ただ君のためにここに在る

 継承式でしてやられたのは古里炎真の力によるものだ、と判明した今。本当なら彼の相手は僕がすべきなのだけど、が情けない顔をしていたし、重力を操る力に対して僕は抗う術をもたない。消去法的に、仕方がないから、古里の相手を沢田に任せた。彼は空を飛べる。僕らの中で一番古里に拮抗する力を持っているだろう。
 重力を持つ球に吸い寄せられて苦戦している沢田を部屋の入口から眺めつつ、それとなく、彼を一歩後ろに下がらせた。何かあったときに防御が間に合わなかったりしたら困るから。
 ハラハラと沢田を見守るの蒼い目を僕に向けさせたかったけど、我慢する。仕方がないから。
 代わりに、ぎゅっとその手を握って、僕は隣にいるってことをずっと訴えている。
 彼と同じものを眺めている視界の中で、球体が潰れて、何か渦巻くものへと変わる。
「あれは…ブラックホール?」
 呆然といった様子の彼に首を傾げる。ブラックホールってなんだっけ、と思っていると、獄寺隼人が焦った顔で「ブラックホールといったら、光すら抜け出せない超重力の穴じゃ」と説明っぽい言葉を口にした。ああ、宇宙の話か、と興味が薄れて、その後の会話は聞き流す。古里の能力がかなり厄介なものだということだけはわかった。僕が相対するには、やはり、少し不向きかな。沢田が問題なく勝てばいいんだけど。
 沢田が形態変化でグローブの形を変えて、炎圧を上げ、ブラックホールを振り切って飛ぶ。重力で持ち上げられた岩の攻撃を受けても沢田は怯まない。「聞こえるか炎真! オレはここにいるぞ!」と声を張り上げる彼とも一度本気でやりたいと思っているけど、彼、誰かのためにしかああいう強い姿になれないようだし。期待はできないだろうな。
 何度も何度も攻撃を受け、呼びかけ、古里が束の間正気に戻って。そして、暴走した力が制御しきれず、古里自身がブラックホールへと変化する。
「ロール」
 クピ、と鳴いたロールに球針態を作らせ、雲の増殖の力でどんどん増やして球針態の壁を作った。を突き飛ばして部屋の外へと放り出し、部屋の入口を完全にロールで塞ぐ。
「キョーヤっ」
 くぐもった彼の声に振り返ることはせず、力を暴走させている古里の方を睨む。間違って彼があれに巻き込まれたりしたらひとたまりもない。
 今までで一番大きなブラックホールだ。沢田はあれをどうにかするつもりらしい。「ツナの奴どうする気だ!?」「十代目ぇ!」「ぐぴゃ、すごい風だもんね! ランボさん飛べそう!」うるさい面々の中で一番冷静なのはやっぱり赤ん坊だった。「考えられるとすれば一つ…ブラックホールごと掻き消すしかねぇだろうな」という言葉に応えるように、沢田が構えを取る。いつも片手で撃っていたX BURNERを両手で構えている。
 ここまで来たら、沢田、君が彼を止めてみせろ。
「待ってろ炎真! 絶対に助ける! 誇りに懸けて!!」
「…誇り……」
 球針態の棘部分を避けてばんと拳で叩いていたが、なんともいえない顔をする。
 何その顔。なんかムカつく。あなたは僕だけ見ていればそれでいいのに。
 沢田がX BURNERを放つ。古里のブラックホールを消し去るというよりは、埋めるような、そんな炎を放つ。
 そして、光が溢れて暴発した。ロールの球針態で防御しつつ目を眇める。やっぱり一度戦ってみたいな、沢田綱吉。
「いつつつ…ッ」
「げほ、ごほっ」
 沢田は古里を消し飛ばすことなく、大空の炎の調和能力を使ってブラックホールのみを鎮めてみせた。「ダイジョブかツナ!」「十代目!」と駆け寄る群れを眺めて、入り口を塞いでいたロールの球針態を全て消す。どん、と勢いよく球針態を叩いていた彼が「あ、わっ」とバランスを崩してこっち側に倒れ込んだ。その姿が間抜けだったので笑ってやる。
「おま、キョーヤ。急に外出しといて、笑ってるなよ」
 ばたばたスーツを払って起き上がった彼は、どうやらなぜ自分が外に追いやられたのかという理由を理解していないらしい。まぁ、いいけど。
 ぷいと顔を背けて勝手に和んでる沢田達を指し、「あなたが満足いくような結果になったんじゃないの」と言うと、彼は改めて沢田達を眺めた。和解した沢田綱吉と古里炎真。両者の間にはD・スペードが仕掛けた策略が横たわっていただけで、憎しみはなかったのだ。笑い合う二人を見て「うん。よかった」とこぼしてが笑う。
 まぁ、このまま全部丸く収まるのなら、それで問題はないのだけれどね。
 図ったタイミングで復讐者という奴らが現れ、僕の頭の中に勝手に過去の記憶を再生させる。今回は初代シモンが初代ボンゴレに助けられたあとの話で、あいつはいなかった。
 いつか、夢の中で、いいご身分だねと僕を嗤った奴。僕によく似た顔立ちで、彼によく似た瞳をしている奴。
「キョーヤ?」
「、」
 彼に呼ばれて我に返った。「大丈夫?」と心配そうにしている彼に、「平気」と返して、軽く頭を振る。
 古里炎真はシモンファミリーのボスだから、守護者同士のバトルを見届ける義務があるとかなんとかで、とりあえずの投獄は免れた。
 あと戦っていない誰かと言えば…。連れ去られた挙句操られてるとかいう、クローム髑髏。彼女を介して現れる六道骸、か。
†   †   †   †   †
 洞窟を抜けた俺達は、エンマが予想したD・スペードのいる場所へと向かって移動していた。
 エンマとツナの間にあった誤解っていうのは無事に解けてくれたらしくて、二人の戦闘をハラハラしながら見守ってた俺はすごくほっとした。
 形としてはエンマの敗北で、シモンボスの役目として残る守護者同士のバトルを見届けたら投獄される、らしい。…やるせない話だ。エンマとツナは和解したっていうのに、待ってる未来は彼らを引き裂くものだと決まっているんだから。
 でも。いい顔して話してるなぁ、二人。友達って感じだ。俺は先輩後輩同期、あるいは仕事でしか人との関係を築いてこれなかったから、ああいう屈託なく笑い合う仲っていうのはちょっと憧れるものがある。とか思ってたらぐいっと手の皮膚をつねられた。「痛っ」と声を上げて何すんだと涙目で睨んでも、キョーヤは我知らずって顔で前を向いている。
 なんだよもう。ちょっと見てただけじゃないか。何もつねることないだろ、痛い。
「あの先だ。炎の感じがする」
 先頭を行くエンマが指したのは、ドーム型になった建物だ。そう言われれば確かに炎を感じるような、と首を捻りつつ、駈け出したみんなに続いて走り出す。
 建物内に駆け込めば、倒れているジュリーと、知らない誰かがいた。あ、未来で会ったんだっけ? そうそう、言い難い名前。ムクロだ。
「骸!」
「おやおや。愚かなマフィアがぞろぞろと」
 そこですっと俺の隣からキョーヤが離れた。ん? と瞬きした間にいつものトンファーをぶん投げたキョーヤと、それを弾き返したムクロに、目が点になる。
 ツッコむ暇がなかった。キョーヤは当たり前の如くトンファー投げるし、ムクロは当たり前の如く弾き返すし。それでいてキョーヤははぁと息を吐いて、ぎらぎらした目を伏せるように瞼を下ろした。「咬み殺そうかと思ったが、それだけ体力を使い果たしていては勝負にならないな」と言ってムクロから興味をなくしたように壁に背中を預ける。ムクロもムクロで、「僕はいつでも相手になりますよ」と笑う始末だ。
 これってどういうこと、と話に置いていかれてる俺である。
「反応速度が落ちてる。今やってもつまらないよ」
「はっきり言ってくれますね」
 ばちっと二人の間に火花が散った気がして、とりあえず、転がったトンファーを拾いに行く俺。
 キョーヤってほんっと、喧嘩好きだな…。そこまで徹底して戦闘マニアだと、俺は感心した方がいいのか、それとも嘆いた方がいいのか。
 トンファーを拾い上げて、キョーヤに返しに行こうと顔を上げたときだ。目の前に誰かいた。さっきまでこの場にいなかった誰かが。
 え、とこぼす間もなく伸びた手に力で頭を鷲掴みにされ、声を上げる間も防御する暇も与えられず、床に叩きつけられる、その寸前で、何かに身体をすくわれた。
 一体何が起こってるのか理解できてない俺の手からせっかく拾ったトンファーが落ちて、ごっと重い音を立てる。
 この場合、俺を襲ったのは、何もない空間から突然現れたようなあの誰かと。そして。宙ぶらりん状態で足をぷらぷらさせてる俺は、誰かに、助けられた、のかな。
 そろりと振り仰ぐ。未知の誰かから俺を救ったのは、こっちも知らない誰かだった。いや、その顔立ちはよく知ってるんだけど、違う。キョーヤじゃない。キョーヤはそこにいる。「っ!」と悲鳴みたいな声で俺を呼んでいる。だからこの誰かはキョーヤじゃない。キョーヤじゃ、ないんだけど。
「誰…?」
 プラチナブランドの髪に、俺とよく似た色の瞳を持った誰かは、つまらなそうに俺を一瞥した。間髪入れず未知の誰かが襲ってきて、「これはこれは、こんなところで何をしているのですかアラウディ」と初代守護者の一人の名を呼んだ。え、とやわらかい髪色の持ち主を見上げる。俺を片腕で抱えて浮かんでる存在は、もうずっと過去の人であるということを考えても、人間ではないんだろう。運動の法則を無視した動きで敵の攻撃をかいくぐり、距離を取る。
 アラウディは初代の雲の守護者だ。こんなに似てるんだから、もしかしたらキョーヤのご先祖様、って可能性もあるのかも。って。今はそれは置いておけ俺。
「…少しも優しくできないままだったからね。せめて、命を守るくらいはしてあげないとなって、魂を切り分けておいたんだ」
 ぼそっとした声はキョーヤと少し違っていた。
「ハハァ、なるほど。あなたも彼にご執心ですね。魂の輪廻から外れてでも彼を守りたかったわけですか」
「裏切り者に語る言葉はないね。さっさと死になよ」
 敵の猛攻を当然のごとく避けたアラウディの手に手錠が現れ、びゅっと投げつけられる。雲の増殖の力であっという間に数を増やした手錠が意思を持っているように相手に突っ込んだ、その間に、アラウディは俺をキョーヤのもとへと下ろした。途端にばっと俺達の間に割って入ったキョーヤが今までにないくらいの殺気を込めてアラウディを睨むから、慌てて腕を掴んで止める。ほっとくとトンファーでぶん殴っていそうだ。
「キョーヤ、アラウディは俺を助けたんだよ。敵は、」
 敵は、ツナ達が形態変化して対峙している、あいつだ。
 話の流れ的に、どうやら、あれは本当のムクロの身体で。クロームを守るために精神をこっちに移して戦っていたムクロの身体が空になった、その隙を突かれて身体を乗っ取っられDのものにされ、進化までしてここまでやって来た、ということらしい。
 現れた復讐者が、D・スペードを処理しろと言う。それが果たされたならシモンとボンゴレ、投獄されている両者のファミリーを解放すると。
 ごく、と唾を飲み込んで袖口に忍ばせていた小型のピストルを掌に収める。
 前触れなく急に現れて、ツナ達が苦戦してるあいつに、俺が何かできるなんて驕ってはいないけど。何も構えないよりはいいだろうってことで。
「…
「ん」
 形態変化で長ラン姿になったキョーヤがじろりとアラウディを睨みつけた。アラウディはといえば、キョーヤなんか見えないとでもいうようにDだけを注視している。「あとで殴るから」「えっ」え、なんで。それってなんで? ガーンとショックを受けてる間にキョーヤは振り切るように駆け出し、Dを倒すべく、最初から本気で仕掛けていった。
 鬼神さが怖いですキョーヤ。背筋が寒い。思わず腕をさすってしまうくらいには。
 キョーヤの猛攻をことごとくかわしてみせるDのスペードマークが浮かんだ目がすっと流れて、俺を見る。その寒いことにギクッとして銃を構えたときにはDはもう俺の前だった。高速移動とかそんなレベルじゃない。これじゃ、テレポートだ。俺じゃ抗いようがない。
 Dの手にジョーカーのカードがある。ジョーカーの絵柄の中ではピエロが爆弾を持っていて、その爆弾の導火線が見る間に短くなって、
 そこでふわっとした感覚に抱かれて、視線を上げる。アラウディがいた。Dを睨みつけていた。冷え切った瞳で。
 カードの中の導火線がついに燃え尽きて爆弾へと到達、暴発する。
「っ、」
 顔を腕で庇って、爆発のわりにどこも痛くないな、とそろりと目を開ける。特に怪我のない自分を確認してから視線を上げると、さっきまでと違う場所にいた。Dと書かれたカードがたくさんある空間。…さっきトランプを使ってみせたことといい、D・スペードって名前といい、あいつはカードが好きなのかな。
 足元から天井までを覆い尽くすDと書かれたカードを見ていたらくらりと頭が揺れた。
 そうか。ここ、幻覚世界の中か。
「あまり見ない方がいい。君は得意じゃないだろう」
 すっと伸びた手で視界に蓋をされる。…温度を感じられない手だった。生きている温度をもたない手。
「アラウディ?」
 そういえば、さっき、俺を庇って? くれたんだろうか。また助けられてしまった。お礼を言わないと。「あの、ありがとう」「…馬鹿だろう君。ここはまだ奴の手の内だよ。助けたことにはならない」「え、ああ、そっか」それもそうか。いや、でもその前は助けてくれたし。さっきも、助けようとしてくれたわけだし。
 っていうか俺、みんなの猛攻をものともしてなかったあのDに頭掴まれて地面に打ちつけられそうになったんだ。今更ながらに背筋が粟立つ。アラウディが助けてくれなかったら頭かち割られて死んでた。
「……どうせ幻覚世界なんだ。見るなら別のものを見よう」
「別のもの?」
「僕らの昔話とか、ね」
 え、とこぼす俺の視界を遮っていた手が離れる。見えた景色がまた違っていた。Dの字が書かれたカードの空間はなくなっていた。

 …懐かしいような、海の香りがする。潮を孕んだ風のにおいがする。降り注ぐ陽射しの感じに憶えがある。
 現代よりも昔風の建物達。見下ろす景色にも憶えがある。イタリア家屋だ。あっちの方に見えるテントは市場のものだろう。懐かしいものがたくさんある。ここは一体どこだろう。
 どこかの家の庭先に咲いている白い薔薇が、一つ、二つ、と花を開かせていく。

 ふらっと一歩踏み出した視界を、すっと掌が遮る。「見せてあげるよ。そして、思い出すといい」という濡れた声を最後に、ぶつっと意識が途切れた。