さよなら未来。ただいま現代

 お互い炎を吸われてガス欠で、それなりに酷使した身体も意識も、眠気を訴えていた。
「ご無事で…ッ!」
 二人でこの時代の僕の家に帰ったら、草壁が感極まったとばかりの声で出迎えたのがちょっと鬱陶しい。ふあ、と欠伸を漏らしつつ「校舎の破損は」「はっ。現在修復中です。数日中には仕上がります」「そう…」まぁ、明日には僕は過去に帰るし、修復まで見届けられないけど。仕方がない。
 ふらっとした動作で靴を脱いだが「も、シャワー浴びたら、寝る」と宣言して、身体を引きずるような感じでだるそうに歩き出す。
 …なんだ、寝ちゃうのか。そりゃあ、僕も眠たいけど。でも。
 脳裏に焼きついているのは、白蘭にキスされたの姿。それがどうしても消えない。
 が僕以外とキスをした。された、と言った方が正しい。彼の意志じゃない。それもわかっている。それなのに消えてくれない。消したいのに、消えない。
 ああ、嫉妬の炎でどうにかなってしまいそうだ。
 ぐっと拳を握って靴を脱ぎ、ずんずん歩いてに追いつく。「ねぇ」「んー」「一緒に入ろう」勇気を振り絞ったのに彼はいつもの調子で首を傾げた。「ん? 布団に?」「それもあるけど、そうじゃなくて、…お風呂、に」ごにょごにょと語尾が消えかかって中途半端に言葉が途切れた。
 自分からこんな、群れる行為を提案するなんて、どうかしている。でもしょうがないじゃないか。そうでもしないと白いあいつとキスしてた君が消えないんだもの。
 彼はぱちぱち瞬きして僕を見て、照れくさいなって顔で笑う。「いいけど。キョーヤ」すっと伸びた手が僕の前髪を揺らした。
「そんな顔してると襲っちゃうぞ」
「、」
 反射でばしっと手を振り払うと、あははと笑った彼が歩き出す。さっきよりは普通の足取りで。
 とくとくと早く脈打つ左胸を押さえて、くそ、と唇を噛む。
 …襲われたい、なんて、僕も大概馬鹿だ。
「ん…ッ」
 ザアアア、とあたたかい雨がタイルを叩く音が広い浴室内を埋めて、飲み込めずに漏れた声は、雨の音に紛れてすぐに消えた。
 は、と息をこぼす。彼の頭を抱く腕が震えた。シャワーで濡れてぺたりとした茶色の髪をくしゃりと撫でて、意識して力を抜こうとして、先を尖らせた舌での愛撫にびくんと腰が震えた。は、と息をこぼして拳を口に当てる。こうでもしてないと、声が、抑えきれない。
 お互いに疲れてるから、今日は口で抜くだけ。彼はそう言って、僕の足の間に顔を寄せて、僕のを口に含んで、さっきからずっともどかしいような愛撫ばかり繰り返している。焦らしてるのか。もう、生ぬるいのは嫌なのに。もっと激しくしてほしいのに。
「も…、ゃだ。イきた…んッ」
 敏感な部分を的確に舌の裏側のざらりとした部分で擦られた。また腰が震える。
 駄目だ、気持ちがいい。
 は、と息をこぼして拳に歯を立てる。突き放すこともできなければ抱き込むこともできない中途半端な片手は、彼の髪をくしゃくしゃとかき回すだけ。
 ザアアア、とシャワーの音を聞きながら、リズムよく何度も擦られて、その度に腰が震えて、達した。全部吐き出せとばかりに揉み扱かれてびくびくと身体が震える。我慢できなかった高い声が浴室内に乱反射して、シャワーの音に埋められてわからなくなる。
 だから、それやだって、前に言ったよね。わざとだろうこの馬鹿
 は、と息をこぼして、浅くなっている呼吸を意識して深く大きくする。
 ようやく顔を上げた彼が僕を見る。「キョーヤ」と手を伸ばして僕の髪を指で梳いた。濡れた髪はぺたぺたと視界を邪魔していて、それを払うように、彼の指が緩く視界を横切る。
 …物足りないと。身体が言っている。ここから本番じゃないかって疼いてる。
「俺の理性、壊したいの?」
 囁く声音にふいと顔を逸らして、ふ、と息を吐く。彼の手に指を絡めて握って「壊したい」とこぼすと、彼は優しく笑った。
 お互い疲れてる。わかってるよそんなこと。
 でも、足りないんだ。ので僕を貫いてくれなくちゃ。さっきからずっとお腹の奥の方が熱くて仕方がない。硬くて熱いあなたが欲しいって、そればっかりで、他のことが何も考えられない。

 蒼い瞳に囚われて。彼の海に落ちて、沈む。深くまで。最奥まで。他の何も届かない場所へと沈んで、身体の全てを彼で満たす。
 そうしてやっと、僕は楽に息ができる。
†   †   †   †   †
「失礼します。ご起床の時間です」
 テツのその声で目が覚めた。はっとして枕から顔を上げると和室の一室、この時代のキョーヤにあてがわれた部屋にいて、ほぅと一つ息を吐く。よくも悪くも昨日のことは現実で、俺達が過去に帰れるというのも現実のようだ。夢じゃない。
 テツの声で目が覚めたんだろう、隣でひっつくようにして眠っていたキョーヤものろりとした動作で起き出す。「朝…?」「みたい」昨日の今日でまだ痛む身体に鞭打って布団から出る。一緒に部屋を出て、作り置きしておいたもので朝食をすませる。
 たっぷり睡眠を取ったことで、身体の疲れはだいぶ抜けていた。痛いところはあるけど、軽い打撲や打ち身程度だし、湿布を貼っておけば一週間で完治するだろう。
 ぽふ、と頭に乗った軽い重みに、ヒバードか、と天井を見上げる。
 俺が知ってる雲雀家よりもずっと立派になって、きれいになって、どことなく洋風の趣も取り入れているこの家とも、今日でお別れだ。
 俺達は過去に帰る。
(俺達が戻ったら…装置の中で眠ってるっていうこの時代の俺とキョーヤ…会えるんだろうな)
 ミルクたっぷりの紅茶を口に含んで、ほぅ、と息を吐く。
 やっと、寂しそうだったキョーヤを満たしてあげられる俺と会えるんだな。よかった。
「…何考えてるの」
「え?」
 ぼそっとした声に顔を向けると、紅茶のカップに角砂糖を一つ落としたキョーヤがじっとこっちを見ていた。昨日の今日でかわいかったキョーヤを思い出してしまうため、逃げるように視線を紅茶にやって、カップと一つ揺らす。
「別に。もうすぐ帰れるんだなぁって」
「そうだね」
「そしたら、んー。いつもどおりになるのかな」
 こっちに来てから匣やらリングやらが日常になっていただけに、それらがなくなった日常というのがどうもしっくりこない。キョーヤはふっと息を吐いて「早く帳簿に目を通したいよ」とこぼして紅茶をすすった。相変わらず風紀をうんたらかんたらってこだわってるみたいだ。この時代のキョーヤも風紀財団とか組織してたみたいだし、この先も、キョーヤはずっとそんなふうで、変わらないんだろうな。
 この時代での最後のティータイムを終えて、待ち合わせの時間に間に合うように家を出る。メローネ基地あとまで車で送ってくれたテツは、最後にばっと頭を下げて「恭さん! さん! お気をつけて!!」と勢いたっぷりに見送ってくれた。
 例の白くて丸い装置の前にはもう大半の面子が顔を揃えていた。俺達に気付いたショウイチが「ああ、来たね。さっそくで悪いんだが、匣を取り外してくれ。あ、くんの場合はリングも」と言われて、ポケットに入っている匣を取り出す。
 そうか。匣とも、ツァールともお別れか。それは、意識してなかったな。
 開匣すると、ツァールはなんだか悲しい鳴き声で飛び立って、俺が伸ばした腕に止まった。じっと蒼い瞳で見つめられて、「ごめんな。それから、ありがとう」とこぼして小さな頭を指で撫でる。
 この時代の、お前を持つべき俺がすぐに帰ってくる。だから、そんな悲しい顔をすることはないんだよツァール。
 キョーヤはふーんとこぼして普通に匣を置いた。独りでに開匣した匣からロールが出てきて、じっとキョーヤを見上げる。その視線を受けて、仕方なさそうにしゃがんだキョーヤが指で頭を撫でてやると、ロールは嬉しそうにした。
 ことん、と匣を置く。「じゃあねツァール。またすぐに会えるよ」と笑って、指輪を外した。炎の供給が途絶えたことでツァールは自然と匣内に戻った。指輪の方も置いて一歩離れる。
 そのうち全員が揃って、匣持ちのみんなは一様に彼らとの別れを惜しんだけれど、そうしていたらキリがない。早々に場を仕切ったショウイチは「じゃあタイムワープを始めるよ!」と何かの機械の前に立ち、ポチ、とスイッチを押す。その瞬間ぎゅっと手を握られた。光が溢れる中で視線を隣にやれば、キョーヤが俺の手を握っているのがうっすら見えた。離れてやるものか、という意志が伝わってくる強い力に、かわいいなぁキョーヤはと笑った俺はしっかりとその手を握り返す。
 さあ、あの家に帰ったら、まずはやりかけだった水拭き雑巾とバケツの片付けから、だな。