「ん」
 帰って一番に紙袋を押しつけると、僕を出迎えたは首を傾げた。紙袋を受け取りつつ「何これ」と不思議そうな顔をするから、朝言ったことを忘れたのかこの人は、とちょっとイラッとする。
「あなたがわがままを言うから叶えてあげたんじゃないか。感謝してよね」
 紙袋からビニールに入った新品の制服を取り出した彼が驚いた顔をして僕を見た。「え、いいの?」「…物は試しって言うでしょ。どうせ、ついていけないよ。あなたの日本語レベルじゃ」ふんとそっぽを向いてずんずん廊下を歩いて居間に行く。「お腹が空いた」「はい、はいはい」興味津々に制服を掲げていた彼が、紙袋を置いてご飯の準備をしに台所へと向かう。
 …本当に、仕方がないから、手配したんだ。平仮名とカタカナしかまともに読めない彼が中学レベルの授業を受け続けることなんて無理だ。三日くらい通えば理解できるだろう。自分にはまだ早いって。それで、今までどおりに家で家事炊事をして、小学校低学年向けの教科書を読むのに唸ってるんだ。それでいい。
 サンマのグリル焼きと豚汁、栗ご飯という手間のかかっているあたたかい食事が手際よく用意されて、食欲を刺激する。
「じゃあ俺明日から学校行ってもいーの?」
「…クラスとか決まってるから案内するよ。話は通してある」
「やった」
 ぐっと拳を握った彼がいただきますをして、僕もいただきますをしてから箸を手に取る。栗ご飯の栗をつまんで食べてみると、ほんのりと甘かった。ちゃんと別に煮てから炊いたらしい。
 全く、馬鹿みたいに手間暇かけて、おいしいものを作ってくれる。こんなもの食べたらもう出前なんて食べられない。
 おいしいからぱくぱく食べていると、彼が気付いた顔で「あ、午前中まででいいよ。家事とかもあるし、午後は家に戻る」と言うから少し手を止めた。
 まぁ、別にそれでいいけど。ちゃんと家のこと考えてる辺りがまた憎らしい。
 今日もおいしい夕食を終えて、が台所を片付ける間にお風呂を入れに行く。最近冷えてきたから温度を少し高めに設定して自動湯張りのボタンを押した。着替えの着物を取りに部屋に戻って、また居間に行く。特にすることもないならの背中を眺めている方がまだ暇じゃない。
 …家ではだいたいジャージ姿の彼が、並中の制服を着るのか。
 思ってもいなかった彼の申し出にびっくりして、制服を着たというのを想像してみて、悪くないなと思ってしまったから。だから風紀委員を向かわせてサイズを測らせ、今日中に用意しろと仕立屋に命令して作らせたのだ。
 じゃあ明日は一緒にバイクで登校するのか、とか悶々と考えていると、洗い物を終えた彼がこっちにやって来た。畳の上に座り込むと改めた感じで制服を取り出して「明日着るのが楽しみだな」と笑った。
 結果的に言うと、彼の制服姿というのは三日で封印されることになった。
 というのも、全部、が悪い。
 第一に、漢字がわからないからと男女関係なく声をかけたりして質問しまくって、彼の誰にでも甘い人柄があっという間に広まり、クラスの人気者になったこと。
 第二に、たったの三日で、女子に告白されたこと。それも三回。
 ついていけないで挫けるはずの授業に、多方面から手や言葉を貸されたことで助けられた彼は、学校に通うき満々だった。僕が制服を取り上げなければそのまま並中に通い続け、そして、人の注目を集めて、また女に告白される。そんなの許せない。
「あー…何もこんなにしなくても……」
 もったいない、とこぼした彼が、トンファーの仕込み棘でめちゃくちゃに引き裂いた制服を名残惜しそうに拾い上げた。はぁ、と息をこぼした僕はふんとそっぽを向いてトンファーを一つ振るってついた繊維を落とした。
 あなたの制服姿が見てみたくて学校へ通うことを許可したけど、僕以外と群れることなんて許してない。あなたにそのつもりがなかったとしても、あなたの甘い態度にその気になる男女は少なくないんだ。それを見てるだけの僕の気持ちにもなってみろ。苛々して、本当に、どうにかなるところだった。
 ボロ雑巾みたいになった制服を集めた彼が、一つ息を吐いて立ち上がる。「キョーヤ」と呼ばれてじろりと睨めば、彼は困った顔をしていた。
「そんなに嫉妬しなくても、俺はお前以外選ばないよ」
「………」
 だから。そういう甘い言葉を、普通に使うから。男女関係なく気を惹くんだって、気付いてよ。
 あなたが僕以外選ばないことなんてわかってる。僕だってあなた以外選ばない。だけどどうしたって苛々してしまうんだ。あなたに好意を向ける目なんて潰してやりたくなる。
 ぎゅっとトンファーを握り締めた僕を緩く抱き締めた彼に、苛々していた気持ちが少し治まる。
 …やっぱり僕は、あなたに僕以外を見てほしくないし、僕以外に笑いかけてほしくない。あなたに群れてほしくない。僕だけと一緒にいてほしい。
 これは僕のわがままだ。
「……わかったよ。俺は家にいる。今までどおり。それでいい?」
 僕の胸のうちを察したタイミングの言葉に浅く頷いた。トンファーを手離すとごっと重い音がして、僕は縋るように彼の背中を抱き締めた。「かわいいなぁキョーヤは」と言われても今日は怒れない。僕のわがままに付き合う形の彼に、少しだけ申し訳ないと思っていたから。
「女の子は嫌いじゃないけどさ。俺にはキョーヤが一番かわいいよ」
 …それは貶してるのか、と顔を上げたところで唇を奪われた。冗談の欠片もない本気の蒼の瞳に自分から舌を出す。早くしてと深いキスを求めてその唇を舌でなぞる。
 かわいいっていうのは受け入れ難いけど、あなたの中で僕が一番だというのなら、満足だ。