ここが目指した虹の麓

 はっと我に返る。白い薔薇の木を前にしてそれまで見ていたものは静止画のように止まっていた。
 ……思い、出した。
 俺を包み込むように後ろから腕を回してるアラウディは、もう故人だ。死んでいる。そして、その魂というものをぐちゃぐちゃにしてまで、俺のことを思って、守って、今まで漂っていたらしい。
 馬鹿みたいに一途なアラウディに目頭が熱くなった。「…馬鹿じゃないのかアラウディ。俺が先にいきなさいって言ったのは、こんなことさせるためじゃなかった」とこぼして目を押さえる。「馬鹿は君だ。あんな最後の言葉でそんなことわかるはずがない」と言うアラウディは、自分の選択を後悔していない。
 Dが他人を巻き込む迷惑型なら、アラウディは誰にも迷惑をかけないで、誰にも認識されないでいた、かわいそうな魂だ。
 ただ俺のために。俺がちゃんと笑ってる姿を見たいがために、自分の人生を無駄にするなんて。
「僕が防げるのは、君に振りかかる不幸だったから…君の両親は助けられなかった。ごめん」
 ふわふわとしたものに頭を撫でられる。は、と小さく笑って緩く首を振った。
 そんなことまでお前が背負う必要はない。お前はもう、何も背負わなくていいんだから。
 ぐっと目頭を押さえていた手を離す。「じゃあ、お前にあれだけ似てるキョーヤは、お前の子孫ってことなのかな」「そうなるんじゃない」そっけない声はキョーヤになんて興味ないと言っていた。薄く笑う。どうせ拗ねた顔してるんだろ。お前とキョーヤ、本当にそっくりだから。
「いーの? 俺、キョーヤのこと好きだよ。浮気じゃないかこれ」
「…それが浮気になるなら、適当な女と寝て子供を作った僕は一体何になるのさ」
「ああ、それもそうか。じゃあこの話はやめ」
 キリがなさそうなのでそっちの話は切り上げる。感覚がないわけではないのにふわふわしているアラウディの手を握って「で、今の俺はこうだけど。満足した?」「八割くらい」俺の首筋に埋まったものもやっぱりふわふわしていて頼りない。今にも消えてしまいそうだ。
「なぁ、俺の名前が同じなのは、お前が願ったから?」
「…そうかもしれない」
 ぼそぼそした声に小さく笑う。俺の人生が続くようにと願って守っているお前らしい。
「……今回は、Dが君を害そうとした。だから僕が出た」
「じゃあさ、未来でビャクランとやってたときは? アラウディ出てこなかったじゃん」
「アレは、君に殺意がなかった。敵意もなかった。だから君を守る僕の意識というのは眠ったままだったんだ」
 ああ、なるほどね。確かに、あちこち痛めつけられはしたけど、大した傷はなかったし。ビャクランは最初から俺と遊んでただけだった、と。
 ぐっと手を握って引き離して振り返る。プラチナブロンドの髪、アイスブルーの瞳に、見憶えのあるクリーム色のコートを羽織った、よく知っている姿がある。
 今までボンゴレで仕事してきて、危ない場面は何度かあった。いつもなんとかそれをくぐり抜けて、運がよかったですませてきた。だけど、それはアラウディの加護があったおかげかもしれない。お前が人知れず俺を守ってきた。自分の魂ぐちゃぐちゃにしてまで俺のことを守ってきたんだ。
 ふ、と笑ったアラウディが「何その顔。馬鹿だろう」と俺を笑う。「馬鹿だよ、知ってるだろ」と笑ってふわふわしてるアラウディとキスをしても、やっぱりふわふわしてるだけで、何もわからなかった。
 一瞬だけ泣きそうになったアラウディが顔を背けてとんと俺を押した。ふわ、と足元が浮く。もともとどこかの空間に浮かんでたんだけど、浮遊感が少し違う。なんか、引っぱられる感じ。
「時間だ」
「え、」
「十代目ボンゴレがDを消したらしい。だから、ここも解ける。…それで僕の出番も終わりだ。君の中に溶けて帰る」
 ふわふわしているアラウディの姿が不安定にゆらりと揺れて、頼りなくなる。
 これでお別れなのか。この再会がイレギュラーとはいえ、俺はまだお前に言ってないこととか、たくさんあるのに。
 俺の心を見透かしたタイミングで笑ったアラウディがとんと自分の胸を拳で叩いた。「今言ったろ。僕は君の中に帰るんだ。君の魂に一番近い場所で君を守る。だから、そんな顔するんじゃない。僕はいつでも君と一緒にいるんだから」と言ったアラウディの姿が雲のように霧散していく。
 ふわふわした雲が俺を取り囲むと、ひどく懐かしい感覚に襲われた。
 このにおい。アラウディの家で洗濯物を取り込んで、たたんでたときの、太陽のぬくもりと、洗っても残るアラウディのにおいに似てる。
 できれば、君の命が危険に晒されることなんて、もうないと思いたいけど。そのときはまた僕が守ってあげるから、何も心配しなくていい
 だから、君は、現実世界に戻ったら、僕のことは忘れて。僕の遠い子孫だけ想ってあげるといい
 アレはなかなか聡いようだから、君の変化に気がつくだろう。やり過ごしなよ
 …君は今を生きているんだ。僕は過去の人間。それを忘れないで

 君が笑って生きていてくれることが、
 僕が望んだことなのだから
っ」
「、」
 はっと意識を戻すと、地に足がついていた。ぽかんとしたまま俺の無事を確認しているキョーヤを見て、ぎょっとして肩を掴む。頬が切れてるし、それに腕、学ランとシャツの袖が焦げている。肌には異常ないのか脱がそうとしたらべしっと頭を叩かれた。「いい、今はいい。それよりあなたは平気なの」と早口に訊かれて、「俺?」と首を捻って自身を見下ろす。怪我は、ない。
「あいつは」
「あいつ?」
「僕にそっくりの奴」
 そう言われて、胸のどこかしらが痛んだけど、笑う。笑ってキョーヤの前髪をかき上げて額に唇を寄せてキスをした。
 ああ、温度がある。
 唇越しに伝わる、トラブル知らずのすべすべな肌。抱き締めればちゃんと身体の形がわかる。確かめるようにぺたぺたキョーヤの身体を触って太腿を撫でたら叩かれた。痛い。うん、殴られて痛いのも、ちゃんと現実だな。
(わかったよアラウディ。お前のことは、胸にだけ留めとく)
「どこか行っちゃった。なんでだろうね」
 適当なことを言って、「さんも、雲雀さんも、無事ですかぁ」と遠くから声をかけてくるツナに手を振る。「だーいじょーぶでーす!」と返してキョーヤの髪をくしゃくしゃ撫でた。腑に落ちないって顔をしてるキョーヤに「で、腕は痛いの?」と怪我の程度を確認。俺を睨んでいた視線を逸らして「まぁ、少しは…火傷、に近いのかも」とこぼすから左腕を取った。「すぐに手当てします。はい脱ぐ」「嫌だ」「じゃー腕まくりだけでもして、ちょっと診たい」むーと眉根を寄せたキョーヤが仕方なさそうにシャツの袖をめくる。
 シャツの下の肌の状態を確認。ちょっとした火傷状態ではあるけど、ひどいものではない。でも、手当てはしよう。念の為に消毒、冷却湿布と包帯を用意。「キョーヤちょっと脱いで」「…嫌だって言ったよね」「手当てしたいんだよ」左の手の甲から消毒液を含んだ綿で拭う。沁みるのか、キョーヤは片目を閉じている。
「じゃあ左側だけ脱いで。ね」
「……はぁ」
 俺のしつこさについに諦めたキョーヤが、渋々シャツのボタンを外していく。
 え? いや別に他のことなんて考えてないよ。全然ちっとも考えてないよ。そういえばこの島に来てからはシてないんだったなーとか思ってない。思ってないから。
 キョーヤもちょっと照れくさいって顔をするんじゃない。襲いたくなるだろ、赤くなるんじゃない。
 努めて冷静、怪我を手当てするお医者さんの気分に浸りつつ、今頃になってタルボじじ様が言っていたことの意味を理解した。
 きっとアラウディに頼まれてあの人が手を貸したんだろう。俺の中にアラウディがいるのがあの人にはわかったんだ。アラウディの賭けが叶ったことを知って、あの人は笑ったんだろう。
 キョーヤはそっぽを向いたまま俺の手当てを受けている。…その照れくさそうな顔をやめてほしい。俺までつられちゃうじゃないか。
「…これで、終わったよ」
「そーだね。シモンとボンゴレは和解できたみたいだし、両ファミリー健在で、本当よかった」
 心からそう言うと、キョーヤは気に入らないとばかりにだんと地面を踏みつけた。「僕が殺るはずだったのに」とか言ってぎらっとした目をツナに向けるから、本当に喧嘩好きだなぁ、と笑ってしまう。

 何はともあれ、この戦いは、ここでおしまいだ。
 俺達は自分達の日常に帰る。俺とキョーヤは、雲雀の家へと帰る。
 キョーヤと手を繋ぐ意思は変わらない。好きだということも、大好きだということも、愛してるってことも何も変わらない。
 むしろ、前よりもっとずっと愛してる。
 俺はお前とこうして一緒になるために生まれてきたんだ。
「ご褒美をちょうだい」
「あげるよ。溢れるくらい満たしてあげる」
 帰るなり学ランを取っ払ったキョーヤの怪我のぐあいが気になるけど、俺も、今はキョーヤを愛したかった。意識も身体も全て。
 シャツのボタンに手をかけたキョーヤをベッドに押し倒す。「ちょっと、」「脱がしたい」ぷち、と一つボタンを外すとキョーヤの瞳が潤んだ。口を塞ぐキスをしながら俺がキョーヤのシャツのボタンを外して、キョーヤが俺のネクタイを緩めて放って捨てる。
 俺はアラウディを抱いたことがない。キョーヤしか知らない。だから、重ねないですむ。
 ベルトに手をかけて金具を外し、ズボンのチャックを下げていく。そういう顔は卑怯じゃないかって思うくらい煽ってくるキョーヤの舌に舌を絡める。もう感じてるんだろう、俺のシャツのボタンを外すキョーヤの手つきが危うい。
 少しの刺激でも過敏に反応する肌に舌を這わせたとき、「全部、脱いで」と言われた。「なんで?」と返しつつ胸の突起を舌で転がす。吐息をこぼすキョーヤがエロい。
「うるさい、脱げ。ちゃんとあなたの身体が見たい」
 …何を言うかと思えば。赤い顔しちゃってもーかわいいなぁ、と馬鹿みたいに笑う俺。キスしながらシャツを脱いでベッドの下へと落とし、ベルトを外してスーツのズボンを落とした。
 お互い下着一枚姿で求め合う。理由は特にない。ただ、本能がそうしろと訴えるだけだ。愛せ、と意識を揺さぶるだけ。
 十年後の未来で、三桁はしてないだろって簡単に思ったけど。たとえば一週間に一回の頻度でセックスしたとして、一ヶ月でだいたい四回。かける一年分の十二ヶ月で四十八。このペースだとふつーに三年あれば三桁を超えるということに。
「ん…ッ」
 もそっと動いて引き気味の腰を掴まえる。キスを中断して「いやだ?」と囁けば、緩く頭を振られる。俺が触れて過剰反応してるキョーヤのを緩く扱いつつ、本当エロいなぁ、としみじみ。意識を他へ持っていきたいんだろう、灰色の瞳を潤ませるキョーヤに「ねぇキス」とねだられて、また唇を重ねる。

 俺は幸せ者だ。最低でも二人の人間に心から愛されている。今もこうやって愛している。贅沢なことだ。幸せなことだ。
 前回は確かに言われのない病に侵されて死んだかもしれない。それは不幸に値することだったのかもしれない。だからこそアラウディは俺を守ると決めて、自分の魂を引き裂いてまで未来を約束した。自分の方は生まれ変わる権利を失うと知りながら、それでいいと、自由に生きればいいと言って、俺の未来だけを繋いだ。
 お前は義務的に子供を作っただけで、あわよくば俺と子孫が出会えばいいと思ったくらいで、期待なんてしてなかったろう。
 でも、俺は見つけたよ。お前とそっくりの子を見つけて、知って、好きになって、愛したよ。
 色んな人に出会って、手を貸したり貸されたりして、ここまで生きてきたよ。
 だから、お前が心配しなくても、俺はもう大丈夫。胸を張って幸せだと言えるから。

「ぁ…ッ、ま、、ま、て…ッ!」
 細い腰を震わせるキョーヤの言葉が今日は聞けない。「ごめん」とこぼしてキョーヤの唇を塞ぎ、逃げる腰を掴まえて、キョーヤを犯す。イイトコロを何度も刺激してやればキョーヤはすぐにイク。イッた瞬間ぎゅっと締めつけられるけど、それを我慢してさらにキョーヤを犯してよがらせ喘がせ、限界まで快楽で追い込んでから奥で出した。
 は、と息を吐き出す。俺も体力が吐きて、力尽きたキョーヤに身体を重ねてベッドに沈む。
 愛してあげよう。壊れるまで。俺以外全部忘れるくらい気持ちよくしてあげよう。それで、ハンバーグとお寿司を作ってあげる。ずっと携帯食ですませてたから、好きなもの食べて、それから栄養あるもの食べようね。
「ばか、
 は、は、と大きく息をするキョーヤに罵られる。ああそうだ、髪も切るんだったなと視界にかかっている一房を指で払いのけつつ「馬鹿で結構」とその額にキスを施した。