まるで告白みたいだ、なんて

 それからさらに数日後。キョーヤが咬み殺してくると言って応接室を出て行って数分したところでディーノがやってきた。いつもはキョーヤがいるところに闘いにやってきたけど、今日は意図してキョーヤのいないときに来たようだ。一服して紅茶を飲んでいた俺はきょとんとした顔でディーノを見上げた。
「は? キョーヤを学校の外で修行させる…? それまたどうして」
「様々な地形での戦闘ってのはそれだけで経験値になるだろ。俺はあいつの家庭教師だからな、一応。もっと強くなってほしいんだよ」
「キョーヤは十分強いと思うけど……。様々な地形って、もしかして決まったの? ヴァリアーとの戦地」
 気持ち半分でそう言ったらディーノがまいったなぁって顔で頭をかいた。「まぁそうなんだが…なんとここなんだよ」「へ?」「こーこ。並中が舞台なんだよ」「ああー…」俺は眉尻を下げて神妙に頷いて返した。そりゃあディーノが困るわけである。
 ここ数日で痛感したけど、キョーヤは人一倍愛校心というかこだわりというかが強い。風紀委員長ってものを勤めて並盛町を裏からまとめてるくらいにはこだわりがある。ついでに気に入らない相手は咬み殺すと言って制裁を加えてるのも知ってる。現場に間に合えば俺はどうにか仲裁に入ろうと努力するんだけど、まだ止めれたことはない。むしろ俺が庇うとどうやらエスカレートするようだと昨日気付いたので、これについては余計な口は挟まないようにしようと決めた。
 で、学校が対戦の舞台になると決まれば、絶対に破損する箇所なんかが出てくる。それをキョーヤが容認するとは俺にも思えない。ディーノもそれを心配してるんだろう。
 VSヴァリアー戦がどんなルールなのかは知らないけど、同じ属性のリング保持者同士が闘うのなら、一対一だろう。キョーヤはそのルールを関係ないと切って捨てて相手に向かっていきかねないし、その場所が学校となればなおのことだ。できれば舞台が学校だということは知らせたくない。というわけで、様々な地形での修行って名目にかっこつけてキョーヤを学校から連れ出そうというわけだ。
 果たしてそう上手くいくだろうか。相手はキョーヤなのに。
 うーんと腕組みした俺にぱちんと手を合わせて頭を下げたディーノが「なっ、そういうわけでも頼むぜ!」「え、なんで俺が」「聞いたぜ、夫婦みたいに仲良くやってんだってな。から頼めば恭弥もオーケーするさ!」にかっと笑って何を言うかと思えば。ディーノに悪気はないんだろうけど危うく紅茶を吹くところだった。あぶなっ。
 一つ咳き込んでからカップを離して「いや、誰が夫婦か誰が。っていうか俺から頼んでもいいって言ってくれる保証なんてないし」「いや、お前しかいない。何せお前は恭弥を丸くするためにリボーンが抜擢した人材なんだからな!」なぜか自信満々のディーノに無責任な上司を思い浮かべた。リボーンの奴、今度会ったらどうしてくれようこの。
 はぁと溜息を吐いて「まぁ、頼んでみるけど。駄目だったらディーノがどうにかしてよね」「おう、俺はお前を信じてるぜ」人のいい笑顔でそんなことを言われるとこっちとしてはプレッシャーだ。苦笑いのような空笑いを浮かべてディーノを見送り、俺は応接室でキョーヤの帰りを待った。
 一時間ぐらいたった頃にキョーヤは戻ってきた。なぜかずぶ濡れで。
「え、キョーヤ!? どうしたの濡れてるっ」
「別に…ちょっと川に落ちただけだよ」
「川って…! 脱いでほら、風邪引くよ」
 濡れた学ランを取り上げてシャツに手をかけたらばしっと振り払われた。じろりと睨まれて負けじと睨み返して自分のシャツのボタンをぶちぶち外す。着替えがないならせめて俺のでも着ててほしい。大事な対戦を前に体調を崩すなんてことは避けなくては。
 ばさとシャツを脱いで「ほらこれ着て、キョーヤそれ脱いで」濡れたシャツに手を伸ばすんだけどまたばしっと振り払われる。なぜかキョーヤが後退したから一歩詰めた。珍しく視線が外れてどこでもない場所を見てる。彷徨ってる、というか。
「着替えるから出てって」
「いいじゃんか、男同士でしょ。着替えてる間髪拭いてあげるから、」
「は、恥ずかしいだろっ」
 大きな声で言われてはたと動きを止める。キョーヤも自分の声にびっくりしたみたいに拳で口を押さえていた。
 ああ、そうか。それもそうか。人前で勝手に脱いだ俺のデリカシーが足りてなかったってことか。たまに仕事で脱ぐこともあったから疑問に思う心を忘れてた。
 キョーヤは純情なところもあるんだなと気付いて、俺は少し嬉しくなった。戦いを求める獣ではないんだな、なんて。
 ぽた、とキョーヤの髪から水滴が落ちた。放っておくと本当に風邪を引いてしまう。
「ごめん、デリカシーないこと言って。出てるね」
 やんわり笑って応接室から出ると、脇を怖い顔の人が固めて、いなかった。どうやら今日は出払ってるらしい。一度は脱いだシャツに袖を通してふうと息を吐く。
(恥ずかしいだろ、なんて、キョーヤでも思うんだなぁ)
 応接室の扉に背中を預けて「ねぇキョーヤ」と声をかける。言葉は返ってこなかった。それでよかったから目を閉じて一人続ける。「ちょっと場所を変えて修行しようよ」「…何それ」ぼそぼそとした声が聞こえて口元を緩める。すごく怒ってるとかそういうわけじゃなさそうだ。よかった。
「考えたんだけど、強い人と戦うのがしっかりした地面の上とは限らないじゃないか。足場の悪い山だったり足元のすくわれる川だったりするかもしれない。キョーヤは呑み込みが早いし、経験積めば、もっともっと強くなる。だからさ、気分転換を兼ねて違う場所で修行しない?」
「必要ない。僕は強いから」
「えー…」
 やっぱりというか切って捨てられた。気のせいじゃなく声がぶすっと拗ねてる。しかし俺はここで引き下がるわけにはいかないのである。ヴァリアー戦が並中で行われる以上どうにかしてキョーヤを学校から引っぺがさないと。
「俺もちょっと気分転換したいんだけどなぁ」
 一人ごちてふうを息を吐いて、さあどうやってキョーヤを学校から引き剥がそうかと考えたとき、体重を預けていた扉ががらっと開いた。いきなり背中が浮いてちょっと慌てる。なんとか反射神経が働いてくれたので後ろに転ぶ前にたたらを踏んで踏み止まった。危ない。
 振り返ると、タオル、というかカーテンでぐるぐる巻きになったキョーヤが仏頂面で立っている。
「キョーヤ、着替えは?」
「ない」
「じゃあとりあえず俺の。風邪引いたら大変だよ。ね」
 二つ留めてただけのボタンを外してシャツを脱いでキョーヤに預ける。でもさすがにズボン脱ぐのは気が引けるので、さてどうしようか。うーんと考えたところで俺のシャツをつまんで睨んでいたキョーヤが諦めたように息を吐いた。ぐるぐる巻きにしていたカーテンを緩く外して俺のシャツを羽織ってぷちぷちとボタンを留め始める。
 キョーヤはあんなにトンファー振り回したりするくせに細かった。無駄のない身体ってやつだ。「何見てるの」じろりと睨まれてあははと笑って顔を逸らす。そうですね何見てるんだろうすいません。キョーヤは恥ずかしいって言ってたのにね。
 さすがに何も着てないのは肌寒い。腕をさすってクローゼットの見当たらない応接室を見回して「本当何もないの?」「ない」「えー、そしたらどうしよう。さすがにズボン脱ぐのは俺も気が引けるんですが」「……風紀委員が着替え持ってくる」「あ、そうなの? なんだ、よかった」ほっとした俺と違ってキョーヤは仏頂面のままだ。ぽた、と髪から雫が落ちるのが見えて手を伸ばしたらばしっと振り払われた。これ三度目。しかも全力で叩き落としてくるから叩かれた手がちょっと痛い。
「髪拭かないと」
「いい」
「駄目です。ほらじっとして」
 四度目の手を伸ばすと届いた。叩き落されることはなかった。カーテンで髪を拭くっていうのもなんだけど、タオルがないのならしょうがない。何もしないよりはいいだろうと思ってキョーヤの黒い髪をカーテンでわしゃわしゃ拭う。「乱暴」「はーい」棘のある声で指摘されたので気持ちゆっくり丁寧にキョーヤの髪を拭った。
 そこへ扉をノックする音が響いて、「委員長、お着替えお持ちしました」「そこ置いといて」「はっ」扉の向こうでびしっと敬礼してそうな声に俺は知らず苦笑いする。カーテンにくるまったキョーヤを見たらあのいかつい人達はどんな顔をするだろうか、なんて。
 足音が遠くなったのを聞いてからそろりと扉を開けると、紙袋の中に新品同様というか新品にしか見えない制服に新品っぽいタオルがいくつか入っている。とりあげて持って行くとキョーヤが俺の手から紙袋を奪った。じろりとこっちを睨むからはいはいと応接室を出る。
 冷えるー冷えるーと腕をさすっていたら、一分ほどでがらりと扉が開いた。きっちり制服を着たキョーヤが「はい」と俺のシャツを突き出してくるから、受け取って羽織る。ないのはさすがに寒かった。
 黒い髪がまだ濡れたままだったから、ソファに腰かけたキョーヤの後ろからタオルを手にふわりと髪を覆う。ふわふわのタオルだ。
「…何」
「まだ濡れてる。拭くよ」
 乱暴にならないよう丁寧を心がけて髪を拭っていく。本当はドライヤーできちんと乾かしたいけど、贅沢は言えない。
 そもそもどうして川に落ちたんだろう。喧嘩でちょっと足を滑らせたとかそんな感じだろうか。
 黙って髪を拭く作業を続けていると、少しして「あなたさ」と声がした。「ですー。何キョーヤ」いつまでたってもあなたとしか言ってくれないことに何度目かの指摘をしたところ、キョーヤは黙ってしまう。機嫌を損ねたろうか。後ろからだとよくわかんないな。
 ひょいと顔を覗き込むとキョーヤが驚いたように手にしていた黒いノートをばさりと取り落とした。「だって言ってるじゃんか。名前で呼んでよ」「……そんなの僕の勝手だ」「もー」息を吐いてキョーヤの髪を拭く。ぷいとそっぽを向いたキョーヤは俺の意見なんて無視らしい。なんだかなぁ。
 キョーヤの髪を乾かして、濡れた制服なんかは紙袋の中にたたんで、濡れたカーテンもたたんだ。洗濯したらカーテンはここに戻さないと。
「……条件付きでなら、行ってあげないこともないよ。修行」
 ぼそっとした声が聞こえて、何度か瞬きしてから顔を上げる。
 黒いノートに視線を落としたままだったけど、キョーヤはこう言った。行ってもいいよと。ただし条件付きで、と。
 条件付きっていうのが気になるところだけど、俺ができることなら精一杯努力しよう。それが行く行くはボンゴレのためになる。俺には最初から拒む権利も抗う権利も与えられてない。だって俺はボンゴレのただの下っ端なんだから。
 でも条件ってなんだろう。あんまりものすごいのだと俺が叶えるのは無理そうだけど。首を捻って「条件って?」と訊くと、キョーヤが視線を上げて俺を見た。灰の瞳は相変わらず鋭い。
「あなたが僕のそばにいること。僕を見てること。…絶対に。それを約束してくれるなら、修行っていうのに付き合ってもいい」
「はぁ。俺がキョーヤを見てればいいの? 修行中も」
「そう」
「それくらい別にいいけど…」
「じゃあ決まり」
 難航かと思われたその条件は、別に難しいものじゃなかった。というか、わざわざ条件として提示するほどのことにも思えなかった。そんなにキョーヤは俺に強いところを見せたいんだろうか。もう十分見てきたと思うんだけど。
 黒いノートを閉じたキョーヤが「さっさと鞭使い呼んでよ。僕の気が変わらないうちに」とか言うから首を竦めて応接室を出た。
 屋上に行ってみるとロマーリオと仲良くおにぎりを食べてるディーノを発見。そうしてるととても巨大ファミリーのボスには見えないふつーの人だ。
「おうー首尾はどうだ? やっぱ無理そうか?」
「いいってさ。早く学校から連れ出そう」
 そう言ったらディーノが驚いた顔をしていた。ロマーリオも然り。なんだよ、そっちから言い出したくせにその顔は。
 慌ててこっちにやってきたディーノ。「え、どうしたんだ恭弥。まさか本当にオーケーするとは思ってなかったぜ」なんだそれ、人に頼んでおきながら。ふうと息を吐いて「条件付きだよ」と言うと「条件?」と首を傾げるディーノ。「うん。俺が見てないと嫌だって」仏頂面だったキョーヤの顔を思い出しつつそう言ったらディーノがおにぎりを吹き出した。ちょ、汚いよディーノ。
「お米飛ばさないでよ汚い」
「いやすまん、びっくりしてだな」
 ごほごほ咳き込んだディーノが俺を上から下まで眺めてくるからちょっとむずがゆい。「ナンですか」思わず片言になった。そんな俺の背中をばしばし叩いてなぜかディーノは豪快に笑う。
「いやぁ、恭弥は難攻不落だと思ってたんだけどさ、ほんとお前頼もしいなぁ。さすが夫婦!」
「いや違います。違うって。こら人の話を聞けディーノ!」
 夫婦夫婦と連呼するディーノがやけに憎い。楽しそうなのもいただけない。からかってるだけなんだとわかってるけど、男同士が夫婦とか言われて嬉しいはずがない。そりゃあキョーヤはきれいだけど男の子だよっていう。
 ああもう。ぐしゃぐしゃ髪をかき乱して「じゃあそういうことだから。俺キョーヤ連れてくけど、まずはどこ行く?」「そうだなぁ」ぴたっと騒ぐのをやめて真面目な顔になったディーノが「海だな」「は? 海?」「砂浜のような足場にも慣れておいた方がいいだろう。水に浸かった足場ってとこにも」「ああ、うん。そうだね」戦闘に関しては俺はあまり知識がないので、とりあえず頷いておく。
 応接室に戻るとキョーヤは黒いノートを睨んでいた。「キョーヤ、海行くよ」「海…?」「ディーノ先行ってるって」ぱんとノートを閉じたキョーヤが立ち上がって学ランを羽織った。

 あなたが僕のそばにいること。僕を見てること。…絶対に

(…なんか、ベタな告白の台詞みたいだ)
 廊下を歩く学ランの背中を眺めつつ、ふとそんなことを考えた自分が馬鹿だなぁと思った。