やっと、みつけた

 行方不明者が続出し、捜索の手がかりが一つもないまま、彼が消えてから、もう一ヶ月近くになる。
 食事すら億劫だと思う僕のところに、様子を見に来るように鞭使いが顔を出す。それを追い払う。これからの戦いに重要になるのはリングの炎だとか訳のわからないことを聞いてもいないのに喋り立てて、本当に鬱陶しい。
 金髪に負かされるのが嫌だし、風紀の乱れを正すのに身体が動かなくてはどうしようもないと、出前を取る日々が戻ってくる。
 …本当はもうこんなもの食べたくなかった。ずっと彼の手料理だけを食べていたかった。作りたての彼のあたたかい料理で胃を満たしたかった。
 だけど、彼がいないのだから。何か食べなければ身体が動かないのだから、仕方がない。
 意識が沈んでは浮かぶ浅い眠りを繰り返し、少しずつ自失状態から戻り始めたとき。夢を見た。
 彼の海に沈み、海底に背中をつけて、僕はずっと遠くの光に手を伸ばすこともせず漂っていた。
 もう想い出とも呼べるような息苦しさのない海の中で、自分以外誰もいないはずの海の底で、ごぼりと音がした。唇に何かが当たったような気がして薄目を開けて、目を見開く。驚きでごぼと口から気泡が上がった。
 目の前に彼がいたのだ。探して捜して求めていた彼が。
 口を塞ぐようなキスに応えるために彼の首に腕を回し、息が漏れることを承知で彼を貪る。ごぼ、と気泡が上がる度に胸が苦しくなる。彼の海で僕の肺が侵されていく。
 この息苦しさがひどく懐かしい。
 と呼べば、彼が泣きそうな顔で笑った。対して僕は泣いていた。たとえ夢でも、嬉しかったから。
 この海に溺れる僕を助け出せる誰かがいるのだとしたら、それは彼だけだ。
 もうすぐ会えるよ、キョーヤ。そう言った彼が強く僕の背中を抱く。感覚が、温度が、体温がわかる。涙が止まらない。たとえこれが夢でも、目覚めたあとがどれだけ苦しくても、今だけは。今だけは幸せだった。
 あなたに伝えたいことが。たくさんある。
 あなたがいなくなってから気付いたことがたくさんある。どうしてあなたがいないと僕はこんなにも苦しいのか、寂しいのか、悲しいのか。あなたがいるとどうして僕は苛々したりそうでなかったりするのか。あなたへの一つの感情が僕を揺り動かし、支配し、こんなにも切ない気持ちを呼び起こす。
 あなたが好きで、好きで、ただ好きで。こんなにも好きで。胸が苦しいくらいに、全部を投げ出したくなるくらいに、ただただ好きで。
 一人にしてごめん。離れてごめん。そう言った彼を許せないと思ったけど、許してあげたいとも思った。
 そこで、夢は終わった。
 夜明け前の空にぼんやり視線を投げてから彼の部屋へ行くと、やっぱり誰もいなかった。さっきのはただの夢だとわかっていても恋しくて仕方がなかった。触れた唇に拳を押し当てて彼のベッドに埋もれ、泣いて、目を閉じる。
 探していた。捜していた。
 夢なんて見る間もない浅い眠りしかしてこれなかったから、今日初めて、あなたの夢を見た。
 行方不明者は誰一人発見されていない。風紀委員だけでは手に負えず、警察に協力を要請するくらいの、これは立派な事件だった。
 彼以外の人と群れることなんて大嫌いだ。けど、風紀委員だけでは限界がある。仕方がない、ここは協力ってやつをして早く解決させよう。
 そう決めて屋上で眠り足りない分を補おうとうつらうつらしていたら、飛んできた何かに当たった。野球のボールだろうか。飛ばした奴は咬み殺すと思って目を開けたらそこは屋上ではなくて、知らない場所だった。
 ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の音が眠っていた耳にうるさい。「騒がしいなぁ」とこぼして視線を投げると、知らない場所に知らない男が立っている。
「君、誰? 僕の眠りを妨げるとどうなるか…知ってるかい?」
 ゆらりと立ち上がる。ざしゃと瓦礫を踏んだとき、『きょ、や』とくぐもった声が聞こえてぴたりと動きが止まった。せっかく眠れそうだったのに起こしてくれたあの男を咬み殺してやろうと思っていた気持ちが消えて、かわりに、泣きそうになった。

 だってこれは。彼の声だ。

 手を伸ばして声が聞こえたと思った小さな黒いものを拾い上げる。使い方とかはよくわからない。小型の通信機、だろうか。これから彼の声が聞こえたように思う。「何これ」とぼやいて無線を耳に押し当てると『俺だよキョーヤだよ、わかる? ねぇ』と、懐かしい声が聞こえた。もう一ヶ月近く聞いていない声だった。間違えるはずもない。彼だ。彼が、いる。
? あなた、今どこに…ずっと探してたのに」
 掠れた声で呼びかけると、ザザザと砂嵐の音しか聞こえなくなった。ぐっと無線を耳に押しつけて「」と彼を呼ぶ。
 今の状況がよくわからないけど、全て後回しだ。これが繋がる場所に彼がいる。いるんだ。どれだけ探しても捜しても見つからなかったのに、諦めようと何度も思って結局諦めきれずにいて、ようやく見つけた。
 ああ、油断すると今にも泣きそうだ。
『キョーヤ、ボンゴレリングの炎だ。争奪戦で見たろ。それを使うんだ』
 ガガガとノイズ混じりの彼の声がそう言う。右の中指にはめている指輪に視線を落として、鞭使いが言ってたのと同じことを言うんだなとちょっとイラっとした。…でもあなたの声だから。鞭使いと同じことを言ってるんだとしても、聞いておく。
「…リングの炎」
『うん。ごめん、そばにいないから手取り足取り教えるってことができない。敵がいるんでしょ、応戦して』
 キョーヤ、と僕を呼んだ声を最後にノイズの音がひどくなり、砂嵐の音が続き、やがてぶっつりと音が途切れた。
 敵。敵っていうのは、そこに倒れてる山本武の近くに立ってるあの剣士のことを言っているのか。
 黄色い小鳥が並盛の校歌を歌いながら頭上を通過する。
「貴様…十年前の雲雀恭弥か」
「確かに僕は雲雀恭弥だけど。だったら?」
「これを見たことはあるか?」
 男が掌サイズのサイコロみたいなものを示す。眉を顰めて「オルゴールかい?」と返すと相手は黙した。意味がわからない。彼はリングの炎を使えと言ったけれど、具体的にどう使うのだろう。
 どのみち、彼があの男のことを敵と言ったのだから、咬み殺せばいいわけだ。山本武が倒れてるのもあの男にやられた、ということになるのだし。並中生に手をかけたのなら、風紀の乱れは僕が正す。
 じゃきんとトンファーを展開して構えた僕に対し、剣士は指輪に炎を灯してサイコロに押しつけた。開いた箱から何かが出てくる。
 手品のように、小さな箱から出てきた無数のミサイルが全て僕を照準して空中で制止した。
「これは貴様が置かれた状況をわかりやすく視覚化したものだ」
 聞こえる声にじろりと一瞥をくれると、剣士は淡々と訊いてもない説明を加える。「貴様は何百という誘導弾に囲まれている」…そんなもの見ればわかる。さすがに爆弾に対してトンファーというのは分が悪い。防御したとしてもこれでは意味もない。回避するにしても数が多すぎる。どこへ逃げてもどれかには当たってしまう。
 ぎりと奥歯を噛んで、それでもトンファーを構える。それ以外にできることが見つからない。透明になって視界から消え失せたミサイルに打つ手がない。あれが当たったらさすがに死ぬ気がする。せっかく彼の声を聞けたのに。もしかしたら結構近くにいて僕のことを待ってるかもしれないのに。
 まだ、好きだと。伝えていないのに。
 暗くなりかけた視界に何かが割り込んで展開した。僕を取り囲んだそれは見えないミサイルの攻撃を防いだらしい。爆風と衝撃に腕で顔を庇って視線だけ投げると「恭さん!!」と呼ばれた。草壁の声だ。それは別によかった。だけど草壁は何かたくさん人を連れていた。草壁の隣にいるのは行方不明だった獄寺隼人だ。誰も彼も傷だらけだ。「借りは返したぜ…つってもおめぇじゃわかんねーか」と意味のわからないことを言う。
 苛々が上昇する。風紀委員のくせに何を群れてるんだろうかあいつは。
「草壁哲矢。いつ群れていいと言った? 君には風紀委員を退会してもらう」
「恭さんリングの炎です! 匣で応戦をっ!」
 いつになく焦った顔の草壁が僕の言葉を流した。苛々がさらに上昇する。
 リングの炎。それはさっきも聞いた。ボックス? ボックスっていうのは、さっき剣士が使ったあのサイコロみたいな箱のことだろうか。
 ああそれにしても苛々する。風紀委員のくせに群れてる草壁もそうだし、どうやら獄寺隼人に借りを作ってしまったらしい自分にも苛々する。僕は一分一秒でも早く彼に会いたいのに。キスしたいのに。手を繋ぎたいのに。体温を感じたいのに。キョーヤって呼んでほしいのに。あの蒼い瞳と笑顔をもう一度見たいのに。
 ぼう、と指輪が紫色の炎を灯す。僕の苛々に応えるように大きく燃え爆ぜる。
 僕は早く彼に会いたいんだ。今まで気付かなかったこの想いを、名前のなかったこの気持ちを伝えたいんだ。彼が僕を拒むとは思ってない。少し答えが怖いという気持ちもある。だけど言ってしまうつもりだ。そうしないとすっきりしないし、いつまでも一人で抱え込んでいるのはもう嫌だ。伝えられる相手がいるのなら、ちゃんと言いたい。ちゃんと伝えたい。
 仕方なく足元に転がっているサイコロに手を伸ばす。やり方は見てたからわかる。これのくぼみに指輪を押しつければいいわけだ。何が出てくるのか知らないけど、トンファーだけでは武器が足りない。これに何か入ってればいいんだけど。
 まだ死ぬわけにはいかない。負けるわけにもいかない。
 彼に抱き締めてもらうまで、僕は倒れるわけにはいかないんだ。
†   †   †   †   †
「ん。草壁からの緊急通信だ」
「、クサカベなんて?」
「お前の言ったとおりだ。雲雀は十年前の雲雀と入れ替わって、研究所近くで戦ってるらしい」
 やっぱりか。唇を噛み締めた俺に追い討ちをかけるように「相手は幻騎士って、かなりヤバいのらしいぞ」飄々と続けるリボーンを睨んで向こうにホログラムを送ってる台座の上にだんと手をつく。こっちの様子が見えてるはずのツナに頭を下げて「ツナ助けてやって、このままだとキョーヤが」『えっ、ちょ、さん?』「ツナしか頼れない…頼む」台座に額をこすりつけた俺の頭にリボーンの飛び蹴りがきた。ごちっと思いきり台座に頭をぶつける破目になる。いったい。
 ああ、あんまり痛いから、涙出てきた。
「分断されてた他の連中も集っちまってるようだな。おいツナ、どうすんだ」
『…うん。さん、顔上げてください。オレが向かいますから』
 のろりと顔を上げる。ツナの顔は見えないけど、声でわかる。きっと困ってるんだろう。うん、困らせてごめん。俺が今から行っても間に合わないし、足手纏いになる。だからってツナに押しつけるのは違うだろって思うんだけど、頼める人はもうツナくらいしかいない。
さんにとって雲雀さんて、大事な人なんでしょ?』
「…うん」
『大丈夫です。信じてください。みんな必ず助けます』
 …今のツナ、きっといい顔してるんだろうな。マフィアのボスにはもったいないようないい表情を。
 ぺたりと台座に頬をつけて「ありがとう」とこぼしてずるずる機材を伝って床に座り込む。ああ、なんかほっとした。ツナが助けるって言ってくれただけなのに、ひどく安心した。
 ばさりと羽音を立てて下り立ったツァールに手を伸ばす。赤紫の羽毛に顔を埋めて抱き締めて目を閉じる。
 十年後の俺達は恋人だった。十年前の俺達はまだお互いに気持ちを伝えていない。することしてるのに気持ちを伝える方が後回しだなんて、なんかおかしな順番だけど。この戦いが終わったらちゃんと言うからねキョーヤ。もう誤魔化さないから。逃げないから。言い訳もしないから。
 名前を呼んで、抱き締めて、キスをして、手を繋いで、指を絡めて、舌も絡めて、飽きるくらい呆れるくらいにキスをして、それで。好きだって。大好きだって。愛してるって、伝えよう。
 そうしたら。もう迷わずにキョーヤだけを選んで生きていける。
 リングに灯る炎が覚悟だというのなら、俺のそれは、キョーヤ、お前だけが引き出せるものなんだよ。