紅茶とケーキと甘いあなた

 鞭使いの部下に敵を処理させた。僕の手にあるよりは適切だろうと思って金髪にマーレリングを預け、傷が診たいってうるさいのために、本当に仕方がないから、手当てを受け入れた。
 少し油断して校舎の壁に突っ込んだだけだ。ちゃんと防御したし炎だって纏っていたんだから、ひどい傷じゃない。ちょっと打っただけだけ。それでも彼がうるさいし、あまりにも心配そうな顔をしてるから、気がすむようにしてあげた。
「キョーヤ痛い?」
「平気だよ」
 背中をなぞる掌に身体が疼く。痛みではない。その理由がわかっているから、逃げるようにして立ち上がって制服のシャツのボタンをぷちぷち留める。「あ、キョーヤまだ」「平気だってば」ばさりと学ランを羽織ってちらりと校舎を見る。不可抗力とはいえ少し破損箇所が出た。あとで直すよう草壁に言っておこう。
 沢田綱吉と連絡を取って状況を確認した鞭使いが表情を変えた。「何!? そいつは本当なのかっ」切羽詰った声に彼が表情を曇らせて成り行きを見守っている。
 …をこんな顔にさせる全てのものが、嫌いだ。
 彼の表情を曇らせる全てのものを払拭しなくてはならない。そうでないと僕の気がすまない。
 その原因が全て一人の人物に繋がる。白髪のあいつだ。さっきのもあいつの部下だ。彼を曇らせる全てを、僕はこの手で排除する。
 通信を終えた鞭使いが僕と彼を交互に見て「山本達が一度アジトに戻るようだ。どうやらスクアーロが敵にやられたらしい」「え、」「あいつのことだから無事だとは思うが…俺も一応向かうぜ。恭弥のこと頼めるな」後半は彼に向けての言葉だった。子供扱いされてるようでむっと眉根が寄る。僕の頭をぽんと叩いたが「大丈夫」と頷くと、鞭使いは部下を並中を出て行った。
 気に入らないと遠くなる背中を睨んでいる僕に、彼は困った顔をしていた。僕の頭から手を離すと「ツナ達と合流しないとね。あっ、今どこにいるのか聞くの忘れた…」しまったって顔をした彼に、仕方なく草壁に顔を向ける。
「沢田達は今どこにいるの」
「五丁目の川平不動産というところに避難しているようです」
「そう。…校舎の破損、直す手配をしておいて」
「はっ」
 頭を下げた草壁から視線を外す。彼がよしと気合いを入れて拳を握って「じゃあ合流しよう! えっと五丁目、は」うろうろ彷徨う視線に、仕方がないから彼の手を掴んで歩き出す。どうやら彼はまだ並盛町の地理には疎いらしい。
 束の間の静かな時間が訪れる。の手を握ってただ歩くだけの時間っていうのは、こんなに静かで、心地よかったろうか。
 さっきまで戦闘をしていたなんて、並盛のいつもの景色の中を歩いていると、忘れそうになる。
 このまま何もなかったみたいになればいいのに。あの白髪を咬み殺してやりたいのは本当だけど、彼の安全に比べたら、いくらでもない。
 視線だけで隣を窺う。彼は意識して表情を消しているようだ。緊張しきった、似合わない顔をしている。
 五丁目の不動産屋に行く途中、見憶えのあるオレンジの炎が見えた。目を細めて空を見上げた彼が「あれはツナの…」「多分そうだ」「なら、他の敵と遭遇したってことか。急ごうっ」走り出した彼に、仕方なく僕も走る。なんだか今日は走ってばっかりだ。
 辿り着いた不動産屋は、すでに崩壊していた。中に誰も残っていないところを見るに、沢田達はどこか別の場所へ移動したようだ。辺りに炎の気配はないし、殺気も感じられない。ここにはもう誰も残っていない。
「草壁」
「はっ」
「ここの後片付けを頼むよ。僕は彼と一緒に行くから」
「了解しました。お気をつけて!」
 指示を残しての手を取る。なんだかまた情けない顔をしているからちょっと呆れた。本当、どうしようもない人だ。
 仕方なく「」と呼んであげると、彼はこっちを向いた。困ったように笑うと「えっと、どうしようか。手がかりもないね」「探すしかないでしょう。面倒くさいけど」ぷいと顔を背けてさっさと歩き出す。彼は大人しくついてきた。草壁は後処理のためにこの場に留まらせておく。どのみち、リングも匣も持たない彼がこの先に来たところでもう足手纏いにしかならない。
 ボンゴレのアジトの方には鞭使いが行ったのだし、あそこにはいないだろう。誰かの自宅、という線も薄い。となると、どの辺りを探すと適当なのか。
 考えながら歩いていると、じっと視線を感じた。蒼い瞳に視線を投げて「何」とぶっきらぼうに言うと彼は曖昧な笑顔を浮かべた。
「なんかさ、キョーヤが頼もしくなったなぁと」
「意味がわからない。僕はもともと強いよ」
「でもさ、俺のことになると、頭に血が上っちゃうでしょ」
 それは、…図星だった。
 彼のことになると僕は冷静な判断力などを失う。彼が奪われること、それが可能性の話だったとしても、とても苛々する。ひどく苛々するから、力は湧く。相手は叩き潰してやろうと本気で思える。絶対に咬み殺してやると立ち上がることができる。
 人混みに視線をやった彼が「俺は弱いね」と呟くから、眉間に皺が寄った。どこか寂しそうな横顔で彼が言う。「人の言葉で簡単に気持ち左右されちゃって。自分の軸ってものがないのかなぁ」寂しそうな悲しそうな声音にぐっと強く彼の手を握る。痛いって顔をした彼に「なら僕を軸にすればいい」と言ったら彼がきょとんとした。蒼い瞳を何度か瞬かせると「キョーヤ、男らしいね」「は?」「いや、うん。なんか今のズキュンときた。かっこいい」べちと自分の額を叩いた彼の瞳から頬を伝って落ちた涙に、足が止まった。
 どうしてそこであなたが泣くのか、少しもわからない。
 あなたのことを少しはわかってるつもりでいるのに、僕はまだ全然。
「…どうして泣いているの」
 手を伸ばして涙の伝ったの頬を袖で拭う。困ったような顔をしている彼の目尻からまた涙がこぼれて落ちた。
 ……そういう場合じゃないとわかっていたけど。仕方なく、彼を連れて近くの喫茶店に入る。「え、キョーヤ、」戸惑った声を無視して二人がけの席に彼を引っぱり込む。「ねぇキョーヤ、ツナ達捜さないと、」言いかける彼を席に座らせて向かい側に腰かけた辺りでウエイトレスがやってきた。紅茶のホットと、彼にはケーキを頼んだ。注文を確認してからウエイトレスが水のコップを置いて去っていく。
「キョーヤ? お茶してる場合じゃないと思うんだけど」
「少しくらい大丈夫だよ。あなた、今とても情けない顔をしてる。気付いてよ」
 少し強い声で言ってしまって、しゅんと小さくなった彼を見て口を閉じる。「ごめん…」力のない言葉に細く息を吐く。…責めるような口調になってしまった。そんなつもりじゃなかったのに。
 人を慰めるなんて、したことがないから、よくわからない。泣きそうな彼を宥めるには、僕は何を言えばいいのだろう。
 また涙をこぼしそうに頼りなく揺れている蒼い瞳。の頬にそっと手を伸ばして撫でる。強い衝撃を与えたら今の彼は粉々に砕けてしまいような気がしていた。
「僕はあなたのものだ。あなたも、僕のものだ。遠慮することなんて何もない。そうでしょう」
「…うん」
 重ねられた手が僕の指をなぞる。その手と自然に指を絡めて手を繋いで、もう片手を伸ばして茶色の髪を撫でる。
 蒼い瞳が、泣き出しそうなくらいに潤んでいる。
「俺、さ」
「うん」
「キョーヤに縋って、いいのかな。そんなどうしようもない俺で、キョーヤはいいのかな」
「別に構わないよ」
「う。もうちょっと叱ってよ…なんか甘やかされてるみたいだ」
 視線を俯けた彼の顔が子供みたいで、思わず笑ってしまった。
 笑ってから気付く。ああ、自分もこんなふうに笑うことができるんだな、と。咬み殺すときだけの唇を吊り上げる笑い方じゃなくて、戦いを求めて疼く身体が浮かべた笑みではなくて、こんなふうに、仕方がないなって笑いかけることもできるんだな、と。
 恐らくは、彼だけが、僕にそうさせるのだろうけど。
なら、甘やかしてもいいけどね。その分僕も甘えるし」
「……駄目だ。キョーヤにはほんと敵わない。ああもう」
 べちと顔を叩いて片手で覆った彼は、どうやら照れているらしい。そういう顔はあまり見ないから珍しい。頬杖をついて観察していると、ケーキと紅茶が運ばれてきた。仕方なく手を離す。ウエイトレスが必要以上の視線を向けてきたのが鬱陶しい。
 少しの休憩のつもりで紅茶のカップを持ち上げる。緊張続きだったせいだろう、彼は紅茶に口をつけるとほっとしたように表情をやわらげた。
 さっそくフォークを手にチョコレートのケーキをつついたを見ながら思う。僕らはいついるべき時代に戻ることができるのだろうか、と。
 ここは彼には似合わない。悪戯に戦う方法を持ってしまった彼はそのことで悩んでいる。
 あなたは何もしなくていい。暴力沙汰は似合わない。喧嘩も似合わない。あなたは僕のそばにいて、僕のために笑って、ご飯を作って、家事炊事をこなして、僕と手を繋いで、キスをして、抱いてくれればいい。それだけでいい。他のこと全てを投げ出してくれていい。そうしてくれれば、僕はなおのこと嬉しい。
 じっと観察していると、「はい」とフォークが差し出された。チョコレートケーキがのっているフォークを眺めてから仕方なく口を開く。甘いものが食べたい気分ではなかったけれど、あなたの手が食べさせてくれるのなら、せっかくだから食べておく。
「…甘い」
 一噛みして当たり前の感想を口にすると、彼は笑った。「甘いね」と。そんな甘いものでも彼は嫌いではないらしい。ケーキをフォークで切り分けて、紅茶を飲んで、満足そうな顔をしている。
 たっぷりミルクを垂らした紅茶を口に含んでチョコの甘さを逃がしながら思う。こんな甘いものを食べたあとのキスは、きっと吐き気がするくらい甘ったるいのだろうな、なんて。

 なんでもない日常が続いていたあの日々に戻るために、まだやるべきことはある。
 でも今は。彼とこうしていたい。もう少しだけ、こうしていたい。