幸せに、なろうね

 ルルルル、とキョーヤの家の電話が鳴ったのはその日が初めてだった。キョーヤの傷の手当てをしたり熱がないか調べたりしていた俺はちょっとびっくりする。鳴るんだ、ここの電話。キョーヤも電話が鳴ったことに驚いたみたいで、次には眉を顰めた。風紀委員からの連絡なら携帯にいくからだろう。
 ルルルル、とうるさい電話に「出てみる」と残してキョーヤの部屋を出る。ルルルルうるさい電話は居間にあった。がちゃりと受話器を取って「はい、」雲雀ですが、っていうのは変か。俺雲雀家の人間じゃないし。じゃあなんて言おう? うーんと首を捻ったところで『チャオっす』と憶えのある声がして「チャオ。ってリボーンか…」脱力した俺に構わず受話器の向こうではリボーンが話を進める。
『山本ん家でどんちゃん騒ぎをするが、お前らはどうだ?』
「や、いいよ。キョーヤそういうの好きじゃないし。…話はそんだけ?」
『いや。お前にまた仕事を頼みたいと思ってな。どうやら雲雀を丸くするって任務はこなしたみてーだし』
 きたこれ。ふうと息を吐いて頭を押さえる。うん、こき使われるだろうと思ってたから大丈夫。リング争奪戦が終わったんだしボンゴレ本部も忙しいはずだ。戻れっていうなら、俺は戻るしかない。
 息を吐いた俺の後ろからぬっと手が伸びた。黒い着物の袖が。俺の手から受話器を奪うと「赤ん坊、彼は返さないよ」と一言。それでがっちゃんと受話器を置いて通話を切った。
「え…キョーヤ?」
 目を白黒させる俺をじろりと睨んだ灰色の瞳が「ご褒美をもらってない」と言う。じりっとこっちににじり寄るキョーヤになぜか一歩下がる俺。あれ、俺はどうして逃げてるんだろう。
「いや、あの、キスはしたでしょう?」
「キスしかしてくれないの?」
 キョーヤの言葉にさらに一歩下がる。それは抱いてくれって意味か。せっかく理性と常識をフル動員させてるのに、キョーヤの灰の瞳が切なそうに揺れてるのを見るともう気持ちが折れそうだった。
 望んで抱いた。本当だ。別に気持ち悪いとか思ってない。そんなに変なことでもない。同性愛なんて今じゃありきたりなものだし、男女間でしか恋愛しちゃいけないなんて法律はない。生態的にちょっと不都合があって、同じ性別同士の相手では性交をしても子孫が残せないってだけで、愛を伝えちゃいけないわけじゃない。
 俺はキョーヤのことを好きなんだろうか。愛してしまったんだろうか。どうなんだろう。キョーヤは確かにきれいだし、俺にべったりだし、甘えてくるけど。他の人にはつっけんどんでトンファーを振るう我が道を行くな子だけど、俺は、キョーヤを。
「ねぇ」
 詰め寄られて、どんと壁に背中がぶつかった。あ、しまった、逃げ場がない。
 俺の襟首を掴んだキョーヤが唇を寄せてくる。拒めない。拒んだらキョーヤは傷つくだろう。今更世間の常識を教えたところで、その常識から抜けた闇にいる俺の言葉じゃ、そもそも説得力に欠ける。
 ぐるぐる言い訳してみたところで。俺は結局キョーヤの乞う口付けに、応えてしまうわけだ。
 潤んだ灰の瞳を拒む理由がない。怪我をしてるからそこに響かないようにしたいけど、どうかな。もし忘れちゃってて痛くしたらごめんね。昨日リング戦が終わったばっかりなのに、まだ怪我人のキョーヤに手を出すなんて、俺も馬鹿。ここはちゃんと休まなきゃ駄目だって言うべきところなのに、俺の馬鹿。馬鹿。
「ふ、」
 舌を絡めるキスをする。キョーヤの腰を抱き寄せて身体をくっつける。着物越しの体温はいつもどおりだ。熱はない。猛毒の後遺症みたいなものも見受けられない。
 じゃあ、いいのかな。緩んだ思考がそんな浮ついた答えを弾き出す。
 少しだけ唇を離して「ベッド行こう?」と囁くとキョーヤはこくりと頷いた。そっぽを向いた顔は僅かに赤い。そんなキョーヤに俺の頬は緩むわけである。
 ああ全く。キョーヤってばかわいいなぁ。
 するだけしたら、キョーヤは眠った。満足したのとまだ疲れが残ってるせいだろう。汗の伝う首筋に顔を埋めて軽くキスをして顔を上げる。何も着てないキョーヤが風邪を引かないようにしっかり布団を被せてから、俺はベッドから抜け出した。落ちてるジーパンに足を突っ込んで、シャワーを浴びるために部屋を出る。
 ああ全く。二度めです。俺の馬鹿。
 ざあああと降り注ぐぬるい雨を浴びながら、壁に両手をついて目を閉じた。
 リボーンからの電話、きっとキョーヤは立ち聞きしてたんだろう。行かないでと言われた。行かないでと、掠れた声で何度も何度も。泣きそうな声で何度も何度も。
(わかってるよキョーヤ。どこにも行かないよ。俺はここにいる)
 だから泣かないで。涙を流すキョーヤにそう訴えて、その唇を奪ってキョーヤを犯した。
 非日常と日常が噛み合って、過ぎ去って、また噛み合う。日々はその繰り返し。
 タオルでぞんざいに水滴を拭ってからジーパンをはいてTシャツにワイシャツを重ね着。そろりとキョーヤの寝てる部屋を覗いたけど、まだ寝てるようだ。なら今のうちに買い物にいってしまおうか。何か買わないと冷蔵庫が足りなくなるから。
 財布とエコバックを持って家を出ると、晴れていた。
 ぼんやりリボーンからの電話を思い出しつつスーパーへ行く。タケシの家に行けばタダ飯食えるのかな。いやいや、何をおこがましいこと考えてんだ俺は。キョーヤにご飯を作るのは俺の役割じゃないか。
 行きつけのスーパーへ行って自動ドアをくぐってから気付いた。しまった、ここはやめろってキョーヤに言われてたんだった。なんか俺のことすごく見てる女子がいるから気に入らないんだとかなんとか。でもそれって本当だろうか? キョーヤの気のせいとか。っていうか来ちゃったし、買うもの買って帰ろう。
 そうだなぁ、せっかくリング争奪戦が終わったんだから、今日の夜は豪勢に、キョーヤの好きなものでご飯にしてあげたいな。
 ということは、お寿司とハンバーグだ。そうと決まれば寿司ネタと挽き肉は必須。お米はあるから大丈夫。せっかくだからオーブン使った料理もしたいけど、それはまた今度かな。あんまり作って残ってもあれだし。
 バスケット片手に食材を放り込む。ひらがなならどうにか読めるようになってきた。漢字はまだ全然だけど。
「…読めん」
 魚のパック片手に商品名の記載されてるシールを睨むものの、全然読めない。困った。キョーヤの好きなかんぱちとヒラメのえんがわを買いたいんだけどな。
 通りかかった店員さんに「すいません」と声をかけると、振り返ったのは女の子だった。なんかすごくびっくりしてるけどそれは気にせずに「かんぱちとヒラメのえんがわってどれかな」と訊くと、「少々お待ちください」と残して女の子は魚屋さんの方に飛び込んだ。そんなに慌てなくてもいいのに。
 三分くらい待ってると、女の子がパック二つを片手にやってきた。「お待たせしましたっ」と差し出されたパックを受け取って「ありがとう」と笑うと女の子が全力で顔を伏せて走り去ってしまう。
 きょとんとしていると、他の店員の人が押し殺した笑いを浮かべていた。
 …まさかね。キョーヤが言ってたのはもしかしてあの子なんだろうか。いや、だからどうってわけでもないけど。とりあえず買いたいものは手に入ったんだし、会計すませて、帰ろうか。
 からから引き戸を開けて帰宅すると、シャワーを浴びる音が聞こえてきた。どうやらキョーヤは起きたようだ。
 エコバックから食材を冷蔵庫に移していると、「どこ行ってたの」と機嫌の悪そうな声がして振り返る。着物姿のキョーヤが頭にタオルを被ってこっちを睨んでいた。かんぱちの切り身の入ったパックを揺らして「買い物。今日はキョーヤの好きなもので豪勢な夕飯にしようと思って」笑った俺に、キョーヤは眉根を寄せた。「違うスーパー行った?」「いつものところ」「あそこは行くなって言ったでしょう」「いや、ごめん。癖で」苦笑いする俺にキョーヤが頬を膨らませてむくれた顔をする。え、何それその顔。すごくかわいい。
 食材を全部しまって、酢飯を作るためにご飯の準備をする。お米をといでいるとキョーヤが冷蔵庫を開ける音がした。
「何作るの」
「お寿司とハンバーグ」
「ふぅん」
「他に食べたいものある?」
「別にない」
「ん」
 炊飯器をセットしてスイッチを入れる。キョーヤがばたんと冷蔵庫を閉めて俺の背中にとんと背中を預けた。甘えたいのかなと思ってそのままでいると、服を引っぱられる。引っぱられるままキョーヤについていくと、中庭の見渡せる縁側に出た。キョーヤが座ったから同じく床板に腰を下ろす。午後の陽気がぽかぽかとしてて気持ちいい。
 ごろんと寝転がったキョーヤが俺の腿を枕にした。目を閉じてしまったキョーヤを見て自然と頬が緩む。手を伸ばしてキョーヤの黒い髪を指で梳きながら、秋の陽気に目を閉じた。
 平和だ。いいことだ。ずっとこうやって平和ならいいのに。ツナがボスになったらマフィア界は少しは平和になるかな。なったらいいな。
 そのままうとうとしていると、ぴんと髪を引っぱられて薄目を開けた。キョーヤが俺の前髪を引っぱってる。灰色の瞳は俺を見上げて眩しそうに細められていた。
「ねぇ」
「うん?」
「幸せ、って何」
 キョーヤの言葉に何度か瞬いた。「幸せ?」「そう」「それは人それぞれだと思うけど…幸福と同義だね」「じゃあ幸福って何」「え。えっとー、満ち足りてること…かな」説明しろと言われると上手くできない。キョーヤは目を細めて俺を見てたけど、興味をなくしたようにぱったり手を落とした。
 ちょっとびっくりした。キョーヤは幸せって感じたことがないんだろうか。俺はおいしい紅茶を飲んだときとか幸せだなーって思ったりするけど、キョーヤはそういうのないんだろうか。たとえばほら、咬み殺すって喧嘩しに行くときとか。…ないか。それで幸せ感じてたらちょっと困るや。
 さらさらと流れる黒い髪を撫でて額にキスを落とした。瞼の向こうから灰の瞳が覗く。
「幸せって思ったことないの」
「…多分ない」
「そっか。じゃあ俺がキョーヤに教えてあげないとね。幸せだって感じてもらえるように頑張ろ」
 笑ったら、キョーヤはそっぽを向いた。照れたような拗ねたような横顔がかわいくてまた口付けると、キョーヤに頭を叩かれた。痛い。