不恰好な愛を君に

 ずるり、と足を引きずりつつ立ち上がる。パッと見たところ大きな傷はないのにかなり痛む。ビャクランめ、人体の急所ってのを心得てるな。大した攻撃を受けたつもりはなかったけど、あちこち芯からズキズキと痛い。
 そのビャクランと、どうやらさっきの不可思議な出来事でパワーアップしたっぽいツナとの戦闘をハラハラしつつも見守る。俺にはもうまともにやり合えるだけの力が残ってないから、あとは本当にツナ頼みになってしまう。
 そこで、俺はようやく気がついた。ユニがオレンジの炎を燃やしていることに。
「…? ユニ?」
 何かあったのかと足を引きずりながらそばへ行くと、小さな手で制される。「来ないでください」と言われて足を止めた。ユニが首からさげているおしゃぶり、そこから出る炎の大きさが、増していく。
 …これは大空の炎。でも、こんなにたくさん。放出したら。疲労どころのレベルじゃない。
「ユニ? 何してるんだ。こんなことしてたら命が危ない」
「…はい。分かっています」
 にこりと笑ったユニの腕には他のおしゃぶりが抱えられていて、それぞれから何か、一部分が飛び出してきている。髪の毛とか、眼鏡とか、色々。そのうちの迷彩柄のバンダナに憶えがあった。あれ、コロネロのだ。
「大空のアルコバレーノ…私の命と引き換えに、仮死状態の他のアルコバレーノを復活させます」
「え?」
「そうすることで、さん達は、平和な過去に帰ることができます。これが私にできる唯一の賭け…そして、避けることのできない、私の運命」
 え? え? と混乱している間にもユニのおしゃぶりから放出される炎の大きさが増していく。
 ああ、駄目だ、頭が追いつかない。しっかりしろ俺。疲れてるよ、疲れてるけど、今は頭を動かせ。
 この子は今自分の命と引き換えにって。それで俺達が平和な過去に帰るって。でもそれはユニが死んでしまうってことで。あれ、じゃあ俺は、どうすればいい? 過去には戻りたい。でもユニを死なせたいわけじゃない。まだ人生これからって女の子が死んでいいはずがない、のに。
 空中戦を繰り広げてるビャクランとツナ。俺達の会話が聞こえてたんだろう、ユニに固執するビャクランは「僕の許可なく死んじゃうなんて勝手なことが、許されると思うのかい!」とユニに突進した。そこをツナが止める。「お前にだけはわたさない!」と勇んでビャクランを吹き飛ばす。俺はハラハラしながら空中戦とユニとを交互に見やる。
 俺に、できること。ビャクランとやりあった疲れで、炎もろくに出せない、普通に動くことすら怪しい俺に、できることは?
「ユニ? 俺も大空属性だけど、えっと、手伝うとかできるのかな」
 とりあえずそんなことを言ってみると、ユニはくすりと笑った。そして緩く頭を振る。「さん」「、はい」ビャクランがツナに頭突きをして殴り飛ばす様子を見ていたところからユニの方に顔を戻す。彼女は優しい顔をして俺を見ていた。
「白蘭のこと、嫌いにならないであげてください」
「え」
 思いもよらない言葉だった。少なくとも、そのビャクランに追われて怖い目にあった女の子の言葉とは思えなかった。「えっと、なんで?」訊ねた俺に、ユニは笑う。「あなたは彼の初恋だから」とこぼして、ユニが放出する炎がさらに大きくなる。
 じり、と一歩下がる。
 眩しい炎だ。これは、死ぬ気の炎じゃない。本当に死に繋がる炎だ。
 過去に戻るために他のアルコバレーノが必要? リボーンの仲間が必要? しっくりこない。その辺の話は俺がキョーヤと一緒にいたときにされてたのかもしれない。仮にアルコバレーノが必要だとして、そのためにユニが死ぬっていうのは、どうなんだ。正しいのか。いや、正しくない気がする。だけどそれしか方法がないのなら。いや、でも。
 ぐるぐるする思考を割るようにビキビキビキとヒビの入る音がして、振り返る。みんなが外からいくら攻撃してもビクともしなかった結界に、ヒビが入っていた。
 その隙間からこの空間内へと下り立ったのは、俺には憶えのない人だった。でもユニがはっとした顔で「γ…?」とこぼす声を聞くに、彼女の知り合いなんだろう。
「よお姫」
 俺よりもボロボロのγって人がやって来て、命の炎を燃やすユニのことを抱き締める。躊躇いはなかった。命の炎を燃やす、その相手を抱き締めるということは、同じように命の炎を燃やすということだ。
 つまり、このγって奴は、ユニと一緒にいく気なんだ。
「あんたを一人にはさせない」
 …それは、どのくらいの覚悟があれば、ああやって大人の顔をして笑って言えることなのだろう。
 ユニは驚いた顔をして涙を流したけど、最後には笑って、
 笑って、γに抱き締められて、消えた。
 二人が着てた服とおしゃぶりだけがその場に残って、二人の人間はこの世界から姿を消した。
「…ユニ? γ?」
 ぺたん、と座り込んで、手を伸ばす。震える手を伸ばして二人の服を引っぱり寄せ、ユニのマントに抱かれるようにして転がるおしゃぶりを抱き締める。
 それは。銃で撃たれるより痛くない死に方で、ナイフで刺されるより痛くない死に方で、首を締められるより楽にいける死に方で。でも、自分から首を吊るくらいの勇気と覚悟のいる死に方で。
 ぱた、ぱた、とユニの着ていたマントに雫が落ちる。
 …これが。本当に、必要なことだったのか? 避けられないことだったのか? ユニ。
 だん、と俺のそばに着地したツナが呆然とした様子で空っぽになった衣服を撫でて「ユニ…」とこぼす。
 背中から血の色を吹き出しながら下り立ったビャクランは、壊れた顔をしていた。
 あいつを嫌いにならないでくれと言ったユニの言葉を思い出す。あなたは彼の初恋だから、と笑ったユニを思い出す。
「やっとみつけたパズルの最後の一ピースが死んじゃったよ…すべておじゃんじゃないか……トゥリニセッテを覚醒させ時空を超えた覇者になる僕の夢が…」
 そこで、隣のツナがものすごい炎圧を放った。「わっ」と声を上げて二人の服とおしゃぶりを抱いてごろごろ転がって、どん、と壁にぶつかる。結界の壁だ。すぐ外でばんと音がして振り返れば、キョーヤがいた。雲の炎を纏ったトンファーで結界を殴っている。声が遮断されていて聞きづらいけど、俺のこと、心配してるんだろう。
 手を伸ばす。半透明な壁の向こうのキョーヤに触れるように、ぺたりと手を添える。結界は触れるものを拒むように俺の手を弾こうとする。そこに掌を押し当て続ける。もう限界なんだろう、キョーヤはトンファーを落として、俺の手に掌を合わせるようにして壁に手を添えた。
 ああ、キョーヤ、泣きそうな顔だ。あとすごく怒ってる。あれかな、俺が、ビャクランにキスされたから。
 ぶわっと膨らむ炎圧は留まるところを知らない。
 ツナが怒っていた。というか、キレていた。
「誰がユニを殺したと思っているんだ。お前がこんな世界にしたから…ユニは、死んだんだ。俺はお前を許さない! 白蘭っ!!」
 好きなんだよ、本当に。そう囁いてみせたあのビャクランと、ツナの言葉にキレたビャクランとが、同一人物に思えない。あのときのビャクランは俺も切なくなるくらいに心がぎゅってなったんだけど。
「僕は欲しかっただけだ! この世界が、そしてがっ! まったく無意味なことをしてくれた。あのおしゃぶりつきの人形は僕に最高の玩具を与えてくれたのに!」
「それ以上ユニを侮辱するな! 白蘭お前だけはッ!」
 ビャクランの足から血色の根のようなものが飛び出して身体を固定する。ツナがX BURNERを放つ構えを取る。二人とも全力でやる気だ。
 俺が欲しかった、と言ってみせたビャクランを呆けたように見つめる。
 …俺は、ここに来て、お前のことは敵としてしか知らなくて。お前がどんなふうに生きてきてどんなことを思った人間だとか、なんで俺のこと好きになったんだとか、全然、何も知らない。
 ツナがオレンジの炎を放つ。ビャクランが血色にも見えるドス黒い光線を放つ。二つがぶつかり合ってせめぎ合い、そして、ツナの炎がビャクランの攻撃を上回った。
 大空の炎に呑み込まれたビャクランの姿が見えなくなる。
「ビャクラ…っ」
 立ち上がろうとして、失敗した。どさっと尻もちをついたとき、カラン、と音がした。視線をそっちにやると、ビャクランが指にしていたマーレリングってやつがころころとこっちへ転がってくる。
 震える手を伸ばして指輪をつまむ。
 オレンジの炎は消えていた。ビャクランも、消えていた。
 わあ、と歓声が上がる。ボンゴレのみんなから。大空同士の共鳴によってできていた結界が消えて、背中側からぎゅっと抱き締められる。首だけで振り返るとキョーヤがいた。「…っ」と震える声で俺のことを抱き締めている、その手に掌を重ねた。「だいじょーぶだよキョーヤ」と笑うけど、あまり大丈夫でもなかった。
 もう疲れた。心があっちへこっちへ引きずられて、もう眠りたいって言ってる。
「痛むところは?」
「ないよ。ダイジョーブ」
 これも実はちょっと嘘。ビャクランに受け流されてばかりの攻撃だったけど、いくつか叩き込まれたものもあるし。正直ちょっと痛いです。
 でも今は言わない。余計な心配かけさせたくないから。
 顔を上げたキョーヤが噛みつくみたいに俺にキスした。みんながツナに意識を向けてるとはいえ、たくさん人がいるのに、公衆の面前でキスをしてきた。その現実にぽかんとしていると、ふいにぽろりとキョーヤの目から涙が落ちるじゃないか。慌てて身体ごと振り返る。「わ、キョーヤ、なんで泣いて」とあたふたする俺に、キョーヤは黙って泣くばっかりだ。
 とりあえずキョーヤを抱き込んでぎゅーっと抱き締めて、キョーヤが泣いてることが他の誰かの目に留まらないようにしながら、気付いた。この抱き合ってる俺達っていうのがそもそも視線の的なのだと。
 なんか急に恥ずかしくなってきたぞ。おい、笑ってるなよディーノ。
 はぁ、と諦めて息を吐いて、目を閉じる。キョーヤの頭に顎を乗っけて「泣くことないだろ。俺は無事だし、戦いも、終わったよ」と言うんだけど、キョーヤは何も言ってくれない。細い背中をよしよしとあやして撫でる。何度でも。

 …色々と腑に落ちない点と、納得できない点とを除いて。
 ようやく、俺達は過去へ帰るための道を見つけたのだった。