よぎるのは、焼きついた記憶

 キョーヤの読んだとおり、並中には真6弔花の一人であるデイジーがいた。死ねないのが悩みとかいう変わった奴だ。
 こっちの戦力はディーノとキョーヤと俺。テツとロマーリオは匣もないから省くとして、三対一。チョイス戦でデイジーの力はあまり見てないけど、三対一なら勝てるはずだ。
 開匣しようとリングに炎を灯したらすっと伸びた手が俺の手を握って止めた。キョーヤだ。匣を取り出したデイジーを見ながら「あなたはここにいればいい」と言ってリングに炎を灯す。「いや、でも俺だって戦え」「ここにいて」言いかけたけど遮られた。ぐっと強く握られた手とキョーヤの灰の瞳に、いつもより少しだけ弱い声が、この時代のキョーヤと重なる。

 お願いだからここにいて。君に万が一のことがあったらって考えただけで、何も手につかなくなるから

 …同じだ。俺にそう言ったキョーヤと同じ顔をしてる。同じ目をしてる。キョーヤはキョーヤなんだな、十年の歳月があっても。そんなことを思ってるとふいと俺から視線を外したキョーヤがトンファーを展開して駆け出した。俺の肩をぽんと叩いたディーノが匣を開匣して「心配すんな、ツートップだ。俺と恭弥だけで十分だ」とオレンジ色の炎のたてがみを燃やす馬、スクーデリアと一緒に鞭を片手にキョーヤに続く。
 デイジーが開匣した匣からサイが出てくる。キョーヤのロールが球針態になってサイに突っ込んだのが見える。
 こんな非常時でも、キョーヤは俺を戦わせたくはないのだという。
 きっと戦力として不十分という理由もあるだろう。俺はボンゴレ守護者のように戦えるわけではないし、ディーノみたいに強いわけでもない。一般人よりはできるけど、その程度。部隊を埋める構成員の一人として数えられるだけの、特別能力もない人間。
 そう、わかってるさ。俺の力はきっとそんな程度。自分の可能性を信じて努力したつもりだけど、俺はこの程度。
 キョーヤは俺を心配する。きっと俺が戦えても戦えなくてもそれは同じだろう。俺に万が一のことがあったらってキョーヤは心配なんだ。何かあったらって考えると戦いに集中できない。だから手を出さないで見てるだけでいいっていうんだ。わかってる。わかってるけど。
 ぐっと拳を握って掌に指を食い込ませる。
 キョーヤがトンファーを振るってデイジーを吹っ飛ばした。ディーノのスクーデリアがデイジーのサイと真っ向から激突して、スクーデリアの調和の炎でサイの方が燃え上がる。スクーデリアが地面に触れているから、調和の力は地面へ働いた。石化し始めたサイに球針態のロールが突っ込んで容赦なく破壊する。
 二人は強い。俺が手を出す必要は全然ない。戦わずにすむなら、疲れずにすむってことだし、歓迎すべきことだ。それなのにどうして俺はこんなに、なんだ。がっかり? してるのかな。いや、違うか。でもなんか気持ちが沈んでる気がする。どうしてだろう。
 ぽむ、と肩を叩かれて振り返ると、テツがいた。「あの二人なら大丈夫でしょう。そんな顔をなさっていると、あとで恭さんに言われますよ」「…うん」テツの言うとおりだった。べち、と頬を叩いて軽く頭を振る。
 うん、そうだ。真6弔花の一人を封じるんだから、これでいいはずだ。俺はキョーヤのために、ここでちゃんと見てよう。それがキョーヤのためになるなら。
 ふらふら立ち上がったデイジーがスーツの前を掴んでぶちっと開いた。何をする気なんだろうと目を細めて、気付く。左胸に匣が埋まってる。
「なんだあれ…匣が…?」
 呆然としていると、デイジーはリングに炎を灯して自分の左胸にある匣に押し当てた。晴属性の黄色の光が溢れて思わず視界を庇う。眩しい。
 というか、あれはなんだ。心臓があるべき場所に匣が埋まってるなんて。あんなことして人は生きていけるものなのか。
 何度か瞬きしてから晴の炎の溢れる場所を見ると、デイジーがいた。破れたシャツの下から覗く肌に鱗が生えていてぎょっとする。なんだあれ、人間じゃないぞ。トカゲ、っぽいな。色の感じが。
 ぞわぞわする腕をさすっていたらトカゲっぽくなったデイジーと目が合った。肌が粟立つ。
 やっぱこの仕事向いてないのかも。もう辞めるとか言わないし、言えないけどさ。苦手なもんは苦手なんです。
「あなたは白蘭様のお気に入り…ユニ様と一緒に連れて帰るよ」
「は?」
 意味がわからない。なんだよお気に入りって。本当意味がわからない。この時代の俺はビャクランとどういう関係だったんだ。これはキョーヤが、怒る。そう考えた瞬間キョーヤのトンファーがデイジーの横っ面を全力で叩きつけて吹っ飛ばした。容赦ない。というか遠目からでもわかるくらいキョーヤは怒っていた。リングから溢れる炎がここからでも見える。きれいな紫だ。ぎらぎらした灰の瞳と「ロール、形態変化」という声でロールが変化する。
 がしがし頭をかいたディーノが「こりゃあいつだけで十分だな」と肩を竦めた。匣を閉じてしまうディーノに「ちょっとディーノ。相手は真6弔花だよ?」「恭弥は強いぜ。お前のこととなるともう最強。見ろよ」ディーノがキョーヤを示したから視線を戻す。キョーヤの手には手錠があった。雲の炎を纏った手錠が。あれがボンゴレ匣だけにあるという形態変化。キョーヤの場合は手錠、か。
「咬み殺す」
 ぎらぎらした目でデイジーに肉薄するキョーヤは、明らかに怒っていた。
 二人の怒涛の攻撃を目で追うのが精一杯な俺。速すぎて、目が回りそう。
 その攻防に先に一手打ったのはキョーヤだ。デイジーの手首にかしゃんと手錠がかかる。これで攻撃回避のために逃げることもできないだろう。デイジーの顔面目がけて振るわれたトンファーに目を瞑りそうになる。でもなんとか瞬きだけですませる。目を背けちゃ駄目だ。これが、現実だ。
 顔面目がけて振るわれたトンファーがすかっと空を切った。デイジーが避けたんじゃない。確かにデイジーを拘束したはずの手錠が、手首の部分だけを残してキョーヤのもとに残ったのだ。ぶちっという音と一緒に。なくなったデイジーの手首はすぐに再生されて何事もなかったように機能した。不意を突かれたキョーヤが拳を食らって校舎の壁に叩きつけられる。
「キョーヤっ!」
 叫んだら、デイジーの目がこっちを見た。ぎくりとする。俺を庇うように立ったディーノが「下がれ」と言うから大人しく一歩二歩と引いた。本当ならキョーヤのところに行きたいけど、俺が動くのはどうやらまずいらしい。
(トカゲの自切…自分から切り離した尻尾は再生できるってあれか。腕でも再生できるのか、デイジーって。…ああ、晴の活性。それを踏まえると不可能ではないのかも)
「全力で行くぜ」
 ディーノの鞭がオレンジの炎を纏う。もう三歩下がった。デイジーが晴の炎を噴射して突っ込んでくる。応戦するディーノが縦横無尽に振るう鞭の一撃は、なぜかデイジーに当たらない。反射で避けているってレベルじゃない。見切られているかのように避けられている。おかしい。ディーノとデイジーが戦うのは今回が初めてのはずなのに。
 ポケットに入れた匣に手を伸ばす。
 俺はディーノと同じ大空属性。そしてディーノよりレベル的に下だ。でも、何もしないわけにはいかない。
 どっ、という音と一緒にディーノが吹っ飛んだ。血色が舞う。それを視界に入れながら開匣した。飛び出したツァールが赤紫の翼を広げてきれいな歌声で鳴く。デイジーはそれににたっと笑っただけだ。
「白蘭様言ってたよ。あなた、他のパラレルワールドでも、絶対に白蘭様に媚びなかったんだって」
「…それが何」
「だから、イジメたいんだってさ。死なせるよりも生かしてイジメたいんだって。よかったね」
 全然よろしくない。笑うところでもない。つーか何その動機、不純だ。他の世界の俺が屈しなかったからこの世界の俺にこだわってあまつイジメようって? そんなのごめんだ。
 ツァールの調和能力を全開にする。フェニックスの調和の炎にデイジーの晴の活性の炎が真っ向から激突した。ぐっと拳を握って「ツァール」と呼びかけるとオレンジの炎が一段と大きく爆ぜる。
 だけどデイジーは笑っている。まるで効いてないみたいな顔だ。「修羅開匣はね、能力の掛け算なんだよ」「シュラ…開匣?」どうやらあのトカゲみたいな状態をそう言うらしい。俺の調和能力よりもデイジーの細胞の活性化の方が早い。ツァールが押されている。デイジーは笑って立っているだけなのに、負けている。
「匣アニマルの持つ特殊能力と人間の能力が掛け合わされて、あらゆる生命体のリミッターを超えた能力を生み出すことができるんだ。…それに」
 デイジーが一歩踏み出す。ツァールが大きな焔をぶつけたけど再生能力に負けた。できた傷はあっという間になかったことになり、デイジーは何事もなかったようにまた一歩踏み出す。
「あなたは優しすぎるんだって、白蘭様が言ってたよ。だから僕チンは倒せない」
「………」
 何が。優しすぎるだ。意味わかんねぇよ。
 つーか決めつけるなよ。俺は優しくなんてない。敵に情け容赦なんてかけない。そんなことしてたらこの世界じゃ生き残れない。
 …でも、苦手なのは本当だ。死闘や戦場に不向きだってことは自分がよくわかってる。必要なら銃を手に取るし、殺したこともある。撃ったこともある。残ったのは苦さだ。ただひたすらに苦い思いだ。俺はこういうのに向いてないんだなと胃の中を空にするまで吐いて思った。こっちの世界にいるくせに情けないくらい俺は一般人に等しかった。
 思い出すんだ。忘れよう忘れようって思ってるのに。両親だった人達がそうやって死んだ姿がどうしても重なって。棺の中のボロボロの二人がどうしても重なって。血の色も、死人の肌も、傷を負いすぎた姿も、だから、全部苦手なんだ。
 気持ちが、挫けそうになる。
 優しいって言われれば聞こえはいいけど。俺は、もっと頼れる、強い人に。なりたかった。

「僕のものに手を出すな」

 聞こえた声にぼやけた視界を上げると、がしゃんとデイジーの手首に手錠がかかった。また自切で切断される、その前に雲属性の増殖の力で手錠が増えていく。瞬く間に十や二十を超えた数の手錠がデイジーの頭だけを残して身体全ての自由を奪って拘束した。身動きが取れずに倒れたデイジーを容赦なく締め上げた手錠は、殺す勢いだった。
 血が噴き出る。「しまるっ、しまるぅ!!」と悲鳴を上げるデイジーから視線を逸らしたくなる。
 これは俺の弱さだ。優しいんじゃなくて、俺は弱いだけだ。
 どしゃっと倒れ込んで失神したデイジーを蹴り上げて、キョーヤはデイジーからリングを奪った。ディーノがいててと傷を押さえつつ起き上がる。俺が診る前にもうロマーリオが手当てにかかっていたので、任せる。
「よし、よくやった恭弥! 真6弔花といえどリングを取っちまえばただの人間同然だ」
 一つ手を叩いたディーノに、ツァールを匣に戻した。ふーと息を吐いて意識を失っているデイジーを眺める。これで、デイジーはもう戦えないはずだ。
 ざくざくこっちに歩いてきたキョーヤがべちと俺の頬を両手で挟んで、目が合った。キョーヤの灰の瞳は不機嫌そうに俺を睨んでいる。
「何、その顔」
「…ごめん」
「あなたは本当に馬鹿だね。どうしようもない」
 怒った顔のキョーヤに、俺は笑うことしかできない。本当馬鹿だし、どうしようもない。キョーヤに言われるまでもない。俺は本当にどうしようもない。
「…他の誰が。あなたのことをなんと言おうと。僕はあなたが好きだし、誰に譲る気もない。忘れないでよ。には僕がいるんだから」
 仕方なさそうに、ぼそぼそ小さな声でそう言って、よしよしと頭を撫でられる。本当に仕方がない、と口元だけで笑ったキョーヤにじんわりきた。ありったけの力でぎゅうと抱き締めて「キョーヤ」と縋る。
 それからはっとした。ギャラリーがいるんだった。すごい、忘れてた。
 そろりと顔を向けるとわかりやすいことに三人とも顔を逸らした。私は何も見てませんって顔のテツとこういうときは大人の顔をしてるロマーリオと、笑い出しそうなのを堪えてるディーノ。キョーヤが目を眇めてディーノを睨んで、俺の腕から抜け出してじゃきんとトンファーを構えた。
「咬み殺す」
「うおい俺だけかよ! って危ねぇ、やめろ恭弥っ」
 トンファーを振るうキョーヤといてぇいてぇと傷を押さえつつも元気に逃げ回るディーノを見てふっと笑う。
 そんな場合じゃないとわかってるのに、笑うって大事だな。笑顔って大事だ。
 あとは大切な人がそこにいれば、何も文句ない。