伝えていれば、よかった

 起きたら、これは夢だったってことにならないだろうか。そんな淡い期待を抱きながら慣れない畳の上の布団で眠って、目を覚ますと、やっぱり畳の上の布団の中だった。
 ちゅんちゅんと平和的な鳥のさえずりが聞こえてくる。それからかっこんと竹筒が石を叩く音がする。布団から出るの、なんか億劫だ。
「寝坊だよ」
「、」
 さらりと髪を揺らした指の感触とその声にぱちっと目が覚めた。枕に埋もれた顔を上げると、目の前に着物姿のキョーヤがいる。いつからいたのか全然わからなかった。俺、これでもマフィアの一端なのに。もうちょっと緊張感とか警戒心とか持った方がいいのかも。
 そう考えてから、ああ、相手がキョーヤだからかな、なんて都合のいいことを思う。
 キョーヤじゃなかったら。多分、起きてた。
 首を傾げるとキョーヤの黒い前髪が揺れた。「そんなに疲れてるの?」と言うからゆるゆる首を振る。いや、疲れてるのかもしれないけど、大丈夫だ。多分。
 俺の知るキョーヤが十年歳を重ねたキョーヤ。それがここにいるキョーヤ。俺はここにいるべき十年歳を重ねた俺と入れ替わりになるようにここへやってきた、らしい。じゃあ過去に未来の俺がいるんだろうか。それもなんだかおかしな話だ。
「君の手料理が食べたいな。久しぶりに」
「一緒にいたんだから、食べてたんじゃないの?」
「…僕は先日大きな仕事を終えて並盛に帰ったばかりでね。君と会ったのは一ヶ月ぶりだよ」
 さらりと俺の髪を揺らしたキョーヤは少し寂しそうだった。「ごめん」「何が」「再会の邪魔したからさ」「…変なところで気を遣わないでくれる。君は君だ」呆れたような息を吐いて立ち上がったキョーヤ。もそもそ布団を抜け出して、今の言葉は嘘だな、なんて考える。確かに俺は俺だけど、そうじゃない。俺だって今のキョーヤに違和感を感じたままなんだ。きっとキョーヤだって十年前から来た俺に違和感を感じてるに決まってる。
 広い屋敷の中を迷いなく進んでいくキョーヤに続きながら、小さな羽音が耳に引っかかって、視線を中庭に投げると黄色い小鳥が見えた。ひよこ、じゃない。似てるけど、なんだあれ。ひよこは飛ばないはずだ。
 飛んできた小鳥はもふっと俺の頭に上手に乗っかった。人懐こい鳥だ。
「キョーヤ、この鳥何?」
「ペット、みたいなものかな」
「ふーん…」
 頭の上から退かなかったから、鳥を乗っけたままキョーヤの後ろを歩く。
 ほどなくして台所のある部屋に行き着いた。一番目についたのは、和風を統一してるこの屋敷内に似つかわしい大きなオーブンだった。しかも業務用だ。なんでキョーヤんちにこんなものが。思わず駆け寄って「え、何これすごい。ねぇこれどしたの」感動する俺にキョーヤは肩を竦めてみせる。「君のために買った」「え、俺?」「家庭用じゃ限界があるだろう。専用のがほしいって言うから、仕方なくね」「へー…」ぺたりとオーブンに手を当てる。すごいな、これいくらするんだろう。絶対高いのに。
 ピッツァを作りたいな、なんて思う。窯焼きには勝らないけど、おいしいのができる気がする。
 隣の棚をあされば、生地作りに必要な材料は全て揃っていた。冷蔵庫を覗けばチーズもトマトソースもバジルもある。これならピッツァ作れるな。
「キョーヤ何が食べたい?」
「ピッツァかな」
「え、ハンバーグとかじゃなくていいの?」
 きょとんとした俺にキョーヤは呆れた顔をした。「君が得意なものでしょう。マルゲリータ」当たり前のようにそう言うキョーヤに驚いてしまう。俺はそう言ったことはないけど、十年後のキョーヤはちゃんと知ってるんだ。俺がマルゲリータ作るのが得意で、好きなんだってこと。
 変なところで嬉しくなってしまう。
 そうか。俺とキョーヤって、未来でも本当に一緒にいるんだな。そう思ったらほっとした。
 冷蔵庫からモッツァレラチーズとバジルの葉とトマトソースを取り出す。せっせと準備する俺の頭にはまだ黄色の小鳥が乗っている重みがある。
(よく怖がらないなこの小鳥。っていうかキョーヤ、ペット飼うんだ。群れるのは嫌いだって言って咬み殺すとか言ってたくせに。あ、もしかして十年後のキョーヤってかなり丸くなってる、とか? ならリボーンに与えられた仕事は果たしたってことだな。キョーヤを丸くするためにイタリアから日本に飛んだんだもんな、俺)
 色々考えつつ生地作りをしていると、戸口によりかかっているキョーヤが欠伸を漏らした。「キョーヤ、三十分はかかるよ。いいよ寝ても」「…眠いんじゃない。退屈なだけだ」むすっとした顔で返されて思わず笑う。ああ、そういうところは変わってないんだね、キョーヤ。
 見てても別に面白くないのに、キョーヤはじっと俺を観察していた。灰の瞳が俺の行動全てを追いかけている。それもなんかちょっと、いや、だいぶくすぐったい。
 四十分後、大きなオーブンでマルゲリータを二枚焼いた。焼き上がった生地にぱらぱら上から生のバジルをのせれば完成だ。まぁまぁ満足いく仕上がりになった。本当なら粉を強力粉とか薄力粉じゃない本格的なのにしたいとこだけど、この際贅沢はなしだ。
 大きめのお皿を出してきて、オーブンからピザを出して載せる。ふらりと寄ってきたキョーヤがピザを見て目を細めた。「同じだ」ぼそっとしたその声に「え?」「なんでもない」ふいと顔を逸らしたキョーヤが俺の手からお皿の方を持っていく。適当な椅子に腰かけると切り分けてないのにさっそく食べ始めた。まだ熱いと思うよキョーヤ。
 冷蔵庫からオレンジジュースを出してコップ二つに注ぐ。持っていくと、キョーヤはコップを一瞥してから受け取った。
「熱くない?」
「熱い」
「だよね。おいしい?」
「うん。おいしい。君の味だ」
 灰の瞳を細めてそんなことを言うキョーヤに、そうかぁ、キョーヤ俺の味とかわかるのか、と若干照れ臭さを覚えたりする自分がいる。
 オレンジジュースを一口飲んでから、適当な感じに並べてある椅子に腰かけて、同じようにピザを食べた。二人で黙々とピザを食べる。キョーヤは食事中の会話はあまりしない。それは十年後も同じようだ。
 朝からピザって重いなーと思ったけど、仕方ない。それに久しぶりだし、やっぱり慣れ親しんだ国の味は懐かしいものだ。慣れない現状の中にいても安堵を誘ってきて、いくらか心が和らぐ。
 そういえば、十年後の俺ってまだマフィア界にいるのかな。っていうかキョーヤは今マフィア? なのか? うーんどうなんだろう。よくわかんないな。
 キョーヤが先にピザを食べ終わった。オリーヴオイルのついた指を舐めると「今日は出かけるよ」とまた唐突なことを当たり前のように言うから、ピザを頬張りつつ「ふぇ?」と抜けた返事をする俺。あ、今の馬鹿っぽい。
 オリーヴオイルのついた指を舐める舌の動きをなんとなく追ってしまってから意識して視線を外す。なんかエロいぞキョーヤ。そういうこと考える俺がエロいのか? どっちだ。
「現状をわかってもらいたいし。あとは、着替えとかいるでしょ」
「ああ、うん」
 ぱく、と最後のピザを口に詰め込んで食器をシンクに置いた。オレンジジュースも飲み干す。あ、洗わないと。
「行くよ」
「え、洗い物は?」
「しなくていいよ。誰か片付けるから」
 さっさと歩き出すキョーヤを慌てて追いかけると、俺の頭からばさりと小鳥が飛び立った。慣れたようにキョーヤの頭に着地する辺り、ペットって話は本当っぽい。
「…ナンですかあの怖い人達は」
 キョーヤと色違いのスーツを着て外に出ると、並盛の町はいつもどおりだったけど、やや目立つ人達がいた。こっちと同じくスーツなんだけど、かなり怖い顔をしてる。間違いなくこっち側の業界の人間だ。
「ミルフィオーレだよ。そういうファミリーがあるんだ」
「ファミリー…で、あの人達血眼になって何してんの?」
 睨みを利かせてる人達は、誰か、あるいは何かを探してる感じだった。俺の隣でくすりと笑ったキョーヤが「さすがにわかるか。うん、彼らはボンゴレの人間を潰そうとしている」「…え? ボンゴレ、を? ミルフィオーレってそんな大きな組織なの?」「そうだよ。今ではボンゴレは壊滅状態だ」キョーヤは当たり前のような顔でさらさらと信じられないことを言う。いや、信じたくないと思っていることを言う。
 ボンゴレが壊滅状態? なんだそれ。あの大きな組織がそんな簡単にやられるはずがないじゃないか。
 だいたい、ミルフィオーレなんて俺は聞いたことがない。たった十年で歴史を積み重ねたボンゴレを凌ぐようなファミリーなんて、できるわけが。
 無意識に握っていた拳を慣れた体温に包まれた。ぎこちなく顔を向けると、キョーヤがきれいに微笑んでいる。
「心配しなくても、君のことは僕が守るよ。今の君は全く戦えないからね」
「う…ごめん。役立たずで」
 戦えない、の台詞にしゅんと小さくなると、ふっと小さく吹き出したキョーヤが声を殺して笑い始めた。あっちにもこっちにも敵がいるっていうのにキョーヤはキョーヤだった。どんな状況だろうとキョーヤは自分を貫くんだ。周りに流されたりしない。それが雲のリング所持者のキョーヤだ。
「この時代は、特殊でね。ただの銃では使い物にならないも同然なんだよ」
 拳を口に当てて笑っていたキョーヤがすっと目を細めた。目の前をスーツ姿の男が通過する。キョーヤに手を握られたまま俺は緊張にごくりと唾を飲み込んだ。
 ただの銃では使い物にならないってなんだ。十年後には銃より優れた武器があるって、そういうことなのか?
 ぐっと俺の手首を握ったキョーヤが「走るよ」と囁いて建物の影から飛び出した。遅れないように懸命に足を動かしてついていけば、複数の足音が俺達を追ってくる。ミルフィオーレだ。ボンゴレを狙ってるって話は本当なんだ。あのボンゴレが壊滅状態って話も本当なんだ。
 確かに俺は、好きじゃなかったけど。マフィアになんてならなければと何度も思ったけど。それでも居場所だったから。その世界にしか俺の場所はなかったから。
「きょ、や」
 建設が途中放棄された廃屋の広場でキョーヤが立ち止まる。は、と息を漏らして振り返ればスーツ姿の男がばらばらと敷地に入ってきたところ。「キョーヤ、」「僕の背中側にいな」言われるままにキョーヤの背中にどんと背中をぶつけた。ああくそせめて銃があれば。あ、でも銃は意味がないってキョーヤが言ってたっけ。
 ぞろぞろと現れて俺達を取り囲んだのスーツの男は、十弱。対して無力な俺とキョーヤは二人だけ。数的にも不利だ。この状況、まずくないか。
 そろりとキョーヤを窺う。ポケットから指輪と小さな箱を取り出したキョーヤの口元は笑っていた。ぎらぎらした目は肉食獣のそれで、ああキョーヤって十年たっても戦うの好きなんだなぁなんて思う。
 右の中指に指輪をはめたキョーヤが「よく見てるんだよ」と言うから浅く頷いた。
 指輪からぼうっと音を立てて煙、いや、雲が上がる。なんか紫色で燃えてる。なんだこれ。これと同じようなものを最近どこかで…。
 思い出した。リング争奪戦だ。あのときボンゴレリングはこんなふうに燃えた。
 キョーヤが指輪に炎を灯したのを見ると、俺達を取り囲んでいた男達が途端にざわつく。「リング保持者だ!」「まずいぞ、散れ!」散開して銃を構える相手にキョーヤは笑う。「遅いよ」と。
 小さな箱のようなものに指輪が押しつけられると、どしゅと音を立てて何かが飛び出した。よく見えない。なんだあれ。なんで掌サイズの箱からあんなものが出てくるんだろう。手品かこれは。
 箱から飛び出した何かは、あっという間に男達を薙ぎ倒していった。ギャギャギャと耳障りな音と悲鳴と一緒に。それに混じってカチリと憶えのある音がして呆然としてたところから我に返る。箱から飛び出した何かの動きばっかり追ってたせいで気付くのが遅かった。頭から血を出して今にも死にそうな顔をしてる男が俺に向けて銃を構えている。気付くのが遅すぎた。もう引き金はしぼられる。
 響いた銃声にぐっと目を閉じる。
 死んだと思った。こんなところで死ぬなんて俺は馬鹿すぎるなとも思った。ああキョーヤ泣くかも、とも思った。
 だけどいつまでたっても身体を貫く鋭い痛みはやってこない。
 そろりと目を開けると、目の前にハリネズミがいた。くるくる回転しているハリネズミは、どうやら銃撃を防いでくれたらしい。
「あ…ありがとう」
 背中の棘を見せてくるくる回転するハリネズミは、何も言わずに消えた。いや、キョーヤのもとへ戻った。ぱたんと箱が閉じて「わかったかい。銃は無意味なんだよ」と言うキョーヤを見つめる。
 ああ、背が伸びたな。俺の方がだいぶ高かったのに。そうか、キョーヤはまだ成長期だったんだな。こんなに立派になったんだ。
 なんだかキョーヤが遠いな。学ラン羽織ってた姿が懐かしい。
「何その顔」
 呆れたような息を吐いたキョーヤが俺の頬を撫でた。ひやりとした掌に「なんでもない」と返して手を添えると、慣れた体温がわかる。目の前にいるのは間違いなくキョーヤなのに、俺は、キョーヤに会いたい、なんて思っている。今俺に触れてるのもキョーヤなのに。
「…買い物。しようか」
「危ない気がするんだけど」
「別にいいよ。僕が守ってあげる。彼らがやられたって知られる前にすまそう」
 俺の手を握ってさっさと歩き出すキョーヤ。ついていきながらちらりと後ろを振り返る。キョーヤにやられた人は誰一人動かない。殺してしまったんだろう。殺らなければ殺られる状況だったんだから仕方ないとはいえ。
「僕が怖いかい」
「、」
 聞こえた声に足を止める。キョーヤも足を止めていた。灰の瞳に見つめられて一つ息を吸い込み、笑う。「怖くないよ」と。「キョーヤはキョーヤだからね。俺は」言葉を切って、こうなる前にちゃんとキョーヤに伝えておけばよかったなと後悔した。何度もキスして身体を繋げておきながら、俺はキョーヤに一言も言わなかった。気持ちを伝えなかった。伝えたらもう、誤魔化せない気がして。とっくに気持ちは決まってたのに、何を躊躇ってたんだか。男らしくないよ俺。
「俺はキョーヤが好きで、大好きで、愛してるから。怖くなんてないよ」
 微笑んだ俺に、キョーヤは面食らった顔をしていた。ゆるゆる目を細めると「そう」と漏らして俺の額に口付ける。なんか妙にくすぐったい。唇、ちょっとかさついてるな。リップあった方がいいよキョーヤ。
「じゃあ僕を抱けるの」
「え。いや、それはこの時代の俺に顔が立ちません。この時代のキョーヤはこの時代の俺が好きでしょ?」
「別に。君のことも好きだけどね。だって、でしょう?」
 唇の端を持ち上げて笑ったキョーヤにがしがし頭をかく。それを言ってたらなんか色々ごちゃごちゃになるじゃないか、もう。
 十年後はボンゴレ狩りが侵攻してるし、外は危ないのに、俺達は手を繋いで買い物して、何してんだろう。疑問に思ったけど、キョーヤの目が寂しそうでなかったから、まぁいいかなとも思った。俺の手を掴んで離さないキョーヤには、やっぱり俺が必要なようだ。