生き方という名の十字架

 ジャングルみたいに鬱蒼と生い茂る木々と草花。その間に伸びる一本道に沿ってひたすら歩いて半日。その間人っ子一人見かけなかった。無人島だって話はどうやら本当っぽい。
 ひたすら山道の中に階段、階段、また階段。さすがにトランクとエトセトラ背負ってるのが辛くなってきた頃に陽が暮れた。
 今日はこれ以上進むのを断念して焚き火を用意する。火を焚くのは動物には効果的だけど、人には逆に目につくだろう。火を見つけて俺達の居場所を感知したシモン側が襲ってこないとは言い切れないけど、今のところ一人も見かけていないし。向こうにはシモンリングってものがあることだし。俺みたいなフツーの知識で考えることは、してこない、のかな。
 警戒だけは怠らないようにしながら、九代目が用意してくれた携帯食の方で夕飯をすませていると、気に入らないって顔でキョーヤがぼそっと一言。
「おいしくない」
 その言葉に俺は苦笑いするしかなくなる。
 そりゃあ、まぁ。あくまで携帯食だし。カロリーメイトプラスみたいなものだし。余分なものをなくすと食器類も省かれるから、手で封を切って開けられる食べ物って、こういう感じになるよなぁと思う。まさに携帯食。これでもボンゴレが独自開発して戦場でも携帯されるいいものなんだけど、キョーヤの口には合わなかったようだ。
「これでもおいしいやつなんだよ。市販のよりずっと栄養バランスとかカロリーの面が考えられてるし、チョコにフルーツにメープルに野菜、色々あるし」
「…僕はの作った食事がいい」
 気に入らないって顔のままがりと携帯食をかじるキョーヤ。
 はて、と俺は首を傾げる。携帯食の方がいいって言われるのもショックだけど、俺の料理の方がいいと断言されるのもよくわからない。俺が作るものなんて、ファミリーレストランよりは上だけどホテルのレストランよりは下の味しかしないのに。
 じろりと俺を睨み見たキョーヤが、手をついて距離を詰めてきた。反射で身を引く。この島では甘いことはしないと約束したんだ。終わったらしようって。だから、キスだってなるべくしない。ぞ。もう意志が折れそうとかそんなこと全然ないダイジョーブ。
「どんなに手軽な食事よりも、料亭より劣る味でも、僕はの作るものの方がいい」
「そ、そう?」
「そう」
 きっぱり言い切ったキョーヤがすとんと座り込み、俺の隣で黙って携帯食をかじり始める。
 は、と短く息を吐いて俺も食事を再開。食事を終えたら歩きづめの身体をさっそく眠気が襲ってきたので、九代目が預けてくれた軽くてあったかいことで有名な寝袋を二つ並べて、それぞれ入る。すぐにうつらうつらしてしまう俺を、隣の寝袋からじっとキョーヤが見ている。
(キスしないぞ。しないから。おやすみのキスとかしないから。だから見てたって何もいいことないよキョーヤ。寝なさい)
 と、心の中で思うだけ思って、俺はすぐ寝てしまった。
 瞼の裏まで射した光で目を覚まして、あっという間に朝っ、と慌てて寝袋を出る。キョーヤは、と隣を見れば寝袋は小さくたたんであった。いない。どこへ、と思ったところで「起きたの」と声。ふっと陽射しを遮る影ができて、見上げれば、キョーヤがいた。ほっと息を吐く。びっくりした、いた。よかった。
「ごめん、寝すぎた?」
「…違うよ。僕の目が覚めただけ」
「そう? そっか」
 のそのそと寝袋を出る。携帯食での朝ご飯すませ、気に入らないって顔のキョーヤをそれとなく宥め、焚き火の始末をし、荷物をまとめた。
 昨日と同じ道が続いてるように感じる一本道の階段を上がっていくと、途中、開けた場所に出た。そこにはいくつも血の痕があって、誰かが戦闘をしたということを示していた。
「…………」
 ツナ達、大丈夫だろうか。俺達は今のところ何もないけど。ひたすら一本道を辿ってるだけなんだけど。心配だな。
 葉っぱの積もる地面を踏んで、「さっさと行こう」と興味なさそうに歩いていくキョーヤに慌てて続く。リボーンからのメッセージらしいものはないし、ここは一本道。先へ行ってみるしかない。
 …それにしても。シモンファミリーの誰も見かけないし。どういうことなんだろうな。

「ん?」
 左右の森の様子を窺っていた俺は、キョーヤの方へ顔を向ける。キョーヤは前を向いたままだった。「あなたさ」「うん。何?」「あなたが…ボンゴレに所属してる人だっていうのはわかるけど。僕は、それ以外のあなたをあまり知らない」ぼそぼそとそんなことを言うキョーヤが何を言いたいのか、ピンとこない。首を捻って「何が? 俺がキョーヤのとこへ来た理由? 最初に話さなかったっけ。俺はリボーンに呼ばれてイタリアからこっちに、」「そうじゃない」遮られて口を噤む。どことなく苛々した調子の声だった。んー、キョーヤが何を言いたいのかよくわかんないぞ。
 俺は困った顔でもしてたんだろう。ちらりとこっちを窺ったキョーヤは、少し考えるような間を置いてからこう言った。
「あなたがどこで生まれたとか、どういうふうに育ったとか、家族はいるのかとか、なんでボンゴレに入ることになったのかとか、僕はそういうことを何も知らない」
 ……あー。そういうことか。なるほど。今更といえば今更のような、お互いに関する基本的な情報が交換できてないってことを言いたいのか。
 別に、改めて話すような大きなことは何もないんだけど。一本道の道中を歩くだけは暇だし、キョーヤが知りたいっていうんなら、暇潰しくらいのつもりで話してあげようか。
 一つ深呼吸して、背負ってるトランクをよっと背負い直す。
 別になんでもないフツーの悲劇を話すだけなのに、口を開くまでに少し時間がかかった。
 長らく忘れていたから。順番を辿っていこうと思うと、自然とゆっくりした感じでしか言葉が出てこない。
 イタリア、地中海に面した地域の、ごく平凡的な家庭の一人息子。それが俺だった。
 ある日、まだ小さな俺が学校から帰宅したら、家に届いていた両親の亡骸。
 マフィア同士での抗争に運悪く巻き込まれて死んでしまった不運な父と母。残された俺は、イタリア特有のマフィアによって孤児になってしまった子供が引き取られる施設へと連れていかれて、そこで、イタリアの中でも主力マフィアと言われるボンゴレの存在を知った。
 別に、両親の仇を取ろうとか、立派なことを思ったわけじゃない。ただの保身だ。マフィアというものが蔓延るこの国で無事に生き抜く保証は、より大きな組織に加入することだった。だから選んだ。両親を殺すことになったマフィアというものに身を染めると決めた。姓はそのときに捨て去った。
 なんでもやった。下っ端の雑用はたくさんあった。革靴磨きから始まって床拭き、掃除、パシリの買い出し、なんでもあった。なるべくどんなことでもこなせるようにと懸命に日々をこなした。料理、裁縫、一般知識以上の専門知識、特定の資格、免許などの獲得。イタリア語以外の語学の勉強。そういう毎日ばかり送っていたらいつの間にかそれなりの場所に立っていて、リボーンという小さな上司に目をかけられるくらいになって、ボンゴレの中でそれなりの場所を確保していた。
 その頃には両親のことなんてもう忘れていた。
 生きていくのに精一杯だったから、余分なことなんて、頭から切り捨てていた。
 冷たい子供だと言われるかもしれないが、正直、もう二人の顔も思い出せない。思い出せるのは、棺の中のボロボロの二人の傷だらけの身体と、死人の肌と、血の色だけ。
 憶えるべきことは山ほどあって、頭の中のスペースが足りないくらいだ。
 捨て去らないと場所がないというのなら、捨てる。少しの平凡な日々も、両親のことも、全部捨てる。そうやって生きた。
 だから捨てた。色々なものを。
 仕事のために自分を売ることは自分を捨てること。任務のために対象に向ける笑顔は相手を懐柔するため。そうやって本当の自分の笑顔を忘れたって、仕方がない。誰かに恨まれたとして、それも仕方がない。これが俺の〈生きる〉ということなのだから。
 そうやって、日々を過ごしていたら。リボーンが俺に、日本に来いって任命してきて。このタイミングだとボンゴレリング関係なのかなーと嫌な予感と覚悟を抱いて向かった先の日本、並中の応接室で、俺はキョーヤと出会ったのだ。
「こんな感じなんだけど…」
 かつ、と階段を上がる足を止めたキョーヤは黙ったままだった。お前が知りたいって言ったからかいつまんで話をしたんだけど。反応がないっていうのもちょっと寂しいな。
「………じゃあ、僕の話をしてあげる」
 長い沈黙の間に再び階段を上がり始めたキョーヤ。追いかけて階段を一歩上がり、「どーぞ」と先を促す。
 そういえば俺、リボーンに仕事として任命されたんだからって、それで納得してたけど。キョーヤのこと自分で調べたり資料集めたりはしてなかったな。ああ、詰めが甘い。だから先輩にもよくどつかれる。

「両親の顔は知らない。名前も知らない。生きてるのか死んでるのかも知らない。意識したときには一人で、小学校までは世話係っていうのがいたけど、学校に通うようになった頃にはいなくなってた」
「…その頃の並盛は荒れていてね。不良はそこら中で横行して我物顔をしているし、治安は悪いし、喧嘩も多い。夜の営業っていうのも盛んで、とてもじゃないけど、子供が住むには適した町ではなかった」
「自分が住む場所だ。雲雀の表札がかかった家があるのは並盛。…だから僕は、自分が生きる場所の壊れかけた風紀を正そうと考えた」
「幸い、このとおり、喧嘩は好きだからね。自分のスタイルに合う武器を選んで、気に入らない奴は全部やっつけていった。小学校を終える頃には、僕が並盛の一番上に立っていたよ」
「そして、ようやく正せた風紀をまた壊されないように、風紀委員会を組織して、僕についてくる人間だけを選んで風紀委員にした。僕一人の手では限界があるということには気付いていたから、仕方なく、ね」
「咬み殺すとか言うようになったのはその頃だったかな…並盛が平和になった代わりに、僕は退屈にもなったんだけど。だから、強い人間を求めて戦う癖がついたのかも」
「そして…」

 ぴたり、と足を止めたキョーヤが俺を振り返る。キョーヤの向こうから昇ってくる朝陽が俺の視界に突き刺さる。
 ああ、今のキョーヤ、すごくきれいだ。淋しそうで哀しそうな顔をしてる。
「僕は、あなたに出逢った」
 切なさを滲ませる声音に自然と手を伸ばしてしまった。この島では何があるのかわからないのだから甘いことはなし、って自分で言っておきながら、どうしてもキョーヤにキスしたくなった。
 少し伸びてきたかな、と思う黒い髪を指で梳くと、さらさらとこぼれて落ちて夜の色を揺らす。
 触れるだけのキスをして、こつんと額を合わせる。指と指を絡めて握り合い、そういう場合じゃないとわかっていながら、俺は、愛を紡がずにはいられない。
「今のキョーヤ、すごくきれいだ」
「…男がきれいなんて言われたって嬉しくない」
「そっか。俺はキョーヤがきれいだと嬉しい」
「…………」
 ぷいとそっぽを向いたキョーヤに笑いかけて手を離す。「さ、先へ行こう」とどこまでも続く階段を示す。
 手を離されたことにキョーヤがぶすっとした顔をしたけど、これ以上はしません。いつどこで何が起きても不思議のない場所なんだから、油断せずにいこう。ね。帰ったらまた痛くなるまでシてあげるからさ。