いなくならないよ。大丈夫

 たん、と包丁で野菜を切って夕飯の準備をしていると、キョーヤの相手をしてたディーノがやってきた。「おう、ちょっといいか?」と声をかけられて包丁を止める。なんだろう、ご飯ならまだなんだけどな。
「ちょいとツナ達を見てきてくれねぇか」
「…何かあったの? 確かみんな、チョイスの移動手段でバイクを乗りこなす練習をして、今はそれぞれに合った修行をさせてるんだって言ってなかったっけ?」
 はてと首を傾げると、ディーノがまいったなって顔で「いやぁ、そうなんだけどな。どうも行き詰ってる奴らが多いんだ。お前が行ってうまい飯でも作ってくれると助かるんだよ」「…?」さらに首を捻る。向こうのご飯なら、ハルやキョーコが頑張ってたんじゃなかったっけ。
 ディーノの態度を訝しく思ってさらに問い質したところ、ここまで詳しいことは何も聞かずにツナ達の力になってきた二人がボイコットを起こしたらしい。今起きていることを話してほしい、と。本当のことを話せば二人にさらなる迷惑をかけるからと、ツナ達は黙秘の方向で自分達の修行と家事炊事をプラスして過ごしている。でも目に見えてストレスが溜まってきているし、両立は難しいとのこと。だから俺が行って手助けしてくれないか、という話だった。
 ふうと息を吐いて中学生組みを思い浮かべる。
 そうか。こんな壮絶な戦いをこなしてるからつい忘れがちだけど、あそこにいるのは俺よりも年下の奴ばっかりなんだ。俺よりずっと女の子に対して不器用だろうし、思い込みもあるだろう。意地とかプライドとか。そういうものを捨て去るにはみんなまだ若すぎる。って、少ししか先輩でない俺が偉そうに言えることでもないけど。
「…でもさぁ、いずれ知れると思うよ。ハルやキョーコにきちんと話しておいた方がいいと俺は思うけどな」
「そこんとこはあいつらに委ねようや。とりあえず飯を作ってきてやってくれよ。なっ」
 ぱちんと手を合わせたディーノにふうと息を吐いて包丁に視線を落とす。「いいけど、こっちすましてからね」とりあえずキョーヤの分のご飯を作らないとならない。「恩に着るぜ。お前ほんと変わらないなぁ」「それ嫌味?」「いい意味だよ」笑ったディーノが台所から出て行った。全く、あの人も変わらないなぁ。
 ああ、キョーヤ怒るだろうなぁ。うん絶対怒るだろうな。今お風呂だけど、出たらご飯食べに来るだろうし。言い出しっぺなんだからディーノが誤魔化すことをするだろうけど、キョーヤ、気付くだろうなぁ。
 でも、ツナ達の修行に身が入らないのも困る。ビャクランを倒すにはボンゴレ匣が一番可能性があるんだし。
 俺は自分にやれることを精一杯やった方がいい。どんなにめんどくさいことでも、あとでやっておけばよかったと後悔しないように。
 キョーヤがもう少し元気になるように、ご飯のメニューには気を遣っている。今日はスコッチエッグだ。本当なら揚げたてを食べさせてあげたかったけど、ディーノの頼みだし、仕方ない。今から作ってラップしておいておこう。ツナ達の様子見に行かないと。
「チャオっす」
「チャオっす。うわー、これは予想以上…」
 行き会ったリボーンと一緒に台所に顔を出すと、嵐が通り過ぎたあとのように荒れていた。ゴミ箱には空のカップ麺が溢れている。焦げてるフライパンはどうにか調理しようとしたあとのようだけど、ゴミ箱に黒っぽいものが捨てられてるところを見るに、失敗したんだろう。
 腕をまくってまずは掃除からかとせっせと片付けをする俺。リボーンはそんな俺を見てるだけだ。別にいいけど。手伝ってくれるなんて思っちゃいないし。
「雲雀の様子はどうなんだ。修行は順調か?」
「うん。形態変化もお手のもの。ディーノ相手に今じゃ負けてないよ」
「そうか。さすが夫婦だな」
「もうそのネタいいって」
 冷蔵庫を覗いて材料を確かめ、とりあえずお好み焼きを作ることにした。粉類はたくさんあるようだし、これならお腹が膨れるだろう。食べ盛りの男子にとって食欲が満たせないのはかなりの苦痛になる。修行で体力も使ってるだろうし、たくさん作っておくか。
 並べたお皿に焼いたお好み焼きを次々のっけていると、「いいにおいがする」と誰かの声が聞こえた。ぞろぞろやってきたツナ達が「あ、さん、どうしてここに」「いいにおいだもんね! ランボさん食べるー」「待てコラアホ牛、てめぇっ!」「はいはいどうぞ食べて。みんなお腹空いてるんでしょ。俺はちょっとディーノに頼まれてね」苦笑いすると、ツナのお腹がぐーと音を立てた。恥ずかしそうに俯いて「すいません、すごく助かります」なんて言うから思わず笑った。うん、じゃあよかった。
「ぬおおうまい! は料理が得意なのだな、これは極限にうまいぞ! いくらでもいけそうだっ」
 お好み焼きを口に詰め込んでいるリョーヘイに「それはどーも」と笑って返す。いや、おいしいのはいいんだけどさすがに喉に詰まるよリョーヘイ、その食べ方は。お好み焼きにかぶりついたタケシが「いいのか? はヒバリのそばにいないとまずいんじゃねぇの?」なんて言うからちょっと困った。いや、それはそうかもしれないんだけどさ。この状況を放っておくっていうのもね。
 同じくお好み焼きにかぶりついてるハヤトが「てめぇ野球バカ、余計なこと言うなよ。あいつが勝手に来たんだから俺らは食べてやりゃいいんだよ」「はいはい、そういうことにしといてください」つっけんどんのハヤトに肩を竦めて返して新しいお好み焼きを焼いた。一番に空にしたリョーヘイのお皿におかわりをよそう。次にタケシ、ハヤト、ツナもほしいって言うから作ってたらあっという間に粉類が減った。食べ盛り男子、恐るべし。
 次に洗濯機がある部屋を覗くと、これもまたひどい惨事になっていた。洗濯機が泡だらけなのである。一体どうしたらこんな漫画みたいな展開になるのかちょっと頭が痛い。
「す、すいません。オレが洗剤入れすぎたみたいで…」
 小さくなるツナの頭をぽんと叩いてやんわり笑う。「俺が片付けるよ。修行行っておいで」「え、でも」「ほーら行った! 心配しないでもなんとかするよ」後ろ髪を引かれるようにこっちを振り返るツナにリボーンが「さっさと行けバカツナ」とキックをお見舞いした。
(さってーと)
 水浸しの床を踏んで、リングに炎を灯して開匣した。伸ばした腕にツァールが止まる。蒼い瞳を覗いて「床を乾かしたいんだ」と語りかけると、ツァールは静かに翼を広げた。濡れてない床の部分と調和させて水分だけを弾き飛ばす。洗濯機も同じようにやった。機械相手だからちょっと迷ったけど、これだけ濡れてると拭くのもめんどくさいし。
 溜まってる洗濯物を放り込んで適量の洗剤を入れ、スイッチを入れてみる。よかった、動いた。
 これで一応の目的はすんだ。洗濯物を干すのと洗い物くらいみんな自分でできる、と思いたいな。頑張れ中学生。俺はそろそろキョーヤのところに戻らないと、トンファーが飛んできそうな予感がひしひしする。
 でもちょっと気になるんだよな、みんなの修行の様子ってやつが。ツァールを匣に戻して少しだけ覗きに行こうかなぁと考えたとき、ドカンと爆発音のようなものが響いて床が揺れた。慌てて廊下に飛び出すと、タケシが壁に叩きつけられているのが見えて駆け寄る。なんだ、どうしたっていうんだ急に。
「タケシっ、どうしたんだよ、大丈夫?」
 抱き起こすと、呻いたタケシが視線を上げた。「いつー…ヤバいぜ、ありゃ。キレてら」「は? キレてるって誰、」が。続けようとしたら「ぐわっ」と違う声が聞こえて振り返る。匣を展開していたハヤトが吹き飛んでくる。どうやら何かの攻撃を防御して弾かれたらしい。
 ああもう、なんだこれ。一体どうなってるんだ。
「ツァール!」
 開匣して飛び出したツァールが翼を広げる。調和の力でハヤトの空気抵抗をなくして壁にぶつかる前に助けることができた。ほっと息を吐いたのも束の間、「わぁ待って待ってくださいヒバリさんっ!」悲鳴を上げたツナが問答無用で吹き飛ばされた。
 鈍く光るトンファーを両手にロールを従えて廊下を歩いてくるキョーヤは確かに怒っていた。ひたり、と床を踏んだ裸足の足が着物を揺らす。「何をしとるヒバリ、オレ達は仲間ではないかっ」「仲間…? 何それ」ギャギャギャと不穏な音と一緒に高速回転し出したロール。ま、まずい。確かにタケシの言うとおり、キョーヤはキレてる。
「咬み殺す」
 ギャン、と音を立てて廊下を破壊しながら竜巻のごとく迫ってくるロール。「ツァール」呼びかけるとこくりと頷いたツァールがロールに負けないくらい高速で飛び立って接近、オレンジの焔でロールを包み込んだ。それでもロールは止まらない。どうやら俺の方が押されてるらしい。さすがキョーヤ、と言ったところか。
、行ってやれよ。オレらは大丈夫だから」
 タケシに背中を押されて一歩踏み出す。振り返って「でも家事とかまだ残ってるよ」「どうにかなるだろ。つか、今どうにかしないとならない相手は目の前にいるじゃんかよ。あんたしか止められないぜ」タケシが笑うから俺も仕方なく笑う。ああ本当、そのとおりだ。キョーヤってば世話が焼ける。
「キョーヤ」
 呼ぶと、ぴたりとロールが止まった。調和の力に負けたのか、キョーヤがそうしたのかはわからない。でも多分後者だ。だってキョーヤは強いから。
 肉食獣のようにぎらぎらしていたキョーヤの瞳がふっと潤んだ。さっきまでの猛攻はどこへやら、トンファーを構えていた腕をぶらりと下ろすと、それ以上は一歩も動かなかった。しーんと静まり返る廊下で背中に刺さる視線がどうにかしてくれと訴えている。
 キョーヤのそばまで歩いていって、手を伸ばした。ばしんと弱い力で振り払われる。じろりとこっちを睨んだキョーヤの目は潤んでいた。
「キョーヤ」
「……さがした」
「うん、帰ろうと思ってたんだ。ほんとだよ」
 小さな声にもう一度腕を伸ばして、届いた手でキョーヤの髪を撫でた。やんわり笑って「ね、帰ろう?」と言うと俯いたキョーヤがこくりと頷いた。ロールが匣に戻る。俺もツァールをしまって、キョーヤの背中を押して歩きながらツナ達を振り返った。
「じゃあ悪いけど残りよろしく。ああそれと、ハル達にはちゃんと話した方がいいと思うよ」
 ひらりと手を振って、俺はキョーヤを連れてボンゴレ側のアジトを出た。
 キョーヤは隣で無言を貫いている。ぐっと強く握られている手がさっきから痛い。
 さて、困った。ディーノの頼みとはいえそばを離れたから、キョーヤは怒ってるんだろうか。怒ってるんだろうなぁこれは。
「キョーヤ?」
「………いなかったらどうしようかと。おもった」
「え?」
「どこをさがしても、あなたがいなかったら。みつからなかったらどうしようって…ッ、むねが、さけそうで」
 小さな声に立ち止まってキョーヤの顔に手を添えた。俯いている顔をこっちに向かせれば、キョーヤは泣いていた。普段は鋭い灰の瞳が鋭利さをなくして潤んでいる。
 少し離れただけじゃないか。書置きだって残したじゃないか。ヘタクソなひらがなでちょっとツナ達を手伝ってくるって書いて用意したご飯の上に紙をのせておいたじゃないか。あんまりヘタクソで読めなかったかな。これでも日本語勉強してるんだけどな。
 顔を寄せてキョーヤの涙を舌で拭うと、ぬるくてしょっぱい味がした。
「ごめんキョーヤ。もう大丈夫」
 瞼の上にキスを落として涙を拭っていると、ぼふりと抱きつかれた。俺の胸を顔を埋めて震えているキョーヤを抱き締めて、思う。
 俺がこの時代に送られてこの時代のキョーヤと過ごしてる間、俺の知るキョーヤは一人だった。その間にこんなにも変わっていた。こんなに、俺がいないと駄目な子になっていた。
 離れなきゃよかったと思ってる。この時代に来るにしても、せめてもう少し違う方法はなかったのか未来の俺、と今でも思うことがある。
 でも、離れてる時間があったから、恋しいと思う時間があったから、こんなにも好きなんだと気付くことができた。ここに来なければ気付かないでいたものがあった。気付いていたとしても知らないフリをしていたものがあった。それを、俺は認めた。
 ただただ好きで。愛しくて、恋しくて、そばにいたくて、手を繋ぎたくて、抱き締めたくて、キスをしたくて、それ以上もしたくて、かわいく喘がせたいと思って、願って、望んで、抱いて、愛して愛して愛して。
 人間って単純だ。複雑なことを考えるときは本当どうしようもないくらい深く考えることもできるのに、本能に訴えかける存在の前には思考を放棄してしまうのだから。
「キョーヤ」
 ちゅ、と額にキスをする。ようやく泣き止んだキョーヤの手を引いて屋敷に戻って、俺の部屋に連れて行った。キョーヤは眠そうだった。俺を見つけられたから安心したのかもしれない。全くかわいい奴め。
「明日もあるよ。眠るまでそばにいてあげるから、寝なよ」
「…あなたは寝ないの」
「自分のご飯がまだなんだよね。ちょっと食べてシャワー浴びたら寝るよ」
 布団に潜り込んだキョーヤの不服そうな顔に笑いかけて黒い髪を撫でる。ディーノとの修行で疲れてたみたいで、キョーヤは目を閉じてすぐに眠った。少し赤い目元をそっと指先でなぞる。
 キョーヤはきっと、俺なしではもう生きていけないような。そんな気がする。
 俺も、キョーヤがいないと生きていけないような。そんな気がする。
 握られたままの手をそっと外して布団の中に戻し、台所のある部屋へ行く。自分の分のスコッチエッグをかじっているとディーノがやってきた。顔にいくつか絆創膏を貼ってる辺り、キョーヤにやられたんだろう。
「いやぁ悪い。なんか逆効果になっちまった気がする…」
「ほんとにね…。せめてもうちょっと早く知らせてくれれば、ディーノがキョーヤの相手してる間に俺が片付けてくる、ってこともできたんだけど」
 りんごをかじった俺がそう言うと、がしがし頭をかいたディーノが苦笑いする。変わってない。十年前もディーノはこんな感じで人がよくて、ちょっと抜けてる部分があって、憎めない人で。キャバッローネのボスで、部下に慕われてる。

 さて、残り七日。最終目標は打倒ビャクラン。叶うかどうかは、俺達の成長にかかってる。