現在地。十年後の雲雀家本邸、応接間っぽい畳の広間。 カコン、と竹筒が石を打つ音が響く。 平和な午後の陽気を浴びている日本庭園の中庭から自分の膝へと視線を落とすと、黒い着物を着たキョーヤが眠っている。俺の知ってるキョーヤだ。メローネ基地襲撃のときにこの時代のキョーヤと入れ替わってタイムトラベルしてきた。 キョーヤの目元にはクマが目立つ。それからやつれていた。一回り小さくなったと言っても過言じゃない。いつもの制服が少し寸余りみたいに感じるから、間違いないだろう。 今は静かに眠ってるけど、さっきまで泣いて泣いて仕方がなかった。 気を利かせてくれたんだろう、テツの姿は今はない。誰もいないだだっ広い畳の部屋で、俺はキョーヤに膝を貸したまま緩く頭を振った。 イリエショウイチと十年後の俺、キョーヤ、ツナが考えた計画のことや、ビャクランっていう敵のこと。与えられた十日という猶予。考えることは山ほどある。 この時代のキョーヤが丸くなったと思っていたのは俺の思い違いだった。この時代の俺に頼み込まれ、キョーヤが仕方なく手を貸していた、の方が正しいんだろう。だってキョーヤのことだ。俺が一番よくわかってるとは言わないけど、二番か三番めくらいにはわかってる人間になるはず、と思うし。それなら俺が先にタイムトラベルした理由もなんとなく説明がつくし。 そっと手を伸ばしてキョーヤの黒い髪を撫でる。少し長い前髪を揺らすと、自然と頬が緩んだ。 俺がいるべき時代、十年前の時間は並行して進み、その間キョーヤは俺を探して捜したんだそうだ。タイムスリップした俺達は行方不明者として扱われていて、手がかりは一切なし。地獄みたいだった、とこぼしたキョーヤはすごく弱々しかった。 やつれてしまったのはご飯を真面目に食べてないせいだ。クマがあるのはあまり眠っていないせい。そのどちらも俺に起因してるんだろう。俺に会う前までのキョーヤなら、きっとこんなふうにはならなかった。キョーヤは俺に会ってから確かに変わったのだ。 ぼうっとしていると、ぱたぱたと黄色の小鳥が飛んできた。ヒバードだ。くるりと頭上を旋回するともふりと俺の頭に乗っかる。 (十日の猶予…今回は俺も頭数に入れてもらっていいのかな。なら誰かに修行見てもらいたいとこだけど……) キョーヤの髪を指先で撫でながら考える。この時代のキョーヤは俺を戦わせようとはしなかった。この時代の俺も戦うことはしなかったんだろうか。いざってとき、万が一とかかな。まぁ今でもそうかもしれないけど。 さらり、とキョーヤの髪を揺らす。伏せられたままの瞼を見つめながらああ、そうかとぼんやり思う。自分の身の振り方ってやつはもちろん大切なんだけど、俺は自分のことよりキョーヤのこと、キョーヤの分まで考えないと。 キョーヤはここに来たばっかりだ。同じくリョーヘイも入れ替わったばかりだけど、そっちはツナ達がフォローしてくれるだろう。キョーヤは群れるのが嫌いだし、一緒に説明を聞いてくれるとは思えない。俺がちゃんと説明してあげないといけない。うん、まずはそっちからだ。この時代の戦い方、リングに匣。ビャクランの話は俺もまだ呑み込めてないけど、確認を兼ねてそっちの話もしないと。 艶がなくなっているような気がする黒い髪に指を絡める。頭の上のヒバードが「ミードーリータナービクー」とか歌い始めるからちょっと焦った。「しー、ヒバードしーっ」わしとヒバードを掴んで懸命にアピールすると、小鳥は俺の手を放れてぱたぱたと中庭へ飛んでいった。そろりと視線を戻す。キョーヤは変わらず眠っていた。普段なら起きてるところだ。慣れない匣を使った戦いと今まで蓄積したもののせいで疲れてるんだろう。ようやく俺に会えたことで安心しているのもあるのかもしれない。 普段なら、こんな無防備を晒すことは絶対ないのに。 クマの目立つ目元に指を滑らせる。ちょっと足が痺れてきた。でも今はこうしてる。頭の中でキョーヤにすべき話を整理しながら、離れないでと言ったキョーヤの言葉を守って、俺はここにいる。 キョーヤが目を覚ましたのは、二時間もたった頃だった。さすがにそろそろ同じ姿勢が辛いです、と夕暮れに沈む中庭をぼんやり眺めていると「」と呼ばれた。膝に視線を落とすと眠そうな顔のキョーヤが目をこすっている。 「起きた?」 「おなかがすいた…」 「はいはい」 キョーヤのお腹がぐきゅると音を立てたから少し笑う。うん、お腹が空いたって思えたならそれはよかった。 気だるそうに起き上がったキョーヤを連れて台所のある部屋に移動する。 繋いでいる手はこの時代のキョーヤのものより少し細くて、少し頼りない。 ぺたぺた素足で廊下を歩いて台所に顔を出すと、誰もいなかった。勝手にきれいに片付いてたり勝手に食材が追加されてるように思うけど、他の人は誰も見ないんだよな。不思議だ。 「紅茶入れようか。作り置きしてあるタネがあるからピッツァ焼くよ」 やかんを火にかけてポットに茶葉を入れる。カップを並べてからマルゲリータを作るために冷蔵庫から材料を出して、生地を丸く伸ばす。その間にオーブンは余熱しておく。その間キョーヤは椅子に座ってぼんやり俺の動きを追いかけていた。なんか、まだ眠そうだ。食べたらもう一眠りした方がいいかもしれない。 お湯が湧いたのでポットに注ぐ。ことりと砂時計を逆さにすると、キョーヤの目がぼんやりと蒼い砂を見つめた。ひらりとキョーヤの前で手を振って「大丈夫キョーヤ。眠い? 疲れてる?」「…どれもあるけど。今はお腹が空いた」テーブルに頬杖をついたキョーヤに肩を竦めて完成した生地をオーブンに放り込んだ。もうちょっと待ってね、あとは焼くだけだから。 砂時計の砂が落ち切ってからカップに紅茶を注ぐ。 うん、いい色だ。贅沢かもしれないけど、そろそろ茶葉がなくなるんだよな。テツに頼んでみようかな。一日一回は紅茶が飲みたいし。 角砂糖をカップに一つずつ落として、紅茶用のミルクを垂らす。 二人で黙って紅茶を飲んだ。俺は頭の中を整理していた。キョーヤは眠たそうな目で砂時計を見ているだけで、何を考えているのかまでは伝わってこない。 「…ねぇ」 「ん?」 「この時代の、僕って。どうだったの」 「…どうだった。うーん」 すぐに答えが出なかった。視線を天井に逃がして「んーと、背が伸びてた」「それだけ?」「ああ、髪がちょっと短めだった」「ふぅん」「あとはー」この時代のキョーヤを思い出す。多分もう会うことはないんだろうけど。この時代のキョーヤはこの時代の俺と恋人なんだから、それでいいんだろうけど。なぜか少し寂しい。 「俺達ね、恋人なんだって。この時代でも」 「……そんなの当たり前だ」 ぼそりとした声に俺は笑った。当たり前だってさ。そっか、よかった。 カップを置いてキョーヤの頬に手を添えてこっちを向かせた。眠そうな灰色の瞳を見つめたままキスをすると、紅茶の味がした。 オーブンがピッツァが焼けたのを知らせる音が響いても、キョーヤが俺の手を離さなかった。だからそのままキスを続けた。眠そうな灰の瞳が揺れるのを見ていると俺の理性まで揺さぶられる。ああ、久しぶりにキョーヤを抱きたい。 (いやいや待て落ち着け俺、キョーヤは疲れてるんだ、そっちに頭を持ってったらいけない。落ち着け俺、理性しっかり) ちゅ、とリップ音を残して顔を離して立ち上がる。さ、思考を切り換えよう。とりあえず空腹なキョーヤのために俺お手製のピッツァを。「キョーヤ食べるでしょ?」言いながらそばを離れようとして、くん、と手を引かれて振り返る。こっちを見つめる灰の瞳は、違うことを訴えてる。 ああもう。そんな目をされたら襲っちゃうぞ。 「…キョーヤ」 なんとか理性で欲を抑え込み、屈んで目線を合わせて「食べてよ。せっかく焼いたし。お腹空いてるんでしょう?」「…空いてるけど」「食べたらなんでもしてあげるよ」…あ、しまった。口が滑った。ふいと視線を外したキョーヤが「じゃあ食べる」なんて言うからまいったなと笑う。そんなにかわいいと俺の方がもたないよキョーヤ。 「…馬鹿か俺は」 べち、と自分の顔を一つ叩いてぼやく。隣ではキョーヤが眠ってる。俺と同じで何も着てないまま。 キョーヤは眠そうだったし疲れてる感じだったのに、なんか遠慮なくやってしまった。本当に久しぶりだったから、早々に理性が迷子になってしまってですね。本能に支配されたというか…うん言い訳ですすいません。 べち、とも一つ顔を叩いてキョーヤから視線を逃がしつつ、今晩のおかずを考える。キョーヤ夜は何か食べるかな。それなら今から作っておかないと。久しぶりに俺のご飯を食べるんだから、やっぱり好きなものを作ってあげたいな。あーでもお寿司はネタがないからできてハンバーグかな。 あれ、ハンバーグとお寿司って作らなかったっけと一人首を捻って、思い出す。そうだ、作った。昨日じゃん。キョーヤがお寿司とハンバーグがいいって言うから。思えばあれがこの時代のキョーヤに作った最後の手料理だった。キョーヤはこうなることを予測してたんだ。だから最後に好きなものが食べたいって俺に。 …この時代のキョーヤにとって、十年前から来た俺は、どんな存在だったろう。いるべき俺と入れ替わって現れた俺に、キョーヤは何を思ってたんだろう。今ではもう訊けないことだけど。気にしても仕方ないんだけど。 「キョーヤ」 呼ぶと、キョーヤの瞼が震えた。ぼんやりした灰の瞳が俺を見て何度か瞬きをする。「夜何がいい? ご飯」「…さっきたべた」「じゃあ口に入りそうなものでいいよ。何かない?」口を閉じたキョーヤが考えるように眉根を寄せて、ぼそりと「スクランブルエッグ」とこぼす。うん、わかった。食べないよりはずっといいから、おいしいのを作ろう。 生クリームがあったらなぁとか調理に頭を傾けていると、枕に手をついて起き上がったキョーヤにキスされた。口を塞ぐ深い口付けに、キョーヤの頬に手を添えて応える。 さっきまで寝てたくせにキョーヤの目はもう起きていた。銀の糸を引いて離れた唇が「ねぇ」と囁いて、キョーヤの細い指が俺の手に絡まる。首筋に顔を埋められ「もう一回」なんて言葉が聞こえてちょっと自分の耳を疑った。あんなにしたのにもう一回? それは、キョーヤの腰が壊れないか。どう返そうと少し迷った間にキョーヤは俺をさらに誘惑する。首筋から鎖骨へと唇が下りていく。煽るようにちゅうと音を立ててキスされる。ああくそ、すごくむずむずする。 「キョーヤ、腰痛くなるよ」 「これくらい平気だ」 「や、でもさ」 「抱いてよ」 はっきり言われてしまって二の句が継げない俺に、キョーヤがさらに攻めにかかる。「もっとあなたがほしい」なんて、揺れる灰色の瞳に懇願されると、簡単に理性が綻び始めた。「、もっとシて」なんて囁くキョーヤがかわいらしくて憎らしい。 俺が欲しいだって? あげましょうとも。俺だってキョーヤのこともっと淫らによがらせたい。もっと汚してやりたい。 理性という鎧はキョーヤの誘惑という槍によってあっさりと貫かれ、結局俺が負けた。「痛くなっても知らないよ」と囁いて返してキョーヤの唇を奪う。さっきまでしてたんだからきつくなってるはずもない場所に指をいれるとキョーヤの頬に朱色が走った。そこから意識を逃がそうと必死に舌を絡めるキョーヤが「んン」と悩ましい声を漏らすとまた理性が剥がれ落ち始めた。 ああもう、かわいいなぁキョーヤは。 指の数を一本から二本へ、そして三本へ増やす。もどかしいと感じたのか、少し唇を離したキョーヤが「はやく」と懇願した声が、最後に残っていた理性を崩壊させた。 本当、明日痛いってなっても知らないからね。俺の責任じゃないからね、キョーヤ。 |