斬り落とされる幕

 クリーニングに出して皺一つないスーツを着る。ネクタイをきゅっと襟元でしっかり締めて完璧だと一人頷き、身だしなみをチェック、最後に持ち物の確認をする。
 銃は装填ずみ、ハンカチはある。まぁ携帯しててもボディチェックとかで取り上げられるだろうけど、一応持っていこう。
「キョーヤ準備できたー?」
 こん、と一つキョーヤの部屋の扉をノックする。と、ガチャッと扉が開いて、スーツを着たキョーヤが出てきた。ネクタイが上手くいかないらしく苦戦している。「手ぇ離して」「ん」新品だから結びにくいんだろうネクタイを締め直し、一つ頷く。色男ですよキョーヤ。世の女の子の八割くらいがお前に惚れそうだ。
 リボーンが迎えに寄越した車に乗り込み、目的地までドライブ。
 継承式の会場は、中世の城を丸ごと貸しきった豪華な場所だった。近くには湖畔もあって、頭上はひっきりなしに警戒のヘリが行き交っている。
 はぁ、日本にこんな場所があるなんて、驚いたな。
 入場でボディチェックを受け、守護者のキョーヤは顔パスで門を通過。立食式のパーティになってる城の外には大勢の大人がいた。中には顔を見たことのある有名どころもちらほらと見受けられる。そんな中をキョーヤと並んで歩き、「あっ」と声を上げる。ツナ達発見。
 守護者が揃ってるツナのところへ行って、タケシがいるのが見えてぎょっとした。それからああそうかと納得する。クロームの霧の力で幻を作ってるんだっけ。ぱっと見たら本物みたいでどきっとした。
「おう、来たな」
「来たよ」
 離れたところでぷいっとそっぽを向いて腕組みしてるキョーヤを示すと、リボーンがにまにました笑みを浮かべる。だからお前それやめろ。締まる空気も緩くなる。
 硬い表情で「えっと、雲雀さん連れてきてくれてありがとうございます」と頭を下げるツナの頬を両手で挟んでむいっと顔を上げさせる。「しゃきっとする」「あ、はい」背筋を伸ばすツナ。俺の背中にちくちく視線が刺さっているのでぱっと手を離した。ヤキモチ妬きだなぁキョーヤは。
 それからディーノ、ヴァリアーの面々が現れ、シモンとも挨拶を交わした。
 さて。問題はここからだ。
 城内へ移動し、大広間に溢れるばかりの人が集まった。とん、とキョーヤの背中を押す。「はい、いってらっしゃい」「……いってきます」ぼそぼそとした声で返事をしたキョーヤがツナ達の後ろに仕方なさそうに合流する。その姿を見送ってから、なんでこんな青くさいガキがいるんだとばかりに向けられる視線に愛想笑いを返してすっと人の間に入る。とりあえず、目につかなそうな壁際に移動しよう。
 …ツナはこの継承式を〈タケシをやった犯人をあぶり出すために出席する〉と決めたけど。これだけ大勢のマフィアが集った前で行われる継承式が実はこういう事情で演技をしていました、ですまされるとは思えない。この継承式は紛れもない現実のものとなるだろう。〈罪〉を継承した瞬間、ツナ、お前は正式にボンゴレ十代目ボスになる。
 お前は人生の中ですごい決断をした。自分のためではなく、友のために。お前がそういう人間であることが俺は誇らしいよ。
 できるなら支えてやりたい。お前なら、肥大してしまったこのボンゴレを、大昔の、あるべき姿に戻せる気がするから。
(それにしても人が多いな…)
 さりげなく視線を流して、大人ばかりの空間の中で怪しい奴がいないかと意識を研ぎ澄ませる。

『継承を』

 九代目の声がスピーカーを通して城内に伝わる。
 そのときだった。耳を潰すようなキーンと高い音が鼓膜を突き刺したのは。反射で耳を塞ぐ。
 リボーンが読んでたとおりだ。来た。
 あちこちで小さな爆発が上がり、煙幕まで焚かれる。逃げ出したり床に蹲っている人を避けながら「九代目! ツナ!」と声を上げて人混みを掻き分ける。くそ、どこだ。キョーヤ、どこにいる?
 倒れた人を避けて跳び越えたとき、ぱし、と腕を捕まれた。反射で反応しかけた身体がその手の感触が誰かを察し、ほっと息を吐く。
「キョーヤ」
「下手に動かない方がいい」
 煙幕をすり抜けて俺のところにやって来たキョーヤも片耳を塞いでいた。鋭い視線で辺りを睨むキョーヤと背中を合わせた。せめて死角をなくすように。
 炎を感じる。九代目の身は現守護者が守ってくれるはずだ。大丈夫。「ツナ達は?」「知らないよ」キーンという高い耳鳴りの中お互いの声を拾う。聞き慣れているからか、耳が潰れそうな中でも楽に聞き取れた。
 耳鳴りが止んで、開けられた窓や扉から新しい空気が入り込み、煙幕も途切れる。
 九代目は無事で、ツナ達も無事だった。ただ、継承されるはずの〈罪〉の小瓶は破壊されてしまっていた。
「…ということは…犯人の目的は〈罪〉の破壊?」
「さぁ」
 興味なさそうにそちらを一瞥するキョーヤと背中を合わせたまま考える。
 でも、あれは犯人をあぶり出すために九代目が用意した偽物だとリボーンが教えてくれた。今頃城内は完全封鎖されて、いたるところにある監視カメラで犯人の割り出しがされているはず。
 わからない。こちらがこう出ることは向こうだって予測できたろう。これじゃあわざわざ捕まりにきたようなものだ。
 そこで、九代目の守護者の一人が隠し部屋の扉を開け放ち、隣の部屋へと駆け込んだ。「た、大変です! 金庫が破られていますッ!」と切迫した声が響き渡り、九代目の表情が変わる。
 金庫。隠し部屋に設置したその金庫っていうのは、恐らく、本物の罪が保管されている場所。
「ありえん! 七属性のシールドはどうした!?」
「破られたようですッ」
 守護者と九代目のやり取りにマジですかと現実を疑いたくなる。
 この時代はあの未来みたいに炎や匣が日常化してるわけでもないのに。炎の存在はまだ少数のマフィアや科学者にしか知られていないし、匣なんて、未来からの記憶を持ち帰った限られた人にしか与えられてない知識のはず。それなのに七属性のシールドを破壊する武器なんて、この世界にあるわけが。
 そこで、隠し部屋に銃口を向けた守護者の一人の手から銃が浮かび上がり、空中で一人分解。ばらばらとした鉄屑となって床に散らばった。
 何かいる。
 展開された雷のシールドを貫く強度の氷が射出され、がし、とキョーヤに肩を掴まれて一緒に倒れ込んだ。「わっ」「舌噛むよ」頭を押さえ込まれて黙る。シャッと鋭く空を切る音と一緒に壁を破壊した氷の攻撃をやり過ごし、顔を上げる。隣の隠し部屋、〈罪〉が保管してあった金庫のある部屋から出てきたのは、
「シモン、ファミリー…?」
†   †   †   †   †
 折りたたみで携帯しているトンファーを展開する。を僕の後ろに追いやり、武器を持ってない彼を庇う。そうでなくても彼は戦いに不向きだし、この場にはヴァリアーとかもいるんだ。彼が前に出る必要はない。万一怪我でもされたら僕の寿命が縮む。
 山本武がやられるまで一緒に行動していた水野薫が怪しいと踏んでから、風紀委員に至門中の転校生を再調査させていたけど、半日足らずではさすがに時間が足りなかったようだ。まさか彼らが今回の件の首謀者だったとは。
「〈罪〉は返してもらうよ。この血は僕らシモンファミリーのものだから」
 転校生の中で一番弱くてぱっとしないと思ってた古里炎真が一番前に立つ。…沢田綱吉といい、よくわからないな。普段はあんなに弱い彼らなのに。
 交わされる言葉にあまり興味もないので聞き流す。
 その話の中ではっきりしたのは、彼らが自分達で認めたこと。今回この継承式に絡んで起きた事件の全ては彼らが犯人ということに確定した。
 シモンだとかボンゴレだとか、僕にはどうだっていいんだ。彼らが並盛の風紀を汚しを不安に落とし込んだというのなら、それ相応の罰を受けてもらう。
「シモンファミリーはここに宣言する。古里炎真が十代目のシモンボスを継承し、ボンゴレへの復讐を果たすことを誓う。そして世界中のマフィアを再組織化しマフィア界の頂点に君臨する。この戦いは、シモンの誇りを取り戻すための戦いだ」
 僕に喧嘩を売ってきたあの女子生徒がシモンリングとやらの力を行使する。僕は反射でを突き飛ばした。リングも匣もない彼にはもっと下がってもらわないと、間違って巻き込んだら後悔してもしきれない。
 僕が出るよりも早く相手の攻撃をシールドで防いだ獄寺隼人には、少し感謝してあげてもいい。
 粉塵でげほと咳き込んで壁際まで後退した彼が無傷なのを確認してほっと息を吐く。さあ、僕は自分の方に集中しなければ。
「これこそが、大空の七属性に対をなす大地の七属性」
 それぞれ武器を手にしている相手にトンファーを構える。
 たとえ相手がなんであろうと、どんな力を使おうと、関係ない。僕が咬み殺すんだ。各々武器を構える沢田達に混じることになっている、群れている自分に吐き気を覚えつつも、引かない。引けないから。
 僕が一番手で突っ込んでやろうと駆け出した瞬間に足が浮いた。たとえるなら、重力から解放されたように、足元がふわりとしていた。それも瞬きの間のことで、次の瞬間には壁に叩きつけられていた。打ちつけた背中が軋む。げほ、と咳き込んで重力に抗ってみたけれど、飛行機に乗ってGでもかかってるみたいに思いどおりに動かない。
「キョーヤっ!」
 悲鳴を上げた彼に「来るなッ!!」と叫んだ。生きてきた中で一番大きな声で、駆け寄ってこようとした彼を拒絶する。
 駄目だ。巻き込んだら駄目だ。なんの力も使えないあなたがこんなもの食らったらタダじゃすまない。炎も纏えないんだ。とっさの防御だってできやしない。あなたが来たら、巻き込まれたら、僕の心臓が止まる。
「あなたは、あっちで、大人しく…ッ」
 身体が勝手に浮く。今度は守護者同士で空中で身体を叩きつけられた。壁よりはマシだけど痛いものは痛い。
 自然に落下して、だん、と床に下り立つ。口の端を伝った血を指で払った。やってくれるじゃないか。僕に血を吐かせるなんて。
 近接戦が得意な僕は遠距離戦は好きじゃない。特にこういう、手も足も出ないことされちゃ、不愉快極まりない。ここはロールを使ってどうにか抗うしかない、とポケットに手を突っ込んだところで上からのGがかかり、膝をついても立っていられなくなって、這いつくばる形になる。ビキビキと骨が軋むような力。相手は特に何もしていない。シモンリングとやらの力を行使しているだけだ。それなのに、この圧倒的な差。
 認めたくはないけど。このままじゃやられる。
「ぐ…っ」
 せめて、ロールを。這うような動作でポケットから転がり出たハリネズミの顔のリングを見たとき、ベキ、と嫌な音がした。視線を流す。十年後の世界で新しい形になったボンゴレリングにヒビが入っていた。
 これがなければ、僕だって炎をろくに扱えない。
 ち、と舌打ちをこぼす。
 これに頼っていたわけじゃない。お荷物を一つ背負ってやるだけだ。そんなつもりでいたけど、全然、頼ってるじゃないか。未来ではこの力に頼らざるを得なかったせいもあるけど、僕はすっかりこれを当てにしていたようだ。
 ふいに、ふっと力が緩んだ。沢田が古里炎真へと突っ込んだためだ。詰まっていた息を吐いてげほと咳き込む。
 リングが駄目になった。これじゃあロールが使えるのかわからない。肉弾戦に持ち込むには分が悪い。どうする。
 考えあぐねている間に古里は沢田も退け、リングを破壊し、クローム髑髏を攫ってこの場から姿を消した。
「キョーヤっ」
 一番に駆け寄ってきた彼に抱き起こされ、スーツの胸に力なく頭を預けて咳き込む。ああくそ、痛いな。骨折したとかそういうのはないだろうけど、全身が軋んでいる。痛い。「キョーヤ、どこが痛い?」「…全部いたい」「あ、すいません医療道具こっちにもお願いします!」焦ってる顔の彼を眺めて、少しだけ笑う。何その顔。馬鹿みたいに僕の心配して。本当、馬鹿だな、あなたは。
 軋んではいるけど、僕は彼の胸に手をついて自力で立ち上がった。心配そうに僕の肩を抱いた彼が「あっち行こう。ソファ。そこで診てあげる」と歩いて行く。彼は特に怪我もなさそうだ。よかった。
 ソファに座らされ、手とか顔の擦り傷の手当てをされる。消毒液は沁みるから苦手だ。唇を噛んで耐える僕に「キョーヤ、どこが一番痛い? 背中とか大丈夫?」「…大丈夫だよ。プライド以外はね」吐き捨てると、彼はきょとんとした顔で手を止めた。何、その顔。ムカつく。
「キョーヤってさ」
「…何」
「いや、ほんとに喧嘩が好きだなぁと」
 しみじみこぼした彼にそっぽを向く。目の下辺りを消毒されて思わず瞑った。沁みたら嫌だ。
 目につく傷を消毒されて保護テープを貼られ、スーツを脱がそうとする彼の手を叩き落とした。大丈夫だって言ってるのに。それにこんな人の多いところで脱ぎたくなんてない。
 一通り僕の手当てをして安心したのか、ソファの背もたれに背中を預けたがだらしなく姿勢を崩す。
「シモンリング…手も足も出なかったな」
 聞き捨てならない言葉ではあったけど、事実だ。何も返せない。「それに、ボンゴレリングが壊れちゃって…どーしよう」こてん、と肩に頭を預けられて、はぁ、と息を吐く。僕もあれに頼っている節があったけど、あなたほどじゃないな。確かにリングは破壊されてしまったけど、あなたほど絶望してはいない。
 仕方なく手を伸ばして彼の髪を撫でる。少し埃っぽくなってる赤みがかった茶髪を指に絡めると、それだけで心が深呼吸できた。
 現状、確かにシモンに敵う方法は見つからない。だけど、なんとしても彼らは咬み殺す。
 あなたを絶望に叩き落していいのは、僕だけだ。