「キョーヤートリックオアトリート!」
「は?」
 ガラリ、と勢いよく扉を開けて応接室にやって来たがいきなりそんなことを言ってきた。
 急にやって来た彼に驚いたけど、意味不明なことを言って普段は着ないようなでろっとしたマントを羽織った姿が印象的だった。
 トリックオアトリート? 何それ。聞いたこともない。顔を顰めている僕に、でろっとしたマントを羽織っている彼がおやと首を傾げた。「もしかしてキョーヤ、今日が何日かわからない?」「十月三十一日」「正解です。じゃあその日がなんの日かはわかる?」「…?」訝しむ僕に、「そっかぁ知らないのかぁ」とこぼした彼がピシャンと扉を閉めて、カチン、と鍵をかけた。
 なんとなく不穏なものを感じて帳簿を閉じた。今の彼に無防備な姿を晒してはいけない気がしたのだ。鍵なんていつもかけないくせに。
「…? 何?」
「もう一回言うよ。トリックオアトリート。意味は、お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ」
「…何それ」
「今日はハロウィンなんだよ。聞いたことくらいあるだろキョーヤ」
 ハロウィン。海外から流てきて日本で商業化に利用された秋の行事のことか。子供が仮装したりするやつ。
 ああ、だから彼もマントを羽織ってるのか。
 ガチャ、と椅子を蹴って立ち上がる。なんだか逃げないといけないような気がしたのだ。今の手に捕まってはいけない気がする。
 トリックオアトリートだって? お菓子なんて、僕が持ち歩いてるはずもない。あげるものなんてない。この場合、お菓子をあげないと、イタズラ、されるのだろう。
 イタズラって言われて性的なことしか思い浮かばない僕も僕だけど、そういうことを連想させる顔をしてるだ。
 家なら断る理由もない話だ。望んでイタズラされる。だけど、ここは学校だ。僕の並中だ。ここは応接室で、扉の外には二人控えてるんだ。いくら鍵をかけたって、すぐ外に人がいるこんな場所でするなんて絶対できない。嫌だ。万が一にでも喘ぎ声なんて聞かれてしまったら羞恥心で軽く死ねる。
 そんなことわかっているはずなのに、笑顔を浮かべて迫ってくる彼を呪いたい。
 じりじり後退り、背中が壁に触れた。
 家だったら逃げない。喜んで捕まる。けどここは駄目だ。学校だ。応接室だ。風紀を正す中心地だ。ここが管制塔なんだ。風紀委員長である僕がここで淫らに喘いで汚れるなんてできない。
 唇を噛んで、視界の端に入った狭い給水室に逃げた。好きなときにお茶を淹れられるようにと作らせた場所だ。小さな水場と一口コンロにはやかん、棚には急須やお茶受け、湯のみなどが収めてある。
 ここと応接室を繋ぐ扉がないことを今は呪うしかない。いちいち開け閉めが煩わしいからって扉は取っ払ってしまった。ここへ逃げたって彼から逃げられるわけじゃない。むしろ、自分からここへと誘ってしまったみたいなものじゃないか。窓がないんだ、これ以上は壁を破壊しないと外へは出られない。
「キョーヤ」
 呼ばれて、身体が震えた。
 駄目だ。捕まったら駄目だ。だけど、もう逃げ道がない。捕まるしか、道がない。
 そろりと振り返れば、給水室と応接室を繋ぐ場所に彼が立っている。その蒼い瞳に射抜かれて心臓が騒ぎ出す。身体も騒ぎ出す。ここがどこかを忘れそうになる。勘違い、しそうになる。
 その瞳の蒼に吸い込まれて、彼の海が見えてくる。
 ぎゅっと目を瞑った。無防備だとは思ったけど、これ以上と目を合わせていたら堕ちてしまう気がした。
 …でも、目を閉じたって、どうせ堕ちてしまうだけなのに。僕は悪あがきみたいに目を瞑って、きつく瞼を閉じて、自分なりに精一杯抵抗した、と自分の中に贖罪を作る。
 かつ、と靴音が響いて、気配が動く。が動いて、僕へと近づく。逃げるなら今だ、振り切って、扉まで走るしかない。そうわかっているのに身体が動かない。蒼い目から逃げているはずなのに逃げ切れていない。
「キョーヤ」
「…、」
 そろりと目を開ける。そろそろと視線を上げると、僕と目を合わせた彼が僕の前髪をかき上げて額にキスをする。頬にも耳にもキスしておきながら唇にはしない。乞うときのキスだ。彼は僕がいいと言うのを待っているんだ。…ずるい人だ。ここまで追い込んだのだから、逃げられなかった僕を問答無用で食べてしまえばいいのに。
「…それ、なんの仮装のつもりだったの」
「これ? マントがドラキュラに見えない?」
「見えない。ただのボロボロのマントだし、ドラキュラを模すなら、せめて牙でもつけてきたらよかったんだ」
 あは、と笑った彼が「じゃあそれっぽいことをしよう」と僕の制服のネクタイを解いた。しゅるりというその衣擦れの音だけで顔が熱くなってくる。ぷち、と制服のボタンを一つ外した彼が僕の鎖骨に噛みついた。それが少し痛くて顔を顰める。
(…ドラキュラは血を吸うんじゃないっけ? ああ、だから噛みついたのか)
 制服を着れば隠れるところに痕をつけたのは、彼の良心だろう。
 ずるい人だな、あなたは、本当に。
 いちいち許可を得ないとシようともしないのか。もっと強引に持っていったって僕は怒ったりしないのに。
「……イタズラ、しに来たんじゃないの?」
 鎖骨に顔を埋めたままの彼の茶色の髪に指を絡める。「ん。イタズラしてもいい?」生ぬるい舌が鎖骨を舐め上げてぞくりと背筋が騒いだ。そのぬるいことのもどかしさに「あなたは、押しが弱い。もっと強く出ればいいんだ」なんて口にしてしまってから後悔した。これじゃあ襲われたいと公言したようなものじゃないか。
 薄く笑った彼が並中指定のセーターをずり上げた。ベルトを外しながら、鎖骨から首筋を這い上がった舌がようやく唇に到達して、ぬるいその温度を求めて重ね合う。
 声は上げない。絶対上げない。それだけを心に決めて、僕は彼にイタズラされることを受け入れた。 
  「…ッ」
 応接室に隣接する、お茶を淹れるためだけに作った給水室。僕はそこで並盛に風紀を敷く中心地としてはあるまじき行為に耽り、びくん、と身体が跳ねて、達した。余韻に震える身体で息をこぼした唇に拳を押しつけ続ける。まだ、外しちゃ駄目だ。
 最後まで声らしい声を上げなかった自分を褒めてやりたいけど、中に出さないで処理してしまったに物足りなさも感じた。ここにはシャワーなんてない。彼の判断は正しかった。わかってはいるんだけど。
 壁に腕をついてなんとか立っていたけど、限界になってずるりと崩れ落ちる。「キョーヤ」と僕を支えて膝をついた彼の胸に頭を押しつけ、乱れた息を整えようと深呼吸する。
 …ここには窓がないから。汗のにおいと、性のにおいが、拭い切れない。
 それに、壁と床を汚してしまったから掃除しないといけない。何か、消臭剤的なもの、ここにあったっけ。
 宥めるように背中を撫でる掌に唇を噛む。
 僕は本当に、に弱いな。風紀を正すためにあるここで風紀を乱す行為に耽るなんて。声を押し殺さなければならないと必死になりながら、求めて腰を振っていたなんて、他に知られたら本当に恥ずかしくて死ねる。
「かわいいなぁキョーヤ」
 貶してるのかと思って睨み上げたら、彼はへらっと笑った。貶しているんじゃなく悪気のない素直な感想という顔をしてるところがまた憎らしい。「すごくかわいい。もう一回イタズラしたいくらい」「だ、駄目」急に背中を撫でる掌を意識してしまってその腕を払いのける。
 一回だから我慢できたんだ、これ以上シたら本当に声を上げてしまう。それに、イタズラさせてあげたんだから、もう帰ってほしい。羞恥心で僕を殺したいのかあなたは。
 僕の視線を受けて肩を竦めた彼が「冗談だよ」と言う。どこから本気でどこから冗談なのか、よくわからない。ギリギリ力を込めて睨んでいると、ズボンを引き上げた彼が「あのさ、睨むのは別にいいんだけど、その前にしまうとこしまったら」とか言ってくる。その指摘に負けるのも悔しいから睨んだままでいる。
 汚れてるのにそのままにしておくとかできない。僕はあなたみたいにフリーじゃないからこのあとだって仕事をしないとならないんだ。着替えればすむとかそういう話にはならないんだよ。
 はいはい、と肩を竦めて隣の部屋に行ったがティッシュ箱を取ってきた。「はいどーぞ」と差し出す手からひったくるようにして箱を奪う。
 くそ、余裕かまして。帰ったら憶えてろ。絶対イタズラし返してやる。
†   †   †   †   †
 今日は十月の三十一日。日本では秋の行事イベントと化しているハロウィンの日です。ということで俺は吸血鬼の格好してキョーヤにイタズラしに学校に乗り込んだわけですが、そのせいか、帰ってきてからずっとキョーヤの機嫌が悪いです。イベントに乗っかってイタズラしたことを怒ってるみたいです。イベント行事くらい大目に見てほしいですマル。

「はぁい」
 帰ってきてからずっと機嫌の悪そうな棘々した声に呼ばれて、洗い物を片付けつつ投げやりに返事をした。「あとで部屋に来て」「はーい。これ終わったら行く」キョーヤの機嫌が降下することをした憶えのある俺としては、下手に出るしかないわけですよ。
 洗い物を片付けつつ考える。部屋で何させられるんだろう。正座で説教? それとも反省文とか? しまったなー調子乗らなきゃよかったな。キョーヤがイタズラ=性的なことを連想してる顔だったら乗っかってみたんだけど、学校でセックスするのはちょっと違ったよな。うん、反省してます。ごめんなさい。もうしません。でも言い訳するなら、必死で声殺してたキョーヤの姿にはソソられるものがありました。ごめんなさい反省してます。本当してます。もうしません。多分。
 と、胸の内でいっぱい言い訳しつつ洗い物を終え、しっかり石鹸で手を洗ってきれいにしてから二階へ行った。「キョーヤ入るよ」と断ってから部屋の扉を開けると、なぜだか部屋が暗い。電気ついてない。あれ、いないとか? 部屋に来いって言っておいてそんな馬鹿な。
「キョーヤ? 電気つけるよ」
 断ってから、手探りでスイッチを探して電気をつけて、見えた景色に驚愕して思わず電気を消してしまった。
(え? え? え、何今の。あ、幻覚か。ってキョーヤは幻覚使えないっつの)
 自分にセルフツッコミ。よし、大丈夫、さっきのは見間違いだ。俺の目がハロウィンって言葉に腐ってただけだ。よし、現実を見る。
 パチン、ともう一回部屋の電気をつける。白っぽい光が灯って部屋を照らし出す。
 見える現実は変わらない。
 き、キョーヤが、紫色のワンピース着てる。
「……あの、キョーヤさん。ドウシマシタか。これは俺が見てる幻覚ですか」
「違うよ」
 苛々した声で俺の言葉を否定したキョーヤが手にしていた大きな帽子を被った。ぼすっと目深まで被って「これでわかるでしょう」と言われて、上から下までキョーヤを眺めて、あ、魔女か、とようやくわかった。大きなつば広帽子がなかったら全然わからなかったけど、そっか、魔女か。箒ないけど。って、なんでチョイスが魔女。ハロウィンに乗っかるにしても狼男とかフランケンとかジャックランタンとか、もっとフツーにできる格好があったような。
 やばい、頭の中がぐるぐるする。キョーヤの膝きれいだなとか思っちゃう。その丈どうなの、膝上十センチとかわざとなの。わざとなのか。そのスカートの中に手を伸ばしたくなってくる。
「あの、キョーヤさん。そんな格好をされると俺はヒジョーにマズいのですが」
「何が?」
「何がって、」
 腕組みして仁王立ちしてたって、お前が女の子にしか見えないってところがとてもマズいです理性的に。
 退散しよう。素直にそう思ってくるっと後ろを向いたら、ジャッと音がしてぐるぐるっと何かに巻きつかれた。え、と視線を落とせばトンファーから伸びたチェーンが俺を絡め取っていて、ぐんと引っぱられれば抵抗空しく部屋の中に引きずり込まれる。
 バン、と扉を閉めたキョーヤが鍵をかけた。必死にその姿から顔を逸らす。床に転ばされた俺が見上げたらスカートん中見える。ああくそ、そんなこと考えただけでムラムラしてきた。
「昼間はよくもやってくれたね」
 のし、と俺の上に乗っかったキョーヤの両手に顔を挟まれた。「」「わー駄目駄目、今キョーヤのこと見れない!」「なんで?」ぐっと力を入れた手に必死で抗う。なんでとか言っておきながらさっきから声が楽しそうだぞキョーヤ。計算して魔女選んだろお前。昼間の仕返しかこれ。
 依然としてトンファーのチェーンで腕を拘束されてるため、キョーヤを突き放すこともできなければ抱き締めることもできない。ぐりっと無理矢理顔を正面に向けさせたキョーヤの手を止めることもできない。俺をまたいで胸に乗っかったキョーヤのスカートの下に白い太腿が覗いている。すぐ目の前だけど手が動かせないから届かない。うう、拷問だ。こんなの拷問だ。
「いい顔」
「う…」
 せせら笑うキョーヤは心底楽しそうだ。俺の物欲しそうな顔っていうのがそんなにいいのか。下半身が爆発しそうなくらいに煽られてるんだがそこんとこわかってるのかこの馬鹿。
 お預けが嫌だとチェーンの拘束に抗ってみたけど、鉄に対して生身の腕が勝てるはずもなく、抵抗しただけ痛くなった。くそう。そのスカートん中に手を突っ込みたい。
 俺の顔を挟んでいた手が離れた。すっと流れた手が俺の太腿を撫でて、そのまま足の付根まできた。唇を舌で舐めるその仕草と表情と手つきが最高にエロい。
「僕のこと抱きたい?」
「抱きたい」
「今すぐ?」
「今すぐ」
「ふぅん。どうしようかな」
 楽しそうな声と手が俺を弄んでいる。理性ってもんをどこかに置いてきてしまった俺は「キョーヤ」と許しを乞うしかない。キョーヤがチェーン外してくれないと動きたくても動けない。その太腿、かじりたくてもかじれない。
 余裕のない俺にふっと瞳を細めたキョーヤが俺の顔の横に両手をついてキスしてきた。煽ってるとしか思えない四つん這いの格好で。キョーヤの体重が浮いたことで腕が幾分動きやすくなり、舌を絡める接吻をしつつさらに抵抗したところ、腕はどうにかチェーンをすり抜けた。そうなればもうこっちのものだった。白い太腿に手を這わせて突っ込みたいと思っていたスカートの中に手を入れる。
 ふ、と息をこぼしたキョーヤのワンピースを胸までずり上げながら、煽るとこ煽って、やられた分は存分にやり返してやろうと心に決めた。
 すでに時刻は十一時を回り、このままもつれ込めば余裕でハロウィンの日付をぶっちぎることになる。
 が、俺達の夜は、まだ始まったばかりなのであった。マル。