日本は平和だ。よい国だ

「ふんふーんフーン」
 タタタタ、と包丁でネギをみじん切りにして、ふやかして戻したわかめを用意。味噌は白と赤を合わせて濃すぎず薄過ぎない味を再現し、最後にさいの目に切った豆腐を投入して完成。今日のだしは乾燥昆布です。デパート御用達のやつだからいい味がするはず。
『午後のニュースのお時間です』
「お、」
 包丁を置いたところでちょうどいいタイミングでニュースの時間がやってきた。夕方十五分間だけの話題のニュースの振り返りだけど、見ないよりはためになる。手を洗ってエプロンで拭いつつテレビの前に行く。つい昨日キョーヤにねだりにねだって買ってもらって届いた大型のやつだ。
 休憩に畳に足を投げ出してぼやっとテレビを眺め、ニュースを右から左へ聞き流す。
 うん。今日も世界はだいたい平和だ。いいことだ。日本は事件が少なくて感心する。こっちに帰ってきた当初少し地震が頻発してたけど、それも収まったみたいだし。
「ふう…」
 ぱたっと畳の上に倒れ込み、今晩のメインは何にしようかなぁ、と悩む。干物があるから魚でもいいし、ひき肉で何か作ってもいいし。ピッツァを焼いたっていいし。ああでも味噌汁にピッツァはなぁ、とかうだうだ考えつつニュースを終えたテレビの前からのそりと起き上がり、BGM代わりにつけっぱなしにして、調理の方に戻る。
 そこで「おう、すっかり主夫してんな」とリボーンの声がした。いつの間に上がり込んでたのか、小さな上司はちゃっかり味噌汁の味見をしていた。「おいこら」さすがに呆れもする俺である。
 この上司がわざわざ訪ねてくるときっていうのはだいたい何かあるときだ。今回もそうなんだろうなーと思いつつ、冷蔵庫からひき肉を取り出す。それからレタス、トマト、きゅうりなどなど。
 キョーヤの体重をもうちょっと戻すためにはやっぱり肉がいる。キョーヤ甘いのは俺の焼き立てスイーツくらいしか食べないし、それは毎度は作れないし。クッキーとか作っておけるものならできるけど、あんまり頻繁だと、キョーヤが変な顔するだろうしな。ひき肉はサラダにそれとなく混ぜて、で、メインは干物にしよう。それでいこう。
「九代目から手紙が届いた」
 ばりばりとレタスの葉を剥がしていた手がぴたっと止まった。リボーンが掲げてみせた手紙に顔を寄せて目を凝らす。…確かに、九代目の字だ。死炎印までしてあるから間違いないだろう。…ってことは。
「いよいよ、継承式…? 正式にツナが十代目ボスになるってこと?」
「その予定だ」
「それ、ツナ了承したの?」
 とてもあの普通な子が望んだとは思えない話に首を捻ると、リボーンはきっぱり「関係ねぇな」とか言い切った。かわいそうにツナ。でも俺は、お前がボスになってくれたら、嬉しいかなぁ。
 ツナの境遇に同情しつつ、継承式の日程を確認する。今日を除いてちょうど一週間後、かぁ。すぐだな、この分だと。
 調理に戻ってレタスの葉を剥がし、丁寧に水洗い。トマトのヘタを取ってから八つ切りにして、きゅうりは皮剥きで半分くらい皮を落としてから丸いままのをタンタンとリズムよく切っていく。
「で、それにはやっぱり守護者が全員招集なんだろ? キョーヤ連れてこいって、そういう話だろ」
「ああ。世界中のマフィアが盛大に集う会場になるからな。群れるのを嫌ってあいつが来ない・勝手に抜け出す可能性は十分高い。お前がしっかり手ぇ握ってろ」
「はいはい」
 フライパンを火にかけ、十分熱してからオリーヴオイルを垂らす。ひき肉を炒めつつ調味料で軽い味付けをして、火を通す。
 静かになった。帰ったかなと思って視線を投げれば、リボーンはまだいた。にまにまとこっちを見ている。…なんだよその顔。いや、言わなくたって理解できるけど。
「今日の雲雀の弁当もお前が作ったんだってな」
「…それが何か? 悪い?」
「いーや別に」
 にまにましてるリボーンから視線を逸らしつつ、ひき肉に適当に菜箸を入れてかき混ぜる。
 あーあーお前の言いたいことはわかってます。悪かったなゲイで。別にボンゴレは同性愛とか禁じて…なかったはずだ。やばい、自信ないぞ。あとで規約書出してきて確認しとこう。規約違反とかだったら、俺、どうしよう。やばいかも。
 ぐるぐる考えつつひき肉を炒め終え、サラダに混ぜる。味付けはオリーヴオイルに塩、コショウ、バジル系その他を加えた簡単な手作りソースだ。
 よし、夕飯の準備はだいたい終了。そしたら休憩して、ぼちぼち日本語の勉強をして、あとは自由時間にして。
 リボーンがまだ帰らないから、じろりと睨んで「ほらもういいだろ。帰った帰った」しっしと手を振るも、リボーンはわざとらしいタイミングでぽんと手を打ち、「おーそうだ、思い出した。お前、並中に転校生が来たのは知ってるか?」とか言い出す。はい? と顔を顰めつつも、そういえばキョーヤからそんな話を聞いたような、と上の空で思い出したのが所謂情事だったので、ばっばと手を振る。心の中で。今は出てくんな馬鹿。
 出てくるな、と思うほどキョーヤの鳴いた姿が浮かんできて、心の中では黒板消しを持った俺があっちへこっちへバタバタしている。
 こほん、と一つ咳払いして「ああ、知ってる。えっと、シモン中学とかいう…全部で七人だろ? 集団転校生。地盤の緩い場所にある学校に通ってるとかで、俺達が帰ってきたときに起きたあの地震系統がまた発生すると危ないから、って越してくるだとかなんとか」「まぁだいたいそのとおりだ」で? と首を捻る。その転校手続きうんぬんならキョーヤがめんどくさそうにしながらもちゃんとやってたと思うんだけど、何か問題でもあったんだろうか。
「鈴木アーデルハイトって女子がいるんだが、雲雀に喧嘩売りにいったぞ」
「は?」
「なんでも粛清委員会とやらの本部を応接室に設置したいとか。物好きってのはいるもんだな」
 は? ともう一度顰めた声を出してからばっと時計を見やる。四時三十二分。時間的に授業は終わってるけど、リボーンの話が嘘か本当か判断しがたい。キョーヤのことになったら慌てる俺を見たいだけって可能性もなくもない。が。
「それいつの話」
「HR後、ついさっきだ」
 がしっとサラダのボールを掴んで冷蔵庫に突っ込み、エプロンを取り払ってテーブルに放ってジャージの上着を羽織る。にまにましてる上司の顔からは判断しづらいけど、騙されていたとして、それはそれだ。「じゃあリボーン表閉めてくから! 縁側から勝手に出てって!」「おー」ひらひらと振られるのはあの手紙だ。九代目から届いた継承式開催を知らせる手紙。
 スニーカーに足を突っ込んですっと息を吸い込み、がらっと引き戸の玄関扉を開けてぴしゃっと閉めて施錠、走り出す。
 相手が女子だろうと、売られた喧嘩は買うのが礼儀のキョーヤのことだ。
「早まるなよ、キョーヤ…!」
 十年後の未来でそれなりに鍛えた足で並盛の町を走り抜ける。
 ああもう、せっかく平和だなとか思ってたのに、台無しだ。
 普通に一般人なら風紀委員の人に弾かれて入れないだろう校内に、むしろ歓迎されるように通されて、グラウンドを走り抜ける。
 校舎に大きくかかっている弾幕にずざざとブレーキをかけて足を止め、肩で息をしながら視線を上げる。あんなものもともとかかってなかったはずだ。ということは、シュクセイ委員会、とかいうのがかけた横断幕に違いないだろう。こんなのキョーヤ絶対に怒るって。
 はぁ、と肩で息をしながら辺りを見回す。キョーヤは、いない。
 代わりにツナを発見した。「ツナ」「え、あれっ、さん!?」びっくりした顔のツナに駆け寄って「キョーヤは」と訊ねると、「多分、屋上のあそこじゃないかと…」おずおず横断幕の上の方を指す。目を凝らして見ると、人影が、あるような、ないような。
 ええい、迷ってる時間がもったいない。整ってない息で下駄箱のある場所に走り込んでぽいぽいっとスニーカーを脱いで掴み、階段を駆け上がる。さすがに足が辛い、と思ってきた頃にようやく屋上に抜けて、すっと息を吸い込んで「キョーヤっ!」と叫ぶ。
 ガッ、と鈍い音と一緒にトンファーを振り抜いたキョーヤが驚いた顔で俺を見て動きを止めた。キョーヤに殴られたんだろう、なんかグラマラスな感じの身体をしてる女子生徒はどうやら無事のようで、喧嘩の経験でもあるのか、受け身を取ってキョーヤの攻撃を耐えていた。
…? なんで学校に来てるの」
「あーそれはいいから、とにかく喧嘩しない。女の子殴るとかしない! 俺はそういうの賛成できません。男として、女の子殴る奴はヤダよ」
 びしっと指を突きつけてそう言ったら、キョーヤがすごく傷ついた顔をした。
 あ、しまった。喧嘩を止めたいためとは言えちょっと言いすぎたかもしれない。
 遅れてツナ達がやって来て、なんかわらわら人が集まってきて、リボーンも出てきて、なんか話が流れていく。継承式の話とか、今キョーヤとやり合ってた女子生徒を含め転校してきた至門中学生徒が実は継承式に招待されてるマフィアなんだとか。その話の間ずっと俺を恨めしそうな顔で睨んでいたキョーヤがばっと身を翻して屋上を出て行った。
 ああ、あれ怒ってるよ。あと泣いてるよ。あーしまった。正統なことを言っただけだったんだけど、キョーヤにはパンチが効きすぎてた。のかも。
「おいこら聞いてるか」
 そこでズドーンと背中からリボーンの重いタックルを食らった。キョーヤのことで頭が埋まってた俺はろくに受け身も取れずに吹き飛んで、ガシャンとフェンスに横っ面を叩きつける破目になる。いってぇ。この、リボーンのスパルタ馬鹿!
「い…っ」
 じんじんする顔に手を添えて睨めば、リボーンが分厚い本を放り投げてくる。「わ、ちょっと」反射でキャッチしながら「なんだよこの本」と抗議するのに無視された。完全なるパワハラだけど、それに慣れてきている俺も俺だ。
 放課後なんだから部活行けだ勉強しろだと学生達を屋上から追い出すリボーンからキャッチした本に視線を投げる。
 これは、事典か。それもボンゴレ内部に伝わる、部外者閲覧禁止のやつだ。
「こんなもの持ち出して、どうしたんだよ」
「シモンファミリー。奴らのことを調べてくれ」
「は? なんで? お前、さっき自分でシモンはボンゴレと旧くから交友があるけど今は弱小ファミリーで、みたいなこと言ってなかったっけ?」
「話は聞いてたんだな。上の空って顔してたが」
 にやりと笑ったリボーンに視線が泳ぐ。そりゃあ、キョーヤを傷つけてしまったと、激しく後悔してたけど。今も絶賛後悔中だけど。
 はぁ、と息を吐いて諦めて座り込む。胡座をかいて、古い本のにおいがする表紙をめくって、ページをめくる。
 もう自分で調べたんだろ。だったら俺が調べる必要ってないと思うんだけどな。
 ぺらぺらページをめくりながら「あのさぁリボーン」「ん?」「あの、ボンゴレはさ。同性愛禁止とか、規約あったっけ…?」不安いっぱいで訊ねると、は、と鼻で笑われた。お前、俺が結構気にしてることを鼻で笑うとか。
「ねぇよそんなの。地底人と恋愛しようが自由だ」
「地底人て……いるわけないし」
 なんだそのたとえ、と呆れつつも、ほっと胸を撫で下ろす。ああよかった。じゃあ俺がそのことで首を切られるってことはないな。よかった。
 シモンシモン、と指で項目をなぞっていく。
 程なくしてシモンの文字を発見。読み進めていくも、リボーンが得ている情報以上のものが得られるはずもない。小さな上司は俺に何を求めてるのか、と困惑しながら顔を上げて「読んだけど」と言うと、リボーンはいつにない真剣な顔で「俺の勘だと、シモンはなんか臭う。怪しい」と断言する。えーそうかなぁ、ともう一度本のページに目を通す。別に、怪しいところなんてないような気がするけど。
 でも、俺より勘が鋭く裏の世界を駆け抜けることに長けている上司の言うことだ。何かしら思うところがあるんだろう。
 ぱたん、と本を閉じてリボーンに押し返し、「わかったよ。俺もそれなりに様子見しろっていうんだろ?」「それなりにな。俺の目だけでは足りねぇかもしれねぇ」…本当、いつになく真剣だなリボーン。ボンゴレぐらい大きなマフィアになれば、下の下にいるファミリーの一つや二つ、知らなくたって当然なのに。
 りょーかい、と両手を挙げる。「ああ、それとこれもやるよ」どこかから書類の束に表紙が取りつけられたものを取り出したリボーンが俺に放って寄越す。「何これ」「ヴァリアーの連中、未来での記憶を受け取ってからさっそく匣の開発に乗り出してるらしくてな。その報告書だ」は、と呆れた息を吐いた俺は適当に書類をめくった。はぁ、なるほど。確かにあれがこの世界でも実用化になったら、力を使える人間からしたら都合がいいもんな。
 満足したのか、リボーンは引き上げていった。うう、まだ顔が痛いとさすりつつ、預けられた書類の束を持って立ち上がる。
 ……さて。今俺の頭を悩ませているのは、さっき傷つけてしまっただろうキョーヤにどう謝るか、ということだ。