地球が温暖化の一途を辿るせいで年々暑さというものを意識するようになった、世間は連休真っ只中であるその日。部活動だって休みなのに、わざわざ学校にやって来る物好きがいた。 「雲雀、今日誕生日だね。おめでとう」 その物好きは、本当に物好きらしく、僕の誕生日なんてものを祝いに来たらしい。 ふっと短く息を吐いて、僕はそいつの存在そのものを思考から流した。 書類に目を通してサインするという仕事を続けていると、目の前で笑みを絶やさない彼はちょっと傷ついたらしい。そういう顔をして「え、あれ、もしかして間違った…? 今日じゃない? こどもの日が雲雀の誕生日だって聞いたんだけど」花束抱えて一人うるさいそいつをじろりと睨む。仕事の、邪魔だ。 「確かに僕の誕生日というやつは今日だけどね。それが一体なんだっていうのさ」 「あ、今日なのか。そっかよかった。だから、はい、おめでとうって祝いに来たんだ」 花束をこっちに差し出してにこやかな笑顔を浮かべる相手を睨みつけ、パチンと指を鳴らすとガラッと応接室の扉が開いた。控えていた風紀委員二人に顎でしゃくって彼を示し、「放り出して」と言えば、畏まった二人がそいつの両脇を固めて引きずってでも連れて行く。「えっ、わ、ちょっと待ってせめて花、をっ」ずるずる引きずられて慌てている彼が持っている花束を、迷った末に放り投げた。それが僕に向かってだったから、仕方なくキャッチする。 ピシャン、と閉まった扉から花束に目を落とすと、その辺の雑草とそう変わらないような花が見えた。 …花というか。たんぽぽの綿毛に、紫っぽい色がついたもの、というか。これは花なんだろうか。というか、誕生日おめでとうってわざわざ持ってきたものがこんな雑草に毛が生えた程度のものだとか。あいつは一体どういうつもりなのだろう。僕を怒らせたいのだろうか。花束作るなら他にいくらでも。 そんなことを考え始めた自分にはっとして、花束をその辺に放り投げてやろうと振り被って、手が止まる。 ……花に罪はないなんて。そんなこと、考えるだけ馬鹿げてる。 しばらく花を睨みつけて、嘆息してソファから立ち上がる。 花瓶くらいここにもあったはず。花を活けるくらい僕にだってできる。 午後になって、休憩を兼ねての見回りに出ると、校庭でまたあいつに会った。、だ。 彼は木の幹を撫でたり触ったりとよく分からないことを続けたあと、僕に気付いたらしい。「雲雀」と僕に笑いかける彼に顔を背けて歩き出し、少し行ったところで肩越しに視線をやってみると、今度は木の根元辺りで何かしている。…何してるんだあいつは。 帰ってきてまだいるようなら注意してやろうと決めて、規定ルートの見回りをすませ、今日は寄り道しないで学校へ戻った。いつもならその辺をうろついて他に獲物がいないかと探すのだけど、今日は、もう帰る。…はきっとまだ校庭にいる。そんな気がするから。 彼を見かけた場所に行くと、木の幹に透明テープみたいなものを巻いている姿を見つけた。ずんずん歩いていってがしとその腕を取れば、土とかその辺りのもので汚れた彼が「ああ、雲雀。おかえり」と僕に笑う。 「何をしてるの、君は」 「何って、緑化委員の仕事の一環。この桜幹が傷んでるから、手当て、かな」 桜、と言われて視線を上げる。今は緑の葉を揺らすだけのこれは、少し前には桃色の花を咲かせていたのだ、そういえば。もうすっかり忘れていたけど。 僕は、そのときに。彼と。彼を。 思い出しそうになってぐっと強く彼の腕を握った。片目を瞑って「雲雀痛いよ」と言う彼は、痛いと言ったくせにまた笑う。意味もなく。掴んでいた手を離して「学校は休みだ。仕事なんてしなくていい」と言うと、彼は首を傾げる。「雲雀はしてるよ」と。僕は口を開いて、何か言おうとして、結局何も言えずに視線を逸らした。 僕は、他にやりたいことも、ない。だからここにいるようなものなのだ。 世間は連休だ。一年に一度休みの日が続くゴールデンウィークという連休の真っ最中。普通なら、子供なら、遊び呆けてたって何もおかしくはない。いや、その方が正常だ。普段与えられないものを与えられ、味わうのは、正当な行為なのだ。 僕はもとからこうだった。与えられるものにあまり関心がなく、自分の関心事にだけ思考を割き、あとは本当にどうでもいいと切り捨てられる。 だけど君は違っていた。普通だった。普通の子だった。休みの日になれば子供らしく外へ遊びに行き、友達と同じ事柄を共有し、学業にそれなりに励む、普通の子だった。 君はおかしくなってしまった。 こんなふうに、休みの日に学校に来てわざわざ僕の誕生日を祝ったり、しなくていいのに緑化委員の仕事をしたりして。それは確かに君の自由だけれど、以前の君なら、しなかったことなのに。 君は変わってしまった。 それは全て、この春に起こった事故を起因にしている。 「…もういいって、言ってるだろう」 幹の手当てを続ける彼の手を掴む。樹液なんかで汚れた手はざらついていた。無理矢理引き剥がすと「でも桜が」と彼が手を伸ばす。緑の葉が応えるように揺れるのが、憎い、と思う。 この春に、の恋人が死んだ。事故だった。 家族旅行中だった恋人とその家族は居眠り運転のトラックに派手に衝突され、防音壁を突き破り高架下へ転落、車は炎上。トラックも減速が間に合わずに車の後を追って転落、炎上した。死者はあれど、生者はいない。 彼だってその恋人だって中学二年なんだから、相手との関係は浅いだろう。 それでも傷痕は残る。そして抉る。心というものを際限なく抉り続け、彼を蝕んでいく。 僕にはその音が聞こえる。…もうずっと、そんな気がしている。 「」 強く呼べば、掴んだ手を離さず力も緩めない僕に、彼は諦めたようにうなだれた。「でも、片付けとかが…」「やらせるからいい」彼を引きずって歩き出し、もう片手で携帯を操作して適当な風紀委員を呼び出し、彼が広げた道具の片付けを命じる。 まだ桜に未練がありそうな視線を送っているの意識をどうにか僕に向けさせなければ。そんな焦りにも似たものが背中を押す。 「…ところで、あの花束、何。選ぶならもっとマシな花にしなよ」 探し出せたことは結局それくらいだった。ただ、それでも彼の関心を惹くことには成功したようだ。こっちを向いた彼が「ああ、あれはね、おじぎそうっていうんだ。雲雀の誕生日の花」「へぇ」関心はないけど相槌を打つ。そんな僕を知ってか知らずか、彼は笑う。笑って言う。 「おじぎそうの花言葉は、敏感、繊細。この日に生まれた人の恋のタイプは、恋愛ベタなんだって」 雲雀は恋愛ベタなのかな、と首を傾げた相手の頭をスパンと平手で殴った。「いだっ」と漏らした相手が痛そうに頭をさする、その片腕を拘束したまま歩いて、この馬鹿、と胸中で彼を罵る。そんなこと君に言われなくたって分かってるよ。花で示されなくたって分かってるよ。分かってる。解ってる。自分のコトなんて君より誰より。 ごめん雲雀、と謝る彼を一瞥して、前を向く。彼を桜から引き離したい一心で僕は彼を引きずって応接室へ向かう。そこくらいしか、僕の行けるところもない。 黙々と歩いて応接室に入り、彼を押し込む。さっきは追い出したのに今度は連れ込むのか、と自分の矛盾に苛立ちながらピシャンと扉を閉じれば、テーブルの上の花瓶に気付いた彼が笑った。 「あ、活けてくれたのか。雲雀のことだから捨てたんじゃないかと思ってた」 …確かに、一度はそんな苛立ちが募った。こんなもの、って。だけど次には、君がくれたものを無駄にできるはずがない、と諦めていた。そんな僕を君が知るはずもないけれど。 ふいと顔を逸らして「気紛れだよ」とぼやいて書机に向かい、椅子に腰かける。ぎいと軋んだ音。はソファに寝転がって指先でおじぎそうをつついたりしている。僕が黙って仕事を始めると、そのうち花をいじるのにも飽きたらしく、僕のところまでやって来た。「何してんの?」と手元を覗き込む顔を一瞥して「仕事」とだけ返して近い顔を肘で押しのける。僕の肘を掴んで押し戻す手の温度を、なぜか意識してしまう。 「雲雀さぁ今日誕生日だろ? 誕生日くらいそういうのやめたら」 「関係ないだろ。誕生日がどうとか、どうでもいいんだよ」 「今日は雲雀の生まれた日じゃん。それってめでたいじゃん。そうは思わないわけ」 ずいと顔を寄せられて反射で仰け反った。机についた手からペンが離れて転がる。 誕生日が、めでたい。だから、誕生日おめでとう、が通例なのか。 近い顔から顔を背けて「別にめでたくない。…僕なんか、生まれていない方が、きっと」言いかけて口を閉じる。が、いつにない強い意志の瞳で僕を見ていたからだ。そんなこと言うもんじゃないって目に書いてある。 ああ本当。君は馬鹿だ。 はぁ、と息を吐いて彼の肩を両手で押した。 彼に触れている手に意識がいく。どうしてか。 僕は、自分の誕生日なんて、どうだっていいのに。今までだってどうだってよかったのに。それなのに、今年は、君が気紛れに、誕生日おめでとうなんて僕を祝うから。そんな真剣な目で僕のことを見るから。 僕は。 「…分かったから、どいて」 彼を押しのけ、広げていた書類を片付け、転がっているペンをケースに入れた。 がまだこっちを見ている。その視線が鬱陶しくもありくすぐったくもあり、机の上をきれいにした僕は彼を睨んだ。負けるものか、と。 「で、僕の誕生日なんだけど。今日くらい仕事をするなって言う君は、僕にどうしろって?」 「あー、そうだな…。仕事おしまいにしてくれるなら、俺付き合うよ。どこでも行こう。とりあえず学校以外ね」 へらっと笑ったを睨みつけ、ふっと息を吐き、僕は諦めた。 仕方がないから。本当に仕方がないから。今日くらい、風紀の仕事、サボってあげるよ。 |