譲れないものを懸けて

 このシモン戦というのは、お互いの誇りを懸けて戦うというルールになっているらしい。
 誇り。プライド。そんな立派なもの、俺はとっくの昔に捨て去って久しい。下っ端の仕事をなんでもこなすにはそういうものは妨げでしかなかったのだ。だから捨てた。そしていつの間にか、自分にとって譲れないものなんて、自分の命くらいの、つまらない人間になっていた。
 ここ、日本へ来るまでは。正しくは、キョーヤに出逢うまでは。
 今の俺にとって何よりも譲れないものはキョーヤだ。だとしたら、もし俺が戦うなんてことになって誇りを懸けろと言われたら、キョーヤってことになる…のかなぁ。
「さ、ツナ。キョーヤの戦い、もっと近くで見よう」
「え、」
 困惑した顔のツナの背中を押す。気力のない顔にへらっと笑いかけて、もう少し戦況が見やすい場所へと移動する。リボーンが何も言わないってことは俺の対処はこれであってるんだろう。「あ、てめ、待てよ!」と追いかけてくるハヤトに来い来いと手招きして、下へと続く階段のある場所に足をかける。

 連れ去られたクロームと大怪我をした山本のためにここへ来たツナ。ツナは本来優しい性格だ。死ぬ気モードになるのも自分のためというよりは誰かのためで、自分のために、私利私欲を満たすために力を使ったりはしない。だからこそ、この戦いに口出ししてきた復讐者が提示したルールによりリョーヘイを失い、敗者が次々と投獄されていくこの戦いに疑問を持ってしまった。自分がなんのためにここへ来たのかわからなくなってしまったんだ。
 さらに、ツナの心理を追い込むように、エンマが告げたらしい。ツナの父親によって家族を失ったと。だから許さない。だから殺す。
 それが誤解でも真実でも、エンマにありったけの殺意と憎しみを向けられて、ツナの心はボロボロに近い。
 そりゃあそうだよ。ツナはまだ中学生なんだ。普通に生きていれば喧嘩くらいはしても殺し合いの戦闘なんて知らなくて当然だし、テストや部活に追われる日々を過ごしたり、恋したりして、誰かに憎まれたり怨まれたりなんて、そんな黒いもの知らなくて当たり前だったんだ。
 そう。普通に生きていたら、それでよかった。
 でも、ツナはボンゴレボス十代目候補として選ばれ、担ぎ上げられた。
 ツナは強くなったけど、それは彼自身が望んでいたものではなかった気がする。
 …ただ、それでも時間は戻らない。辛いかもしれない。苦しいかもしれない。悲しいかもしれない。寂しいかもしれない。それでも、ツナ、お前には現実を受け止めてほしい。そして、前を向いてほしい。

「ロール。形態変化」
 キョーヤの一声でロールが変化した。ピカっと光ってキョーヤに重なると、学ランの上着を長ランへと変化させた。両手には馴染みのトンファー。初めて見たキョーヤの姿に一瞬ぼへっとして、リボーンのツッコミを食らう前に我に返る。
 ボンゴレリングからバージョンアップされて、リング以外の形を取ったものがボンゴレギアと名付けられたってことは知ってたけど。こんなふうに変身するんだってことは知らなかったな。一瞬でも脱がせたいとか思った俺自重して。
 こほん、と一つ咳払いして、心ここになしって顔のツナに笑いかける。
「俺はさ、偉そうなこと一つも言えないんだ。ほら、俺ってボンゴレの下っ端だからさ。誇りなんて立派なもの、とっくに捨てちゃってたから」
 でもね、とこぼしてトンファーを振るってアーデルハイトに攻撃するキョーヤを眺める。
 相手は手加減しないという。キョーヤは、どうするつもりかな。今回は殺し合いとかではなくて、お互いの腕章を懸けた戦いだけど。できれば女子をめった打ちにするとかやめてほしいんだけど。でも、キョーヤにはどうあっても負けてほしくないから、今回は仕方がないって、俺も容認します。だから負けるなよキョーヤ。復讐者の牢獄なんて行ったら、俺達はもう二度と会えない。
(シモン戦が終わったら一緒にイタリアへ行こうって話、本気にしてるんだからな。だから絶対負けるなよ。絶対だ)
「そんなつまんない男だった俺なんだけどさ。こっちに来て変わったんだ。この際だから言っちゃうけど、キョーヤに会ってから、変わったんだ」
 キョーヤの一撃を避けて大きく跳んだアーデルハイトが自分から滝の中に突っ込んだ。何する気なのか、と首を捻りつつ、「誇りなんて大きくは出られないけど。それと同じくらい譲れなくて、大事なもの。俺にとってはそれがキョーヤなんだ」「…譲れない、大事なもの」反復したツナにへらりと笑いかける。
 うん、そう、誇りと同じくらい譲れなくて大事なもの。ツナにもあるよね。俺はそれを知ってるよ。だからこそ、お前は今自分の道を模索してるんだ。
 戦況の方に意識をやる。アーデルハイトのリングの属性は、氷河というらしい。継承式で氷の攻撃が飛んできたことを思い出していると、見る間に滝を丸ごと凍らせたアーデルハイトが、自身を覆う鉄壁の城を造り出した。それはさしずめ、ダイヤモンド・キャッスルのようにキラキラしていて、とても硬度が高そうだ。
 キョーヤ、どうするのかな。不安を抱きつつも、顔には出さない。今は折れそうなツナを支えてやりたいから、嘘でも笑う。
「ツナにもあるでしょ? だからお前はここに来たんだ」
「……オレ…」
 迷うように視線を俯けるツナの頭をぽんと叩いて、そろりとキョーヤの方に視線を移す。いつもだったらトンファーが飛んできたり俺に睨みをきかせているキョーヤは、相手の未知の能力に集中しているのだろう、こっちを見ていなかった。少しほっとしつつ「なんだ? 雲雀の足元が」と指したハヤトにつられて長ランが揺れる足元に目を細める。確かに、なんか、ぶくぶくしてる。
 なんだろうと目を眇めたとき、ざば、と水が独りでに持ち上がって次々とアーデルハイトのナイスバディな形を取っていく。
「…は。なんだあれ」
 ぽかんとした俺に、ふむと腕組みしたリボーンが「氷の人形…奴の能力を考えるなら、自身が安全なダイヤモンド・キャッスルにいても自由に動かせる駒、ってところか」アーデルハイトの形を取ってるところからも、多分そうなんだろう。どれだけいるのかわからない数の氷の人形がキョーヤを取り囲む。これは、さすがに、キョーヤにとっても状況が悪いんじゃ。思わずごくんと唾を飲み込んだ俺に、リボーンがにやっと笑った。
「ビビってんじゃねぇぞ。むしろここからが雲雀の本分だ」
「え」
「忘れたのか? 雲雀はボンゴレの雲の守護者だ。何者にも囚われることのない浮雲、それがアイツだ」
 まぁ、お前にだけは特別らしいがな。最後にとってつけたからかいに知らんぷりをして、氷の人形に囲まれたキョーヤが笑ったのを見る。
 あ、いい顔してる。喧嘩を楽しんでるときの顔だ。多勢に無勢だろうと怯むことなんてない顔。ほんと、喧嘩好きだよなぁキョーヤって。
 トンファーから両刃のチェーンが伸びて、氷の人形を切り刻んだ。ズバッと切れて、ただの部位になった氷が水の中へと落ちて沈む。
 相手が人間じゃないからだろう、遠慮も躊躇いもない攻撃だった。周りを全部巻き込んだその攻撃は、確かに、一人での戦闘でなきゃできないことだ。
 …ああ、なるほど。この誰も気遣わない一人の戦い方が、雲らしいって、そう言いたいのかリボーンは。
 でも、数えきれないくらいうようよしてる氷の人形を全部倒した頃には、さすがにキョーヤも疲れてるだろうし。それに、鉄壁の氷の城の中にいるアーデルハイトから腕章を奪わなくては戦いは終わらない。
 ハラハラと見守っていると、ツナがぎこちなく俺の袖を引っぱったので、視線を戻す。「あの」とこぼしたツナの目にはいくらか生気が戻っていた。
「あの、もしも、なんですけど。雲雀さんが負けてしまって、復讐者の牢獄に連れて行かれてしまったら…さん、どうしますか」
 ぱち、と一つ瞬く。んーと少し考えて、俺にはそんな力はないけど、と笑ってから言う。「どうにかして助けようって思って、無謀なことするだろうね」と。それは本心からの言葉だった。そして俺の言葉にツナは安堵したように瞳を緩める。
 俺達が見守る中、キョーヤは独り身の戦い方でどんどん氷の人形の数を減らし、トンファーから伸びた両刃のチェーンを雲の増殖の力で伸ばしに伸ばして、ついに残りの人形全てを切り刻んでみせた。
 うおおキョーヤが怖い。相手が氷の人形だからって加減しなくていい分のびのび戦ってるように見えるけど、その鬼神さは、ちょっと怖いです。キョーヤが俺にその怖さを向けることはないと思いたいけど。でも、ごめん、ちょっと怖い。
†   †   †   †   †
 氷の人形を咬み殺し、ボンゴレギアの感じを掴みながら氷の城へと肉薄、トンファーを振り上げ続けざまに攻撃を叩き込む。確かに硬い。攻撃してるこっちの腕がビリビリするくらいには。
 バシャ、と水の中に着地したところを人形が襲ってくる。それを球針態の針だけを増殖の力で伸ばして突き刺し、振り回して、周りを開ける。
 ち、と舌打ちがこぼれる。面倒くさいなぁもう。粛清と書かれたあの腕章を取り上げない限りこの戦闘は終わらないっていうのに。
 氷河の炎によりコーティングされてるとかいう氷の城は、物理攻撃、炎攻撃もほぼ弾くし、どれだけ猛攻したとしてもつくのは少しの傷のみだ。でも、傷がつかないわけじゃない。そこが甘い。自らが安全な氷の城の中に閉じこもり、攻撃を氷の人形になど任せているから、驕りが生まれている。
 は、と少し息を吐いてからまた構える。とにかくあちこちに傷をつけてやろうと、氷の城を攻撃する。邪魔な人形は破壊する。その繰り返し。
「無駄だと言ったはず」
 鈴木アーデルハイトの言葉で、破壊した氷の人形がまた蘇る。それをロールの球針態の針で貫き蹴散らす。そして、また氷の城に傷をつける。
 ああ、疲れてきたな。久しぶりにこれだけ全力で動き回った。もう寝たいな。彼の膝に頭を預けて眠りたい。
 氷の城の根本部分を中心に攻撃を仕掛け、そろそろいいだろうと氷を蹴って離れる。バシャ、と水の中に着地して辺りをチェーンで薙ぎ払い、氷の城の内側へと忍ばせたロールの小さな球針態に命令する。増殖しろ、と。
「ロール。球針態」
 小さな欠片が、雲の増殖の特徴を受けてどんどん肥大化し、氷の城の内側からヒビを入れていく。
 やっぱりそうか。コーティングされている、という表現で気にかかっていたんだ。外側は強いようだけど、内側はそうじゃないんじゃないかって。
 ガラガラと崩れていく氷の城から脱出して着地した鈴木アーデルハイトの後ろに立ち、トンファーを頭の横に突き出す。動いたら叩き割る、という意味を込めて。
「終わりだよ」
 ああ、疲れる戦いだった。「そんな…」と漏らす彼女の左腕の粛清の腕章に手を伸ばし、剥ぎ取る。やっと終わった。
 ぽい、と腕章を捨てて一つ息を吐いたところへ、話に聞いている復讐者って奴が現れた。敗者を投獄すると言って鈴木アーデルハイトを拘束し、そして、僕は見たくもないけれど、過去の記憶というやつを再生させる。
 そもそものこの戦いの始まりは、過去のシモンファミリーを過去のボンゴレが裏切った、というところからだった。前提がそれだったけれど、再生された記憶で、それが間違いだったということが判明する。
 その話に特別興味も湧かず、疲れるし、と形態変化を解こうとしてぴくりと第六感が働いた。ちゃ、と手錠を手にして「そこにいる君は誰だい」と投げつければ、カシャン、と茂みの枝を拘束した。その背後から「おっとあぶね〜」と姿を現したのは、シモン側の加藤ジュリーだったかと、連れ去られたという話を聞いていたクローム髑髏。
「キョーヤ」
 バシャバシャ水を蹴散らしてそばにやって来たが、僕に怪我がないかとあちこち確認する。…あなた、空気読めないのか。それともあえて読んでないのか。そんな彼に呆れつつ、仲間割れっぽい話になっている鈴木アーデルハイトと加藤ジュリーに意識を移す。
 何か、嫌な感じがする。
 これは。多分、六道骸と戦ったときのあの霧の能力に似ている。
 注視していると、加藤ジュリーの姿が変わった。過去の記憶とやらでさっき出てきていたD・スペードとかいう奴に。
 とても嫌な感じがする。
 幻覚を魅せる霧の力。僕はあれがとても嫌いだ。あるものないもの見せて、結局正々堂々戦わない連中。卑怯なことでもそれが有利なら騙すことも当たり前、という奴らの力だ。
 がし、との手首を掴んだ。状況を見守っていた彼が僕の行動に僅かに首を傾げつつ、D・スペードから意識を外さない。
 あなたを、あれに、近付けてはいけない気がする。
「挨拶をした方がいいですね。腐った若きボンゴレ達よ」
 ぐっと彼の手首を強く掴んで、僕よりも後ろ、あいつから距離を取る位置に押し込む。「キョーヤ?」と困惑顔の彼は理解していないらしい。霧の面倒くささと、とっくの昔に死んでいるはずの人間が我が物顔でそこで笑っているという異常さを。
 ボンゴレに関わるようになってから、未知の力っていうものをたくさん見てきたし、知ってきたけど。死人が蘇るような事態に遭遇したことはまだない。当然の顔でペラペラ語っているあれは危険だ。今の僕はさっきの戦闘で炎も体力もかなり消費した。何かあったとき彼をちゃんと守れるか、自信がない。

 僕が、一番怖いのは。一番譲れないのは、並盛の風紀なんかじゃなくて、
 ただ、あなたが奪われる現実にだけ、なんだ。