何があっても信じてる

 うつらうつらしていたらキョーヤが部屋にやってきた。仕事着のスーツを着ているところを見るに、もう時間ってことだろうか。「着替えて」と言われて、眠気に目をこすりつつ、手早くスーツに着替えて廊下に出ると、まだ暗かった。月が見える。かなり傾いてるところを見るに、夜明け前だ。それにしたって襲撃にはまだ時間が。
 さっさと歩いて行くキョーヤに追いつくと、風紀財団側のアジトを抜けてボンゴレ側のアジトに入り、通ったことのない道を進んで、キョーヤはどんどん歩いて行く。
「キョーヤ、どこ行くの?」
「もうすぐ敵が奇襲を仕掛けてくる。迎え撃つのさ」
 さらりとそう言ったキョーヤに何度か瞬きしてから慌てた。そんな話リボーン達からは聞いてない。「え、それってどういう。つかそれならリボーンとかに知らせた方がいいんじゃ、」「赤ん坊は知ってるよ」「え? それって…」リボーンは知ってる。知っていてなおキョーヤに向かわせた。それって、
「囮、ってこと? キョーヤ」
 だだっ広い空間の前でキョーヤが足を止めた。並んで立ち止まる。無表情な横顔は「仕方がないからね。沢田綱吉達には潜入に成功してもらわないとならない。敵の基地を手薄にするためにも、これは必要なんだよ」じっと暗闇を見ていたキョーヤが気付いたようにこっちを見て眉根を寄せた。「…なんて顔してるのさ」「だって」こぼして、べちと頬を叩く。
 だってさ。当たり前みたいにキョーヤは言うけど。キョーヤが強いのはよくわかってるし、知ってるけど。それってかなり大変なことだろ? 敵の戦力がどのくらいか知らないけどさ、十や二十じゃないだろ。きっと百とかいくんだ。それを一人で相手するって、当たり前の顔で。
 だから、俺にいてほしいのか。見ててほしいのか。頑張れるから。俺がいればキョーヤは頑張れるから。
 なんてかっこいいんだろう、キョーヤってば。十年で成長したな。十年後の俺は今より成長してるんだろうか。じゃないとキョーヤとつりあわないよ、俺。
「…君は手を出さないで、僕を見てればいい。それだけでいい」
 すっと伸びた手が俺の前髪を揺らした。くすりと笑うと「ああ、じゃあこうしよう。キスしてよ。そうしたらもっと頑張れる」キョーヤが俺の手を握って唇を寄せた。拒む理由がなかった。それでキョーヤがもっと頑張れるっていうなら、唇を重ねる以外、俺にはできることがない。
 キスくらいいくらでもしよう。触れるだけのキスで足りないっていうなら深く深く口付けよう。
 キョーヤの唇をやんわり噛むと、とんと身体を離された。ぱちと瞬く。まだ触れただけで、全然。
 なんで、と言いたくて視線で追うと「ここから先は」こつ、と一歩踏み出したキョーヤが床に落ちている何かを拾い上げる。小さな機械だ。少し点滅してる部分があるところを見るに、あれは、発信機の類。
 ず、と不穏な音がして視線を跳ね上げる。何か来る。
「過去から来る僕にしてあげてよ。今の僕は、君に抱いてもらうわけにはいかない。この時代の君との約束だからね」
「き、」
 キョーヤ、と呼ぼうとして、その声は爆音に掻き消された。天井が崩れ落ちて穴が三つできる。俺達がいるさらにもう一つ下の階に、数え切れない人影が滑り落ちた。キョーヤがもう一歩歩みを進める。視線だけで俺を振り返ったキョーヤは笑っている。
 抱き締めたいと。強く思ったけど、ぐっと堪えた。
 俺がここにいるのはキョーヤのためだ。足を引っぱるためじゃない。俺なんかじゃキョーヤの背中を守れない。キョーヤは一匹狼。強いのはよく知ってる。だから大丈夫。
 俺はキョーヤを信じる。ここでずっと見守って、信じるんだ。
 カシャンと音がして、できた穴を鉄格子が塞いだ。
 かつ、とまた一歩踏み出したキョーヤが発信機を鉄格子の向こうへと捨てる。

「弱いばかりに、群れをなし」

 かつ、とまた一歩踏み出したキョーヤが匣を開匣した。キョーヤの周りに小さな球針態がたくさん浮かぶ。鉄格子の上から侵入者を見下ろし、トンファーを両手に灰の瞳を凶暴な色で染め上げて、笑う。

「咬み殺される、袋の鼠」

 その笑った顔に、ああほんと、キョーヤは変わらないなと思った。戦うのが好きなんだな、って。それから、かっこよくなったなと思った。何その決め台詞。似合いすぎててなんだかこっちまで笑っちゃうじゃないか、キョーヤ。
 三十分もかからないうちに、キョーヤは圧勝した。怪我一つ負わずにつまらなそうな顔でびっとトンファーを振るう姿にほっと息を吐く。ああよかった。怪我しなかった、よかった。
 ぱたんと匣を閉じたキョーヤが「哲」と呼ぶと、どこからか現れたテツが両膝をついて頭を下げた。どこからでも出てくるな、この人。さすがキョーヤの部下だ。
「クローム髑髏は使えそうなの」
「目を覚ましています。話は通しましたので、問題ないかと」
「そう。なら行こうか。連れてきて」
 頭を下げたテツがいなくなる。こっちを見上げたキョーヤが「下りておいで」なんて言うからちょっと困った。さすがに跳び下りる自信がなかったから、匣を開匣してツァールに掴まって下りる。たん、と床に足をつけて「今のどういうこと?」「ここが片付いたからね。次の仕事があるんだ」「ツナ達を手伝いに行くってこと? なら俺も、」行くよ、と続ける前に唇を塞がれた。キョーヤの灰の瞳が目の前にある。
 十年たっても変わらないな、その色は。睫毛の長いのも、全然変わらない。
 触れるだけの口付けが離れて「駄目だよ。君がいたら僕は集中して戦えない」「…待ってよ。テツは連れてくんでしょ? クロームだって怪我人みたいなもんなんだし、俺ならキョーヤを手伝える」さっきは譲ったけど今度は譲りたくなかった。せっかくリングと匣があるんだから、俺だって戦いたい。キョーヤのためなら俺は戦える。
 はぁと息を吐いたキョーヤが目を伏せた。「キョーヤ」と呼ぶと灰の瞳が俺を捉える。伸びた手が前髪を揺らして頬を撫でた。キョーヤは少し疲れたような顔をしてる。
「お願いだから、ここにいて。君に万が一のことがあったらって考えただけで、何も手につかなくなるから」
 キョーヤには珍しい、弱い声だった。キョーヤは心の底からそう思ってるらしい。すごく俺のことを心配して、想ってくれている。
 だけど。だからってここで、何もせずに、ただ見守ってるだけだなんて。
 ぐっと拳を握って「でも俺は」とこぼすと、キョーヤがふっと表情を緩めて笑った。「頑固だね。そういうとこも好きだけど」と漏らして俺に軽くキスしたキョーヤがそばを離れる。ナチュラルすぎてぽかんとしてしまう。十年の歳月って、本当、長いんだな。痛感。
「少し待っていて」
「へ?」
 なんで、何がと疑問を口にする前に、匣を開匣したキョーヤが球針態を足場に上に跳んだ。あっという間に地上へ到達して、見えなくなる。
 なんとなくツァールを抱いて待っていると、キョーヤが消えた穴から三つ人影が落ちてきてどしゃっと音を立てた。ビビって一歩下がる俺。続けてたんと着地したキョーヤが匣を閉じながら「偵察部隊のようだね」つまらなそうに言って一人を蹴飛ばした。容赦ない。
「これに化けていく。クローム髑髏に幻術を使ってもらって」
「なるほど…それはバレにくいだろうね。けっこー奥までいけそう」
「うん。そうしたら」
 キョーヤが言葉を切った。なるほどクロームにはそんな役割があるんだ、と感心していたところからはてと首を傾げる。キョーヤは唇を噛んで床を睨んでいる。「そうしたら?」続きを促すと、灰の瞳が俺を見つめた。緩く頭を振ると「なんでもない」と俺の隣をすり抜けていく。
 …遠いな。なんだかキョーヤがすごく遠い。この時代の俺は、こういうとき、キョーヤになんて言ったろう。
 十年前に、いるべき時代に戻れたとして。俺は。
(駄目だな…今はそんなこと考えてる場合じゃない)
 ぶんぶん首を振って腕を伸ばす。ツァールを放して飛び立たせ、キョーヤの背中を追った。
 ここに置いていかれるのだとしても、今はまだ背中を追える。埋まらない溝があることはわかってる。埋めようとしなきゃ溝なんて埋まらない。なら埋めなくちゃな。どうあっても。俺にそれができるなら、迷ってる暇なんてない。