庇護欲の剣と盾をかざして

 無理な体勢を続けてたせいで痛む腰とか、彼をくわえ込んで快楽に酔いしれたところが痛むのを堪えて、のそりと起き上がる。ぼやっとした意識のまま視線を彷徨わせると、時計を見つけた。九時過ぎ。また寝過ごした。
 まだだるいな、と腰を叩きながら階段を下りると、「へぇ、九代目が日本に…」が誰かと話をする声が聞こえてきた。むっと眉根が寄って、たんたんと階段を下りて電話のある居間に行く。彼は僕に背中を向けていた。「ああ、で、シモンの方はどう? 俺も一応捜してみてるんだけど…って、え? 何、ツナの警護って。そっちにいるの? なんだ…じゃあ俺が気にする必要ってあんまり、」どす、とジャージの背中に拳をぶつける。僕を振り返ったがやわらかく笑っておはようと口ぱくで伝えてきた。電話をかけてくる相手なんて知れてる。どうせ赤ん坊だろう。
 話は聞いた。沢田綱吉が正式にボンゴレ十代目になるべく、継承式ってものを控えていて、それに守護者である僕も行かないといけないってこと。いい子にできたらまたご褒美をくれるって言ったから、僕は仕方なくそれを了承した。
 継承式が終わるまではもうシないという彼の意思表示。それが少し気に入らなかったけど、昨日あれだけシたんだから、身体のためにも、少しは控えた方がいいだろう。
 なでなでと頭を撫でる手を押しのけて台所へ行く。今日のご飯はなんだろう。
「はいはいりょーかい。じゃあまた」
 受話器を置いた彼が台所にやって来た。「身体どう?」と訊かれてぷいと顔を背ける。
 どうって、まだ痛いよ。痛くてもいいと思って意識が曖昧になるまでシたけど、痛いのは、いざってときに動けないから嫌だな。
 …でも気持ちよかったな。癖になりそう。
「ご飯」
「はいはい。座ってて、用意する」
 座布団の上にそっと座って、リモコンを取ってテレビをつける。僕はどうして彼がこれを欲しいと言ったのかよく分からない。天気予報くらいなら参考になるけど、それくらいだ。グルメ番組とかドラマとかお笑いとか、興味の欠片も持てない。
 適当な旅行番組で手を止め、彼が用意した朝食を食べて、「おいしい?」と訊かれて「おいしい」と返す。そうやって流れていく空気、時間。彼の瞳の色をした砂時計が落ちきるまでを待ってから飲む紅茶。全部、好きだ。ただ愛しい。
 彼との時間だけを切り取って、永遠に色褪せないものにできたら、素敵なのに。
 そんな馬鹿みたいなことを考えながら休日を終え、また学校が始まって、僕は風紀委員の仕事をしに家を出て行く。バイクの座席の下に彼お手製のお弁当を入れて、ヘルメットを被り、キーを差し込んでエンジンをかけ、並盛の町へと繰り出す。
 いつまでもいつまでも続けばいいと思う平和な時間は、あっさり終わりを告げた。
 並盛五丁目、今は使われていない工場跡地にて死体が三つ見つかったのだ。
 殺した方も殺された方も一般人じゃないな、と思って逡巡した挙句に仕方なく彼を通してボンゴレに確認を取らせたところ、やっぱりそうだった。
 殺られたのはギーグファミリーとかいう殺し屋集団らしい。沢田が十代目ボスになることを拒む反ボンゴレ勢力とやらがいるらしく、彼らはその反勢力を始末しようとして逆に始末されてしまったらしい、とのことだ。
 後片付けはボンゴレの人間がきれいさっぱりしてくれたので、風紀委員の仕事は工場跡地に人を近づけないことだけだった。簡単でいい。
 でも、並盛内で殺しをやってくれたその反勢力とやらは鬱陶しいな。並盛の風紀を乱してくれたことだし、その反勢力とやらを発見次第、僕も制裁を加えよう。
「…ギーグファミリーが……」
「知ってるの?」
「そりゃあ。ロシアの墓堀り人とまで言われてたし…少数精鋭の、同盟ファミリーだったから」
 どこか青い顔をしている彼に一つ吐息する。僕は並盛の風紀を荒らしてくれた反勢力とやらに制裁を加えたいだけなんだけど、それが彼を恐怖させているというのなら、なおのこと始末しよう。
 継承式まであと三日もない。それまで他に問題が起きなければいいけど。
 集団転校生のシモンファミリーとかいう彼らは沢田を警護しているらしいので、赤ん坊もいるし、そっちは彼らに任せる。僕がすべきは並盛全体の再把握だ。まずは風紀委員の見回り回数を増やして人員をもう少し割いて、現状の確認をして。
 携帯を手に草壁に指示を出して携帯をポケットに滑り込ませ、ちらりと視線を投げる。世間一般には伏せられている事件だからテレビで報道はされていない。それでも彼が事件を探すようにニュース番組を眺めていたから、隣に座って手を握った。「僕がいるでしょう」と言えば彼は弱く笑う。
 あなたのその笑顔は嫌いだ。不安や戸惑い、恐怖を感じているとき、あなたは決まってそうやって誤魔化すような笑みを浮かべる。
 あなたがよくそうしてくれるように、背伸びして、茶色い髪をかき上げて額にキスをする。「キョーヤ?」と戸惑う声を無視して頬にキスをし、鼻の頭にもキスをする。「そんな顔してないでよ」と囁く。甘やかすキスで唇を舐めれば、苦しいくらいに強く抱き締められて、満足した。
 そうだよ。あなたは僕を頼ればいい。僕に全て預ければいい。そうしてくれたっていいんだ。
 あなたに信頼されて心も身体も預けてもらえることが、僕を幸福へと導く。
 ゆるゆると目を閉じて、彼の髪を指で梳いた。
 そのまま夜を過ごし、継承式まであと二日となったその日は、特に何事もなく通り過ぎた。
 そして、継承式まで残り一日を切り、あとはこの夜を過ごせば、と警戒を厳重にしていた中で、それは起きた。
 山本武が部室で血まみれで倒れているのを校内を巡回していた笹川了平が発見、晴れの活性化の炎で治療を試み救急車を手配するも、彼の容態は危うい。はっきり言って、死んでもおかしくないらしい。
 ち、と舌打ちして携帯を閉じる。
 また見事にしてやられたわけだ僕は。に大丈夫だと言ってみせたのに、ざまぁない。
 無様にやられた山本も腹立たしいが、校内で生徒がやられたということが一番気に入らない。風紀委員を学校外へ分散させすぎた仇か。僕の城で勝手なことをしてくれた。そいつは必ず咬み殺してやる。
「キョーヤ? どうしたの」
 ベッドを抜け出した僕に彼が不思議そうな顔をする。言うべきか言わざるべきか迷ったけれど、どうせ明日は継承式だ。そのうちバレてしまうなら言ってしまおう。
「山本武がやられた」
「え? え、何それ。どういう」
 僕を追ってベッドを抜け出した彼から視線を外す。帯を解いて着物を脱ぎ捨て、制服へと着替えながら「部室で血まみれで倒れてるのを、校内を巡回した笹川了平が見つけたらしい。晴れの活性の炎で応急処置されて、今は病院で手術を受けてる。…でも、よくない状態だって」ぷちぷちとシャツのボタンを留めてズボンのベルトを締める。慌てたように彼が部屋を出て行って、ジャージ上下に着替えてすぐに戻ってきた。「俺も行く」…言うと思った。はぁ、と呆れた息を吐いた僕は、仕方なく彼も連れて行くことにした。
 彼が家を施錠してる間に車庫へ向かい、バイクにキーを差し込んでエンジンを吹かす。走ってやってきた彼に予備のヘルメット放って渡し、バイクに跨る。
「しっかり掴まっててよ」
「りょーかい」
 …腰に回った腕に、一瞬でもどきりとしてしまった自分を殴りたい。
 山本の容態を気にするを待合室で青い顔をしてる面々のところへ連れて行く。ふらっとした動作で「リボーン」と赤ん坊に寄っていく彼の背中から視線を外し、病院の外へ出る。すでにボンゴレが現場検証を始めて、明日の朝練までには何事もなかったように部室を直して切り上げるとのことだったけど、僕も黙っちゃいられない。並盛で、しかも並中校内で、生徒が手を出された。さっきから苛立ちで胃がむかむかしてる。
 外に出ると風紀委員が何人か整列していた。一番手前にいるのは草壁だ。
「お疲れ様です」
「状況は?」
「はっ。目撃証言がいくつか得られました。やはり山本武は今日野球部の活動に参加しており、最後に彼の姿を確認した生徒によると、水野薫とキャッチボールに興じていたそうです」
 …水野薫。ああ、至門中学からの来た奴の一人か。やけにいかつい顔をしてる柄の悪そうな奴。
 転校してきたあの七人はシモンファミリーというボンゴレの同盟ファミリーで、に言わせれば、大きくもないし、力もないらしいけど。赤ん坊が気にかけているから俺も意識はしてる、とも言ってたっけ。
 どのみち怪しいのはその水野薫という奴か。
 でも、得られるのが目撃情報だけなら、いくらでも白を切られるだろう。他に証拠がいる。そのためには野球部の部室を調べる必要があるんだけど。そういうことに関してはボンゴレ側に任せた方が早くて確実だろうし。
 はぁ、と息を吐く。「分かった。君達は引き続き並盛町内の動きを警戒。不穏な動きをしている輩には容赦しなくていい。僕は明日いないから、気張ってね」「はっ」敬礼した草壁に倣って後ろの数人もびしっと敬礼し、ばらばらと各方面に散っていく。
 結局、僕にできることはそうないということか。
 意識して深く息を吐き出し、バイクにもたれかかる。
 山本の容態はよくない。一命を取り留めたとして、もう野球ができるような身体にはならないだろう。鋭利なもので腹部を貫かれた状態らしいから、神経系統が途切れて下半身が機能しなくなって車椅子生活、ということも考えられる。
 全く。馬鹿をしてくれた。
 確かに一番に狙われるのはボンゴレボスの座を継ぐ沢田だ。そしてその次くらいに各守護者というのが狙われると、わからなかったのだろうか。
 組んだ腕をとんとんと指で叩く。こんな調子で明日の継承式とやらはどうするんだ。彼が気にするのなら、僕だって無関係じゃなくなる。彼の瞳が曇るのなら、それを晴らすのは僕の役目だ。
「キョーヤ」
「…どうだった?」
 ガー、と開いた自動ドアの向こうから沈んだ表情のが出てきた。その様子だけで聞かなくてもわかってはいたけど一応訊ねる。彼は山本の容態については緩く頭を振っただけで言及をせず、僕に新しい事実を持ってきた。
「タケシをやった犯人っていうのは、継承式で受け継がれるモノが目的っぽい」
「? 何それ」
 初耳の話だ。顔を顰めた僕に、彼は肩を竦めた。「俺もさっき初めて聞いた。継承式では〈罪〉って呼ばれる小瓶が受け継がれるらしいんだ。で、タケシは伝言として血で〈でりとと〉…ローマ字にするとdelitto、イタリア語で罪という意味の単語を書き残した。このメッセージから、リボーンは犯人の目的が〈罪〉であると想定したんだ」長い説明を呑み込んで、首を傾げる。山本が残したメッセージと赤ん坊の推理で、犯人の目的がその罪ってものであると仮定したとして。でも、納得できない。
「そんなもの、その〈罪〉とやらが保管されてる場所に侵入して奪うなり破壊するなりすればいいのに」
「継承の証に使われるくらいだよ? 俺だってそんなもの知らなかった。ボンゴレ内部の機密事項なんだ。で、それが第三者の目に触れるのは継承式のときだけ…」
 だから、犯人は必ず継承式に現れる。
 …どうやら、僕らはどうあっても明日の継承式に顔を出さないとならないようだ。
 ふっと吐息する。彼の情けない顔は見ていて庇護欲というのが湧く。僕より戦えなくて、こちら側に足を踏み入れるには普通の人間すぎる彼を、僕が守ってあげなくては。
「オペが終わるまでここにいる? 僕は自分で一度並盛内を見回りたいから、離れるけど」
「んー。じゃあここにいる。終わったら迎えに来て」
「……仕方ないね」
 ヘルメットの一つを座席の下に放り込み、ばんと閉めてキーを差し込む。「ああ、キョーヤ」「何」振り返ったらキスされた。触れるだけ、だったけど。「いってらっしゃい。くれぐれも気をつけて」と耳元で囁かれてうずうずした。離れた顔に僕からもう一度口付けて「そっちこそ、一人にならないでよ」とこぼしてヘルメットを被る。
 彼はボンゴレの人間というだけで、強いわけでもないし、弱いわけでもない。彼が狙われるとは思えないけど、念のため、気を配った方がいいだろう。風紀委員に命じて彼の行動は把握しているのだけど、穴がないようにしないと。彼が山本と同じようなことになったらと思うだけでぞっとする。そんなの、心臓がもたない。
 ここには沢田達が残っているのだし、戦闘になれば彼らが前に出る。は大丈夫だ。自分にそう言い聞かせ、彼に見送られながら病院を出る。
 これ以上の醜態は晒せない。ここは僕の町だ。雲雀が支配する町だ。僕の庭で好き勝手する獣には早々に矢を放って撃ち殺してあげよう。