自分で言うのもなんだけど、俺は結構モテる。
 月に一度は告白される。その子のことが少し気に入ったら、試しに付き合ってみる。これは無理だなと思ったらやんわりとフる。まぁ続けてもいいかなと思ったら気の向くときにメールしたり電話したりして関係を保つ。それで相手から離れていくならそれでもいいし、俺が求めたときに応えてくれる都合のいい子なら俺にとっては好都合だった。
 自分でも分かってるけど、俺は結構最低な部類の人間だと思う。
 ぼんやりと携帯の画面を見つめたままでいる。画面には一言だけで送信されてきたメールの文面が展開されていた。
 文字は、『さようなら』、その一言だけ。
 メールだけのあっさりした別れにも慣れていた。相手の顔をぼんやりとしか思い出せないのだから、その程度の子だったってことだろう。なら気にすることはない。一つ俺の玩具箱から人形がなくなったというだけのこと。
 気に入ったものを掻き集めた俺の玩具箱には、まだたくさん人形が入っている。
 唇の端を吊り上げて笑っている自分を自覚して口元を拳で隠した。
 まるで悪魔のようだなんて思う。こんな俺に心を奪われて、かわいそうな子達だ。もっとイイ男に惚れればよかったのに。生き人形のように俺に振り回されて、いいように扱われて、かわいそうな子達。
 ぼんやり画面を見つめてパタンと携帯を閉じる。ベッドに投げ出して、そこで眠ってる相手に視線を移した。
 黒い髪と白い肌。女だったら間違いなくモノにしていた、華奢な体躯の男が一人、そこで眠っている。男というより青年で、青年というよりは少年に近い。必要最低限な筋肉しかついてない腕も脚も全てが細いし、日焼けを知らないように白い肌は男というより女のもので、長い睫毛に縁取られた瞼も、さらさらと流れる黒い髪もそう。
 急に押しかけても恭弥は俺を拒否することはなかった。あっさりと受け入れて、少し置いてくれないかと言った俺に、理由を問うことなく世話を焼いた。
 本当は頭のいい子なんだと思う。何でもできる子なんだと思う。だけど俺に出会って、そういうもの全てがどこかに抜け落ちてしまった。抜け落ちてしまった部分に俺がはまり込んで、がちがちと恭弥を構成する歯車の一つとして機能している。
 恭弥は心底俺が好きなようで、男だけど抱かれることを拒まないし、尽くすことを拒まないし、求めたことには絶対に応える。俺にとってまさに都合のいい便利な道具。操りやすいお人形。
 本当に人形みたいに整った顔に手を伸ばして、掌で一つ頬を撫でた。
 今頃、アパートの俺の部屋はめちゃくちゃになってることだろう。一人ストーカー行為の激しい子がいて、その子の想いがちょっと重くて、何とかかわそうとしてる最中だ。まぁ慣れてるから引き際とかそういうものは心得てる。その間の滞在先も今回は恭弥の部屋にしたし、下手をしなければここにいるとは分からないだろう。
 整った顔に顔を寄せる。「恭弥」と甘い声で囁けば睫毛の長い瞼が震えた。薄く目を開けた恭弥が何度か瞬きをする。「…」「寝坊だよ。寝るの好きだね」「あ…ごめ」眠そうに目をこすって恭弥がベッドに手をつく。ぎしと軋んだ音がした。シングルのベッドは二人で寝るには狭すぎたけど、居候の俺が文句を言える立場でもない。
 ベッドを抜け出した恭弥はワイシャツ一枚だけだった。細い脚は女の子みたいで、ちょっと背筋がむずむずする。
 そういえば昨日口で抜いてあげたんだった。布団の中を探ると黒いズボンが出てきた。放れば、キャッチした恭弥がぷいと顔を逸らしてズボンに足を突っ込む。照れてるようなその横顔にやんわりと微笑みかける自分は、やっぱり悪魔なんだろうか。
 言葉だけの好意で相手を操り、手繰り寄せ、突き放して、その繰り返し。
 言葉だけの愛を信じるかわいそうな子達がいけないのか、愛を囁いて相手を人形のように操る俺がいけないのか。
 狭いキッチンで朝食の準備を始めた恭弥から視線を外す。ベッドで震えている携帯はメールの着信を知らせていた。

『ねぇ、今あなたのベッドをめちゃくちゃにしたわ』

 短い文面を眺めてパタンと携帯を閉じる。キッチンからじゅわっといい音が聞こえた。肉の焼けるにおいがする。
 かわいい子ほど、どうしてこうストーカー行為に走るのだろうか。閉じた携帯を見つめてぼんやりと相手を思い出す。茶髪で長めの髪を緩くカールさせた子、だった気がする。その子が包丁を持って俺のベッドを滅多刺しにしているところを想像する。結構簡単に想像できた辺り、俺も慣れたものだ。その鬼気迫った様に実際遭遇したこともある。包丁を突きつけられて私だけを愛してよと泣かれたこともある。
 それでも相手のことを想えなかった。そんなどうしようもない行為を続けて、俺はどこへ行きたいのだろう。どうしたいのだろう。
 手にしている携帯がまた震えた。パチンとフリップを弾いてメールを開く。

『ねぇ、今あなたの机をずたずたにしたの』

 今度は机か。きっと部屋は壁紙代以外も色々請求されるくらいにめちゃくちゃになってるんだろう。いいけど。そういう古いところを選んだし、大事なものとか得に置いてないし、これ実はストーカーにやられてしまってとか言えば通じそうな人のいいおばさんが大家さんだし。
 パタンと携帯を閉じて細く息を吐く。携帯変えようかな。それが早いかもしれない。でも下手に連絡手段を絶つのもよくないんだよな。
、ご飯できた」
「んー」
 間延びした返事を返して携帯を手離す。小さな黒い丸テーブルに二人分の食事が窮屈そうに並んでいた。今日はベーコンエッグがベーグルにサンドしてあって、レトルトのスープが隣で湯気を立てていた。
 ベッドから下りて床に座り込む。恭弥が俺の向かい側に座る。手を伸ばしてスープをすすった。熱かった。それくらいがちょうどよかった。ドロドロしたものに囲まれている俺は、そういう熱い感覚で自分の立ち位置を確認するのだ。
「…あのさ」
「ん?」
 遠慮がちに口を開いた恭弥に生返事を返しつつ、ベーグルサンドにかぶりつく。「携帯。ずっと鳴り止まないけど、誰からなの」その言葉にぱちと一つ瞬く。今まで訊いてこなかったことを恭弥から訊いてきた。でもすぐにやっぱり訊かなければよかったって後悔してるように眉根を寄せてる顔に、少しだけ笑う。
 恭弥のこういうところはかわいいと思う。女の子はこういうとこが強情で、携帯見せてだとか私といるときくらいはうんぬんて台詞を並べてくるから。だから、俺に言葉を押しつけないで待っててくれる恭弥のことは、少し好ましい。
 恭弥に伝える好きだも愛してるも、恭弥の心を吊り上げるためのエサ。愛してると伝えるのは飼い慣らすためのエサ。恭弥の心を俺に手繰り寄せるための言葉。
 愛してると囁いて抱き寄せれば簡単に堕ちてくれる。
 きっと恭弥はイイ男だったはずだけど、俺に出会ってから堕落した。限りなく汚れた愛でも恭弥はそこから自分で這い上がることをしなかった。俺が呼べば二つ返事でどこへでもやって来て、少し甘い声で愛を囁けばすっかりその気になって、恍惚とした顔で俺を見つめて、ベッドの中でも従順に俺に犯される。
 いつ抱こうと思ったんだったかきっかけを忘れた。押し倒した恭弥の灰の瞳が乞うように俺を見つめていたから、白い肌に噛みついて、抱いてもいいかなと思ったから男でもしてみたってだけの話。どんなぐあいなんだろうって興味もあったし、恭弥はきれいな顔立ちだったし、きっと啼いたらかわいいと思った。多分、それくらいのことを思って抱いたんじゃないだろうか。
 今日は嫌だと焦らすこともないし、俺の行動に文句をつけることもない。恭弥は俺に従順なのだ。本当に。
 ときどき見せる恭弥の寂しそうな顔や苦しそうな顔に気付いていないわけじゃない。その顔すら俺はただ楽しんでいるだけなのだから。
 俺のかわいいお人形。ずらりと並ぶ俺のための人形の中で、白い肌に黒い髪をして、寂しそうな灰色の瞳でじっとこっちを見つめている。
 少し手入れをしようか、と思った。遊んで振り回してばかりで、白い肌についた泥はそのままだし、ほつれた髪に櫛を入れたこともない。そのままにしておいたらこの人形はさらに汚れるだけだろう。なら少しきれいにしてあげようか。せっかくもとがきれいなんだから。
「恭弥、おいで」
 ベッドに寝転がったまま呼んでみる。床でクッションを抱いて無表情に雑誌に落としていた視線が俺を捉えて、クッションを手離してばさりと雑誌を落とす。
 ベッドの前に両膝をついてこっちを見下ろす灰の瞳に目を細めて、手を伸ばす。黒い髪を指で梳く。染めたことのない髪は少しもパサついてなくて、パーマも何もかけたことがないんだろう髪はとても触り心地がいい。焼いたことがないんだろう白い肌も、特に手入れなんてしてなさそうなのに、すべすべで、触り心地がいい。
「…何?」
「別に」
 白い肌を掌が滑る。だんだんと、恭弥の瞳に感情が宿る。無表情に近い顔でじっと俺を見つめて、ベッドに手をついて、上からこっちを覗き込んでくる。

 乞うような声音だった。キスがしたいと許可を求めている瞳に、頬を撫でていた手を添えて、もう片手を恭弥の頭に回して引き寄せる。唇を寄せてキスをする。ぎしとベッドに腕をついた恭弥は恍惚とした表情で俺を見つめていた。
 かわいそうな子だ。どうして俺なんかを好きになってしまったんだろうか。普通に女の子を好きになってればきっとイイ彼氏になったんだろうと思うのに。
「愛してる」
 そう囁けば、恭弥の瞳はいっそう潤んで、泣き出しそうなくらいに揺れて、俺に乞うのだ。「」と俺を乞うのだ。
 なんて操りやすい人形だろうと俺は笑う。嫌な笑い方ができればいいのに、やわらかく、相手を慈しむようにしか笑えない、そんな自分が嫌いだった。