そして、世界は暗転する

「ハロウィンって行事が疑問でさぁ、調べてみたんだ。もともとハロウィンっていうのは西ヨーロッパ古代のペイガニズムにもとづく死者のお祭り及び収穫祭、特にケルト人が行うサウィン祭ってものが由来なんだってさ」
「へぇ」
「ケルト人は自然崇拝派だったんだけど、時代の流れとかでやがてカトリックへと改宗したんだ。で、カトリックでは十一月十一日が諸聖人の日って宗教上大切な日でさ、これの前晩にあたるってことで、諸聖人の日の旧称"All Hallows"にeve、前夜って言葉をつけて、Hallowseve。それが訛って、Halloweenと呼ばれるようになったんだって」
「ふーん」
「あっねぇ聞いてる? 僕これでも結構わかりやすさを意識して説明してるんだけど?」
「あー、由来はわかったよ。じゃあなんで仮装してお菓子ちょーだいとかイタズラしちゃうぞって言葉が通例になったの?」
「…まぁいいか。それも調べたよ。
 ケルト人の一年の終わりは十月三十一日。この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、妖精とか魔女が出てくるって信じられてたみたい。その夜だけこの世と霊界とを繋ぐ目に見えない門が開く、みたいな感じで。それらから身を守るために、仲間だと見せかけて仮面を被ったり、所謂仮装をすることが通例だったんだ。
 ここではTrick or Treatなんて概念はないんだよ。それはあとになってヨーロッパの習慣が混じった感じ。たくさんの国でイベントとして受け入れられてるから、多くの場所ではあまりこだわってもいないみたいだね」
「…なんかそれ聞くと、イベント乗ろうって気が失せちゃうなぁ」
「なんでさ」
「だって、始まりは、すごく真剣だったってことだろ。本気で信じてて本気で抗ってたんだ。今のハロウィンはそれを貶してるような気がする」
 うーんと悩んだ顔をしたがかぼちゃのくり抜き作業を中断させる。
 彼が馬鹿みたいに真面目なことを言ってるから思わず笑ってしまった。もうただのイベントごとじゃないか。始まりを話しただけなのに、君は、そんなことにさえ真摯だね。
「それ今晩のおかずでしょう?」
「そうだよ」
「じゃあやっちゃってよ。今日は何にするの?」
「かぼちゃのシチュー。と、ホットパイでも作ろうかと思ってる」
 ぎ、とソファから身を乗り出す。「甘いのがいい」と手を挙げると彼は笑って僕を振り返った。「言うと思った」とやわらかく笑うその顔が、好きだった。
 億劫だったけどソファから立ち上がる。瞑想で他世界の僕を共有し合ったから、今ここにいる僕の現実はとてもふわふわしていて、足元がおぼつかない。それでもに触れたかったから、平衡感覚の戻らない足でふらつきながらも歩く。
 が、遠いな。そう感じるのは、僕の意識がおぼつかないせいだろうか。
 広いキッチンでハロウィンに使うオレンジのかぼちゃをジャックランタンの顔で切り抜いていた彼が、僕に気付いて顔を上げる。「白蘭、寝てないと駄目だって」「へーきだよ」ぼふ、とその背中に抱きついて腕を回した。ぎゅーと抱き締める。
 額には冷えピタの大判が貼りついていて、さっきまで彼が面倒を診てくれていた。僕のためにパフェを作ったり、メロンソーダを用意したり、いらないって言ったのに素材100%の野菜ジュースを作ったり。
 ミルフィオーレ全体で行う今晩のハロウィンパーティに間に合うようにってかぼちゃをくり抜き始めて、調理も始めちゃうし、僕のこと放ったままなんて、ひどいなぁ。ひどい男だなぁ。そんなことを思いながら僕より大きな背中を抱き締めた。
 …僕に人を罵る資格なんて、ありはしないのにね。
 それでもさ、この心を満たせる君が僕を満たそうとしないことは、やっぱりひどいことだよ。そう思う。思ってしまう。
 こんなに好きなのに振り向いてくれないなんて。そんなの、ひどい。
「…白蘭」
 すっと伸びた手が僕の腕に重なる。熱があるせいか、その温度をいつもより低く感じた。ひんやりしていて心地がいい。
「夜には幹部方と顔出しがあるんだろ。今のうちに少しでも体調整えなきゃ」
「んー。だって、が、いないから」
 ぎゅっと強く抱き締めると、はぁ、と吐息した彼が包丁を置いた。僕の腕を剥がすと今気付いたって顔で「げ、熱上がってるし」と問答無用で僕をソファへと連行する。僕の手首を握って熱や脈拍を計りつつ、「ほら、少し眠って」とひんやりする掌に視界を塞がれた。いつもならぬくいと思う温度が冷たくて心地いいのは、それだけ僕の体温が高いということだろう。
「白蘭、気休めに薬飲もう」
「…じゃあ、口移しがいい」
 ダメもとでお願いしてみると、視界に蓋をしていた掌が外れた。コップに水と市販薬の箱を持って戻ってきた彼が、錠剤を三つ口に放り込んでコップの水を含んだ。ぎ、とソファに手をついた彼に、覆い被さるようにキスされる。
 流れ込んできた水と薬をごくんと喉を鳴らして飲み込んだ。
 泣きそうに視界が滲む。

 …どうして僕は君を好きになってしまったんだろう。
 身長は男子の平均、どちらかといえば猫背気味で、顔立ちはアジア系の血が入ってるように凹凸が少なく、赤みがかかった茶色の髪は線が細くて、瞳は空みたいに蒼い。
 特別何かができるわけでもなく、何もできないほど駄目な人間でもなく、平均的なことをこなす能力を持つ中間くらいの立ち位置の人。
 特別かっこいいとか、女性に紳士だとか、正義感が強いとか、プライドを持って生きてるとか。そういうんじゃなくて。当たり障りのない笑顔で相手に接し、必要なら謙り、笑い、謝り、立場に左右される、弱い人間。
 でも。決して相手を先入観から断定せず、自分で判断し、一人の人として尊び、扱い、接する。相手を思考から切り捨てない。真摯に接する。馬鹿みたいに。たとえそれで自分が傷ついたとしても。
 …本当に、馬鹿みたいだ。
 自分に不利益なものなんて切り捨ててしまえばいい。自分に役立たないものなんて、足を引っぱるだけのものなんて、切り捨てればいいんだ。この世の中はそうやってできている。だから君も、自分を世の中の型に当てはめて生きていけばいい。そうすれば今よりもずっと楽に生きられる。全て世界の形のせいにして、自分は悪くない、世界に沿っただけだって言えば、君は自分を守れる。
 なのに、君は、そうはしないんだね。
 それは僕にはとても真似できそうにない、愚かで、眩しい生き方だ。
 君はきっとそうやってどこまでも行くんだろう。…僕を置いて。

「白蘭?」
 戸惑った声が僕を呼んで、涙のこぼれた目尻を指がそっと撫でていった。ぎし、とソファを軋ませ浅く腰かけて「泣くほど辛いの?」と僕を案ずるから、へらっと笑っておく。
 ああ、そうだね。泣くほど辛い。君を想っているのが泣くほど辛い。泣くほど辛くて、泣けるほど嬉しい。

「ん」
「好きだよ」
「ん。知ってる。俺も白蘭が好きだよ」
 やんわり笑った彼が僕の額にキスをした。「ほら、眠って。俺はかぼちゃ片付けて、ちゃんと作っておくよ。甘いかぼちゃパイ」僕のリクエストを叶えようとしている彼に笑う。泣いて笑う。笑って泣く。
 これは、夢だ。
 ぱち、と目を覚ます。見えるのは白い天井。白い部屋。白っぽい色の上下服を着ている自分。右の足首に巻きつけられているボンゴレ印のバンドが見えて、ふっと息を吐いて目を閉じた。
 なんでハロウィンの夢なんか見たのだろう、と視線を彷徨わせてカレンダーを発見し、今日の日付を確かめて、納得した。今日は十月三十一日だ。
 …これが現実。
 僕は未来での危険性により現代のボンゴレに二十四時間監視・管理されて日々を過ごしている。
 飼い殺しの日々。ここに彼はいない。僕のそばにはいない。これが、現実だ。
「…でも、悲観はしてないよ」
 たとえ、人の目に晒されていようとも。自由のない飼い殺しの日々だったとしても。
 未来での最後で、君が僕に手を伸ばしてくれたことを、知っているから。僕を呼んでくれたことを知っているから。だから、大丈夫。
 淋しいけど、哀しいけど、大丈夫。
 僕の能力は封じられたけれど、今までのことは全部僕の中に生きている。未来でのことも、他世界の自分と共有した知識も全て。ボンゴレは利用価値と危険性を混在させた僕を放っておかないだろう。それでいい。何も考えず穏やかに過ごすだけの飼い殺しの日々ならまだ救われる。固執していた生きる目的を失った今の僕は、人形に近い。生きる環境を与えられるなら、それが楽なのだ。
(でも、
 手を伸ばして、何もない天井を掴むようにぐっと拳を握る。ほろりとこぼれた涙はそれきり止まる。
 君と同じ時間を過ごして、同じ日々を過ごして、同じ目線で物を見て、同じことを、考えてみたかったな。ただ純粋に日々を過ごしてみたかったな。君のそばにいたかったな。ねぇ、
 ぱたっと手を落として、のそりと起き上がってソファから立ち上がる。鉄格子のはまった窓の向こうの空は快晴だった。その蒼の中を、僕にはない自由を持った白い鳥がどこかへと羽ばたいていく。
 …今の僕が望むことがあるとするならただ一つ。

 君に、会いたい。