これが僕と彼の最後

 彼と同じ場所にいる人間が許せなくて咬み殺す行為を続けていたら、いつしか彼の周りには誰もいなくなっていた。
 彼はトンファーを握り締める僕を見ても何も言わない。僕の重なる凶行を責めることも怒ることもせず、ただかなしそうに笑った。
 その声を、その姿を、彼の全てを誰にも見せたくなくて、全てを僕のものにしたくて、僕は彼を閉じ込めることにした。
 彼はやっぱりかなしそうに笑うだけで、僕を怒ることも責めることもしない。何か言いたいなら言いなよと促しても、彼は緩く首を振って何も言わない。黙って僕の喉に触れて、傷痕のある首を撫でてかなしそうに笑うだけ。
 僕はもう声が出ないのだから、君が喋ってくれないと全然会話が成立しない。僕が紙に文字を書き殴っても携帯に言葉を綴っても、君が見てくれなければ意味がないのに。
 いつまでもかなしそうに笑う彼にイラついてその顔を殴りつけた。トンファーで殴ったら怪我をさせるから、素手でだ。彼は簡単に倒れて、殴った頬を押さえてから冷たい床からゆるりと身体を起こす。
 普段なら息を切らすことなんてないのに、彼をただ一度殴ることが思っているよりずっと体力を使う行動で、肩で大きく息をする。彼はやっぱりかなしそうに笑い、ようやく口を開いて「雲雀」と僕のことを呼ぶ。
 名前で呼べと、何度言えば分かるのか。僕は君のことをと呼びたくてももう呼べないのに。その分、君が呼んでくれたっていいのに。まるで線引きでもしてるみたいで、本当に嫌だ。昔の僕が重なって、君が好きだと認めるものかと意固地になっていた自分が重なって、本当に嫌だ。
 襟首を掴んでその唇を噛み付く。彼はされるがまま抵抗ってものをしない。
 拒絶ではない。けれど、その逆であるとも思えない。
 言葉を失った僕は、彼の手を掴んで掌に文字を書いた。紙も携帯も見ようとしない彼に言葉を伝えるにはこれくらいしか思いつかなかった。掌にひらがなで文字を書き殴っていると、全部書かないうちに彼が僕の手を握り込んだ。殴ったことで赤くなっている頬を少し痛そうにしながら、「雲雀」と僕のことを呼ぶ。なんだか切ない響きで、切とした声音で。
 僕に、声がまだあったら。君のことをいくらだって呼んであげたのに。仕事で死に掛けて命を繋げた代わりに、この身体は声を失った。

「…っ、」

 どうにか喋ってみようと努力しても、掠れた吐息が背一杯で、音になることはなかった。
 かなしい顔のまま彼が僕の首筋に顔を埋める。「ごめん」と囁かれる声に緩く頭を振る。
 君が謝ることは何一つありはしなかった。僕が失敗しただけだ。相手が思っているよりもできて、負傷しただけ。君を置いて死んでいた事実に比べれば、声を失うことくらい、何も辛いことなんてない。
 閉ざした地下室で、逃げ込んだ最後の場所で、僕は彼に抱き締められていた。
 拒絶はなかった。きっと、許容で、甘受で、肯定だった。
 それはたとえようもなく幸せな瞬間で、どうして今まで意固地になっていたのだろうと愚かな自分を呪いさえした。
 たった一言想いを伝えていれば。認めていれば。僕らが辿る最後は、きっと少し違っていたのに。
 彼の胸に指を当てて、ひらがなを書く。わざわざ反転させて、彼に分かりやすいように、たったの三文字。だいて、と綴れば、彼は唇だけで笑った。

「ボンゴレが負けたよ」

 そう告げる彼の声は静かだった。着物の帯を紐解く手を止めないで、彼の腕に抱かれて寄りかかったまま唇だけでそうと呟く。そんなこと、ここに逃げ込んだ時点で気付いていたことだ。
 今はもう自分がいた場所にも興味はなかった。僕が最初から望んでいたのは彼の近くだったのだから、もうどこへ行く必要もない。彼の周りにいた人間は全て咬み殺してしまったし、彼を攫って誰も知らない地下に軟禁したのだし、ボンゴレという場所にもうしがらみはない。
 この部屋で僕らは朽ち果てるのだろう。肩をずり落ちた着物にそんなことをぼんやり思う。
 この世界は白い姿をした悪魔の手に落ちた。ボンゴレ率いる連合軍は敗れた。だから、もう終わりだ。唯一白い悪魔に対抗できる勢力が潰れたとなれば、もう世界に未来はない。

「雲雀」

 キスしようとする唇に指を押し当てて止めた。恭弥って呼んで、と唇の動きだけで伝えると、彼はまたかなしそうに笑う。「恭弥」と僕を呼んで何も纏っていない肌に唇を寄せてくる。
 彼の頭を抱き込んで目を閉じた。
 人生の最後に何をしようが僕らの勝手だ。それが道徳に反していようが人の道から外れていようが関係ない。僕は彼に抱かれることを選び、彼は僕を抱くことを選んだ。その結果が、今というだけだ。
 啼いている自分の声なんか聞きたくなかったから、吐息しか漏れないのは都合がよかったのだけど、彼にとってはそうではないらしい。「恭弥の声聴きたかったな」と囁いた声はさみしそうで、かなしそうで、その表情のまま彼は僕を犯した。びくんと身体が跳ねて、吐息をこぼしながら酸素不足と快楽に溺れる頭で考える。どうすればこのままめちゃくちゃにしてくれと伝えられるだろう。どうしたら笑ってと伝えられるだろう。どうしたらもっとシてと言えるだろう。どうしたら。どうしたら。
 啼けたら、一番よかったのに。声をなくしたことを少し後悔して、彼の背中に強く爪を立てた。ゆっくりとした窺うような律動は、次第に奥を抉るような深く激しい行為へと変わっていく。
 強く、背中の肉を抉るくらいに彼に爪を立てて、ズンと揺れた天井を見るともなく視界に入れながら、声が出ていたら悲鳴を上げていたと思うほどの強い刺激に視界が白く染まってチカチカと星が舞った。彼は止まらない。僕の膝が胸につくくらいぐっと身体を押しやって、そのまま僕を犯し出す。
 苦しいけれど、少し痛いけれど、それ以上に嬉しくて、快楽が心地よすぎて、気持ちよすぎて、もう何も考えられない。
 言葉があったら。残っていたら、声の限りに啼いていたのに。僕の口から漏れるのは飲み下すことさえできない唾液と吐息だけ。
 もうダメだと伝えることもできずに腰がびくびくと痙攣を起こして達した。耐えるように片目を瞑った彼が僕の半身を扱う。揉み扱かれて耐え切れず断続的に欲望を吐き出せば、繋がっている彼の半身を僕の内側が強く締め付けた。彼の欲望が僕の中を汚し、その熱さに意識が遠くなりかける。
 だけど、駄目だ。今手離したら、次に目を覚ましたときにどうなっているのか分からないから。
 かたかた震える身体で彼の背中に食い込ませていた指から意識して力を抜き、その肌を撫でた。きっと傷がついているし血が滲んでることだろう。
 は、と息をこぼしながら彼の手を引く。もう一回と唇を動かせば彼はかなしそうに笑った。その向こうでズンと天井が揺れて、電気の一つが不安定に明滅してやがて消える。

「もっと早く、声が聴けるうちに。抱いてればよかった」

 ぽつりとこぼした彼が僕にキスをした。繋がったままの彼の昂りはまだ熱く、硬く、キスしたまま彼は僕を犯し始める。馬鹿じゃないのと言いたくても唇が塞がっていて彼に言葉を伝えることはできず、押し寄せる快楽にすぐに思考も流された。
 天井が揺れる。また一つ電気が消えた。
 二度目の絶頂に身体が跳ねる。痙攣する身体が彼を求めて収縮を繰り返し、堪え切れなかった彼が僕の中を再度汚した。
 は、と息をこぼす。視界が霞んでいた。、と呼べない彼の名前を呼ぶ。キスがしたいと乞えば、僕に微笑んだ彼が唇を寄せてくる。
 地響きのようなものが近付いている。世界は終わるのだ。少なくとも僕らにとっての世界は、未来はなくなる。地上も地下も海底も空も白い悪魔が支配し、僕らは死ぬ。終わり方は死の一択だ。悪魔のもとにつくことを拒んだ時点で、もう決まっていた死だった。
 は、と息をこぼす。もう一度と彼の手を握る。戸惑ったような顔が今は愛おしい。君は僕が声をなくしてからずっとずっとかなしそうに笑ってばかりで、せっかく豊かな表情をしてたのに、もったいないと、ずっと思っていたんだ。
 それに、文字を書かなくたって、君は僕の言いたいことが分かるんだね。それがたまらなく嬉しい。
 三度目になるセックスを重ねて身体が軋み出した頃、天井も軋み出した。
 彼は一度も上を見ることはなかった。僕だけを見ていた。僕も天井だけを見ることはなかった。彼の向こうにたまたま天井が見えるだけで、僕が見つめたいのはいつだって君だった。
 電気が最後の一つになって、やがてブツッと途切れた。訪れた暗闇の中、震える指を意識して最後のリングに炎を灯す。ないより、マシだろう。
 彼も右の中指のリングに炎を灯した。暗闇の中でお互いの命の火に照らされながら僕は彼に犯され続ける。
 今はもう、何も考えたくはない。
 もうすぐ死ぬんだということも。声をなくした代わりに繋いだ命が呆気なく途切れるのだということも。それでも彼と一緒にいけるのだから、もうどうだっていい。

「…ッ!」

 声が、出ない。啼ければいいのに。
 びくんと跳ねる身体は刺激を受ける度に僕の意思とは関係なく震えた。「恭弥」と僕に口付ける彼の表情が炎に淡く照らされている。離れた唇に愛してるとこぼした。彼は笑った。僕が自分の気持ちを認めるものかと躍起になりながらそれでも君のそばにいたとき、君はそんなふうに屈託なく笑っていた。
 あの頃が、とても、懐かしい。
 どれだけ願ってももう戻れはしないのに。
 びくんと腰が跳ねて、またイッた。
 弓なりに反った背中が床に沈み、不吉な震動を重ねる暗闇に落ちた部屋の中で、愛してるとこぼす。
 リングの炎だけが光を宿す視界の中、彼はとても優しく笑っていた。

「恭弥。愛してる」

 そうして僕が望んで止まなかった言葉を告げた彼に、四度目を許しながら、声の出ない口から唾液と吐息をこぼしながら、全てが終わるそのときまで、僕は彼に抱かれ続けた。

 終焉まであと、