君じゃなきゃ満たせない

 簡単に一言で言うならこうだ。
 僕は一目惚れした。かわいい女の子じゃなく、美人でスタイル抜群の女性でもなく、空みたいに澄んだ蒼い目がきれいな彼に意識を奪われてしまった。
 最初のきっかけは、ここではない別世界。
 僕が世界の頂点に立ち、全てを思うがままにしたそこで、ミルフィオーレに最後まで歯向かったボンゴレ率いる連合軍。その中に彼がいた。蒼い目は哀しみを帯びていて、ずっと、適当に軍を指揮する僕のことを見ていた。
 憎しみを向けられることには慣れていたし、それを蹴散らすだけの力も持っていた。誰が反乱を起こしたって制圧できる自信があった。ボンゴレ連合軍だって同じだ。大したことない。もうボスも主要戦力も失って、あとは口だけの幹部が抗ってみせてるだけのゴミだ。
 正直言って僕はこの世界でとても退屈していた。だから、悪戯にボンゴレ軍を生かして遊んだりして暇潰しをしていた。
 上から指揮を取るだけだった僕は、どうせ暇だし、という理由から、彼を捕まえに戦場に降り立った。
 僕を捉えて、澄んだ蒼い瞳が哀しみを宿して透き通る。
 憎しみではなく哀しみを向けるあの瞳が、気になっていた。
「僕のことが憎いんだろ? ボンゴレ、めちゃくちゃにしちゃったからねぇ」
 大した力も持っていなかった彼はリングの力を使った僕に吹き飛ばされ、地面を転がる。
 匣の天馬は使いこなせばそれなりのレベルになるのに、彼はあまりヤル気というものがないらしく、天馬の匣は白龍の一撃であっさり粉々になった。
 蹴り上げてやれば地面を転がってげほげほと咳き込むその姿からは、全然ヤル気ってものが感じられない。そのくせその瞳はずっと哀しそうだ。今にも大粒の涙がこぼれそうなくらいに哀しそう。
 ざく、と荒野の地面を踏み、遠くからの銃撃を白龍で跳ね返させながら、転がったままの彼の襟首を掴んで引きずり上げる。「ねぇ、さっきからその目何? 僕のこと憎いならもっと攻撃的になったらどう? 最初から諦めてたら何事も成せないよ?」ぐ、とスーツの襟首を締め上げる。ごほとくぐもった咳を漏らす彼が僕を見る。蒼い瞳。哀しみを宿して透き通った、曇を知らない空のような瞳。
 …汚してやろうかな。ふとそんなことを思う。
「……できなぃ」
「何がさ」
「できなぃよ…きょーや……」
 哀しいと言っている瞳が細められ、スーツのポケットへと伸びた手が小型のピストルを取り出す。のろくて遅い動作だ。「そんな玩具で何するの? いくら至近距離でも僕には通用しないよ」と唇で嗤ってやると、彼は薄く笑って銃口を自分のこめかみに押し当て引いた。躊躇いも何もなかった。パンと音が弾けて、彼の頭も弾けた。力をなくした腕がぶらんと落ち、その手から銃が転がり落ちてカシャンと音を立てる。
 ……死んでしまった。せっかく遊んであげようと思ってたのに。自分から勝手に死んだ。そう追い込んだわけでもないのに、なんで。
 軽く混乱している頭に手を添える。耳にうるさい銃撃の音に「うるさい」と吐いて片手を向け、白龍を突っ込ませる。今度は悲鳴でうるさくなる耳を塞いで、死体でしかなくなった彼を睨みつける。その顔が安らかだったのがまた気に入らなかった。目の前で勝手に死んでおいてなんだその顔。僕を馬鹿にしてるのか。
(いいよ別に。この世界で駄目だったとしても、他の世界で、君を見つけてあげるよ)
 そうして僕は別の世界で彼を探した。まだ仮初の平和のある世界で彼の蒼い瞳と赤みがかった茶色の髪の持ち主を探した。
 他世界でボンゴレに所属していたのだから、とボンゴレ内を重点的に探すと、すぐに見つかった。諜報部所属、しかも近々ミルフィオーレに潜入予定。これを利用しない手はないだろう。
 僕はあえてボンゴレに手を出さず、彼がミルフィオーレにやってくるのを待った。
 その間にもじっくり彼を観察し情報収集をした。
 彼の名は。ボンゴレの育成機関に引き取られ育てられた孤児の一人で、現在諜報部所属。他組織に長く潜伏し中から外へと情報を漏らす役目を負う。諜報部のわりに人柄を捨てておらず、人当たりがよく、たいていのことはなんでもそつなくこなす。データを見る限り、確かに潜入には向いていそうな平均的能力を持っている人間だ。
「ねぇ君」
「はっ」
「今日でクビね」
「はっ。…は?」
「僕の伝達係、この子にしといて」
 ミルフィオーレの制服を来た彼の顔写真入りの書類をばさっと放る。困惑顔の小男に冷ややかな視線を向ければ、びしっと背筋を伸ばして「了解です」と書類を拾い上げ、そそくさと部屋を出ていく。
 もともと、適当に選んだ適当な人間だった。それが彼に代わったとして、問題ない。彼の能力なら。別に、今更ボンゴレに情報が漏れようが、どうだっていいし。
 ふーんふーんと鼻歌を口ずさみながら、ふに、とマシュマロをいじる。
 僕は上機嫌だった。彼の蒼い瞳をどんなふうに汚してやろうかと、さっきからそればかり考えている。
(あの世界では死なせてしまったけど、今度はそう簡単に死なせてあげないよ)
 三時間後。僕の伝達係に任命されて部屋へとやって来た彼は、ボンゴレの密偵であるなんてこと感じさせない隙のない笑顔で僕に挨拶した。
「初めまして白蘭様。です。急な抜擢にびっくりしたんですが、光栄です。精一杯務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします」
「あーあーいいよそういう堅苦しいの。ウチはやることやってくれれば幸せになれるの。そーいう組織なの」
 ぱたぱた手を振る。「それよりさぁこっちおいでよ。一緒にお茶しよ?」と二人分のティーセットが並んでいるテーブルを指すと、彼は困惑した顔になった。「いえ、でも俺は…」「僕とはお茶できない?」「いえ、そのようなことは。光栄です」恐る恐るといった感じで歩み寄ってくる彼に薄く笑う。
 ま、ミルフィオーレの適当な人員として潜入するつもりが、トップである僕の伝達係なんて大きな仕事につくことになって内心慌ててる、ってところか。
 さぁて、どんなふうに遊んであげようかな、と思いながら紅茶のカップを持ち上げる。
 向かい側に着席してそろりとした動作でカップを手にした彼は、紅茶にたっぷりミルクを垂らした。角砂糖を一つ入れてゆっくりとティースプーンでかき混ぜ、カップに口をつけて、とても優しい顔をする。「おいしい」とこぼした声は思わずこぼれてしまったという感じで、なんか、幸せそうだった。
 彼にとってここは気を許せない敵地のど真ん中で、目の前にしている僕はボンゴレにとって最大の敵のはずだ。だけど、彼は笑っている。あの笑顔、多分素だろう。
 …ああ、なんか、諜報部には向いていなさそうな子だなぁとしみじみした。
 彼はきっとこの仕事が向いてないって自覚してるに違いない。
 それから僕は何かあるごとに彼を絡めた。何もなくてもだいたい絡んだ。慌てる彼は面白かったし、どれだけ踏み込んでも自分がボンゴレの人間であると悟らせることがなかったし、駆け引きみたいで、一緒にいて面白かった。
 一緒の時間を長く過ごすうち、僕は次第に、彼がボンゴレの人間であるという現実を疑い始める。
 伝達係に任命されて半年がたっても、彼は尻尾を見せない。それどころか僕と打ち解けていて、二人でいるときはすっかり敬語も外れ、彼本来の人柄というのを見せていた。
「白蘭、これ。お昼は幹部の人とお寿司だってさ。三十分後にロビー」
「ええー…誰もジジイの顔見ながら食事したくないよー」
 書類を渡してきた彼に抱きつく。こらこらと苦笑いしつつも僕を拒否せず受け止め、「仕事でしょ」と僕を諭して頭を撫でる掌の感触。

 …妙な感覚だ。
 僕は彼に甘えることで、自分の中の何かを満たしているらしい。

 なでなで、と頭を撫でる掌が好きで、じゃれつく猫のようにに甘える。「白蘭、着替えなくちゃ。外着着て」「めんどくさーい」「こら」ぺし、と頭を叩かれる。くすりと笑って「じゃあ着替えさせてよ」と囁くと彼は黙った。はぁ、と諦めた息を吐いて「ならそうしようか。おいで」と手を引かれ、仕方なくついていく。

 …何か、自分が変になっていることを自覚していた。
 彼がボンゴレ側の人間であるという現実を拒否したい僕がいる。はミルフィオーレの人間だ。そう思いたい自分がいる。

 カーディガンを外され、シャツのボタンを外される。ぷちぷちとボタンを外していく彼の手に戸惑いはない。慣れているように事務的に僕を脱がせて、ミルフィオーレの制服を着せていく。
 ズボンにかけられた手に掌を被せた。「白蘭?」と首を傾げるにその気がないことをむしろ呪いたい。
「ね、男同士でするのって痛いのかな?」
「…さぁ。知らないよ。あとで調べておこうか?」
「別にいいよ。シてみれば分かるじゃない」
 白い制服が似合っている彼のズボンに指を這わせる。「白蘭」と静かな声に呼ばれて視線を上げると、彼はなんとも言えない表情をしていた。「いや?」「…いやっていうか。駄目でしょ。俺はただの伝達係で、白蘭はこの組織のトップだ。駄目だよ」外面を気にする彼が僕の手を取る。「そーいうのズルいよ」とこぼすと彼は困った顔をした。事実は事実だ、とでも言いたそうな。でもそんなの、僕から逃げるために都合のいい口実じゃないか。
「僕のこと嫌い?」
 縋っているようなその声が、自分でも滑稽なくらいだった。
 彼は緩く頭を振って、そっと僕を抱き締めた。でも、それだけで、それ以上はなかった。
 ……それがとても悲しかった。
 僕から仕掛けたのに、君は僕をモノにしてボンゴレに都合のいいように動かす機会を得られたのに、そうしなかった。僕と寝ればいいのに、ボンゴレを理由に僕と繋がることを拒んだ。
 彼はあくまで僕を一人の人として扱い、尊び、接していた。…それが辛かった。
 結局、その世界の彼が僕に許したのはキスまでだった。僕にいってらっしゃいのキスを一度くれただけだった。
 僕が幹部のジジイから報告という名の愚痴を聞く長い食事から帰ってきたとき、彼は消えていた。ミルフィオーレ内部の多くの情報を掻き乱し、持ち帰り、ボンゴレとして、この組織を抜けた。
 その引き金はもしかしたら僕のあの行動だったのかもしれない。彼は男なんて抱きたくないから僕から逃げたのかもしれない。そう思ったら、自分の浅はかさを呪うしかなかった。
 たくさんの世界で生きてきて、初めて人が欲しいと思った。恋しいと思った。その感覚が初めてで、僕は、加減を知らなかったのかもしれない。
 そして僕は、彼をもう一度手にしたいと求めた先で、彼が雲雀恭弥を恋人として笑っているという現実を知り、
 その世界を、
 再生不可能なほど、
 完膚なきまでにめちゃくちゃに、
 破壊した。
 …彼をこの手で殺した。僕以外を見ているを受け止めることができなかった。受け入れることができなかった。
 彼を殺した掌は真っ赤に染まっていて、僕はずっと、涙が涸れても、もう動かない彼を抱き締めて泣いていた。
「いやぁすごいすごい! GHOSTを倒しちゃうなんてさ」
 ふわり、と宙に浮かんで、GHOSTを倒してみせたこの世界の沢田綱吉クンにぱちぱちと形だけの拍手を送る。
 GHOSTに炎を吸われてガス欠の彼らと会話しながら、意識の半分くらいは別のことを考えていた。そう、、君のことを考えていた。
 十年前からこの世界へとタイムトラベルした君は、雲雀恭弥と時間を過ごし始めてまだ日が浅い。この時代の君もやっぱり僕を選んではくれなかったけど、今ここにいる彼なら、可能性がある。
 雲雀恭弥なんて僕が忘れさせてあげよう。彼の目の前で原型がなくなるくらいグチャグチャにしてあげて、空っぽになったその心を、僕が満たしてあげよう。
 僕は笑う。雲雀恭弥が死んだ、という絶望に支配されて蒼い瞳を曇らせた彼を想像して笑う。
 ぐぐ、と背中から翼が生えて、見る間に大きくなり、ばさり、と大きく白い翼を広げる。
「GHOSTはここにいるみんなの炎を奪ったよね。その炎はぜーんぶ、僕の中にあるのさ」
 白い姿をした悪魔として君臨した僕を見上げている人間がたくさんいる中で、目を細めて彼を探す。すぐに見つかった。赤みがかった茶色の髪。彼はガス欠でふらついてる雲雀恭弥を支えたところだった。その唇の動きを追いかける。大丈夫キョーヤ、と声をかけている。心配そうな顔だ。心から案じている、そういう顔だ。
 …その、腕に。抱かれたいのは。僕だって同じなのに。どうして君は僕を見てくれないのだろう。
 甘えるように彼の腕の中に収まるあの存在が邪魔で仕方ない。
 消そう。消すんだ。順番があるから、まずは目の前にいる綱吉クンを始末して、ガス欠の奴らは放っておいてユニとトゥリニセッテを手に入れて、世界をモノにしたら、邪魔な奴らを始末して。を捕まえて。雲雀恭弥をグチャグチャにしてやって。間違ってもあとなんて追わせないように、僕が囲って、その蒼い瞳が僕しか分からなくなるくらいまで、愛してあげる。
「お前がなんであろうと、どんな手段を使おうと、ここでぶちのめす」
「その意気だよ綱吉クン。せっかく戦いにきてあげたんだから」
 綱吉クンと会話してリングに炎を灯しながらも、僕が考えているのはやっぱりのことだった。
 どうやって愛してあげようか。何が一番効果的かな。どうしたら彼は僕に堕ちるかな。そんなことを考えながら痛くも痒くもない綱吉クンの攻撃を受け止め、遊んであげるために匣を開匣をする。
 さあ、全部終わらせて、さっさとユニとトゥリニセッテを手に入れて、を手に入れるとしよう。