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数年で、ボンゴレという組織はイタリアで主力に数えられるマフィアへと成長した。こちらが読んだとおりに。ただ、こちらが想像したよりもかなり早いスピードで肥大化し、今や巨大組織へと変わり果て、当初の出発としていた自警団という概念は早々に失われつつあった。 現ボンゴレボスであるジョットはそれを危惧し、僕が提案した門外顧問という制度を採用すると決定した。 ボンゴレにあってボンゴレにない、平常時には部外者であり、非常時にはボスに次ぐ決定権を持つ、実質的にボンゴレの�癸押�そのチームを立ち上げたことで、僕が諜報部から言い渡されていた仕事は、これで完了した。 …問題なのは。ここに辿り着くまでに、僕がボンゴレを容易に離れられないほどの主要幹部として組み込まれてしまったことと。の病状の悪化にあった。 「」 会議から戻って彼の部屋の扉を開ける。ざわりと吹き込んだ風と、「ああ、おかえり」と笑った彼が窓を閉めた。出会った頃よりだいぶ痩せた彼を睨めば「ちょっと空気入れ換えただけだよ」と困った顔をされる。冷たい風は肺に触るって医者に言われていたのを忘れたのか、と若干イラつきつつ、部屋に大きな変化がないか確認した。特に、何もなさそうだ。そのことに胸を撫で下ろし、窓に鍵をかける。 たまに発作がひどくなると血を吐いたりもするようになった。今は比較的元気そうな顔でベッドに腰掛けたところだ。どこにも血痕はないし、今日は調子がいいのだろう。 ボンゴレは現在、南イタリアの主力戦以外にも三つの抗争をしている。その中で一番大きく長期戦になるだろうと踏んでいるのが南イタリアで勃発している抗争だ。そのせいで、あそこにあった僕の別宅は狙われて炎上した。事前に情報を得ていたから逃げることは容易かったけれど、彼が気に入っていたものを持ち出す時間まではなかった。座ったまま居眠りしていたゆりかごチェアも、彼が手入れした中庭も、勝手に慣れ親しんだキッチンも、全部なくなってしまった。 今滞在している城を拠点として使い始めて、彼と一緒にここへ来たけれど。やっぱりまだ慣れない。無駄に広いからどこに何があるのか忘れるし、食堂の位置は決まっているし、調理は料理人がするから、の料理は食べられないし。 「会議、どうだった？」 「…イタリアの抗争の中で孤立してる部隊がある。この抗争については何も知らないはずのシモンファミリーだ。D・スペードが救援に行くって出て行ったけど……裏切るつもりだろうね」 え、とこぼした彼がベッドの上で首を傾げた。「ああ、あれか。前から言ってたな…ボンゴレが変に大きくなっていったのは、エレナが死んでからだって」「ああ。Dはエレナとデキていたろう。あれが血迷い始めたのは、間違いなく彼女が死んだためだ」そっか、とこぼして難しい顔で腕組みしてみせる。 「でもさ。Dって頭の悪いヤツじゃなかったろ？ エレナが望んでたことを間違えるようなこと、するかなぁ」 うーんと悩む姿を眺めて、シャツの間から覗く浮き出た鎖骨から視線を外す。 …愛していた者が死んだら。その死に明確な理由があったら。僕だって、それを憎まずにはいられないさ。たとえば、君の病魔とかね。 形があったら僕が殺してやるのに。それには形がなくて、彼の薬の量はどんどん増えていって、最近は食事の量が減って痩せていくし、僕は、君の死を見せつけられているようで。Dの馬鹿がしたことを、本気で切り捨てることができないんだ。 僕だって、君を失えば、自分を見失って道を踏み外してしまう気がする。 「…アラウディ」 呼ばれて、俯けていた視線を浮かせる。来い来いと手招きされて、近くに行った。ごつごつした手に自分の掌を重ねて彼の隣に座る。 「Dが動くなら、アラウディとか他の守護者も動くんだろ？」 「…すぐに立たなくちゃならない」 痩せたせいで骨が浮き出ている感じがよくわかる肩に頭をぶつける。「そっか。気をつけて」と頭を撫でる掌の感触に目を細め、何もないタイルの床を睨みつける。 この体温の持ち主から離れることを身体が拒否している。すぐに行かないとならないのに。 自分がこういう人間だったとは、僕も知らなかった。 誰かを好きだと思ったことも愛したこともなかったけれど、ならまぁ許してもいいかな、と思う部分が、時間の流れと共にたくさん生まれてきて。結局のところそれが好きなのだろうと、僕は自分の内でそう結論を出した。 いつかの夜に彼に暴行を加えたのも。結局のところ、けろりとした顔で夜の営業というやつに戻る彼が、許せなかったのだろう。女相手に笑って商売する彼が許しがたかったのだろう。ずっと。飽きずに何度も逮捕したのもきっと同じ理由からだ。ただ、僕の目の届くところで、女などいない場所にいさせたかった。…きっとただそれだけの執着だった。 「アラウディ」 ほら、行かないと、と暗に言っている声に、ゆるりと顔を上げる。「…キスは？」ねだらないとしようとしない彼を睨みながらシャツの襟を引っぱる。「はいはい」と苦笑いした彼のカサついた唇が僕の唇に触れる。…触れるだけだ。 彼を侵している病魔は感染症ではないから、同じ空気を吸ったとしてもうつるということはないし、キスしても、性交したとしても、それによって他人を害することはない。医者もそう言っていた。僕も自分で調べてそうだと確信した。けれどそれでもは譲らなかった。万が一、億が一にでもアラウディに何かあったらと思うと、怖いんだ。そう言って、僕とキス以上は絶対にしようとしなかった。 …本音を言えば、セックスの一つくらいしてみたかったし、触れ合うくらいなら別に問題ないと何度も訴えたんだけど。そういうことを職業にしていた彼に言わせると、一度シ始めると男というのは歯止めが利かなくなるらしく、彼はそれを恐れた。結局おしまいまで持ち込んでしまって僕を汚すのではないかと。僕は何度も汚してくれていいと言ったのに、彼は結局、まだ一度も僕を抱いたことがない。 今もそうだ。触れるだけのキスで顔を離して「行ってらっしゃい」といつものように笑うだけ。 事が事だけに、今回はやりたくないですまされるものでもないだろう。僕も行かなくては。 だけど、彼のいるベッドを離れる足取りは重く、コートを羽織る手つきは遅い。 …本当は彼から離れたくない。一分でも一秒でも長くそばにいたい。 医者が言っていた。彼の病は、肺だけでなく、心臓を侵していると。 このままのスピードでいけばそう遠くはないうちに彼の心臓が止まるかもしれないのに。ファミリー同士の抗争に首を突っ込む時間なんてもどかしいだけで、僕は、一秒でも長くと。 コートを羽織った手がついに止まる。袖を通したくない。ここにいたい。出たくない。仕事を拒絶しそうになったとき、すっと伸びた手がコートをずらした。「ほら、腕通して」と言われて、反応したのは意識ではなく身体だった。のろりとした動作でコートの袖に手を入れていた。「はい、こっちも」ともう片方の袖を持ち上げられて、身体の動作に意識が追いつき、投げやりに手を突っ込む。 君はそれでも行けというわけだ。僕が言いたいこと全部わかっていながら、行けって言うんだ。 「帰ってくるまで、ちゃんと安静にしててよ」 「ん。ジョットの気でも紛らわせに行ってくるよ」 ひらひら手を振って僕を見送る彼をありったけの力で睨んで、勝手にすればいいとそっぽを向いて部屋を出た。 さっさと終わらせよう。そしてさっさと帰ってこよう。現在同時進行で起こっている全ての問題が解決するまで、まだ時間がかかる。今は目先のことだけを考えるんだ。シモンファミリーをDの策略から救出して、僕はここへ戻ってくる。
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昼の薬が入った掌に収まるくらいのカプセル型の入れ物をカチャカチャいわせながら会議室に顔を出すと、大きな机の前でジョットが一人戦況を記してるんだろう地図を眺めていた。「ジョーット」カシャ、とカプセルを鳴らす。はっとした顔をこっちに向けたジョットが「ああ、お前か…どうした？」と明らかな作り笑いを浮かべた。己の部下、幹部に位置していたDが裏切った今、ジョットの心が穏やかであるはずがない。「なぁ、お昼食べてないんだ。一緒に食べない？ これ飲むのに何か食わないといけないし」 カシャ、と手にしているカプセルを鳴らす。ジョットは浮かない顔をふっとやわらげて「そうだな…そういえばオレは朝から何も食べていなかった」と笑って人を呼び、適当なものを二人分持ってくるように言いつける。 豪華な装飾の椅子を引いて、ジョットの前に座った。それにしてもでかい地図だな、と眺めていると、インクと羽ペン、手帳を脇に避けたジョットが「そういえば、お前は学はあるのか？」と唐突なことを訊いてきた。はは、と笑って机にもたれかかる俺。「頭よさそうに見える？ 最低限だよ」と返せば「そうか。ならチェスは無理か」と腕組みするジョットに、気を紛らわせたいのかな、と考える。 チェスはアラウディと何度かやったけど、ボロ負けしたしなぁ。 こほ、と一つ咳をして、薬が切れてきたかな、と胸をさする。 ここ数年で症状が悪化した理由について、ボンゴレが抱える医師何人もの診察にかかって、何度も同じ質問に答えたり同じような検査を受けたりしたけど、結局何も判明しないままだ。原因不明で治療法のない病は確実に俺を蝕み、症状を誤魔化すために飲む薬の量は増え続けている。 あと何年生きられるのか。正直とても怪しい。 「…お前はアラウディが連れている唯一の人間だ。なんでも言ってくれていいんだ。オレも可能な限り応えてやりたいと思ってる」 苦い声に視線を投げると、苦い声のとおり苦い顔をしたジョットがいる。 ああ、ジョットを元気づけにきて、気を遣わせてるようじゃ、駄目じゃん。俺。 「だいじょーぶだよジョット。俺は大丈夫」 心からそう言って、「失礼します」と食事のトレイを運んできた給仕数人に、よっこらせと起き上がる。こんな動作さえ最近だるい。 適当なものを二人分とはいっても、ジョットはボンゴレのボスだ。ボスに適当な余り物なんて持ってくるはずもなく、用意されたのはちゃんとしたランチだった。あー絶対残すなこの量、と思いつつ、ありがたくあたたかいスープに銀のスプーンを入れた。 食事中、ジョットとはどうでもいいような話をたくさんして笑い合った。俺にできるのはせいぜいそのくらいで、今ここでだけでも思いきりジョットを笑わせてやることくらい。 このあと色々偽装偽造して戻ってくるだろうDにジョットが向ける顔を想像しながらも、今はただ笑えばいいと、くだらない話ばかりをした。 食べたらきちんと薬を飲んで、カプセルが空になったのを確かめてカチッと蓋を閉める。 「じゃー俺戻るわ。ここに入り浸ってるとアラウディうるさいし」 出ていくときに思いきり俺を睨んでいったアラウディを思い出しつつ席を立つと、ジョットが残念そうな顔をする。「そうか…。久しぶりに楽しい食事だった。ありがとう」「どういたしまして」へらっと笑ってジョットの頭にぽんと手を置き、離れる。 会議室を出て、遅い足取りで部屋へと戻る途中で、Dとすれ違った。ボロボロの格好だけど、瞳だけがギラギラと危険な色を帯びている。 無視するのもあれだろうと思って「大丈夫かD」と声をかけたら、自分の方が咳き込んでしまった。まだ薬が効いてないらしい。げほごほ咳き込む俺に「あなたこそ、我が身を気遣いなさい。私は大丈夫です。報告がありますから、失礼しますよ」ごほ、と咳き込みつつ頷いて返す。怪我のわりにはっきりした足取りで会議室へ向かう背中に、あれがあいつの幻覚の力ってやつかなと思いつつ、咳き込んで、壁に背中を預ける。 そのうち治まる。治まるんだけど。 ずり、と姿勢を崩して座り込み、咳き込むことで軋む胸をさする。 …俺、そのうち死ぬのかな。それはやっぱり、少し、怖いな。 やってみたいこととか。まだ色々あるし。この抗争が終わってボンゴレが落ち着いたら、アラウディがまた家を買うって言ってたから。一緒に選んでさ。そこでまた、あの家にあったみたいな白い薔薇を植えたり、ゆりかごチェアを買ったりしてさ。経済を回す手伝いをして。 アラウディと、手を繋いで、眠ったり。キスをしたり。あったかい時間を、もっとたくさん過ごしたい。 「……アラウディ…」 今頃戦場でシモンファミリーの退路を作っているはずのアラウディを思って目を閉じる。ああ、不機嫌そうな顔だ。早く俺のところへ戻りたいって顔。 「おい、人が倒れてるぞ」 「そこのあなた、大丈夫ですか」 遠くから声を投げられて、気付いた。俺に言ってるのか。ああ、廊下で蹲ってるから。あれ、でも、視界が変だ。斜め。倒れてるのか、俺。気付かなかった、な。 助け起こされたけど、自力で動けそうもなかった。口を開くのも億劫だったけど、この状態がよくないってことはわかっていた。「ぃむしつ、へ」とこぼすと男二人が俺を担ぎ上げて運んでいく。 最近、こんなこともザラにあるから。本当、笑えないよなぁ。 倒れたって言ったらアラウディ心配するだろうな。眉を潜めて耐えてるあの顔は、見たくないのに。な。 ふっと目を覚ますと、城内にある病室だった。 ぼやっと天井を見上げたまま、アラウディは帰ってきたのかな、と考える。すっかり陽が沈んで暗くなっている視界をずらして、手を伸ばすと、点滴の管が揺れた。咳も痛みもすっかり引いている。苦しくない。 よいしょ、と起き上がった俺は、医務室在住の先生の背中に「せんせー」と声をかけた。ぐるっと椅子ごと振り返ったおじーちゃん先生が「気分はどうじゃ」と訊いてくるから「だいじょーぶです」と返事して、点滴の管を指差す。「これ、もう空になってますよ」「おや？ そうかそうか。なら外すかの」おじーちゃん故に経験豊富、だけどたまにボケるのが玉にキズ、の先生が点滴を外す。 「アラウディは？」 「そこじゃよ」 ほれ、と指さされた方にはソファがあった。とっくに帰ってきてるだろと思ったけど、別に、ここで寝なくたって。部屋の方に戻ってればいいのに。しょうがないなぁアラウディは。 思わず笑ってしまってから、アラウディが眠るソファの前に行く。毛布を被ってる肩に手をやって「アラウディ」と軽く揺さぶれば、ぱち、と目が開いてアイスブルーの瞳が覗いた。「…？」「ん」笑うと、アラウディはほっとしたように息を吐いた。もそりと毛布から手を出して俺のシャツを握り締める。 「心配した」 「ごめん。もう大丈夫。だから、帰ろう？」 浅く頷いたアラウディが起き上がる。何か本を呼んでる先生に「じゃ、俺戻りますね。ありがとーでしたせんせ」と声をかけてから医務室を出た。「気をつけいよ」と声を投げられたけど、発作に対して気をつけるって、どうすればいいんだか。 黙ったままのアラウディに、「上手くいったの？」と訊ねる。俺の言わんとすることを理解したアラウディは黙ったまま頷いた。 そうか。よかった。ジョットは親友を失わずにすんだんだな。 遠い間隔で蝋燭の火が灯っているだけの廊下を歩き、ゆっくりめに階段を上がってまた歩き、ようやく部屋に辿り着いた。 ああ疲れた、と脱力してぼすんとソファに座り込む。最近めっきり体力が落ちたな。調子のいい日は城内を少しは歩くように心がけてるんだけど、調子悪い日の方が多いという悲しい現実だからさ。俺を心配するアラウディが安静にしてろって言うと、じっとしてるしかなくて。結果的に筋力も落ちまくる、とね。 眠くないなぁ。今まで寝てたんだから当たり前といえば当たり前なんだけど。窓の外を見た感じだと深夜っぽいし。どうしよう。何しよう。 悩んでいると、ばさ、と頭に何か被せられた。引っぺがすとコートだった。「着た方がいい。身体に障る」と言うアラウディに、肩を竦めてコートを羽織る。アラウディはさらに布団も持ってきた。「え、いいよさすがに」「駄目だ。起きているつもりだろ。それならもっとあたたかくしないと駄目だ」ぼふ、と布団をかけられて、諦めて笑う。倒れた俺が偉そうなことも言えないか。 隣にやって来たアラウディが布団を被って俺にもたれかかった。「僕はまだねむい」とこぼす声に目を細める。暗い視界の中でプラチナブロンドの髪が揺れる。さらさらしてる髪に触れて指で梳いた。 眠いならベッドで寝ればいいのに。わざわざ俺の隣に来て座ったまま寝るのか。…馬鹿だなぁアラウディ。 まぁ、お前にこうされることをまんざらでもないって思ってる俺も俺なんだけどさ。 …お前がこうしてそばにいてくれるから、俺は大丈夫だ。思いどおりにならないこの身体がもどかしくもあるけど、大丈夫。 もしも怖くなったって、お前がここにいてくれるんだから。大丈夫。 こんな俺の手でも握ってくれる人がいる。キスを求める人がいる。春の光を輝かしくしたようなプラチナブロンドの髪に、冷えた氷の色に似たアイスブルーの瞳をしたアラウディがいる。 ここは息がしやすい。たとえ発作で苦しくなったとしても、俺の背中を撫でる手が、俺を呼ぶ声があれば、ずっと息がしやすくなる。 「…もう寝た？」 そっと声をかけても返事はなかった。寝たのかもしれない。見たところ大きな怪我もしてないようだし、アラウディなりに頑張ってきて、疲れてるんだろう。 よく頑張りました、という気持ちを込めて形のいい頭を撫でておいた。さらさらしている髪が視界の中で揺れる。 「お前がいるから。俺は、苦しくても、生きていられる」 |