしないと。
 破ったら彼は怒るんだろうなと思いながらシャツの裾を引き裂いた。右腕の出血してる部分をぎゅっと縛る。
 仕方なく雨のフィールドまで行き、ポールを破壊し、倒れてる山本武に指輪を放った。
「サンキュ、助かったぜ」
「校内で死なれると風紀が乱れるんだ。死ぬなら外へ行ってもらう」
 気に入らない相手でも仕方なく助け、あとは誰が残ってたかと考えたところで足元がふらついてどんと柱に肩をぶつけた。「おい、大丈夫か?」「なんのことだい」白を切ると山本武が笑う。何その顔、ムカつく。身体がちゃんと動けば咬み殺してやるのに。
「交代だ。こっからはオレが引き受けた」
 勝手に宣言して勝手に出て行く後姿にふんと息を吐く。それならそれで、面倒でなくなるからいい。
 柱に頭を預けたまま左手首にくっついたままのリストバンドに視線を落として、これは彼とは繋がらないのだろうな、なんて思う。繋がったらちゃんとやったよって言えるのに。自分で解毒もして偉いでしょう、褒めてよって言えるのに。気に入らない奴でも助けたよ、褒めてよって。言えるのに。
 彼に会えるのは、もう少し先だ。
 さっきから爆発音のような音が耳にうるさい。
 どうせ最後はあの二人の戦いで決まるんだろう。僕はもう誰かを助けるのは面倒だしそっちに行く。そうしたら遠目からでも、彼が見えるかもしれないから。