決戦、抵抗、暗雲、そして

 チョイスとやらの戦闘舞台は、高層ビルに囲まれた場所だった。
 足が硬い床に触れる感触を確かめるよりも早く隣に視線をやると、彼はちゃんといた。ビルの屋上に足をつけてほっとしたような顔をしていた。特に怪我のようなものはなさそうだ。
 目がちかちかする。移動手段が大げさだ。それにこれはかなりの炎を消費した。ロールが匣に戻ってるし、彼の鳥も他の匣兵器もみんな閉じている。
「ようこそチョイス会場へ」
 そして、気に入らない声がした。じろりと視線をやればあいつがいる。白蘭。さっきは馴れ馴れしく彼に話しかけてきた。あいつは絶対に咬み殺す。
「何度も会っているような気がするけど、僕と会うのは初めてだね」
 あくまで笑みを浮かべる白髪の相手を睨んでいると、その視線は僕ではなく彼に移った。「お、ちゃんだ!」とか嬉しそうな声を上げる相手にぎりと奥歯を噛み締める。ああ苛々する。何がちゃんだ。本当に馴れ馴れしい。彼は僕の隣で微妙な表情で「どーも」とだけ返した。
「十年前も変わらないねホント。曇らないその蒼い目を見てるとイジメたくなってくるよ」
「あ、ははは…遠慮シマス」
 ひょいと僕の後ろに回った彼を庇うようにじゃきんとトンファーを展開して構える。何がイジメたくなるだ、本当にムカつく奴だ。今すぐ咬み殺してやろうかとトンファーを構えた僕に、白蘭の後ろにいた手下っぽいのが手を振り上げると腕が変形した。人の形をしてるけど、相手は人間じゃないと思った方が早い。その方が遠慮なく戦える。
「キョーヤ」
「………」
 だけど彼が、僕の手を握るから。咬み殺そうと思っていたのに、原形を留めないぐらいめちゃくちゃにしてやろうと思っていたのに、気持ちが萎える。トンファーを握る僕の手を包んだ掌の持ち主は穏やかな顔で言う。「まだ次のチョイスってのがあると思う。キョーヤ、我慢して」「………」他でもない彼の言葉に、仕方なくトンファーを下ろした。「さすがちゃん、わかってるね」とか言って笑う相手をじろりと睨む。そのへらへらした顔、絶対這いつくばらせてやる。
 次のチョイスとやらを始めた沢田綱吉達からぷいと顔を逸らす。白蘭の視線が自分から外れたことで、彼はようやく僕の後ろから隣に並んだ。考えるように額に手をやって「なんだろ。この時代の俺ってビャクランとなんか関わってたとか…?」ぼやいた声に「知らないよ」と返して視線を投げる。どうやら次のチョイスとやらが終わったらしい。
 立体映像として映し出されているのは、属性マークと人数。ボンゴレのマークの方の表の雲はゼロのまま。むっと眉根を寄せた僕に、彼が首を捻って表を見上げて「これは…各属性の参加人数?」「ピンポーン。そのとおりだよちゃん」イラっとしてトンファーを構えると彼に止められた。あくまでにこにこと笑顔を浮かべて僕ではなく彼を見ているあの白髪を咬み殺したい。
「えっと、ってことは、こっちは大空、嵐、雨属性が一人ずつに…あれ、一番下のはなんだろ」
「無属性だよ。つまり、リングを持たない人達のことね。二人選出してよ」
 ばちんとウインクした相手にが空笑いを返す。「なるほど」と。困ってるような彼の横顔を視界に入れながら、トンファーを握る手が苛々でどうにかなりそうだった。だけど彼が僕の手を強く握るからどうにか我慢していられる。「キョーヤ」と宥める声があるから、僕は。
 …だけど、あの表のとおりになるんだとしたら、僕は出られないということだ。
 それは嫌だ。あいつを咬み殺してやりたい。に馴れ馴れしくしすぎだ。本当に、ここまで苛々したのは、殺意すら覚えたのは、初めてだ。
「キョーヤ」
「、」
 頬に添えられた手でくいと彼の方に顔を向ける破目になって、視界から咬み殺したい奴が消えた。蒼い瞳には僕だけが映っている。そうすると少し落ち着く。たとえ気に入らない奴が彼を見ていても、彼が見ているのは僕なのだ、とわかるから。
「落ち着いてキョーヤ」
「僕は落ち着いてる」
「嘘。今にも飛び出しそうだよ」
 …確かに、落ち着いてるっていうのは嘘だ。本当はあいつを咬み殺したい。今すぐにでも。
「ボンゴレの参加戦士は、大空に綱吉君、嵐は獄寺君、雨は山本君、無属性は僕とスパナが適任だ」
 聞こえた声は入江正一のものだ。あの表のとおりの選出。ただ、彼が省かれたことにはほっとした。彼は一応大空属性。リングも匣も持っている。大空に沢田綱吉が選出されるなら、彼は出ないですむ。
 僕は出たい。でも、彼が僕を止める。「キョーヤ」と僕の頬に頬を寄せて「いい子だから手は出さないで」なんて、いつかにも聞いた言葉で僕を引き止める。
 ……毎度思うけど、僕は彼に甘いようだ。
 本当なら咬み殺してやりたい相手を意識から除外させるくらいには、彼の言葉に酔う。
 深く息を吐いて彼の肩に額を預けて「本当に、仕方がないね」と漏らしてしまうくらいには、僕は彼に弱い。
「はいキョーヤ。冷蔵庫があったから適当にもらってきた」
 観覧席に移動して、彼はマイペースにそんなことを言って僕に紙コップを手渡した。琥珀色の液体は紅茶だった。仕方なく口をつけると、無駄甘くて、口に残る味だ。彼の淹れる紅茶の方がずっとおいしい。それに、あったかい方が好きかもしれない。熱すぎるのは嫌だけど。
 三分が経過して、チョイスバトルが始まった。出番がない僕はぼんやり画面を見やるだけだ。つまらない。あの白髪は絶対僕が咬み殺したいのに。
 僕を引き止めたくせに、彼は紙コップを片手に落ち着きがない。モニターには沢田達がバイクで基地を出た様子が映っているだけなのに。
 どのくらい時間がかかるのか知らないけど、皆殺しにすれば早いんだ。こんなこと言ったら彼は僕を叱るだろうか。
 足を組んで椅子の背もたれに背中を預け、ぼんやり視線を彷徨わせる。ここにいる人間のほとんどがモニターを注視して見守っている。僕はあまり関心がない。強い奴があそこにいることは確かだけれど、戦えないのなら、意味もないし。
 なんだか疲れていた。この会場に移動するために炎を消費したせいか、それとも、さっき苛々しすぎた反動だろうか。ぼんやりしているとぺちと額を叩かれた。視線だけ向けると、彼がいる。「大丈夫キョーヤ」と首を傾げる彼の肩に頭を預けて「別に」と返してモニターに視線を投げた。沢田の形態変化、マントが見える。ああやってると草食動物ではないのに、強かったり弱かったり、沢田綱吉はよくわからない。
 彼の肩に頭を預けてぼんやりしている間に時間と状況が進んでいく。
 沢田が敵を退け、場面が山本武のいるところに映る。ほどなくして現れたのは僕もいつかに食らった相手だ。幻騎士とかいうらしい相手に山本が匣を開匣して応戦する。
 そして、結果は。

「…ねぇ」
「うん?」
「あなた、さっきから苦しそうだよ」

 手を伸ばして彼の頬に触れる。山本武と霧の剣士の戦いを見ていた彼は、僕に顔を向けると何度か瞬きしてから困ったように笑った。「ごめん」と謝る彼はやっぱり苦しそうだ。
 相手が敵でも、人が死ぬことには苦渋の表情を見せる彼は、優しいのだろう。こんな戦いは似合わないほどに優しい人なんだろう。だけど仕方がない。この場合、敵は撃破するしかない。それに山本武は殺していない。殺したのは向こう側だ。心を痛めるような理由なんてない。
 頬に触れていた手を下ろして、強く硬く握っている拳に掌を重ねた。
 さっきとは逆だ。さっきは彼がこうやって僕を鎮めていた。
 モニターから声が聞こえる。『勝とう』と。今は、それに同感できる。群れるのなんて大嫌いだけど、あの白髪のせいで今彼が苦しんでいるのなら、勝つ以外にない。咬み殺す以外にない。
 ああ、早くこれが終わればいいのに。そうしたら僕があいつを咬み殺してやるのに。
 硬く握られていた拳の力が緩んだ。その指に指を絡めてぎゅっと握る。
 彼はモニターを見つめて唇を噛んでいる。状況が悪くなったのだ。敵が獄寺隼人を回避し、沢田は敵の幻覚に捕まり、人数ではこちらが有利なのに状況が不利になる。山本の攻撃はバリアか何かに阻まれて届かない。
 入江正一がやられればこちらの負け。その場合、…どうなるんだろう。要は終わったあと残らず咬み殺せば終わりな気がするけど。まぁ、相手はそれなりにできる人の集りのようだし、負けない方がいいんだけど。
 見ているだけ、というのは思っているよりつまらない。彼のように心を移して状況を見ることのできない僕は、ぼんやりモニターを眺めながら、早く終わればいいのにと、そればかりを思っている。
†   †   †   †   †
 ショウイチがやられた。その瞬間が目に焼きついた。あれは、相当痛い。
「ショウイチ…」
 思わず椅子を蹴って立ち上がる。審判であるチェルベッロがショウイチとタケシが倒したデイジーを調べている。ここからわかる画面上では、左胸の標的の的の死ぬ気の炎はどちらも消えていた。じゃあこの勝負はドローなのか。ハラハラしながら見守っていると、デイジーの炎が再び燃え始める。ショウイチは倒れたままだ。
 チェルベッロ同士が連絡を取り合っている。まずい、この流れは。
『これによりチョイスバトルの勝者が決まりました。勝者はミルフィオーレファミリーです!』
 ぐっと唇を噛んで俯いたとき、手を引かれた。足を組んで椅子に座ったままだったキョーヤが立ち上がる。俺の頬を掌で撫でると「そんな顔をしないでよ」と言って灰の瞳を細めた。慰めるような、宥めるようなその掌に、キョーヤに縋りつきたくなる。
 だってこれは、ボンゴレリングと、マーレリングと、トゥリニセッテっていう大事なものがかかった戦いだ。負けるってことは、つまり。
 それにショウイチがまずい。すぐに手当てをしないと、あのままでは死んでしまう。『チョイスバトルが終了致しましたので、全通話回線を開放します』チェルベッロの声に視線を上げてから観覧席である部屋を飛び出す。とりあえず治療を。ここまでやってくれたショウイチにこんな終わり方はしてほしくない。
 途中で、足がもつれて転びそうになった。それを受け止めてくれたのはキョーヤだった。呆れたような顔で「震えてるよ」と言うキョーヤに困ったなと笑いかける。キョーヤが心配してくれてるのに、俺は今大丈夫だと言うことができない。
 開放された回線から聞こえる声は、ビャクランの能力と、パラレルワールドという一つの考え方の話だった。もしもの分だけ世界は広がり未来があるってあれだ。それから十年バズーカとショウイチが目覚めさせてしまったのだというビャクランの話に移り、この世界以外のパラレルワールドがビャクランによって支配されていて、それを止めるために俺達は十年前からこの時代にやってきた、ということを知る。
 でも、負けた。そんなに大事な戦いに、負けてしまった。
「ショウイチっ」
 ツナとハヤト、ショウイチの倒れてるところまで走る。膝をついてざっと傷を診たけどこのままはまずい。駆けつけたリボーンに放られた救急箱を展開、一緒に治療を試みた。普通の治療では間に合わない気がして「リョーヘイ、晴れゴテお願い」「おう!」俺達に追いついたリョーヘイが開匣した晴の匣の力を借りる。細胞が活性化して自然治癒力を何百倍にも膨らませる。おかげで止血は終わらせることができた。匣の力は偉大だ。普通なら無理な傷だけど、このままいけばきっと大丈夫。
 ほっと息を吐いて、ここから先はリボーンに任せた。俺よりもリボーンの方が上手だから。

「君達の負けだよ」

 その声に振り返る。部下を伴ったビャクランがそこに立っていた。
 今聞いたばかりでピンとこないところもあるけど。ビャクランは無数にあるパラレルワールドを支配していて、パラレルワールドの分だけいる自分と知識や思惟を共有できる。だからなんでもできる。この世界にはない知識を与えて匣を作らせるよう時代の流れを変えることも、この世界にはない薬を作ることも、なんでもできる。
 にこにこと笑っているビャクランの笑顔は空寒い。背筋がぞっとする。殺気とはまた違う得体の知れない何かを感じる。
「僕のことこんなによくわかってるのに、残念だったね正チャン」
 空寒い笑顔が俺を見た。一歩後退る。「結局どの世界でも僕には勝てないのさ。ねぇちゃん」にこっと笑いかけられてどう反応していいのかわからない。なんでそこで俺にふるんだ。あれか、パラレルワールドの俺はビャクランと何かしら関わりがあったってことなのか。
 すっと伸びた腕が俺の視界を庇った。ビャクランが見えないように、憶えのある白い制服の袖が俺の視界を庇う。学ラン姿を揺らしたキョーヤがじゃきんとトンファーを構える。それに構わずビャクランは続ける。「約束は守ってもらうよ。ボンゴレリングは全ていただいて…君達はどうしようかなぁ。ううん、悩ましいなぁ。あっ、そーだ」芝居がかった動作でぽんと手を打ったビャクランが「ちゃんくれるってんなら、このまま並盛町に帰すことぐらいしてあげてもいいよ」「…へ?」意味がわからない。だからなんで俺が出てくるんだ。俺はお前なんて知らないのに。
 手を伸ばすのが、一秒遅かった。俺が伸ばした手はすかっと空を切り、キョーヤが飛び出す。俺が止める間もなくビャクランに肉薄したキョーヤが雲の炎を纏ったトンファーの一撃を叩きつける。だけど何かに阻まれたようにその攻撃はビャクランに届かず、キョーヤが弾き飛ばされる。
「キョーヤっ!」
 遠くに弾かれたキョーヤのところに駆け寄って膝をつく。打ち所が悪かったのか、キョーヤは頭を押さえていた。つっと額を伝った血の色が思ったよりもショックで、視界が揺れた。
 今までにないくらいぎらぎらした灰の瞳が射殺さんばかりの勢いでビャクランを睨んでいる。キョーヤキレてる。怖い。
「咬み殺す…」
 ふらりと立ち上がったキョーヤの手を掴んで止める。「駄目だキョーヤ、また弾かれる」「黙ってろっていうのあなたは」「そうじゃないけど、それ以上怪我をしたら、」「あなたはっ」がしと俺の襟首を掴んだキョーヤが噛みつかんばかりの勢いで言う。「あなたは僕の恋人でしょうっ!」と。
 は、と肩を上下させるキョーヤの瞳に睨まれて、ぽかんとしてしまった。
(恋人…うん、恋人だ。そうだよ。俺はキョーヤが好きで、大好きで、愛してる)
 ぐっと俺のシャツを掴んでいるキョーヤが言う。「あなたは誰にもあげない」と。苦しそうに歪む瞳は、俺がさっき一瞬でも考えたことを見抜いていた。みんながこの場から無事に離脱できるなら、俺はあいつに膝をつくしか。そんなことを考えた俺をキョーヤは見抜いていたのだ。
 こんなときなのに相変わらずだなキョーヤ。お前、状況ちゃんとわかってる? こんなときでも俺のこと手離したくないとかさ。馬鹿だな、キョーヤ。まっすぐすぎるよ。なんかジーンてしちゃうじゃないか。
「相変わらず見せつけてくれるよねーちゃん」
「、」
「でもさ、解決になってないよソレ。どーするの? 僕んとこ来るなら彼らはちょこっと生き延びるんだけど」
 ビャクランの声に立ち上がる。キョーヤの手を握って止めながら視線だけでボンゴレのみんなを見る。
 どうすればいいんだ。俺はキョーヤを裏切りたくない。だけどこのままじゃ。現実に選択できる解に唇を噛んだとき、「待ってください。約束なら僕らにもあったはずだ」とショウイチの声がした。不思議そうな顔をするビャクランに、ショウイチは続ける。
「憶えていますよね…大学時代、僕とあなたがやった最後のチョイスで僕が勝った。だが支払うものがなくなったあなたはこう言った。次のチョイスで遊ぶときはハンデとして僕の好きな条件をなんでも呑む、と」
 黙っているビャクランにショウイチは言う。「僕はチョイスの再戦を希望する!」と。
 けど、冷ややかな目をしていたビャクランはにこりと笑うとショウイチの言葉を切って捨てた。「そんな話憶えてないなぁ」「嘘だっ、あなたが勝負事を忘れるなんて!」「だからそんな話なかったって。ない話は受けられないよ。さてちゃん」くるりとこっちを向いたビャクランはあくまで笑っている。
「どーする?」
「…………」
 キョーヤの手をきつく握る。今にもビャクランに飛びかかっていきそうなキョーヤを、愛しい人を少しでも逃がしたいと思うのなら、俺が取れる道は一つだ。
 だけどそれは。キョーヤは絶対納得しないし、ビャクランに向かっていく姿勢は変えられない。
 唇を噛んで「答えてよ」という声に催促され、口を開こうとしたとき。「私は反対です。白蘭」と女の子の声がした。暗くなりかけた視界で顔を上げる。いつの間にかそこに一人の女の子が立っていた。
「ミルフィオーレのブラックスペルのボスである私にも、決定権の半分はあるはずです」
「ユニ…貴様」
 そのとき初めて、ビャクランの顔に余裕以外の表情が見えた。
 殺気一色に染まっているキョーヤを背中側から抱き締める。「キョーヤ」と囁くと少し殺気が緩んだ。「行かないでよ。そんな勝手は許さない」という声に小さく笑って細い首筋に顔を埋めた。
 …あの女の子が状況をどう変えてくれるか。そこに、全てがかかってる。