ようやく、終わる

 多少後手に回ったようだけど、骸の奴は必要なことはこなしたようだ。こちらの作戦会議とやらも滞りなく終了し、僕の役割も当初のとおりまかり通った。あともう少しでこの面倒ごとも全て終わる。いや、終わるわけではないけれど、少なくとも僕の出番はこれでおしまいだ。
「…何をしてるのかな、君は」
 呆れて息を吐く。年長者組みが集って話し合うって言ったら聞きたいってうるさいから仕方なくいいよと許可したのに、着替えて戻ってみれば、彼は着物姿で枕もなしに平和な顔で眠っていた。頭に小鳥まで乗せて。…本当、馬鹿みたいだ。
 よほど疲れているのだろう。五日後に殴り込みが決まったと知らせてから彼は落ち着きが足りなかった。倒れるまで廊下を走っていたし、資料室から匣の知識についてまとめた書類を何度も読み返していた。僕が沢田綱吉の相手をしてる間もきっとずっと動いていたのだろう。少し動きすぎだ。筋肉痛になったらどうするつもりだろう。そんなことでは明日に響く。
 仕方なく、彼の頭を持ち上げて膝枕をしてあげた。それでも彼は起きない。ぺちと頬を叩いてみたけど全然起きる気配がない。
 指先で赤みがかった茶色の髪を撫でる。
 まぁ、このままにしておけばいいだろう。話し合いなんて無意味なこと聞いたって彼の負担になるだけだ。
 哲が持ってきたお茶をすすっていると、ほどなくしてラル・ミルチと笹川了平がやってきた。「ぬお? 何をしとるんだヒバリ、男に膝枕などっ」余計なことを指摘してくる相手に「うるさいよ」と言い捨ててお茶をすする。見ればわかることをいちいちうるさいんだこの男は。
 かこん、とししおどしの音が響く。笹川了平のやかましさにも彼は目を覚まさず、眠り続けている。
 草壁が二人にお茶を用意した。かこん、とまた一つ竹筒が石を叩く音が響く。
「いよいよだな。ヒバリ! 明日は我ら年長組みいいとこ見せんとな!」
「嫌だ」
 学ばない男だ、こいつも。僕に掴みかかろうとした笹川了平を後ろから羽交い絞めにして哲が止めた。「落ち着いて笹川さん!」「放せっ! 中坊ん時から成長せん男め!」それを君に言われたくはないね。
 お茶をすすりながら彼の髪に指を絡めた。こんなにうるさいのがいるのに起きないなんて。今日はもう何もしないように彼にちゃんと言い聞かせよう。
「僕の目的は君達と群れるところにはない」
「じゃあなんだ、とはいいのか! 膝枕までしおって!」
「君には関係ないよ」
 さらり、と彼の前髪を揺らす。…まぁ、この様子を群れてると言うのなら、違うとはもう言えないな。
 起きればいいのに。君の蒼い目が見たい。こんな絶望的な状況でも、君の瞳は曇ることを知らないのだから。
 こほんと一つ咳をした哲が「ラル・ミルチ。あなたは明日どうするのですか?」と話を進めた。「無論出る。戦力は多いに越したことはないからな」「その体調で無理をするな! 小僧だってアジトから出るのを断念しているのだぞ!」さらり、彼の前髪を揺らしながら飛び交う言葉を左から右へ流す。まだ起きない。こんなにうるさいのに。そんなに平和的な寝顔を見せつけられていると、邪魔したくなってくる。「死にたきゃ死ねばいいさ」彼に当たる前に言葉で感情を吐き出すと笹川了平がいきり立って「ヒバリィ!」と僕に掴みかかろうとする。それを止めるのは哲だ。「お前には思いやりの心はないのかっ!」「笹川さんっ」ず、とお茶をすすって湯飲みを置く。
 思いやりの心? そんなもの、あったとして、向ける相手は決まってる。
 指に絡ませた前髪をぴんと軽く引っぱったとき、彼の瞼が震えた。ぼんやりした顔で僕を見上げた蒼い瞳を見つめて「やぁ」と声をかけると、何度か瞬きした彼がぼうっとした顔で「あれ、俺何し……あっ」慌てて起き上がった彼に少し笑う。起きなかったら起こそうと思ってたからちょうどいい。
「寝てた、ごめんすいません。えっとどこまで進んだの、会議?」
「今からだぞ」
 赤ん坊の声に視線だけ投げると、ちょうど部屋に入ってきたところだった。
 こんな話し合いは無意味だ。だけど彼の緊張した面持ちを見ていると付き合うしか選択肢がなくなる。
 全く、面倒なことだ。彼以外と群れるつもりは毛頭ないというのに。
「今日はお寿司とハンバーグがいい」
「へ?」
 今日はこれ以上体力を消費するな、と言いつけたところ、彼は大人しく従った。匣やリングについてまとめてある書類を斜め読みしていた視線が僕に移って「え、そんなに食べるのキョーヤ。あ、でも材料が、」「買ってくるよう指示したから、もうあると思う」「そ、か」腑に落ちない顔で「じゃあ準備しないと」と言って立ち上がった彼の背中を見つめて、手を伸ばす。ぱしと手首を取ると彼が僕を振り返った。きょとんとした顔で「何?」と首を傾げられて、抱き締めたくなった。抱き締めてほしくなった。
 十年前の彼でも恋しかった。愛しかった。だから辛かった。たまらなく切なかった。ここにいるべき君に会いたいと、身体が、心が、切望していた。
 だけどそれももうおしまい。ようやく僕はこの拷問から解放される。
 ぎゅうと強く抱き締めて彼の首筋に顔を埋めた。「」と囁くと「キョーヤ」と呼ばれる。少しだけ躊躇った手がゆるりとした動作で僕の頭を撫でて、抱き締められた。狂おしいくらい切なくなる。泣きたくなる。もうすぐ終わるのに、それを望んでいたのに、やっぱり終わらないでほしい、なんて、思ってしまう。
 今日で今ここにいる彼と過ごすのは最後だ。夜明け頃にはミルフィオーレが襲撃をかけてくる。僕はそれを迎え撃たなくては。
「ハンバーグは、煮込みがいい」
「ん」
 意識の全てを総動員させて彼の身体を離す。
 蒼い瞳に捉えられたら僕は我慢ができなくなる。するりと彼のそばを離れて「おいしいのにしてね」「ん」と返した彼は笑っているようだ。それは心からの笑みではないだろうけど、彼は僕を追いかけることはしない。僕も歩みは止めない。それでいい。
 彼が僕を追って、その腕に優しく抱き締められたら、僕は、泣いてしまう。
 彼が調理している間にクローム髑髏の病室から発信機を取ってきて、倉庫予定地だというだだっ広い空間に足を運んだ。天井裏まで広いそこの中心辺りに発信機を落とす。
 これで敵はここに来る。それを僕が咬み殺す。全員片付けたらミルフィオーレ基地に行き、仕方がないから侵攻を手伝う。それで、おしまいだ。
「ふう…」
 息を吐いて目を閉じると、自然と彼が思い浮かぶ。この時代にいるべき彼と今ここにいる彼が背中合わせでそこにいる。
 もうすぐ過去の僕がここに来る。
 気だるい足取りで屋敷に戻ると、いいにおいがした。彼がハンバーグを作っているんだろう。一人で作るのは大変だろうけど、手伝うなんてことはしない。あんまりそばにいたら僕の気持ちがまた緩んでしまう。
 夜眠れない分を含めて昼寝をして、夕方から早めのご飯を食べた。味わうようにゆっくりと、しっかりと噛んで、未来が続くことを願いながら彼の存在を記憶に焼きつけた。
 夜になって、シャワーを浴びて部屋に戻ると、「いででで痛いっ、こら痛いっ!」と彼の声が聞こえてからりと襖を開ける。僕の部屋で資料の斜め読みをしていた彼の頭に猫のようなものがしがみついていた。「何してるの」「や、どっかから入ってきたんだよこの猫。いで、痛いっ」がじがじ頭をかじられてる彼に吐息して猫の首を掴まえて引き離す。しゃーと唸って僕の腕をかこうとしてる猫はどうやら匣兵器のようだ。これは確か獄寺隼人のものだった気がする。
 まいったって顔で頭をさすっている彼が「そいつ、どっから来たんだろう」と言うから「向こうのアジトからだろう。返しにいく」「あ、俺も行くよ」慌てて立ち上がった彼が僕についてきた。
 静まり返っている暗い通路を歩く。ぶら下げてる猫が僕を引っかこうとしているのが鬱陶しい。
「キョーヤ」
「何」
「俺、明日はどうすればいいのかな」
「言ったでしょう。僕のそばにいればいいんだよ」
「…ほんとにそれでいいの?」
 ひたり、と冷たい床を踏んで足を止めた。蒼い瞳がまっすぐ僕を見上げている。ぶら下げてる猫ががりがりと壁を引っかく音がうるさい。
「君が見てくれてないと、僕が頑張れないだろ」
 少しもできない相手に数で押しかけられて蹴散らすのだってそれなりに面倒くさいのだ。せめて彼がそばにいてくれないと、僕の気力がなくなる。弱いばかりに群れをなす小動物なんて本当にどうでもいい。でも、彼が僕を見ているのなら、頑張ろうと思える。
 神妙な顔で腕を組んだ彼。「あのさキョーヤ」「何」「…あのさ、この時代の俺達ってさ」言葉を切った彼が言いにくそうに口をもごもごさせて「恋人なの、かな」…今更な質問でもある。ふいと顔を逸らして「それ以外にあるの」と返すと彼が表情を緩めた。「だよね。うん、だな。それだけ」歩き出す彼の背中を見つめてからあとに続く。
 そんな今更なことを確認しないでほしい。この時代の君と今ここにいる君は別人だとわかっているのに、泣きたくなるじゃないか。
 そのうち猫が壁を引っかく音に気付いた沢田綱吉達がやってきた。「あ、さん」「こんばんツナ。この猫返しにきたんだけど」「え、あれ、獄寺君のだっ」やっぱりそうか。遅れてやってきた獄寺隼人にぱっと手を離す。猫はすぐに駆けていって獄寺隼人の顔をばりばり引っかいた。いい気味だ。
「よう雲雀。調子はどうだ」
「…赤ん坊か。別に、普通だよ」
 すぐに帰ろうとしたら赤ん坊に呼び止められた。仕方なく足を止めて視線だけで窺うと、「は使いものになりそうか」と訊かれる。考えの読めない赤ん坊に目を細めて「言っておくけどあげないよ。取り上げるなら、僕は下りる」「訊いただけだろ。お前もせっかちだなぁ」ぷいとそっぽを向く。わかっているくせにそういうことは言わないでほしいな。今更だ。
 彼は沢田綱吉達と話をしている。「そういやの調子はどーなんだ?」「うん、まぁふつー。ごめん、一緒に行けなくて」「ったくよぉ、匣とリングがあるならてめぇは立派に戦力なんだぜ! ボンゴレの一員として十代目と一緒に戦うことが使命だろっ」「うん。ごめんってばハヤト、このとおりです」「ま、まぁまぁ獄寺君。さんにはさんの役割があるんだから」「しかし十代目…」困ったように笑っている彼から視線を外して「」と呼ぶと、ぴたりと会話が止んだ。「帰るよ」と告げて歩き出すと、「じゃあごめん。おやすみ」と残して彼は僕についてきた。
 全く、苛々させてくれる。本当に。ここまで苛々するのは君にだけだ。君が関係している事柄にだけ、僕はこんなにも胸を焼く。
 そろりと僕を見た彼が「ごめんキョーヤ」と困った顔をする。答えずに歩いていると、手を取られた。
 ……この手を振り払うことができたなら、僕はどんなに楽になれるだろう。
 仕方なく、彼の手を握り返す。同じくらいの掌は、知っている君より少し小さくて、指が細い。簡単に折れてしまいそうだ。
 手を繋いで屋敷に戻り、彼を部屋まで送ってから自室に戻った。
 少しだけ眠ったら、スーツに着替えて、彼を連れて、ミルフィオーレの部隊を迎え撃つ。