ただ、心から、愛してる

 長い話が鬱陶しくて、途中からあまり真面目に聞いていなかった。自分が捕まったって事実に苛々もしたし、草食動物の群れに自分が放り込まれた状況にも苛々したし、捕まった人間の中に彼がいないことがさらに苛々に拍車をかけた。
「この計画は絶対バレないように、僕と十年後の君と十年後の雲雀恭弥、十年後の、その四人だけの秘密だったんだ」
 入江正一って奴が一人でぺらぺら喋っている。自分の名前が出たことと彼の名前が出たことにぴくりと身体が反応した。
 つまり、今回のこれは彼も了承していたってことか。未来の彼は、僕を残して先にタイムトラベルするとかいうのを認めたのか。僕を一人残すことを。未来の僕もそれを了承したって、そういうことなのか。
(…そんなことって)
 ぎりと唇を噛んで俯く。
 ここが十年後だというのはかいつまんだ話で理解した。あの剣士が妙な攻撃をしてきたことと合わせて、ここはそういう未来なのだと呑み込んだとして。
 この時代の彼は、どうして僕を置いていく決断をしたのか。僕らを強くするための措置だと入江正一は言ったけれど、僕はそうは思えない。彼がいない間の日々が僕にどんな空白をもたらしたか。それならよっぽど彼と同じタイミングでこの時代に来た方がよかった。そうすればこんな寂しさも悲しさも味わわずにすんだ。
 …でも、彼がいなくなったから。気付けた。彼がいる日々の尊さと、この気持ちに。
 長い話のあとにようやくガラスケースの中から解放されて外に出る。「おい入江一発殴らせろ。ワケありだったとしても腹の虫がおさまらねぇ!」獄寺隼人の意見は最もだったけれど、僕は疲れていた。ガラスケースによりかかって細く息を吐き、彼を探して視線を彷徨わせる。やっぱりここには、いないようだ。ポケットに入れていた小さな黒い無線をいじってみるけれど、うんともすんともいわない。壊れてしまったらしい。これが繋がれば彼の声が聞けるのに。
 今どこにいるんだろう。状況が変わったこと、彼には伝わってるんだろうか。ここに姿がないってことは、彼はこの戦いには参加しなかったってことでいいのかな。それならきっと怪我とかはしてないだろうけど。頭の中が湧き出る疑問で埋まっていく。
 彷徨わせた視線の先で赤ん坊が目に留まった。「赤ん坊」「ん? どうした雲雀」「、いるの。無事なの」「おう」「…そう。ならいい」それだけ確認したら頭の中の疑問は消えた。彼は無事だ。ならいい。それならいい。そのうち会えるってことだ。じゃあ、それでいい。
 どこを探しても見つからなかった。どこを捜しても痕跡もなかった。あの日々は、もう終わったんだ。
 この状況を強制した原因である白蘭てのの宣戦布告が終わり、匣とかいう箱をもらって、ようやく外へ出ることができた。どこか知らない地下だと思っていたら、そこは並盛だった。見慣れた町の景色に目を細めて視線を彷徨わせる。彼はどこにいるのだろう。
 眠たい。疲れた。聞きたくもないことが頭になだれ込んできてパンクしそうだ。群れてたせいでジンマシンも出そうだし。
 今はただ彼の腕に抱かれて、眠りたい。きっと死んだように眠ることができる。彼の海に溺れて、息も忘れて、その存在だけで心を満たして、眠っていられる。
 かつ、と一歩踏み出して沢田綱吉達の後ろから外れた。「恭さんどちらへっ」草壁の声を無視して壊れた無線機をポケットから取り出す。これさえ繋がれば場所を教えることもできるのに。今どこにいるのって訊くこともできるのに。
 会いたい。会って話したいことがたくさん。本当にたくさん。

「キョーヤっ!」
「、」

 あなたがいなくなってわかったこと。あなたがいたから得られたもの。あなたを想うこの気持ち。あなたにだけ届けたい言葉が、話したいことが、本当に。たくさんあるんだ。
 聞こえた声に振り返る。スーツを着た彼が肩で息をしながらそこに立っている。蒼い瞳が僕を見ている。赤みがかった茶色の髪が風にさらりと揺れていた。
 ようやく。会えた。
 ふらりと一歩踏み出した僕とは別に、彼は全速力で駆けてきた。あっという間に距離は縮まって彼の腕に閉じ込められる。
 …体温が。息遣いが。こんなにも近い。一体どのくらい久しぶりなんだ。
「キョーヤ」
「う…」
 返事をする前に、涙が溢れてきた。スーツの胸に顔を押しつけて「」と彼を呼ぶ。縋りついて泣く僕を彼は抱き締め続けた。言いたいことが、伝えたいことがたくさんあるのに、どれも言葉になってくれない。
「愛してるよキョーヤ」
 囁かれた言葉にぼんやりした視界を上げると、彼が笑っていた。優しく微笑んでいた。
 あいしてる、ってなんだろう。聞いたことはあるけどよくわからない。「あい、って何」ひっくとしゃくり上げた僕に彼はまた笑った。「そうだな、好きの何倍も何十倍も、それこそ何百倍も好きってことかな」「好き…?」掠れた声で繰り返すと、顔を寄せた彼にキスされた。頬だけど。「そうだよキョーヤ」と彼は当たり前のように笑って言う。
 ……それは、僕があなたに伝えようと思っていたことで。肯定されなくてもいいから伝えようと、覚悟を決めてた言葉で。
 なんだ。僕の独りよがりではなかったんだ。好きだったのは、愛していたのは、僕だけじゃなかったんだ。
「僕も、あなたが、好きだ。大好きだ。あいしてる」
 憶えたばかりの言葉で想いを伝える。降ってきた口付けが額から唇に移った。僕もそれを望んでいた。触れるだけのキスからお互いの口を塞ぐような口付けになり、舌を絡ませる。唾液を混じらせる。顎を伝い落ちても気にしない。彼のスーツが汚れるなとぼんやり思ったけれど、それも気にしない。お互いさまだ。
 飽きるくらい、呆れるくらいにキスを重ねて、ようやく唇が離れた。は、と息を切らせた僕を強く抱き締めた彼が「キョーヤ」と僕を呼ぶ。疲労と睡眠と、彼の存在を感じられたことで安堵し眠気を訴える身体で彼に寄りかかり、「」と呼ぶと、さらにきつく抱き締められる。それに安堵する。身体が軋むような苦しい抱擁でも嬉しい。僕をこんなふうに包むことができるのは、あなただけなのだから。
 …やっと会えた。やっと言えた。よかった。
 やっと、彼のいない日々が終わった。
 ここがどこだっていい。十年後の世界だっていい。もっと未来でも過去でもいい。彼がいればもうどこでもいい。彼のいない場所は嫌だ。あの地獄はもう嫌だ。
 がいないと、僕はもう生きていけない。