俺の名前は。今年20になって、親から法律的に放任されることが決定された歳になった。
 気紛れに成人式に顔を出したら顔見知りからさんざんこう言われてからかわれた。
「お前ホストみたい」
 それが誰も彼もに言われる言葉で、俺はそれを笑って受け流してそんなわけないだろなんて答えていた。
 実際のところ、俺の職業は皆が言っていたろう一般的な『ホスト』ではない。
 正しくは、女性相手にそういう仕事をしない、ってことかな。同性相手にそういう仕事をする、まぁ、ホストなんだけど一般に言うそれとは違うよ、ってところで仕事をしていた。
 なんで男を相手にすることを選んだかっていえば、そっちの方が楽だったから、だ。
 異性のことは嫌いじゃないけど、正直面倒くさい。人によってイかせるテクだとかが違うし、すぐ感情に走って愛してる愛してないだとか話がこんがらがってくるとよっぽど面倒くさいし、店はそっち方面までは庇ってくれないし。
 すぐ感情的になる女性よりは、ある程度割り切って店に来る男を抱いた方がよっぽど楽だった。男は抱く感覚がだいたい一緒だから考えないでいいし、中途半端な気持ちのままでもヤることヤればお金は入るしね。
 恋なんてさ、面倒くさいだけじゃないか。愛なんてさ、もっと面倒くさいだけだ。
 俺は割り切ったお付き合いというのが性に合っていた。だからホストを選んだ。
 女性相手が面倒くさかったのであまり抵抗感なく男を相手にすることを選んだ。理由はそれくらいだ。
 成人式を終えた俺は晴れて親元から離れ、一人暮らしの部屋を選び、今までバイトという立場だったホストを職業として食っていくことを選択した。
 俺の指名数はまぁそれなり。ホスト仲間との仲もそれなり。一端ながら、顔の一人として店の外で客引きすることもある。
(客引きかー…めんどくさ)
 まだ肌寒さが残る春の夜に、スーツのジャケットをしっかり着て外に出る。
 所謂ハッテン場の隅っこに陣取っているこの店にはそういうお客しか来ないし、外を行く人もまぁそういう人ばっかりだ。ここは性行為をするためにやってくる場所。間違ってもガラ違いの奴はやってこない。
「…?」
 いつもの公園の空気に目を細めて、向こうの方の街灯の下に歩み出てきた姿に、ごし、と目を擦る。眠くて見間違えたのかと思って、何度か目を擦ったあと、瞬きをして見えている景色を確認した。
 ……間違いない。俺の目はしっかり現実を映している。
 細身でスーツを着こなして公園をまっすぐ突っ切ってくるのは、顔見知りだった。遠くからでも分かる整った顔立ちを憶えている。雲雀恭弥。クラスは同じになったことはないけど、並盛中学ではあらゆる意味で有名だったから、よく憶えてる。
 勘違いであったらいいと思うのに、雲雀は俺の姿を認めて目を細めた。そのまま歩みを止めずに歩いてくると俺の前で立ち止まる。
「やぁ」
「…いらっしゃいませ?」
 疑問符をつけてみると、雲雀は笑った。「そうだね。お客さまだよ。案内してくれる?」と小首を傾げる姿に視線を彷徨わせ、ごほん、と一つ咳払いをしてちょっと顔を寄せた。「お前、何しに来てんだこんなトコに。襲われるぞ」「撃退できるから問題ないよ」「いやそういう意味じゃ……あと、お客って本気? 冷やかしじゃなくて?」きれいな顔の雲雀を観察する。冷やかしかと訊いた俺に雲雀は機嫌を損ねたように腕組みした。
 クラスメイトとか顔見知りとかがこの店まで辿り着いたことはなかったし、そういう知り合いはいなかった。なのにここへ来てよりにもよって雲雀に見つかるとか、なんて、ツいてない。
 俺の心情を悟ったようなタイミングで雲雀が涼しげな笑みを浮かべる。それで、ただでさえ寒いのに俺の背中はさらに寒くなる。
 もしや、並中卒業生のくせにこんなトコで働いてる俺に雲雀が何らかの制裁を下しに来たんじゃ、とか思った。風紀委員長とかやってたくらいだし、雲雀は風紀にうるさいんだろう。多分。だったら風紀を乱しまくる俺みたいな奴にはきっと容赦ないはずだ。そう思うと感じる肌寒さが増した。
 雲雀が喧嘩に強いことは、中学の頃噂でよく聞いていた。ほそっこい身体をしてるけど空手とか柔道とかすごく強いらしいとか、それで向かってくる相手をコテンパンにしてるんだとか。
 もう中学生ではないとはいえ、並中生であったことは確かだし、並中卒業生って事実は俺に一生ついて回る。断ち切ることはできない。
 自分を正当化するための言葉が呆れるぐらいに頭の中を埋めていく。
 言い訳すること、上手く誤魔化すこと、話の軸をズラすこと、責任転嫁すること。卑怯で汚い手は生きていくことについて回って、すっかり俺の中を占拠した。そしてそれらで武装した俺に雲雀は小首を傾げたまま「ねぇ、寒いんだけど。中に入りたい」と店に行く意志を譲らなかった。…何度も本気かと訊くのも野暮ってもんである。
 俺は、客引き一名様確保、と頭の中でいつも通りのことを思って、いつものように雲雀を店の中へと案内する。雲雀が深くツッコんでこないことにほっとしつつ、メンバーの顔写真と簡単なプロフィール、コースに応じたメニューの値段なんかが載ってるパンフを差し出す。
 ここは仕事場だと頭を切り替えた俺は「ご指名はおありですか?」といつものように営業スマイルと一緒にそう訊ねた。雲雀は興味なさそうにパンフを眺めて一言、
「君」
「…はい?」
「だから、。君と話をしたい」
 パンフを折ってポケットに捻じ込んだ雲雀は当たり前のようにそう言った。
 つい昨日並中で成人式を迎えたとき、雲雀は着物で袴を穿いてたっけ。ちらりと記憶を過ぎった着物姿と今の雲雀のスーツ姿を比べて、着物の方が似合うかな、なんて思った。
 カラン、と涼しい音のするカクテルが二つ、カラオケボックスのテーブルに並んだ。
 雲雀は俺の隣で興味なさそうな涼しい顔で薄型テレビを見上げている。俺はその隣で、部屋の外へと消えていくヘルプの後輩を見送りつつ、なんでこんなことになった、と絶賛自問自答中である。
 基本はバーでオーダー形式を取ってるウチでは、込み入ったことをする場合は個室を取ってもらう。個室って言っても思いっきりカラオケで使うボックス部屋のことを指し、二人だけで話をしたい、カラオケがしたい、もっと込み入ったことがしたい、などなど、使用される頻度はそれなりで、込み入ったことをする場合も考えて、ソファはそれなりにいいものにいいカバーをかけて使用している。
 この間ココでいい年齢の親父を抱いたことを思い出してちょっと胸がムカついた。仕事じゃなけりゃ顔だって見たくないような親父だった。
 カクテルの細い脚をつまんでぐいっと呷った俺に、雲雀が流し目を向けてくる。相変わらず涼しい目元だった。こんな店に来なくたってお前が誘えば男だって落ちるだろうよ、と思いつつ「で、オーダー通り個室だけど。雲雀、どうしたいの」と率直に訊ねてたんとテーブルに空のグラスを置いた。雲雀は涼しい顔のまま「じゃあ単刀直入に言うけど」「どーぞ」「僕のこと抱ける?」…聞こえた声に俺が動揺したのは言うまでもない。
 待て待て、と自分にストップをかけて、ぎぎ、と雲雀の方に顔を向ける。雲雀はいたって普通の顔で俺のことを見ていた。なんで俺の方が動揺してんだよ。
「…本気で言ってんの? それ」
「僕が冗談なんて言えると思う?」
「思わない…けど。だって、お前、そっちのケじゃないだろ。自分が言ってること分かってる? ここは所謂ゲイが集まる店で、指名して個室取って二人になるってことは、俺と寝るんだよ? セックスすんだよ? そこんとこ分かってる?」
「分かってる。子ども扱いするな」
 俺の言葉を切って捨てた雲雀がスーツのジャケットを脱いだ。ネクタイもう外して放り出す。
 ぷち、とシャツのボタンを外そうとする手をがしっと掴んだ。何するのとこっちを睨む雲雀に俺の方が目が泳いでしまう。
 ここはそのための店だ。分かってる。俺はそこに勤める一店員だ。指名率を一定数維持しないと客を得る店員からただのヘルプに立ち位置が下がる。イコールで給料も大幅に下がる。それを回避するには客を得てお金を搾り取らないとならないのだ。バーから個室へと誘ってそこで金を落としてもらい、カクテルやワインの酒類を勧めてまた金を落としてもらい、話術で相手を操ってカラオケしたりキスしたり、最後には寝たりしてまた金を落としてもらう。それが俺の仕事だ。だからこれは俺の仕事だ。変わらない。分かってる。
 でも、やっぱり、なんか違う気がする。
 雲雀の灰色の瞳が細められた。「何で君が躊躇うの?」「…なんか違うから」「何が?」「……雲雀は、こんなトコで汚れちゃいけない、気がする」自分でもよく分からないことを言うと雲雀は呆れた顔で俺を見た。「君、仕事する気あるの?」と首を傾げる姿に渋々頷く。別にしたかないけど、ここにいる限り俺はそうすべきだ。だから、お前を、抱くべきだ。お前がそうしてくれって望むのなら余計に抱くべきだ。自分のすべきことは決まってる。
 だけど。
 ふーんとこぼした雲雀がついと視線を逸らした。「君は僕を抱きたくないわけだ」とぼやく声がちょっと機嫌が悪そうに降下する。
「いや、ちょっと違う。俺は雲雀にこんなトコで汚れてほしくないだけで」
「ふーん?」
 ぼやく雲雀の声がさらに低くなるので、「どっちかって言われれば、抱きたい」ぽろっとこぼした自分を次の瞬間には殴りたくなった。引っぱたいて何言ってんだよこの馬鹿って叫びたい気分になった。雲雀はそんな俺をちらりと一瞥しただけで、それ以上は何もツッコんでこなかった。
 それっきりむっつり黙ってしまうので、俺としてもすごくい辛い空気が漂う。
 何か。何か空気を変えたいけど、でも、どうすればいいんだ。こんなパターン今まで味わったことがなかったからいい対処法が思い浮かばない。
「そ、そういえばさ。成人式の着物姿、似合ってたよ。個人的にはスーツより着物着た雲雀の方が好きかも」
 とりあえず当たり障りないことを言ってみる。雲雀はぶすっとした顔で「僕の普段着は着物だ」とぼやいただけでまた黙り込んでしまった。
 つまり、今のって普段着が着物なんだから似合ってて当然だって意味か。遠くから見て思ってはいたけど、雲雀ってやっぱりプライドとか高そうだ。
 この微妙な空気に喉が渇いた、と思ったところへ雲雀が手をつけてないカクテルのグラスを差し出してきた。「あげる」と言われたので、ありがたく受け取る。飲んでいいのかと目で訊いたけど雲雀はまたそっぽを向いてたから、ありがたく飲み干した。
 ああ甘い。でもアルコールはそれなりに入ってるから、何杯も飲むのは結構キツい。
「雲雀は、さ」
「…何」
「なんで、ココ来たんだ。つーかどうやって捜したんだ。俺、ココに勤めてるなんて誰にも話したことないのに」
 たん、とグラスをテーブルに置く。雲雀はそんなことかと言った感じで吐息して「君のこと調べるのなんて朝飯前だよ。ここへ来たのは…」そこで一度口を噤んで、恨めしそうに俺を睨めつける。
「君と、いたかったから」
 …その言葉を控えめに受け取っても、告白みたいだ、と思った俺の頭は、酒で多少緩んでたんだろう。と思っておく。

 雲雀はどうやら朝まで俺を拘束するつもりらしく、あれこれと物を頼んだ。追い出されることがないように、俺が他の指名希望の奴に取られないようにと、シャンパンとかワイン一本とか、ピザとか、イカのつまみとか、焼き鳥とか、適当に色々頼んだ。
 こんなの絶対残る。お持ち帰りができるわけでもないから残したらそれだけ無駄になるのに、とは思ったけど、雲雀がお金を落としてくれるのはイコール俺の給料へと繋がるので、強く止めることができなかった。そんな自己中の自分がちょっと嫌になる。
 もっと誰か、自分以外を大切にできたら。こんなとこで身体売る商売に徹する以外の未来があったかもしれないのに。
 涼しい顔のままだったけど、雲雀もほろ酔いにはなったらしい。頬が少し健康的に上気している辺りでそう感じた。
 雲雀がワイングラスを呷り、たん、とテーブルに勢いよく置いてじろっとこっちを睨んで、イカをつまんでる俺との距離と詰めた。酒が入ってるわりには素早い動きだった。さすが空手とか柔道とかできる奴は違うな、とちょっと感心した間に避ける間もなくぐっとネクタイを掴まえられ、ぐいと引っぱられる。
 しまった、と思ったときには遅くて、俺は雲雀とキスをしていた。白ワインとイカの味が混じるというあんまりよろしくない感じのキスの味になった。
 さらり、と黒髪が流れる。雲雀の長めの前髪が視界にかかっていたので、指先で払って撫でつけてやる。
 灰色の瞳は俺を見つめていた。その目を見て、いい顔してるな、と思った。
 うん、イイ顔。そそられる。
 シャツの上からでも分かる細い腕が俺の首に回る。俺とさらに距離を詰めるように身体を寄せてきた雲雀はキスをねだり、俺はそれに応えていた。
 思考がぐるぐるする。
 雲雀に汚れてほしくないと思ったのは本当だ。お前みたいなきれいめな男ならちゃんと恋してセックスした方が絶対いいんだから。相手だって探してないだけで掃いて捨てるほどいるはずなんだし。だから俺とこんなインスタントな売り買いの行為なんてしてないで、もっと本気で、一生懸命、恋すればいいのに。
「…なんで、君が泣くの」
 ぼやいた声にぱちと一つ瞬く。俺から離れた舌が目尻を舐め上げた。生ぬるいそれに片目を瞑る。一個外れたボタン、その向こうに覗く鎖骨をかじりたい、と思う自分を抑えつける。「いや。なんか。もったいないから」「何が」「雲雀が、こういうことしちゃうのが」は、と呆れた息を吐いた雲雀が俺の頭を叩いた。「余計なお世話だよ」と切って捨てられ、そうだよなぁ、と俺も笑う。
 雲雀が俺と寝たいって言うならお前と寝るのが俺の仕事。セックスしたいってんならウリ専の俺はお前を抱くのが仕事。
 でも。なんでかなぁ。俺はお前を抱きたくないんだよ。
 雲雀は俺にとっても魅力的だ。細い腰で、きれいな顔で、鳴いたらどんな声を出すんだろうとか、どんなふうによがって俺を呼ぶんだろうとか、色々思うことはある。
 でも一番は。お前にこんな場所で汚れてほしくないってこと、なんだ。